クズその42【痴女】
お、おお……おお~。
カーブの遠心力によって、更に密着する背面スライム。体重がのし掛かってきた事により、大体五十キロぐらいだと推測した。
電車の揺れ、動き、様々な挙動がスライム達に影響する。形状の変化、圧迫、感触等、同じ状態のスライムは一つとしてないのだ。これはまさに生モノ、『生スライム』だ。
背面スライムの所有者について分析を終えたその時、背中に『新たな感覚』が発生した。
ん……? なんか背中が濡れてない? これはもしや、汗……か?
電車内は冷房がついてはいるものの、何せこの人数だ。エアコンの効きが悪くなるのは致し方ない。
そんな事よりも俺が気になるのは、背中の汗が『どっち』の汗か? という問題。俺から発生している汗なのか? それとも背面スライムから発生している汗なのか? つまり、どっちが濡れているかによって、楽しみ方も大きく違ってくるのだ。う~ん……どっちだ?
そんな問題を頭の中で検証していた時、キッチョンが手で顔を扇ぎながらぼやいた。
「あっ、つぅ~い。本当にエアコン効いてるの? メイクが崩れちゃうじゃん」
そして、こっちに顔を向けると、まじまじと俺の顔を見つめた。
「いいなぁ、チュリーは汗かかない女優体質で~」
なんですと? 貴女今、なんて仰いました?
「そ……そう? 新陳代謝が悪いだけかも」
「昔からどれだけ運動しても、辛いモノ食べても全然汗かかないよね~。めっちゃ羨ましいんですけどぉ~」
「ア、アハハハハ……」
ナイスキッチョン! 今、俺が最も知りたいデータをまさか『推し』から聞けるなんて想定外だったよ!
キッチョンの情報にて発覚した『滝本移女優体質』によって、この汗の発生源が確定した。これは……背面スライムの汗だ!
くおおおぉぉ──!! たまらない……たまらないぜ!
背面スライムが濡らす俺の背中。びちょびちょではなくじんわりと、そしてしっとりと。この絶妙な塩梅が最高だ。つまり、これは『乳汗』。背面スライムの乳汗が俺の背中に付着しているのだ、バンザーイ! ヤホーイ!
そんな至高の感触を味わっていると、やはり人間『欲』が出てくる。この子、どんな顔してるんだろう?
ここまでくると、背面スライムの所有者をこの目で確認したくなるのがクズの性。顔を見てこそオールコンプリートだ。だが、依然として方向転換は出来ないし、車窓を鏡代わりにしたい所だが、女の子達で埋め尽くされて車窓を見る事すら出来ない。どうする? 何か手はないか?
背面スライムと密着している状態で、是が非でも顔を確認したい。
そう思ったその時、キッチョンがバッグの中に手を入れ、ゴソゴソと何かを探し始めた。
おいお~い、この身動きとれない状態で何やってるの? 右腕から胸が離れちゃったじゃん……。
キッチョンのワガママっ子ぶりに寂しさを募らせていると、カバンの中から何かを取り出した。そして、「あ~ん、やっぱメイク崩れかけてるぅ~」と、手鏡でメイクの状態を確認し始めた。
ホント、ワガママちゃんだね君は…………っ! て、ててててて手鏡!
それは今の俺が最も欲するスーパーアイテム。それがあれば背面スライムの顔を確認する事が出来るっ! 再びナイスだキッチョン!今日の君は冴えている。
「キッチョン、ボクもちょっと鏡見たいな……」
「い~よぉ。はい」と、キッチョンが手鏡を此方へ向けた──ついに、ついにご対面の時来る!
……え。あ、う~ん。そっか……………………。
手鏡に映し出されたのは、四十代と思われる中年女性。授業参観の時だけ化粧を頑張りそうな、極々フツーのお母さん…………いいや、日本のザ・おっかさんだった。
「チュリー、もういい?」
「……う、うん。ありがと」
背面スライムの所有者が判明した途端、俺の煩悩ゲージは急降下し、テンションも著しく下がった。
いやね、別にいいんだよ。可もなければ不可もないからさ。
心に去来する虚無感──つい先程まで大興奮していた背面生スライムが『生どら焼』に変化した。
密着感を楽しむ為に体重を後方へややかけていたが、可能な限り前方へ体重を移動させ、生どら焼のしっとり感を避けた。
ぶっちゃけ俺はどちらかと言えば熟女は好きな方……いいや大好きだ。しかし、熟女に対しての趣向に関しては、俺なりの定義がある。おっかさんはほんの少しだけその定義からズレているだけなんだ。そう……おっかさんの生どら焼には何の罪も無い。
そんな思いを馳せていると、電車は駅に到着した。
背面のおっかさんは、生どら焼をゆっさゆっさと揺らしながら、俺の横を通り抜けて降車した。
さらば、おっかさん。暫くの間いい夢を見させてもらったよ、お気をつけて。そして、意識の中で汚してしまってごめんなさい。どうか、どうかお達者で。
乗客が入れ替わる。俺は腕組みをしながら降りて行く女性達の背中をぼんやりと見つめていた。その時、「すいませーん、降りまーす」と、最後方の女の子がやや焦り気味に俺の真横を通過した。
ぐにゅにゅりりん――
えっ!? そんな音が鳴るはずもなければ、聞こえるはずもないのだが、確かにそんな音が頭の中で鳴り響いた。
えっ? ええ? 女の子のスライム×2が、腕組みをしていた俺の両肘に当たっていったのだ。うわぁ………何今の!? 腕組みしてただけなのに!
そう、俺は腕組みをしていただけなのだ。にもかかわらず、ラッキースライムが両肘にぷるるん感触を味合わせていった。その結果、おっかさんの生どら焼が削いだ煩悩ゲージが再びMAXに達した。
俺は次に乗り込んでくる女の子達に期待を寄せた。しかしあれだな、肘が触れるモノなんて、机の角かアスファルトかの二択しかない箇所に、あんなにも柔らかい物体が当たると、こんなにも悶々とした気持ちになるんだな。
そうか……焼き肉でも同じだ。部位によって、食感やら味も違う。スライムが触れる箇所によって様々な感触を味わえるんだ。遼、これまた一つ学びましたぞ。フッフッフッ!
自動ドアが閉まり、乗客の入れ替えが終わった。電車はゆっくりと次の駅に向かって動き出した。
さて、大学の最寄り駅まで後五駅……到着するまでにどんなドラマが起こるのか楽しみだ。俺のポジショニングは変わらず中央の四方八方をスライム達に囲まれたベストポジション。右舷のビッチ、左舷のロリ顔のスライムを従え、いざ新たな冒険の旅へ出発だ!
電車内の物色サーチを開始した。入れ替わったとはいえ、相変わらず乗車率は百パーセントを越えている。むしろ百パーセントを切って欲しくないと切に願う。いい娘はいねぇか……いい娘はいねぇか。まるで秋田のなまはげのように新たなスライムを探す。するとその時、一人の女性と目が合った。
おお……結構な高身長。スタイルも良さようだな。その女性は俺のやや右前方のドア付近に立っており、黒髪ワンレンのロングヘアがとても似合うOL風美女だった。そんな美女が俺の事を見つめている──
何だ? 移の知り合いか……? その可能性も否定出来ない。俺は視覚モニターを使用して、OL風美女の顔をスキャンした。
【NO DATE】
あれ? データが表示されない。つまり、完全な赤の他人って事か……しかし、OL風美女の視線は依然として俺にロックオン中だ。何々? すんげぇ気になるんですけどぉ。理由はどうあれ、こんな美人に見つめられると流石にドキドキするぜ……ってあれ? その時、葛谷遼時代の記憶が開いた。
……ある、会った事がある。このOL風美女に俺は会った事がある!
あれは数年前、パチスロでボロカスに負けた帰りの電車内の事。俺の隣に座ったのが、このOL風美女だ。
あの口元のホクロ……間違いない。
一度しか会った事がない彼女が、なぜ俺の記憶に焼き付いているか? それにはこんな『理由』がある──
俺の隣に座っていた彼女は、相当疲れていたのか、次第にウトウトとし始めた。そして、数分後にはなんとあろうことか、俺の肩に寄りかかってきたのだ。見も知らない女性の頭が俺の肩に……至福のひと時だった。
だが、そんな夢見心地な気分をドン底に突き落とす瞬間が訪れる。
約五分間、俺は彼女に肩を貸したのだが、やがて目覚めの時が訪れた。彼女は見知らぬ男性の肩に寄りかかってしまった事に気付いたのか、俺の顔を見て『すいませ……』 と言った。『すいません』ではなく、『すいませ……』だ。
同じように思えるかもしれないが、『ん』がないだけで意味合いから何から何まで違ってくる。言葉も問題だが、特に問題なのは『すいませ……』と言った時の彼女の表情だ。それはまるで化け物か汚物を見るかのように卑下に満ちた目だった。
俺はあの目を決して忘れない……いや! 忘れられる訳がない。
地獄の時間はそこからが本番だった。彼女は俺の隣から一つ席をズラし、カバンの中から携帯用スプレーボトルを取り出した。俺は自分の目を疑った──なんと、彼女は自分の頭、右側頭部にそのスプレーを吹き付け出したのだ。十五プッシュぐらいはしただろうか? 髪がしっとりと濡れるぐらいスプレーのボタンを押していた。そのスプレーの正体は言うまでもないが、勿論『除菌スプレー』だ。
酷くない? 酷すぎるっしょ? 確かにあの時、三日は風呂に入ってなかったよ? 着ていたTシャツも一週間は洗濯してなかったよ? 歯もボロボロだったし、当然歯磨きしてないから、歯間に詰まったサキイカが腐敗臭を放ってたよ? 世界一臭い缶詰め並の臭気を放っていたかも知れないが、ソレに寄りかかってきたのは貴女ですよね? それをさ、俺が居る時に除菌スプレーかけまくるなんて人間の所業じゃないよね?
と……そんな曰く付きの女だったのだ。
そんな、そんなOL風美女が俺を、正確には滝本移をずっと見つめている。
一体何の理由で? 気になる……気になりすぎて今、めちゃめちゃ酒が飲みたい。どうする? 接近してみるか? いや、それは流石に不自然だし、何よりキッチョンとすーちゃんのスライムを放棄してまで冒険は出来ない。
様々な憶測や思惑が頭の中を駆け巡る最中、電車は次の駅に停車し、乗客の入れ替わりが始まった。恐らく、OL風美女はポジショニングから推測すると、そう遠くない駅で降りるだろう。もしかしたらこの駅でサヨナラ……かも。ま、それはそれで縁がなかったと思うしかない。来るもの拒まず、逃げるもの追わず……クズの鉄則だ。
ドアが開き、女性の群れがどんどん電車を降りてゆく。そして、彼女も──あれ? なんと、なんとOL風美女降りず。どうやら、この駅が目的地ではないようだ。少しだけホッとしていたその時、車内の状況が急変した。
目の前に居た乗客達が一斉に降り、一瞬だけ目の前が開けた。そして、乗客が乗ってくるその前に、なんとドア付近に居たOL風美女がこちらに向かって歩いてきたのだ。そして、彼女は俺の目の前で歩みを止めた。
マジか! 向こうから来たぞおい! OL風美女は腕組みをしたまま見つめてくる。
近いっ! てゆーか間近で見るとめちゃくちゃ美人!
俺と頭一つ分ぐらい身長差がある彼女は、俺を見下ろした形で見つめ続けてくる。
え? てゆーかマジで何? 依然として乗車率100%を越えている電車は、ゆっくりと次の駅へ向かって動き出した。
まつ毛長ぇ……瞬きで飛べるんじゃね?
それに目も大きくて切れ長だし、鼻筋も綺麗だ。まさか、こんな至近距離でトラウマ女の顔をマジマジと見える日が来るだなんて、夢にも思わなかったぜ。しかし、この状況は一体……。
彼女は腕組みしたまま俺を見つめ続ける。いや──見つめるというか『ガン見』だ。やはり移の知り合いなのか? にしては話しかけても来ないし……一体何なんだ?
彼女は微動だにしない。しないが眼球だけは上下左右に動いていやがる。つまり、俺を……移ちゃんを品定めしているんだ。
まさかこの女、痴女……なのか?
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