クズその6【タクシードライバー】
不慮の交通事故で脳死に陥り、死の淵をさまよっていた女の子、滝本移は奇跡的に意識を取り戻し、その後順調に回復。
精密検査は異常無し、軽度の記憶障害と診断されたものの、無事に退院と事が運び、家族は歓喜に包まれた。
餓死したド底辺のクズがインストールされている事など露知らず──
そんなこんなで退院した俺は、都内にある滝本移が一人暮らしをするマンションへ向かう為、タクシーを待っていた。
両親は車で送っていくと言っていたが、一人で帰れるからと送迎は拒否した。
妹の縁ちゃんと別れるのは少し惜しかったけれど、なにぶんまだ充分な情報を得られていないので、面倒な状況になる事を避けたってわけだ。
はぁ……とりあえず煙草吸いたい。酒も飲みたいし、味気ない病院食しか食べてないから、油っけのあるものも食べたいなぁ。
そんな欲求で頭の中を埋め尽くしていると、両親が呼んでくれたタクシーがやってきた。
開けられた後部座席のドアから乗り込んだ俺は、視覚ウインドを開いて住所を確認し、タクシードライバーに行き先を告げた。
タクシーなんて贅沢な移動手段、何年ぶりだろうか?
車窓から流れゆく景色を眺めながら、ゆるりとした気持ちに浸っていると、「お姉さん入院してたの?」と、運転手が話しかけてきた。
バックミラー越しに運転手を見ると、見事なくらいの普通のおっさんだった。
「……え、えぇ。まぁ」
参った……俺はこういうコミュニケーションが非常に苦手なのだ。タクシー然り、床屋然り。無利益な会話のやり取りほど無駄な事はない。せめて、美人タクシードライバーだったら会話する余地はあったのだが。
「何で入院してたの? 病気? それとも怪我かい?」
「……えっと、交通事故に遭っちゃいまして」
あぁウザい。マジでウザい。ウザザザい。お願いだから運転に集中してくださいよ。
「交通事故? それは大変だったね。でも退院出来てよかったじゃないの。おじさんも嬉しいよ~、お姉さんカワイイから」
「あ、あはは……」
は? アンタが喜ぶ意味が分かんねーわ。大体、会って数分のおっさんに喜ばれた所で、俺に何のメリットがあるの? おっさんのウザ絡みに段々苛立ちが募ってきたんだが。
その後も無利益な会話のやり取りは続き、もう勘弁してくださいよ~と、思ったところでマンションに到着した。
ようやく無価値なウザ絡みから解放される。さて、料金はいくらなのだろう? そう思いながらダッシュボードの料金メーターを確認すると、【五千五百円】と表示されていた。
たった数キロ走っただけでこの金額、やっぱりタクシーは高い。五千五百円もあったら何が食べられる? 行き付けの街中華だったら、叉焼麺に餃子、レバニラ炒めに青椒肉絲飯、瓶ビールも二本飲めるよな。ああ……しかし腹が減ったな。
俺は移ちゃんの母親からタクシー代として手渡されていた一万円を、財布の中から渋々出した。
「じゃあ一万円で……」
運転手のおっさんに見えるように万札を差し出すと、おっさんはバックミラー越しにこちらを見ながら口を開いた。
「代金はいいよ」
「え? どうしてですか?」
「退院祝いだよ」
は? 退院祝い? 何言ってんの? 今さっき会ったばかりの人間を祝う? 馬鹿なの? 死ぬの?
「……で、でも悪いですよ」
「いいのいいの、お姉さんカワイイからね」
俺は驚愕した。
『カワイイから』
ただそれだけの理由で、五千五百円のタクシー代が無料になるという衝撃。
確か去年、居酒屋で十円足りなくて、店長にブチ切れられた事があったっけ。たった……たった十円足りないだけで、罵詈雑言を浴びせられた俺が、カワイイ女の子になった途端、タクシー代無料とは……。
ゴブリンへの転生はとりあえず回避できたし、タクシー代は浮いたし、移ちゃんには本当に感謝しかないな。あと失態を犯したポンコツ女神ルナにも感謝。
「え~、いいんですかぁ。ありがとうございまぁす♪」
その申し出に当然の如く乗っかった俺は、バックミラーに向けて返礼品代わりの笑顔を差し上げた。
おっさんは軽く後ろを振り返り、「い……いいって事よ。また乗ってくれよな」と精一杯カッコをつけて御満悦だった。
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