叫び

 ミアは〝業魔ごうま殺し〟の柄を地面に叩き、吐き捨てるように言う。


「不愉快な奴め……」


 数年ぶりに対峙した猿に、何の感慨もなかった。

 ミアの内に沸き上がるのは、怒りと嫌悪感のみ。

 そして猿の出で立ちは、ミアの苛立ちをさらに倍加させた。


「ゼイゲンの戦装束いくさしょうぞくを真似るとは、どこまでも舐められたものだな」


『GGGG……KKK…………』


 ミアの反応に満足したのか――機械の猿が嗤う。

 獲物を挑発するように、あざ笑うように。


 業魔ごうまの猿が身にまとう鎧には〝鉄の王〟のみに許される紋章が刻まれていた。

 紋章だけではなく、鎧の見た目もゼイゲンがかつて使っていたものにそっくりだった。

 金属の板を重ね合わせ、機動性と防護性を両立させた、〝鉄の国〟独自の鎧。


 ただの真似にしては出来過ぎている。


「取り込んだゼイゲンの記憶を引きずり出した……という訳か。気持ちの悪い」


 業魔ごうまというものの特殊さは、ミアも重々理解している。

 機械と生命とを問わず己の内側に取り込む。

 死者の記憶さえも、奴にとっては己を強化する糧となるのだ。


「だが所詮は猿真似。ゼイゲンの魂までも写せるとは思うなよ――」


 ミアの姿が消えた。

 否、機械の猿ですら捉えることのできぬ速さで、背後に回り込んでいたのだ。


 ズザッ!

 一撃。


 〝業魔ごうま殺し〟が猿に突き刺さった。

 〝業魔ごうま殺し〟は、物理的に敵を破壊するだけでなく、その異常命令を停止させる力がある。

 故に猿は大ダメージを負う――はずだった。


「……それが貴様なりの対策という訳か」


 猿が身にまとっていた鎧の下に、さらに分厚い金属の板が仕込まれていた。


「臆病ものめ。下らぬ手を使う」


 ミアは再び槍を構える。

 それに応じるように、猿が背中から二本の刀剣を抜いた。

 猿の体格に合わせてかなり大振りなものになっているが――ミアには見覚えのある刀剣であった。


「刀すらも……ゼイゲンの真似事とはな。どこまでも馬鹿にされたものだ」


 かつてこの猿と対峙した時、ミアは最後のとどめを刺すことができなかった。

 猿の中に、ゼイゲンの亡骸があったからだ。

 人間としてごく当たり前の感情とミアの甘さによって、〝先王殺しの爛れ猿〟は命拾いをした。


 ミアは推測する。

 猿は恐らく、こう言いたいのだろう。

『俺の中に貴様の祖父がいるのだぞ、それでもいいのか?』と。  

 しかしその卑怯な態度こそが、ミアを余計に苛つかせるのだった。


「ゼイゲンはもういない。同じ手を食うとでも思ったか――!」


 ミアが踏み込む。


 〝業魔ごうま殺し〟を一直線に突き出す。

 猿が片方の剣でいなす。

 猿は同時に逆の剣で反撃カウンターの残撃を繰り出す。


 ミアは体をねじり、回避する。

 回避しながらもう一度、槍の穂先を猿に当てた。

 先の打ち合いで破壊されていた鎧の部位に、槍の切っ先がもう一度、届いた。

 鎧に風穴が開いた。


 〝業魔ごうま殺し〟が猿の腹をかすめた。

 腹から青い血が滲む。

 傷は浅いが、この打ち合いはミアに軍配があがる。

 やはり、真正面からの打ち合いはミアが強い。

 しかし――ミアの内心には、さざ波がのような不快感が巻き起こっていた。


 業魔ごうまはただゼイゲンの格好をしている訳ではない。

 足さばきも武器の運用も、ゼイゲンそのものだった。

 業魔ごうまは機械を喰らう。 

 それどころか人間が持つ生体情報をも喰らい、自らの内に取り込んでいく。

 この攻防でミアは業魔ごうまの脅威をひしひしと実感する。

 業魔ごうまは感染する病魔でもあり、放置すれば次々と増殖していく。

 しかも、世界に存在するを喰らい、自らを強化する。


 ミアは実感をもって、理解する。

 王となる者には〝業魔ごうま殺し〟が与えられ、業魔ごうまを殺すことが王に課せられた責務なのだと。


「逃しはしない。ここで必ず――殺す」


 油断も慢心もなかった。

 ミアはただ無心に敵と対峙する。

 一撃、二撃。

 虚空に火花が散り、貫くような金属音が響く。

 着実にミアはダメージを与え続けた。

 このまま押せば倒せるはず――と思われた時。


 猿が吠えた。


『HOOOOOOOO――』


 そしてミアの脳裏に、と同じ声が響いた。


 ――殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。

 ――奪え。奪え。奪え。奪え。

 ――犯せ。犯せ。犯せ。犯せ。


 意識を黒く塗りつぶすような、おぞましき声。

 頭の奥深くに突き刺さり、犯されるような感覚。

 業魔ごうまという存在が、頭の中に入ってきている。


 ミアは恐怖を感じる。


 聞こえてくる声とは裏腹に、ミアの内心に浮かぶのはという感情なのだ。

 自分の身に起こっていることだというのに、全く理解ができない。


「これは……何だ? 何が起きているんだ……」


 矛盾した衝動がミアの中で衝突していた。

 誰かを愛したい。

 誰かを殺したい。

 誰かを愛したい。

 しかし、この手で嬲り殺したい。

 ああ――。

 例えばあの少年。

 タザキ。

 タザキを愛したい。

 タザキを殺したい。

 愛でて、犯し、殺し、愛し、奪い尽くしたい……。

 薄れそうになる意識の中、ミアはかろうじて自分の状況を理解する。

 ミアは業魔ごうまに感染しつつあった。


「ば、かな……この腕はもう、機械ではない、生身のはずだ……なぜだ……?」


   *   *   *


「うおおっ! ……ポルカ、ヤバいことになってないか!?」


 猿が叫んだとたん、ミアの動きが止まった。

 そしてミアは頭をかきむしり、〝業魔ごうま殺し〟を地面に落とす。


「まずいぞ。想定はしていたけど、やはりこの展開になってしまったか」


 ポルカがそういうセリフを吐くときは、決まって最悪なことが起こる。

 今がまさにその時だった。

 俺の脳裏に、最悪の可能性が浮かぶ。

 俺はおそるおそる、その最悪の仮説を口にする。


「まさか……ミアのあの様子ってもしかして……業魔ごうまに感染しているのか?」


「そうだね。――さっきの叫び声は、業魔ごうまの因子をそそぎ込むための音響信号パルスだったようだ。ミアの体内に業魔ごうまが入り込んでいる」


「何でだよ!? ミアの体は機械じゃないだろう。どうなってるんだよ」


 かつてミアの右腕は機械でできていた。それゆえ業魔ごうまに感染し――ミアは自ら右腕を切断した。

 そしてこの間、医療ブロックでミアの腕は復元された。

 機械ではない、生身の腕に。

 だからミアは業魔ごうまに感染するはずがないのだ。


 しばらくの沈黙の後、ポルカがその矛盾に答えを出した。


「おそらくは、ナノマシンだ。〈医療ブロック〉でミアの腕を復元した時に、体内に医療用のナノマシンが注ぎ込まれたんだ。ナノマシン自体は全くの無害だし、一定期間が過ぎれば体外に排出される。標準的な医療パッケージだ。でも今はタイミングが悪い。ミアの全身に散らばるナノマシンが、業魔ごうまに感染してしまった」


「くそ! 何てこった! ……後で何を言われても構わない。俺はミアを助けるぞ」


 俺はストームから飛び降りて、その場で弓を構えた。

 業魔ごうまの叫びは機械獣モンスターを狂わせる。だとしたらストームも危険だ――と判断したのだ。

 俺は大地に立ち、弓を構えた。


「ポルカ。アシストを頼んだ」


「やはりこうなるか。了解だ。全力を尽くそう」


 拡張現実オーギュメントが起動し、俺の視界に猿の弱点部位がハイライトされる。 

 分厚い鎧を装備した機械獣モンスターにダメージを与えられるかは微妙だが、牽制にはなるだろう。

 弱点部位をチクチクとやられれば、俺を殺したくなるはずだ。その隙にミアは離脱すればいい。


 次は俺の番だ。


 ギリリリ……と弓を引き絞る。

 猿の眉間に照準をあわせる。

 だが弓を放つ寸前にミアが叫んだ。


「やめろ――!! タザキ、まだだ!!」


「ミア!? どうしてだ!!」


「〝鉄の王〟を見くびるな!」


   *   *   *


 タザキにやらせはしない。

 これはミアの戦いだ。

 〝鉄の王〟を継ぐ者の責務だ。


 しかしミアは劣勢に立たされていた。


 猿は攻撃の手を止めない。ゼイゲンの武器を模した双剣で、雨霰のごとき残撃を繰り出してくる。

 ミアはほとんど無意識の状態で、猿の攻撃をしのいでいた。


 脳裏に響く声にあらがうだけで精一杯だった。


『ミアよ、なぜ王の言葉が聞けぬ……』


『甘き死を受け入れよ……』


『貴様は死ぬのだ……』


 聞こえるは、懐かしきゼイゲンの声。

 しかしそれは偽り。

 憎き猿、醜悪な獣、業魔ごうまの囁き。


「黙れ、黙れ、黙れ――! 王は私だ! ゼイゲンは、死んだ!!」


 体の中にある「何か」がミアの中で悪さをしている。

 その何かが業魔ごうまの叫びに共鳴し、ミアの脳をかき乱している。


 当然ミアの語彙に、「医療用ナノマシン」などというものは存在しない。

 医療用ナノマシンが業魔ごうまの無線信号に攪乱かくらんされ、脳神経を刺激していることなど、知る由もない。


 それでもミアは――その「何か」を体外に排出すればいい、ということは直感的に分かっていた。


「私は、鉄の、王……!! この体も、我が鉄の国の領土! この場所に留まる許可を出した覚えなど、ない……出ていけ、出ていけ、出ていけ……!!!!! ぬぅぁあああ…………!!!!!!!!」


 ミアを支配せんとする業魔ごうまと、それにあらがう意思の力。

 ミアの内側では、強い嵐が吹き荒れていた。

 その嵐の中心で浮かぶのは、幼き頃の思い出。

 ゼイゲンとの稽古の記憶だった。


   *   *   *


 鉄の練兵場。

 他の兵士達に混ざり、ゼイゲンと幼き頃のミアは激しい稽古をしていた。


『ミアよ、もっと強くなれ。お前が王になるのだ。〝鉄の王〟は、誰よりも強くあらねばならぬ』


『いやだよ……。どうして私なの? お父様はなぜ死んだの?』


 ミアは戦いが嫌いだった。

 毎日泣きながら、王になりたくないと言いながら、稽古をしていた。

 その時〝鉄の国〟は大きな戦があり、ゼイゲンの後継者にあたる者は、ことごとく死んだのだ。

 残る王位継承者は、ゼイゲンの孫にあたるミアだけだった。


『王を継ぐのは、お前だけしかおらぬ』


『いやだ。私は王になんかなりたくない。ゼイゲンがずっと王でいればいい』


『馬鹿を言うな。人間はいずれ死ぬ。儂も死ぬ。……しかしこの王の座を託さなければ、安心して死ぬこともできぬ』


『だったら――』


 死ななければいい。

 ミアはそこまで言い掛けて、幼心ながらにも口を閉ざした。


 父は死んだ。

 母はミアを生んだ直後に死んだ。

 従兄弟も、年上の兄たちも、戦で死んでしまった。

 そんな様子を見取ってか、ゼイゲンは目を細めてミアの頭を撫でた。


『ミアよ。お前ならできる。儂を安心して死なせてくれ』


   *   *   *


「――心得たぞゼイゲン。今度こそ、終わらせてやるッ!!!」


 その時、ミアの目から血の涙が流れ落ちた。

 どくどくと、とめどなく流れて止まらない。

 戦闘中に怪我をした訳ではない。奇妙な現象だった。


「なんだこれは? なぜ血が……?」


 さらに奇妙なことに、ミアの中で吹き荒れていた嵐は止み、完全に元の状態に戻っていた。


 例えば――ここにポルカがいたのなら、こう言うだろう。


 ミアの意思の力が免疫機能を動かし、業魔ごうまに汚染されたナノマシンを強制的に排出したのさ、と。


 ミアは業魔ごうまにうちったのだ。


「訳が分からんが――まあ良い」


 武器を握る手に力が戻る。


「はぁあああッ――!!!!!!」


 ミアは真正面から突撃する。

 猿が慌てたように剣を振り下ろす。


 遅い。


 かつてのゼイゲンの稽古と比べれば、手緩すぎる。

 渾身の力を込めて、〝業魔ごうま殺し〟を突き出す。


『GUOOOOOOOO――!!!』


 槍の切っ先は鎧を破り、猿を串刺しに貫いた。

 青い血が垂れ落ち、機械の猿から力が抜けていく。


「はあ、はあ、はあ…………」


 業魔ごうまは大地に仰向けに倒れ、完全に機能を停止した。


「勝っ…………た。ゼイゲン! 私は勝ったぞ! これで……役目は、果たした。ゼイゲン、聞こえているか。私は、王になってやるぞ!!!」


 ミアは槍に体をあずけ、どうにか大地に立つ。

 激しい戦闘で、体力が一気に消耗してしまった。


 ぐらりと足下が揺れる。


「情けないな、これしきの戦闘で目眩とは。――いや、何かが違う」


 足下がおぼつかないのは、ただの疲労ではなかった。

 地面が本当に揺れているのだ。


 ――ゴォオオオオオ


 と地鳴りがする。

 そしてミアは、ミアの理解しがたい光景を目の当たりにした。


「馬鹿な……そんなことが起こり得る……のか?」


 旧世界の遺跡――ギガモール。

 前にタザキ達を追いかけて中に忍び込み、右腕を治療した場所だ。恐ろしく巨大な建物だ。


 意味不明なことに――その建物が動いていたのだ。


 遠くからタザキとポルカがやってくる。

 ストームを走らせて、ひどく慌てた顔だ。


「どうしたのだ……?」


 ポルカが手短に告げる。


「逃げるぞ、ミア! ここは危険だ!」

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