隻腕王女の追想 後編

 ――ガンガンガンガン!

 宴が終わろうとした時、敵襲の鐘が鳴った。


「ぬう! この目出たい日に襲撃かあっ! お前ら、酔いつぶれている場合ではないぞ! 起きぬか!」


 誰よりも先に酔いつぶれていたゼイゲンが立ち上がり、指揮を執ろうとする。


「ゼイゲン、今日からは私が指揮をする」


「そう言えばそうだった。ミア、お前が王となるのだ!」


 酒が残っているゼイゲンはいささか調子が怪しかった。


「王はもう、私だ」


 ミアはそう言って、城下を見渡す。

 街の所々から火の手が上がっている。


「伝令はまだか」


 ミアは近くに控えていた側近に問う。


「それが……まだどこからも」


「急げ。すぐに状況を報告するのだ。戦が始まるかもしれない」


「……御意…………!!」


 側近が青ざめた顔で走って行く。

 直後、

 ――ドォオオ!!

 北の方角から爆音がした。敵は北の砦から攻めてきているようだ。しかしそこは城砦がいっそう堅固な場所だ。


 愚かな敵だ。


 とミアは内心で高をくくる。

 まともな敵ならば、そこを攻めるはずがない。

 陽動にしてもできが悪い。 


「真正面から襲撃とはな。いや、まて、馬鹿な……!?」


 ミアは我が目を疑った。

 信じがたいことに、その城砦が次々と吹き飛ばされているのだ。

 それも遠目でも分かるほどの規模で。


「ば、馬鹿な……先の〝二百年戦争〟でも傷一つなかった城砦じゃぞ!? どうなっておるのだ!!」


「分からん。だが敵の位置は分かった」


「待て、ミア! どこへ行く!」


「王の役目を果たしに」


 ミアは城下町を走り抜けていった。


『UUkyuuuo――――!!!』


 ミアが進む先から獣の遠吠えが響いてくる。

 人々は慌てふためいて、逃げてくる。


「この声は機械獣モンスター……野良猿か? 何が起きているんだ」


 血まみれの兵士が声をかけてきた。


「ミア様、お逃げください。あれはただの機械獣モンスターでは…………ぐっ、はあ、はあ……」


「もう喋るな。ここでまっていろ。じき助けが来る」


 兵士は息も絶え絶えだった。

 それでも伝えたいことがあるらしい。

 口をパクパクさせてどうにか喋ろうとする。


「伝えたいことがあるのか? 教えろ。何が起きている」


「野良……猿が――――」


 兵士はそれきり硬直したまま、呼吸を止めた。


「野良猿、だと? そんなものになぜ手こずる? ……くそ、もうだめか。一体、何が起きているんだ……」


 ミアは兵士をその場に置き、走った。

 何かが引っかかる。


 〝鉄の民〟は機械獣モンスターを狩り、飼い慣らしもする。

 我ら〝鉄の民〟が野良猿ごときに負けるはずがないのだ。


 しかしミアが辿り着いた先は、血の池になっていた。

 兵士が死んでいた。

 民が死んでいた。

 飼い慣らしていた機械獣モンスターが死んでいた。


 闘狼ウォーウルフ

 灼熱牛ヒートブル

 毒豹アシッドパンサー


 いずれも品種改良し、「兵器」として強化した機械獣モンスターだ。

 一匹で数百もの敵兵を倒す精鋭が、ことごとくやられていた。


「なんだ……これは」


 死屍累々の中心に、一匹の野良猿がいた。

 灼熱の荒野に適応した、機械の猿。

 ごくありふれた機械獣モンスター

 しかしそんな雑魚が、ここまでの被害を出すはずがない。


「猿の変異種か……こうも我が配下をいたぶってくれるとはな」


 こみ上げる憤怒とともにミアは己の武器〈錆風さびかぜ〉を抜いた。


 それは銃剣のような、素朴な形をしていた。

 しかしその実は旧世界遺跡から出土した業物。

 新兵でも持てば一騎当千。

 達人のミアが手にすれば大量破壊兵器そのもの。


 しかしその手を掴む者がいた。


「ゼイゲン! なぜ止める!」


 ゼイゲンは息を荒らげながら、必死で叫んだ。


「奴の目の色を見ろ! 爛々と赤黒く光っている。狂気の光じゃ! わしが聞かせた話、忘れたなどとは言わせんぞ。あれが業魔ごうまじゃ! あの猿は業魔ごうまに憑かれておる!」


「それがどうした――」


 ゼイゲンを振り切り、〈錆風さびかぜ〉を一閃。

 刹那の瞬間に、十の太刀と百の銃弾を撃ち込んだ。

 ブアアアア!

 猿の巨体が血煙をあげて爆ぜる。生命体としての猿は生き絶え、肉塊と化す。


「何が業魔ごうまだ。そんなもの――」


 血煙が晴れ、猿の死体が現れる。

 仕事は終わりだ、と思われたその時。


「離れろ!」


 ゼイゲンが叫んだ。

 同時に切り落とされた猿の目がカッと開いた。


『gigugya――――!!!』


「ぐっ……何だ、」


 地を震わせる咆哮。ミアは一瞬めまいに襲われる。

 そして。


 ――殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。

 ――奪え。奪え。奪え。奪え。

 ――犯せ。犯せ。犯せ。犯せ。


 地の底から声が聞こえる。

 いな、それは実際の声ではない。

 幻聴だ。


 だが声に呼応するかのように、地に伏していた亡骸が動き出す。

 人間も機械獣モンスターも関係なく、猿のもとにズルズルと引きずられていく。死体は次々と猿の肉体に同化していく。


 やがて野良猿は、おぞましき姿に変貌する。


 言うなれば、子どもが戯れに人形を引きちぎり、滅茶苦茶につなぎ合わせたような形。

 不浄、醜悪、嫌悪。

 どのような忌み言葉を重ねてもなお余りある、異形の獣。


「これが……業魔ごうまか……」


 目にするのは初めてとは言え、ミアとて知らないはずがない。

 〝鉄の国〟に生まれし者は、必ず聞かされる言い伝えがある。


 業魔ごうま


 それは機械獣モンスターに感染する病魔にして、感染した異常個体を示す名称。


 感染した機械生命は業魔ごうまの制御下におかれ、暴虐の限りを尽くす。

 その正体は旧世界で発現した異常命令エラープログラム

 かつて「友愛ウイルス」と呼ばれたそのプログラムは、幾千年の時を経ておぞましき進化を遂げていた。


 そしてこの世界に業魔ごうまを殺せるのはただ一つ。

 〝鉄の民〟が受け継ぐ武器のみだ。



「ミア、何をしておる! 〝業魔ごうま殺し〟を使え!」



 ゼイゲンが〝業魔ごうま殺し〟の槍を投擲する。

 ミアが槍を手にした瞬間、刻まれていた文様が光を帯びる。


「ぬぁああああああッ!!!!」


 細かい使い方は後回しとばかりに、ミアは槍を叩きつける。

 効果はあった。


 猿の半身はどろりと溶けるように崩れ落ちた。

 しかしミアの攻撃はそこで終わる。

 ミアの攻撃が引き金となったかのように、先ほどの幻聴が悪化した。


 ――殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。

 ――奪え。奪え。奪え。奪え。

 ――犯せ。犯せ。犯せ。犯せ。


「がぁああああ…………!! おのれ、何、だ、これは…………」


 おぞましき呪詛がミアの脳裏に響く。

 その声の出どころは、驚くべきことに――ミアの右腕だった。


「うぅぅぅあああ! 腕が……ッ!!!」


 ミアの意志に逆らって右腕は〝業魔ごうま殺し〟を放り投げ、〈錆風さびかぜ〉を持った。

 この時になってミアは気づく。


「……はっ! まさか、これが、業魔ごうまの……!!」


 〝鉄の民〟はもちろん、この時代に生まれた者は皆、多かれ少なかれ機械に浸食されている。

 ミアもまた例外ではなかった。

 ミアの右腕の一部は、機械になっている。

 その右腕が、業魔ごうまに侵されていたのだ。


「ぐっ……止めろ!!!!」


 〈錆風さびかぜ〉を掴む右腕が、鋭い刃先をミアの首に突き立てんとする。


「やめろ、やめろ、やめろ――!!!!」


 刃がミアを捉える直前、


「ゴブァッ!」


 ゼイゲンがミアの右腕に覆い被さる。

 刃はミアに届かない。しかしゼイゲンの腹を貫き、鮮血が飛び散る。


「じいや……!」


「馬鹿者! 〝鉄の王〟が! この期に及んで老いぼれの心配なぞするな! 覚悟を決めよ!!!!」


「だ、だが――」


業魔ごうまを……殺、」


 ゼイゲンの声が途絶える。

 ミアは己を奮い立たせ、鉄の意志で暴れる右腕をねじ伏せる。

 右腕が一瞬、動きを止める。その隙を見て、


「うああああああああああ!!!!!!!!!!!!」


 ミアは〝業魔ごうま殺し〟を左手で掴んだ。

 そして――


「かぁあああッ!!!!!!!!」


 ざん、と鈍い音。

 血がしたたり落ちる。

 ミアは〝業魔ごうま殺し〟で自らの右腕を切り落とした。


「うるさいんだよ、腐れ病魔が!!!!!!」


 ギン! と鋭い眼光。

 湧き上がる痛みを黙殺し、ミアは野良猿に迫る。


「はああっ!」


 猿は槍に貫かれ、切り刻まれた。


『uhoooooo――――』


 しかし猿が叫ぶ。

 叫びに応え、機械獣モンスターの亡骸が集う。

 亡骸は欠けた部位を埋める。

 醜悪な猿の姿がまたも現れる。


「ならば何度でも殺すまで。どちらが力尽きるか――」


 業魔ごうまに侵された右腕を捨て、自由を得たミアに形勢は傾く。

 ミアは一気呵成に攻め込もうとする。

 しかしその手が、突如として止まる。


「き、さま……!!!!」


 ゼイゲンが生きていれば叱責されていただろう。

 それでもミアは攻撃の手を止めた。

 止めざるを得なかった。


 業魔ごうまは、死せるゼイゲンの骸を取り込んだのだ。

 青ざめたゼイゲンの首が、猿の腹に張りつく。


「ふ、ふざけるな……」


 猿が嗤った――ように見えた。

 猿は理解しているのだろう。

 その行動が死者を冒涜するものであることを。

 ミアに対して有効な攻撃であることを。


 猿の腹にへばりついたゼイゲンの顔が、不自然に歪んだ。

 生きていれば絶対に言わない台詞セリフを発する。


『ミアよ、この私を……殺すのか』


 ミアは動けない。

 業魔ごうまの猿はその機を逃さず、夜の闇へと消えていった。


   *   *   *


 空虚なる王の間にミアはいた。

 しかしミアは、敢えて玉座に座らなかった。

 〝四賢人〟や〝法務官〟〝執政官〟が合議を行なう円卓に、一人座っていた。


「偉大なる鉄の女王、ミア様。こちらが新しい腕にございます」


 義手職人がミアの元に傅く。

 ミアはその腕を装着した。

 指先を動かす。

 関節を曲げる。

 自らの頬に、触れる。

 元から自分の腕であったかのような着け心地だった。


「良い腕だ。貴様の腕も、我が腕もな」


「恐縮にございます。……ミア様の腕は元より機械化しておりました。機械の義手とは、相性が良いのでしょう」


「そうか。大事に使わせてもらおう。だが一つだけ、貴様の発言を訂正せねばならない」


「…………はっ」


 職人は頭を垂れる。

 女王の威厳にひれ伏し、縮こまる。

 ミアは苦笑して職人の肩を叩いた。


「そう肩肘を張らずに聞いてくれ。私はもう、女王ではない」


「女王ではない? 何をご冗談を……」


「冗談ではないぞ。ちょうど今から重臣どもに話をするところだ。もう、行っても良いぞ。ありがとう」


 間もなくして、鉄の国〈フェムグラーダ〉を司る側近達が王の間に入ってくる。

 円卓に全員が揃ったところで、ミアは切り出した。


「私は王にはならない。王である以前に、この〝業魔ごうま殺し〟を受け継いだ戦士だ。故に先ずは……あの猿を殺す。猿を殺し、ゼイゲンを正しく葬る。その後に、あらためて王となろう。異議ある者は、いるか?」


「ございません」


「おなじく。業魔ごうまを殺してこその、鉄の王にございます。先の戦い、お見事でございました」


「鉄の女王――いえ、ミア様の決断に従います。それが、よろしいでしょうな」


 満場一致でミアの進退は決まった。

 〝鉄の国〟に生きる者であれば、誰もがミアの決断を後押しするだろう。

 王たる者こそが、業魔ごうまを殺さねばならない。

 業魔ごうまを殺さぬ者に、王たる資格はない。


「しばしの間、この国は皆に預ける。我があの猿を殺すまで、玉の座を頼んだ。これより私は王の名を捨て、一介の戦士になる。二年経って私が戻らぬ場合は、死んだものとせよ。次なる王の座は、円卓の決定に委ねよう」

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