第9話:わたしの従者は、恋をする

 狭い部屋、ベッドの上の私。

 何も見えず、足も動かず、何も言葉を発せない。

 彼は、私の手を握り、話し始める。


「お嬢様、目が覚めましたか?


 よく眠れたかと思います。少し重ための眠りの魔法をかけさせていただいたので。ただ少々お目覚めも悪くなってしまったかもしれません。


 お身体のほうは大丈夫でしょうか。


 手を……あぁ、良かったです。

 お嬢様も何か困ったことや、わからないことがあればお聞きください。

 まだ目が覚めたばかりで、頭も回りませんでしょうが。


 ただ手を握ってくだされば……


 はい、お嬢様の気持ちならば、いつものように手を握ってくださればわかります。

 なので、不安なときも安心しているときも、手を握っていてください。そうしたら私はいつでもお嬢様のお話を聞くことができますから。

 もちろん、お嬢様は何も喋る必要はありません。ただ、黙って握ってくださるだけで十分です。


 …………


 ……静かですね。


 とても珍しいです。


 ……こうも静かですと、お嬢様におはなしした今までの旅の数々を思い出します。

 はじめはお嬢様が好きな花を探しにレイヴァーまで赴いたのでしたか。そこでちょうどよいアロマを見つけてお嬢様にプレゼントしましたね。


 ただ最初の一つは私が火の着け方を間違ってしまって、焦がしてしまいましたが……

 そのときに、ひどく焦った私の声を聴いて、お嬢様がとてもよく笑ってくれたことを今でも思い出します。


 そのあとは……たしか竜の住む山の麓で薬草を探しに行った時でしょうか。

 あのときは本当に大変でした。お嬢様もご存知でしょうが、ビッグボアの縄張りに入り込んでしまい、命からがら逃げてきましたから。

 ぼろぼろの体のまま薬草をすり潰して……そして、結局自分に使ったんですよね。

 はは、あのときは我ながら情けない……


 そして……もう数え切れないほどお嬢様に冒険の数々をお伝えしてきましたので、次はどこに行ったのかも、もう詳しくは思い出せませんね……


 そう思うと、お嬢様と出会ってからさまざまな場所に私は赴いていましたね。


 以前、お嬢様に未知の世界を旅してほしいと言いましたが、もしかしたら私が一番、未知の世界を旅していたのかもしれません。

 その度にお嬢様にお話しして、一緒に「冒険」をしましたね。


 ですが、もうその冒険もする必要はありません。


 だって、お嬢様はひとりでどこでも行けるようになりますから。

 私がひとりで冒険をする必要もなく、お嬢様に何かお話しすることもこれからはないでしょう。


 ……


 ……悲しくなりますね。


 …………静けさも相まってなんだか、その、色々と考えることがたくさん浮かんで、その度に、頭の中で弾けていくみたいです。楽しいこと、悲しいこと、つらいこと、好きなこと……


 ……お嬢様のこと。


 …………


 ……また手を。


 ありがとうございます。そこまで心配しなくても大丈夫です。

 もう大丈夫です、大丈夫ですから。私の心配はしなくても……


 ……お嬢様?


 そうでしたね。私と同じように、お嬢様も……私の気持ちがわかるのでしたね。


 ……今の、状況……ですか。


 …………


 ……はい。


 お嬢様も、もうお気づきでしょうが……


 ここはお屋敷ではありません。


 いま、私たちは小さな病院の一部屋にいます。


 そして……ここはアンリーゼでもありません。


 私たちは西の都『苦悶くもんさと』にいます。


 お嬢様に伝えること無く連れ出してしまい、申し訳ありませんでした。

 ですが、事を急いでいたのと、お嬢様はきっとこの判断をお断りすると思ったので、眠りの魔法を使って、何も言わずに、この町まで運びました。


 …………改めて申し訳ございません。


 ……はい、では今の状況を説明します。


 戦争によりレイヴァーが消滅しました。


 そしてチカラをつけた魔法国家がレイヴァー、そして周辺地域、さらに……アンリーゼにまで接近してきました。


 まさかこんなことになるとは……


 ……今、お屋敷にはお父様と数名の従者が残っています。

 そこで現在、和平交渉を行い、アンリーゼの村を魔法国家のものと認める条約を結んでいるかと思います。


 はい……アンリーゼも地図から名前を消すことになるでしょう。


 お母様は今、新しい住処を探すために奔走ほんそうしております。ほかの従者は何かあってはいけないということで、早々に別の場所に移動させました。なのでこの町にいるのはお嬢様とほんの数名の従者と私のみです。


 お嬢様は安心してください。お嬢様には何一つ危害が加わるようなことはさせませんので。大丈夫です。私は曲がりなりにもお嬢様の従者……いえ、伴侶はんりょなので。


 ……


 …………


 …………あまり手を……握らないでください。


 ……その、私の嘘が、バレてしまいますから……


 ……お嬢様、そんなに不安な顔をなさらないでください。

 これからお嬢様はその足で、その目で、今まで知らなかった世界を知るのですから。それに西の都での生活もきっと悪くありません。

 あるいはお母様がもっときれいなお屋敷をここ以外のどこかで見つけてくれるか、お父様がまたアンリーゼの村に戻れるように話し合ってくれるはずですから。


 ただ……


 ……ただ……


 ……私はきっと……


 お嬢様とともに暮らすことはできないでしょう。


 ……


 ……以前、私はお嬢様の従者になる前はお金がなく、生家から逃げ出したと言ったことをのを覚えていますか。


 ……今までおはなししていませんでしたが、私の生家はとある上流聖魔法を信仰する一家なのです。


 はい……私の出身は『魔法国家』で、その中でも過激な家系の生まれです。

 なので、もしこのまま私とお嬢様が隣にいたとしたら、必ずお嬢様の身に危険が迫ってきます。

 もちろん、この戦争が終わればいつもの平和な日常に戻ると思いますが、エングリゼン学院での成果も露見してしまったことで、私が戦争要員として魔法国家に目をつけられているのです。


 ……ですが、それはもっと早い段階でわかっていました。


 はい、伊達だてにさまざまな地方を冒険していませんでしたから。風のウワサで戦争の状況や私の生家の動きなど、いろいろなことを聞いていましたので。


 ……だからこそ、私はお嬢様の従者を辞めたのです。

 いつでもお嬢様のもとを離れてもよいようにお母様と交渉をしたのがあの日、お嬢様にプロポーズをした日の出来事です。


 ……申し訳ありません。


 あれはお母様が私を辞めさせたわけではありません。


 私がお母様に辞めさせてほしいとお願いしたのです。


 お母様は止めてくれました。

 どんなことがあっても、戦争により屋敷や財産を失うことになろうとも、私とお嬢様の関係を守るとも言ってくださいました。

 ですが、私の思いを受け取り、形式的に「お嬢様の夫になるため」と称して、私の従者としての役目を終えたのです。


 だから今こうやって、お嬢様の手を握っているだけでも、いつどこで襲われるかもわからないのです……


 …………


 ……これからのお嬢様の生活は苦しいものになると思います。


 だから……だから……


 …………せめて、お嬢様が不安にならないような何かを。

 そう思い、私はお嬢様をこの『苦悶の里』に連れて来たのです。


 この町では治癒魔法の研究のほかにさまざまな研究がすすめられているとおはなししたと思います。その中にはあえて魔法に治療も研究されているのです。


 そのなかにお嬢様の治療に使えそうなものがありました。

 もちろん以前お話しした「義体」ではありません。

 お嬢様の足はもう動きますし、ゴーレムには目がありませんので。


 ……その治療の名前は……「移植いしょく」と呼びます。


 ……の体を付けるのではなく、の体を付けるのです。


 これなら魔力量や感覚のブレは感じませんので「義体」よりも安全に新しいからだを手に入れることができます。

 といっても、心臓や胃のようなものはまだえることはできませんが、もっと小さな指や骨、そしてなどは治療することが可能なのです。


 ……はい。


 お嬢様の目も無事、治りました。


 声だけはまだ治せませんが、それ以外でしたら普通の人と同じように歩き、普通の人と同じように見ることができるようになるでしょう。

 慣れるまではまだぼやけて見えるでしょうが、一週間もしないうちにくっきりと見えるようになるかと……


 ……


 ……お嬢様?


 ……お嬢様……


 はは、だからそんなに手を……


 ……いえ、きっとお嬢様もわかっているのですね。

 あるいは、私が言いたいことや隠したいことがわかりやすいのでしょうか。


 ……


 …………お嬢様。


 お嬢様は今……


 


 お体の調子はよろしいでしょうか?


 私の手を握ってお伝えください。


 私にはもう、お嬢様の容態を知る手がかりがないのです。


 ……


 …………お嬢様?


 はは、そうですか。それはよかった。


 それは本当に……よかったです。


 …………


 ……それにしても、こうやって何も見えないと、この世界はいろいろな音に満ち溢れていることがわかりますね。

 お嬢様はこんな世界でずっと暮らしていたのですね。

 こんな……こんな不安な世界をお嬢様はしていたのですね。


 私にはもしかしたら荷が重すぎるかもしれません。

 今でも、こうやってお嬢様に手を握ってもらわないと震えて立ち上がって歩けもしないのですから。


 でも、余計にお嬢様のことが大好きになりました。


 お嬢様が生きてきた18年の世界を知ることができ、お嬢様がどんな思いで生きてきたのかを知ることができた気がします。

 そしてそれは、お嬢様の強さであり、お嬢様の誇りで、私の愛するお嬢様の意味になりました。


 とても偉いです。こんな真っ暗な世界で生きるのは苦しかったと思います。

 でも、それももう終わり、これからお嬢様は光の世界で生きていきます。

 そして私はお嬢様と同じ世界を冒険することになるのでしょう。


 でも、そこのお嬢様はついていかせるわけにはいきません。


 私は……私は……


 お嬢様のことが……大好きで……大好きで…………


 ……愛しているからですよ……


 ……


 お嬢様が私の生きる意味になってくれたように、今度は私がお嬢様の生きる意味になりましょう。

 だからその目で、その足で、私の分まで生きてください。


 ……大丈夫ですよお嬢様。

 こう見えて私は悪運は強いほうで、旅を続けていくうちにちょっとはチカラもついてきたのですから、すぐには死にません。ご安心ください。

 ただ、そうですね……魔法国家から逃げるためにまた私は旅を続けなければなりませんが……


 ……はは、今度はとても長い旅になりそうです。


 だって、今まで歩いていた道が見えなくなるのですから。


 今までとは違う未知の世界を私はまた冒険するのです。

 ほら、そう考えていたらこれからのことがどんどん楽しみになってきました。

 だからお嬢様も……私のことを心配なさらないでください。

 今は、お嬢様自身の心配をなさってください。家がなくなり、これからどうなるのかもわからないのですから、今はゆっくりとお休みください。


 そして、またいつかお話ししましょう。

 私の長い旅を。


 それがいつになるかはわかりませんが、お嬢様のために私はまた新しい冒険を続けていきましょう。


 ……


 ……もう、よろしいですよ。


 手を放してください。これでは立ち上がることができませんので。


 ……お嬢様、手を……


 ……


 ……手を……


 ……


 …………………………っ。


 ……これで我慢してください。


 ふふっ、申し訳ありません、私もするもので、どうすればよいかわからず……

 それに、ちゃんとお嬢様のにできていたでしょうか……?


 何も見えないのがとても残念です。

 きっとお嬢様のことですからとてもお恥ずかしそうにしているかと思いますが。


 ……では、お嬢様。

 これからとても忙しくなります。今はお眠りください。おやすみなさい」


 ガダッ!!!


 …………ガダッ!!!


「……………………お嬢様?


 もしかして……ベッドから落ちたのでしょうか?」


「……………………ア…………………………イア」


「……まだお嬢様はまっすぐに歩けないでしょう。ですから、あまり無茶をしないでください。

 それにここで私がお嬢様のことを助けてしまったら……助けてしまったら……」


「………………ウ…………アッ……」


「……お嬢様」


「…………………………ウ?」


 ……


「これが最後になります。


 きっとこうやって抱きしめるのも、お嬢様の手を握ることも最後になるでしょう。


 短い間でしたが、お嬢様と従者として暮らした9年、その毎日にお嬢様が心の中にいました。これからの私の先の見えない旅にも同じように、お嬢様は私のそばにいますから。


 そして、お嬢様と結ばれてからの数ヵ月。それはもう毎日が夢のような日々でした。毎日朝起きると隣にお嬢様が手を繋いで眠っていて、わたしのくだらない日常のお話を笑ってくださり、アロマの香りに抱かれながら眠るのです。


 そしてこうやって手をつなぎながら、少しづつ歩く練習をした日々も忘れるはずがありません。お嬢様は飲み込みが早く、すぐに支えを使って二本足で立てるようになりましたから。そんなお嬢様の成長をすぐ隣で見届けられたことが、どれだけ嬉しかったことか……


 私がいなくなっても歩けるように練習はしてください。


 これが最後のお願いです。


 そして、いつか……………………いつか。


 お嬢様の『冒険』もお聞かせください。


 ……………………それでは、お嬢様。


 ……


 いつまでも、いつまでも愛しています」


 ……


 …………ガチャッ


 バタン


 …………………………


「……………………ア、アウア……ア……イ……アウ……アアアアアアア…………………………ッ、アアアアアッ…………………………アアアアアアッ……アアアアアアアアアアーーーーーーーーーーッ…………………………」

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