第26話 敵わない相手


 ライラが作ってくれた書類を見ながら、私は考えを巡らせていた。

 というのも、養子縁組の申請書にあるダフの弟さんとライラの年齢が近いことから、申請が通るか不安になったからだ。


 ルカシュ・ウッズ、年齢は十歳。

 ライラは十八歳。


 この国の女性の結婚可能年齢は十四歳と若いけれど、その辺りで妊娠、出産した同世代の女性達と並んでもかなり浮いてしまう。

 辺境の魔獣による被害は王都でも知られているし、このような養子縁組の場合は問題はない。はずなのだが……経験が乏しくいかんせん自信がない。


 平民の婚姻や養子縁組は基本的に領主に託されているが、他国からの養子縁組の場合は写しを王都に送付しなくてはならないのだ。

 前世と違って、基本的には郵便物を人の手で運ぶこの世界。もしも書類不備が生じると、直すのに一月は普通にかかってしまう。


「こっちからは魔法で送れるけれど、王都から戻ってくるのに時間がかかるのよね」


 領主が押印した日をもって養子縁組が成立するけれど、不備があった場合は遡って縁組を解消できる。養子縁組された子本人、もしくはその後見人のいずれかの希望をもって。


 この手の書類に詳しいのはダリルなのだが、あいにく今は手紙を届ける旅に出ていて不在だ。


 一先ずは向こうの情勢がどんな塩梅なのか、何かを掴んだらしいライラの話を聞いてみよう。

 今はダフとライラがルカシュを受け入れる住居のリストや地図、他に必要な書類を揃えておけば、あとの流れがスムーズにいくはずだ。


 書斎の棚からそれらを引っ張り出しているとき、ノックの音が耳に届いた。


「クラウスだ。今、入っても良いだろうか」

「はい。申し訳ありませんが、扉を開けられないので入室をお願いします」


 地図は本棚の低いところにあったのだが、空き家のリストが踏み台を使っても絶妙に届かない高さで苦戦する。先ほどのもやもやはもう無いけれど、つい、いつもより気安くお願いをしてしまった。


「よ、い、しょ」

「フローラ」


 足が攣りそうになったせいで、指先が触れたが手には取れない。そうしていると、クラウスの腕がぬっと横から伸びた。大股で距離を詰めたらしい彼が、簡単に目的の本を取ってくれる。


「ああ、助かりました。ありがとうございます」

「……構わない」

「はい……ええと、」


 普段は頭二つ分ほど上から見下ろされているが、踏み台のおかげであまり変わらない高さで視線が合う。

 手を差し出して待っているのだが、包帯から覗く海色の瞳が何か言いたげだ。

 踏み台を使っても、私より高い身長。背中に微かにぬくもりを感じてしまうほどの距離。森のような彼の匂い。

 じわじわと、顔に熱が募っていく。


「クラウス様……」

「先ほどは、すまなかった」

「え?」


 食堂でのことだろうか。


 律儀な人だなぁと、感心してしまう。十近くも年の離れた小娘に、こうして改めて謝ってくれる貴族なんてこの国では居ない。


「いえ、私も良くない態度でした。申し訳ありません」


 いつも真摯に接してくれる彼。

 だからこそ、先ほどはつい意固地になってしまったのだが。落ち着いたその声色に、笑みが浮かぶ。


「クラウス様からしてみれば……もしかしたら慣れないかと思いますが。どんな物事に対しても、忌憚きたん無い意見を聞かせてください」

「……ああ、約束しよう」

「はい。……この先、長く一緒に過ごすのですから」


 完全に上下関係を取り除くことは難しいと知ってはいるけれど、可能限り同じ立場で寄り添ってほしい。

 

 この、人の絶えかけた領地で、唯一私と対等になってくれる人なのだから。


 自分で言ってて照れてしまって、最後の方は声が小さくなる。手元の地図に視線を逃し、クラウスから顔が隠れるように俯いた。


「フローラ」


「はい」と、返事をしようとして。


「抱きしめてもいいだろうか」

「は……」


 クラウスが、手元の地図をそっと奪っていく。

 本棚の空いている場所にそれらをノールックで移して、私の頭の処理が終わらないうちに距離をじりじりと詰めてきた。


「フローラ……」

「あの、クラウスさま」


 「嫌か?」と、囁きだけの問いかけが近距離から聞こえる。

 頬に添えられた手。

 瞳の青色が深さを増しているようにも見えるくらい、強い眼差し。

 視線を逃すことさえ許して貰えないようだ。


 おかしいな。

 自分の心臓の音って、自分で聴けるものだったっけ。


 私の体に腕が回っていないだけで、もう衣類同士が触れる距離に彼が居る。


 自分の頭に向けた銃口。

 その引き金を引くような気持ちで「嫌ではないです」と、そう答えるしかなかった。

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