クズその13【魚類魚】
午後七時都内某所──
「はぁはぁはぁ…………」
何とか現地集合に間に合った俺は、肩で息をするほど疲労困憊に陥っていた。
その理由は、さかのぼる事数時間前──推しのミヤビこと可愛絆、キッチョンとの電話を切った直後から現在に至るまでに、様々な試練を乗り越えたからだ。
■試練その一『化粧』
着ていく服装は適当に白いブラウスと黒い激細スキニーパンツで見繕ったものの、化粧はそうはいかない。
当然だが俺は生まれてから餓死するまで、化粧など一度もした事がない。
移ちゃんの部屋にメイク道具は鬼のようにあったけれど、それらを活かせるメイク術など、持ち合わせてはいない。なので、YouTubeにアクセスし、【誰でも簡単メイクアップ講座】という動画を参考に化粧を施した。
幸いにも移ちゃんの美貌は、薄化粧でも充分映えるので、即席のなんちゃってメイクアップで誤魔化すことができた。
ちなみに俺は意外にも手先は器用な方で、葛谷遼時代に某有名ロボットアニメのプラモデル製作代行のバイトで飯を食っていた時期もあるほどなのだ。まさに『芸は身を助ける』だ。ヲタ技術が役に立った。
■試練その二『店の場所』
キッチョンが『いつもの店で』と告げた後、店舗にまつわる詳細データを言わぬまま電話を切ってしまったおかげで、その『いつもの店』を調べるはめになった。
俺は移ちゃんのライン、ツイッター、インスタ等、SNSにアクセスし、情報や画像を徹底的に調べあげ、よく行く店舗の統計を取った。
その結果、導き出されたのが『大衆居酒屋 魚類魚(ぎょるぎょ)十三号』という店だ。これを特定するのにかなりの時間を要した。
■試練その三『飲み代』
『いつもの店』は判明した。が──飯を食い、酒を飲むには当然の如く『金』がいる。一応、キッチョンが快気祝いと銘打っている以上、あわよくば奢ってもらえる可能性もあるが、ワリカンだった場合、持ち合わせているのが浮いたタクシー代の残金では心許ない。
そう思った俺は移ちゃんの預金通帳を確認した。そこには葛谷遼時代には見たこともない、驚愕の数字が印字されていた。
その預金残高を見た瞬間、手が震え過ぎて、通帳を破りそうになったが、深呼吸&缶チューハイで心を落ち着かせた。
冷静になって気付いたが、肝心な情報を俺は知らない。
そう、『暗証番号』だ。
母親に電話して聞く手段もあるが、今のご時世、特殊詐欺を疑われるかも知れない。面倒な事になったら困るので、その選択は却下。
待ち合わせの時間は刻一刻と迫っていた。
俺は移ちゃんのあらゆる情報から暗証番号に関係する可能性が高い数字を割り出し、メモに書き留めた。そしてコンビニのATMに出向き、キャッシュカードを財布から取り出した。一か八かの勝負──覚悟を決めた俺は、取り出したキャッシュカードをATMに挿入した。
しかし、そこでイレギュラーが発生した。緊張と切迫のあまり、『裏面』を上に向けてカードを挿入してしまったのだ。エラー音と共に戻されたキャッシュカードを手に取り、再び挿入に挑もうとしたその時、衝撃的な光景を目の当たりにした。
カードの裏面に油性マジックで四桁の数字が書かれているではないか。
『まさかそんな事……いやいや、いくらなんでもありえない、ありえない。アハハハハ』
心の中で笑いながらキャッシュカードを挿入し直し、裏面に書かれていた四桁の数字を入力してみた。
暗証番号だった。
どうやら滝本移の危機管理意識は、昭和のご老人レベルだったようだ。
きっと彼女は、『お醤油お借りしたいんですけど~』と家を尋ねれば、簡単にオートロックを開けていたことだろう。
そんな数多の試練を乗り越えた俺は今、『大衆居酒屋魚類魚十三号』の前に居る。かれこれ一時間が経過した──ん?
「…………」
おいおいおいおいおいっ! 来ないぞ? おかしい……これは流石におかしい。店を間違えたか? もしや、よく行く店ランキング二位の『人情酒場鳥魂』の方だったか? いや、仮にそうだったとしても一時間が過ぎてるんだ。キッチョンからLINEなり電話の連絡があってもいいはずだ。
どうする? こっちから電話するか?
……いいや、それはなんか気が引けるし、そもそも女子に電話をかけるという行為自体が単純に恥ずかしい。
数々の選択肢が駆け巡るも、決めきれない俺は不安に掻き立てられた。
その時、周囲の景色が灰色になった。
行き交う人々はその動きを止め、まるで時間が停止したかの様な不思議空間に様変わりした。
頭上を見上げると、眩い光の中から女神(ヤツ)が降臨してきた。
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