第7話:わたしの従者は、花の香りに焦がれる

 広い部屋、ベッドの上の私。

 何も見えず、足も動かず、何も言葉を発せない。

 従者は、私の手を握り、話し始める。


「んーんーんーんー


 ……あれ、眠れませんか。


 やはり私の歌は下手なのでしょうか。

 以前、お屋敷にいらしたアリア様の歌っていたものと同じものなのですが、その、お嬢様の子守唄にでもと……


 あの、これは、その、子守唄で、お嬢様を笑わせるためのものでは……

 あと、そのもう良いでしょうか?

 その、えっと、そこまで笑われると私も恥ずかしいです……すいません。


 もう夜も遅いです。安心してお休みください。私はずっとここに居ますから。大丈夫ですよ、大丈夫。私はどこにも行きませんから。


 ……どこにも。


 …………


 ……お嬢様、どうかされましたか。


 ……


 ……あぁそうですね。アロマが切れていたのでした。今、新しいものに変えますね。レイヴァーの特産品が届かなくなってしまい、お嬢様が好きなシュキの花のアロマが切れてしまいましたから、アンリーゼの村で見つけたアロマを……


 ……


 ……それとランプのほうもよく眠れるように暗いものに変えておきましょう。ウィルブルの魚のランプは青みがある明かりなので、よく眠れると思います。


 それと……あの、お嬢様。


 どうされましたか。そんなに私を見て……


 ……


 …………はは……


 やっぱりお嬢様にはわかってしまいますか。ごまかすつもりはありませんでしたが、お嬢様を変に心配させるのも私の意に沿いませんから、お嬢様にはお話ししましょう。


 ただ、ここでのお話はここだけのお話にさせてください。

 なので、他の従者やお父様やお母様にも内緒でお願いします。


 ……


 今朝、私はお嬢様の身の回りのものを買うためにアンリーゼの村に行きました。

 村ではレイヴァーの周辺地域の品が、戦争の影響でもう入ってこないということで、最後の買い物をするために多くの人で賑わっていました。


 本当はそこでシュキのアロマを買うつもりだったのですが、残念ながらもう売り切れてしまっていました。これも情勢のせいなので仕方ありません。


 代わりに用意したのがこのアロマです。


 それで、こちらのアロマの香りはどうですか。

 これもとても良い香りがしますから、シュキの花が手に入らない以上は、こちらで今は我慢してください。


 ……ここからがお話しすべきことなのです。


 その市場に私のよく知る方がいらしたのです。

 それもこの村の住人でもないため、出会うと思っていなかった方でした。


 ……ミティスで私と学を共にしたフレイさんです。


 アンリーゼには買い物のためにいらっしゃいました。あの西の都『苦悶の里』での調査以降は会うこともありませんでしたし、はじめはお互い誰だかわかりませんでした。


 ……フレイさんは少し見た目が変わっていましたので。


 疲れているといいますか何と言いますか、以前のエングリゼン学院にいたときのような真っ直ぐな目はどこかに無くしてしまっているようでもありました。


 そこで、フレイさんとご一緒に早めの昼食をいただくことにしました。

 といっても、食堂は本日はお休みだったため、市場で売っていたしたイモとサラダでしたが。


 私はいくつか冒険話をフレイさんにしましたが、フレイさんはよく笑ってくれていました。ですが、あの天井の星を見た『苦悶の里』の宿での笑みとは少し違います。

 どこか、大切なものを失ったような、そんな雰囲気でした。


 私は意を決し何があったのかを尋ねました。

 もし私になにかできることがあればと思い、お話をうかがいましたが……返って来た言葉はあまりにも重たいものでした。


 ……フレイさんの師である、マータ先生が亡くなったそうです。


 正確にはもう既に亡くなっていたそうです。

 時間停止の魔法をかけて命の火が消えないように保つだけで、マータ先生はもう亡骸なきがらそのものだったのです。それを解決するための研究を行っていたのがフレイさんで、つい先日、そのきざしが見えたところでした。


 そして……失敗しました。


 マータ先生の遺言でもあったのです。

 自分の治療のための「義体ぎたい」の研究を最初に実践するのは自分自身がいいと先生の研究ノートに書かれていたそうです。なのでフレイさんはマータ先生にこの大陸で初めての「義体」による治療を行いましたが、結果は……


 …………


 ……まだ未完成だったとしか言いようがありません。

 魔法制御の技術はなんとか解読できましたが、それでも足りなかったとしか……

 ですが……フレイさんは自分の責任だと言って聞きませんでした。


 このアンリーゼの村にいらしたのもマータ先生の献花のための花を見るためでした。アンリーゼの村にはアロマに向いた花はありませんが、きれいな花がたくさんありますから。

 気晴らしの意味も込めて山脈を越えてミティスから遠くのこのアンリーゼまでいらしたそうです。


 ……私は、


 フレイさんの、彼女のひたむきに研究に向かう姿が好きでした。


 でも、ご飯の時も、大好きな研究のお話をしている時も、彼女は下を向いて、前に私が会ったフレイさんとは別人のようでもありました。


 ……


 なので、私は気分が晴れるようにフレイさんを連れて、一緒にいろいろな場所を回ることにしました。

 何か、フレイさんのためになるようなことがないか。そう思い、私はアンリーゼだけではなくフレイさんと一緒に馬車に乗って、アンリーゼから少し離れたホンルの村にも向かいました。

 ホンルはフレイさんの好きな色の紫の花で有名ですから。その花をプレゼントして、他にもアンリーゼに戻り、おおきな花畑を見たりと、エングリセンでフレイさんが好きだと言ってくださったものをたくさん見せました。


 ……フレイさんはやさしい方です。


 私が変に気を使っているのを見て、大袈裟だと笑ってくれたのです。それも、お嬢様がよくみせてくれる、好きなものを好きなだけ、見たり聞いたりした時の笑顔のようでした。

 私はそんなにたいそうなことをしたとは思っていなかったのですが……フレイさんが喜んでくれて私もとてもうれしかったです。


 ……


 ……その、あの……お嬢様……


 あまり……こういったお話をお嬢様にすべきでないのですが……


 少し、私のお話を聞きください。


 ……


 フレイさんから……


 …………


 ……一緒に暮らさないかと言われました。


 ……


 もう彼女にミティスでの未練はありません。

 研究はほとんど完成して、たった唯一救いたいと思っていた先生も死んでしまいました。だから彼女には、ミティスでやり残したことなど何もないのです。


 そんな彼女には……きっと、短い間でも同じ学堂を歩んだ私しかいなかった。


 ……と思います。


 フレイさんは私の従者としてのお仕事を知っています。

 もちろんお嬢様の容態についてはご存じありませんが、このアンリーゼを離れることはできないことは理解してくれています。

 だからこそ、フレイさんはこの地アンリーゼにやってきたのだと今になって思います。


 献花のために山を越えるなんて普通はしませんので。


 だからきっと……に会いに来たのだと思います。


 そしてこの地で二人で暮らしていきたい。

 そう彼女は言いました。


 ……私は……


 ……私……は……


 ……


 ……


 …………お断りしました。


 ……フレイさんのことは大好きです。

 どんな逆境でも前を向く姿勢や、好きなものを好きと言えること、無邪気な笑顔、そのどれもが魅力的に見えました。


 ……でも、私はお断りしてしまいました。


 ……その理由はどうしてか、私にもわからないのです。

 私は何か間違ったことをしてしまったのではないかと、あのフレイさんの悲しい笑顔を見るとそう思えて仕方がないのに、どうして彼女の願いを聞けなかったのか、わからないのです。


 お嬢様……私にはフレイさんの気持ちがわかりませんでした。

 私にしかできないことはきっとあったと思います。ですが、それは私である必要はなかったはずなのです。


 エングリゼンでの暮らしや西の都への旅、そしてアンリーゼの案内。あのとき、あの場で、私でなくてはならない理由なんてあるとは思えないのです。


 私は……


 私は、お嬢様の従者です。


 ただ、あるじであるお嬢様の手を握って、自らの歩いた道を話すだけのただの一人の、一人前にもなれない青年です。そんな私に執着する気持ちがどうしてもわからなかったのです。


 ……それが……どうしても、とても悲しいのです。


 彼女にしかわからない私の何かがあるのでしょう。

 ですが、私自身がそれをわかっていないのです。

 そのせいで私はフレイさんの申し出を断ったと思うと、自分のことをどこか遠い存在に思えて悲しくなりました。


 きっと怖かったのです。ミティスで出会っただけの彼女の人生を受け止めるには私はもろすぎるのだと思ってしまったのです。


 ……あ、いえ……申し訳……ありません……


 お嬢様には関係ないお話でしたね。お嬢様、今の話はやっぱりお忘れください。これは所詮しょせん私事わたくしごとですので。私情をお仕事に持ち込むわけにはいきませんので。


 ……ただ……はは……


 …………そうですね。


 ……今日はずっと手を握っていてよろしいでしょうか?


 このまま一人になってしまうと、罪悪感と責任感でつぶれてしまいそうなのです。

 フレイさんのことを思っているならば、もっとできることもあったと今でも思いますし、フレイさんが新しい道を進む手助けもできたはずなのに、私はそこから逃げたのです。


 ………………


 私は……フレイさんが大好きでした……


 なのに、なぜ……どうして私は……


 ……


 ……お嬢様……?


 ……


 ……ありがとう……ございます。


 ……ふふっ、いつもみたいにもっと強く握っても良いのですよ。

 私は、ここにいます。どこにも行きませんし、今日はどこにも行きたくありませんので……


 ……あ、お嬢様?


 ……


 …………お嬢様、私の独り言をお聞きください。


 お嬢様の体が治ったら、さまざまな場所で色々な出会いを繰り返すことでしょう。


 出会い、別れ、また出会って、別れる。


 その繰り返しです。その繰り返しの中でお嬢様は大切なものを見つけるの冒険をしてほしいのです。

 私はそれについていくことはきっとできませんが、その中でお嬢様にもいつか好きな方ができると思います。その方はきっとお嬢様をいろいろな場所に連れていってくれる、冒険が好きな方だと思います。


 その方をお嬢様は良く知ってあげてください……


 私はフレイさんのことを知ることができませんでした。

 知ることもできたはずなのに私はそうしなかったのです。

 だから、お嬢様にはこれから出会う未知の世界を知ることを楽しみに生きてほしいのです。

 それは街や人、景色と政治、あるいは星空かもしれません。

 そのひとつひとつはお嬢様を愛してくれるはずですよ。


 だから、その愛を捨てることなく、受け止めてほしいと……切に願っています。


 ……


 ……


 ……もう夜も遅いですから、ランプの明かりも消しておきましょう。

 あぁ、私はずっと隣にいます。ご安心ください。


 ……


 ……?


 ……どうかされましたか?」


「…………ス…………………キ…………………………」


「お嬢様、今なにかお話ししましたか?


 ……あぁそうですねのアロマではありませんが、こちらも消しておきましょうか。

 それにしてもこのアロマ、実は私も気に入っていたのですが……

 どこかホンルの紫色の花畑を思い出して少し心が痛くなります……


 ……あぁ、いいえ、何でもありません。それではお休みください」

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