第6話:わたしの従者は、知人と出会う

 広い部屋、ベッドの上の私。

 何も見えず、足も動かず、何も言葉を発せない。

 従者は、私の手を握り、話し始める。


「……んー、あまりよろしくないですね……


 ……あ、起こしてしまいましたか。

 申し訳ありません。私のことは気にせずにお休みください。


 ……あの、お嬢様? あぁ、これですか?

 これはウィルブルの町で釣った魚を使ったランプです。戦争の影響でレイヴァーの商品が届かなくなったため、新しい油を用意するためにウィルブルの町まで赴いたときに持ち帰ってきました。


 ……え? あぁ、いえいえ、あの魚の形のランプではありません。

 魚から出る油を使っているだけですよ。紛らわしい言い方をしてしまい申し訳ありません。


 はい、こちら見てください。

 ほのかにいつものランプよりも光り方が違うのがわかりますか?

 なんと、ウィルブルの町の魚を使ったランプは少し青みがかっているのですよ。お嬢様の目では大きな違いは見えないでしょうが、多少の光はわかるかもしれません。

 それに青い光は目にも優しいそうで、地元でも保養によく使われるそうです。


 目が見えないとはいえ、もしかしたらお嬢様も楽しめるのではないかと思い、こちらの部屋でこのランプを使おうと思っていましたが、どうでしょうか?


 ……そう、ですか。そうですよね。


 あぁ、いえ、気を遣わないでください。


 ウィルブルの町は海に面しています。その海の青を表現したと言われているそうです。

 海というのは大陸の北にある、遠くまでずっと続く波打つ水の世界です。それも大きな洗面器に入った水なんて量ではありません。水の底も深く、手でとどかない先の先まで続くまっすぐな水の草原です。


 そうは言っても今回の旅で私もはじめて見ました。山や平原に囲まれた町しか行ったことがなかったので、私も見たことがない海の広さに驚きましたよ。


 ……ふふっ、お嬢様、手でおおきさを表してるのですか?


 ……そうですね。それよりも大きいと思います。からだいっぱいに手を広げてもまだまだ海は広かったかもしれません。

 お嬢様もはじめて見たときは海の大きさにとても驚くでしょう。

 あぁ、ちょうどよいのでウィルブルの町での数日のお話でもしましょうか。


 海に面した町であるウィルブルはこの大陸一の漁村として有名で、手に入らない魚や貝はないと言われている町です。

 ミティスの北側に位置して、アンリーゼの村とは山脈を隔てたとても離れた場所にあります。そのためか、山脈のこちら側で起きている『レイヴァー商業都市』と『魔法国家』の戦争による被害は一切なかった様子です。


 面白そうなものが多い一方で、風のウワサではありますが、ウィルブルに移住するような方はあまりいないそうです。


 これには、ウィルブルの町で行われる漁が関係しているのです。

 ウィルブルの特産となる魚には小さなものから巨大な深海に潜むものや強力な毒を持つもの、さらには人魚や魚人なんかも扱うこともあるそうです。そのため、一回の漁で一年暮らせるほどのお金が手に入るほどの巨万の富を得ると言われています。


 しかしその反面、一度漁に出たら二度と帰れないと覚悟を決める必要があると言われているそうです。


 海は私たちの想像以上の未知に溢れた世界です。魚などの水に生きる者たちは地上ではなく水中で生き延びるために体を進化させています。


 ただ地面を足で歩くことでしか移動ができないような私たちでは、彼らの領域に踏み入ることすら危険とされています。そんな危険と隣り合わせになりながら、ウィルブルの人々は漁をするのです。


 そんな命を捨てるような生活をしてまで巨万の富を得ようと考える人は少なく、ウィルブルの町は今では昔のような活気がなくなってしまいました。


 ……ですが、きっと本質は違うと思っています。


 彼らはがしたかったからだと私は考えています。


 誰も踏み入ることのできない世界に挑むことに命を賭す人々、それが冒険者であり、この世に生きる人々はみな、往々にして冒険者です。

 傭兵として小さき命を守るための冒険、新しい魔法や法則を編み出すための冒険、最愛の師を助けるための冒険、そして好奇心を満たすため、愛するものを探すための冒険にみなが一所懸命になり、日々前へ前へと進んでいるのです。


 そんな未知の世界に挑む人々にとって海とは絶好の場所だったはずでしょう。

 しかし昨今の情勢や研究、魔法によって漁自体が簡単になってしまったことで、そういった未知に対する魅力がなくなってしまったのも事実です。


 冒険がお好きなお嬢様もわかると思います。

 自らの手で進んだ道と、なにもせずに通った道、どちらのほうが人生を語るうえで大切なのかを。そして未知の世界がなくなった世界こそが何もせずに通れてしまう道なのです。


 ですが、これを一概いちがいに悪いとは思いません。


 誰も死なずに済むのですから。

 それに、今まで「お金」のために生きてきた人々が「生き甲斐」のために生きようと気持ちが変わったことはとても良いことですよ。

 お嬢様はどう思うかは難しいと思いますが、私はそう思っていますし、そう信じています。


 ……あぁ、失礼しました。また脱線してしまいましたね。


 そんなウィルブルの町は街の4分の1が魚市場です。

 そこでさまざまな魚や釣りのための道具が手に入ります。中には人魚の奴隷商人なんかもいました。奴隷商人はほかの町でも何人か見てきましたが、人魚の奴隷を扱っているのは初めて見ましたよ。

 奴隷のほとんどは檻の中に首輪をつけておくのですが、人魚は檻の代わりに水槽を使っているのです。


 お嬢様に奴隷は……きっと必要はないと思います。

 その、お嬢様のような優しい方には「誰かを道具のように使う」ということはできないと思いますので。


 そこで買い物をしていると、ちょうど漁から帰ってきた漁師の方が海から帰ってきました。漁師の方々はみな、とても屈強です。背も私なんかよりも大きく、筋肉質な方ばかりでしたし、女性の漁師でも同じです。

 私も自慢ではありませんが、身長は高いほうです。なのに、まさかぞろぞろとそんな私よりも背が高くて、ムキムキな方と出会うとは思いませんでしたよ。


 その中になんと、あの方がいました。

 グライスさんです。


 はい、以前ミティスへの道を案内してくださった傭兵の方です。

 ウィルブル出身であることは知っていましたが、まさか傭兵業だけではなく漁師もやっているとは思いませんでした。


 いつかまたお酒でも飲みましょうと約束していましたが、まさかこんな時にその約束を守ることになるとは思いませんでした。

 釣った魚と巨大なクラーケンを船から降ろしたグライスさんと市場の一角にある酒場でご飯をいただきました。


 それにしてもクラーケンもとても大きかったですね。お嬢様もイカはご存じでしょう。クラーケンは巨大なイカのことを呼びます。

 とはいえ、切られて焼かれた状態でしか見せたことはないので海で泳いでいるままの生きている状態ではご存じないでしょう。


 はい、確か……初めて食べたときに、ニガテだったのか、すぐに食べるのをやめたグニッとした食感のアレですよ。覚えていますでしょうか。

 お嬢様がいただいたのはクラーケンではなく普通の大きさのものですが、釣り上げられたクラーケンは今のお嬢様の身長と同じぐらいの大きさのものになります。それでもクラーケンの子供だったらしく、大人になると船と同じかそれよりも大きくなるそうです。すごいですよね。


 ちょうどグライスさんとイカも酒場でいただきましたね。

 やはり本場でいただくものは美味しく感じます。

 お嬢様も元気になってどこにでも歩けるようになりましたら、のものを食べてみてください。きっと感動すると思います。


 そこでグライスさんと北の地方には何があるのかを聞きました。

 そのほとんどはミティスでフレイさんから聞いたものばかりでしたが、傭兵であるグライスさんはさまざまな方とお付き合いがあるそうで、私が行ったことのある町の細かな知らない場所も教えてくれました。


 グライスさんも私が以前訪れたことのある西の都『苦悶の里』に赴いたことがあるそうです。

 ですが、それは観光などではなく、魔法支持派と非魔法支持派の暴動を止めるための仕事のひとつだったそうです。


 そうしたらグライスさん、私が宿泊した宿の店長さんのことをご存じでした。

 どうやらその暴動で家を追い出された子供たちの避難所としてあの宿を使ったそうで、その際にグライスさんと店長さんが協力して切り抜けたと言っていました。

 あのときはひどい目にあったと笑い話ではないのでしょうが、笑いながらそれをお話ししてくれました。


 そして私からは今、山脈の南で起きている戦争の影響についてお話ししました。

 現在は魔法国家側が優位で、レイヴァーとその周囲の村々は魔法国家が独占すると考えられます。


 とても残念です。しばらくはイチゴが手に入らないので。


 ですが、グライスさんは戦争のことをご存じでした。

 とてもよく、細かな戦況まで自力で調べていましたね。


 …………


 ……あの、ここからは聞かなかったことにしてください。


 あまり良い話ではないかもしれないので。


 ……お嬢様、グライスさんとともに私を護衛してくださったもうひとりの方を覚えていますか。

 はい、ミカさんです。

 グライスさんはウィルブルで漁師に励む一方でミカさんは未だに傭兵として活動していました。


 そして……


 …………ミカさんはレイヴァーの兵士として雇われたそうです。


 ……


 ……グライスさんは止めたそうです。レイヴァー側が不利であるということは戦況を読むことに長けているグライスさんでも知っていたので、ミカさんが仕事のためにまた南に赴くことを聞いて、急いでウィルブルの馬車の停車場に向かったそうですが……もう、ミカさんは出て行ってしまっていました。


 そしてミカさんは……


 …………えっと、


 ……ぶ……


 ……無事に帰ってきましたよ……はい。私がウィルブルにいたときは出会えませんでしたが、どこか別の町で仕事をしていたのでしょう……


 ……お嬢様。


 手を……いえ、嘘をついてなどいませんよ。


 ……申し訳ありません。そうでしたね、私が何かを隠そうとすると手が震えると教えてくれたのもお嬢様でしたね。

 ですが、これだけは本当ですよ。安心してください。

 本当にミカさんはちゃんとウィルブルの町に帰ってきたとグライスさんはおっしゃってくださったのですから。

 ミカさんともいつかご飯を食べましょうと約束していましたが、ウィルブルの町にいないのは寂しかったですが……


 …………


 ……グライスさんが傭兵ではなく漁師をしていたのは、ミカさんのためでした。

 グライスさんにとってミカさんはずっと兵士として旅を続けてきた、家族よりも大切な存在だったとおっしゃっていました。そんな彼女が海よりも危険な場所に向かうことが何よりも許せなかったのは彼自身なのでしょう。


 だからミカさんよりも稼ぐ。

 そしてミカさんを故郷のウィルブルに連れて戻す。

 そのために海に出たのだと思います。


 ……グライスさんは、泣きませんでした。


 彼はとても強い方です。腕もたちますし、判断も早いです。

 だからこそ彼はミカさんの選択を泣かずに見送ることができたのでしょう。


 私にはそんな力は……きっとありません。あの日はお酒が入っていたので感情的になってしまっていたかもしれませんが、もしお嬢様の容態が悪くなり……あぁ、いえ、あまりこういったお話は……


 ……え、はは。


 お嬢様、首を傾げて、どうするのか、ですか。


 きっと私は強い人間ではないので泣いてしまうと思います。

 私にとってお嬢様は私の中心に居る方です。それに、私はただのお嬢様の従者です。そんな私が泣いてしまうのはおかしな話ですが、お嬢様にはそうならないためにも元気になってほしいです。

 それが私がおじさんになり、お嬢様のお隣にいられなくなる先の話だったとしてもです。


 グライスさんにそのことをお話ししたところ、なぜか笑われてしまいましたね。

 何が可笑しかったのかはわかりませんでしたが、少なくともグライスさんはお嬢様のことも覚えてくださっていました。


 ……あっ、も、申し訳ありません。

 あまり自身のことを見ず知らずの方に言いふらされるのは良い気分ではありませんよね。配慮が足りなくて申し訳ありません。

 以前の山越えの際に、ミティスに向かう理由を聞かれたときについ、お嬢様のことを答えてしまいまして、それからグライスさんはお嬢様のことを心配してくださっていました。


 それに……つい話してしまったのは私の落ち度ですが、グライスさんがお嬢様のことを覚えてくださっていたことも驚きました。

 とても優しい方ですね。私がお話ししただけの見ず知らずの方を心配してくださるなんて……


 ……もしかしたらお嬢様の周りにはお嬢様が知らないだけで、さまざまな人がお嬢様の心配をしてくださっているのかもしれません。

 特に、この地域では一番おおきな貴族になるので、お嬢様のうわさも流れている可能性もあります。


 ……あまり良い気分ではないと思います。


 ですが、それに嫌悪感を抱かないでほしいのです。

 なぜなら、この世界は私たちが思うよりもとても美しいはずだからです。


 戦争や飢餓はなくなりませんが、人々のやさしさや思いはいつも、いつまでも美しいと、私は信じています。

 なので、お嬢様も自分の体や気持ちを自分のことだと思わないで、私、そして私たちにも共有させてほしいのです。


 それが繋がりであり、お嬢様が新しい世界に旅立つために必要なものですから。

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