第25話 薄雲と月
「……少尉」
「皆まで言うな。ダフ」
柄にもなく顔が火照る。
マーサ殿の嬉しそうな笑みや、モンテ嬢のしたり顔、そして何とも言えない表情のダフ。
いやはや、居た堪れないものだ。
「お互い、未来の奥方には頭があがらんな」
「……! はい」
ダフの肩を軽く叩く。
ダフは俺の顔を見て小さく息を呑んだ。自分でもわかるが、祖国でも見ないほど緩んだ顔をしていたのだろう。
浮かれているのを隠したくて、逃げるように食堂を後にし、フローラを追った。
白い漆喰壁が灯りを優しく反射する、司祭館の廊下。
子ども達はすでに眠る部屋へ移動したのだろう。自分の足音の間を縫うように、遠いところから微かな騒めきが耳に届く。
途中、顔の熱を冷ますため最上階の外に出る渡し廊下を行き道にあえて選び、足を運んだ。
日中に溶けては夜に凍り、硬くなった雪は滑りやすく、必然的に歩みが遅くなるが、今は丁度良い。
雪解けの水が透かし彫りの装飾や屋根から滴り落ち、軽やかな音を立てた。その音にさえも揶揄われている気になり、意図して深呼吸をする。
白い吐息は、冬の早い夜の空に溶けて、月の透ける雲へと昇っていった。
「家族、か」
その響きに、つい胸が熱くなってしまうのは何故だろうか。
包帯の下、火傷で上書きされた左頬の古傷をなぞった。
刃物や魔獣の爪などではなく、肉を手で裂いたような外観をしている。赤と紫に茶色を混ぜた、肉肉しい痕。
これはとある任務の中で負った傷だ。
治癒するまで結構な時間が必要だったものの、寝起きに多少目の乾きを感じるくらいで、幸い視力には影響ない。
今では、就寝時眼帯で覆ってしまえばそういった違和感も無視できるほどのものだった。
足や手を喪ったわけでは無い。したがって、今後も変わらぬ生活が流れると当時は思っていたのだが。
貴族の男としては、その算段は甘かったといわざるをえない。
そもそも女性に人気のある優雅な容貌では無かった事も影響しているだろうが、傷のせいで目元の皮膚が引き攣り、より一層人相が悪化してしまった。
騎士の一端を担う者として、俺自身はこういった傷痕への忌避感はほぼ無いが、令嬢達の価値観からしてみればその限りではないことを思い知る。
色々あったが端的に言えば、婚約者が二度変わった。
最初の婚約者は長いこと交流があった事もあり、驚いたのを覚えている。
任務後に顔の傷で怯えさせてしまったから、致し方ない。そう飲み込んだが、二人目の婚約者は数回会うなり断りが届いた。
傷を負う程度の実力かと実家の親が失望したやら、他に想いを寄せる相手が出来たやら。そういった内容の婚約解消の手紙が届き、失望することさえなくあっさりと了解の返事を送っていた。
最初から婚約を結ばなければ良いのではと思った事もあるが、家同士の付き合いなど、俺の知らぬ理由があるのだろう。
長い時を共に過ごすことになるのに、始まりから相手に難があると判断されてしまったのなら、それ以上拘束するのも酷だ。
年若い令嬢達を相手に何とか縁を結ぶべく社交に励んでくれた母には、さぞ苦労をかけたのだろうが、少々疲弊した。
まあ結局、こうして国にも見放されたのだから、出立の際に無理して婚約者を置かないままでいてよかったと息を吐く。
免罪なれど、国に仇をなした者の血縁ならば連座で咎められる可能性だってあるのだから。
ルーカス殿に送って貰った手紙が弾かれ無かったことで、次期当主である兄の安否は確認できたものの、その返事が返ってくるまで家族がどうなったかはわからない。
武家の家系ゆえ、力任せに制圧されることはないだろう。特に父は国内でも名の知れた武将だ。母と兄は頭も良く回る。
願わくば、過去に国を救った今は亡き祖父母の功績を引っ張り出すなりして、上手く難を逃れているといいのだが。
騎士同士の職場恋愛の果てに結ばれた父方の祖父母は、力を合わせて国難を解決したと聞く。
二人には大きな身分の差があったそうだが、どうしても祖母を娶りたかった祖父が褒賞を得る為に上手いことやったらしい。
今はもう亡き二人だが、寡黙ながら愛情深い夫婦だと当時はよく話題に上ったとか。
そんな祖父母ほどではないが、父母も仲睦まじく、代々痴情そういった悪い噂が一切無い貴族として有名な我が一族。
彼らを見て育ったにも関わらず、顔の傷が原因で婚期を逃してしまっていた事で、自らも気付かないところでは家族というものに後ろ髪引かれていたのだろう。
大きく盛り上がった傷痕は、時を経ても薄れる事なく俺の顔に在ったが、こうなって初めて目立たなくなるとは。なんとも皮肉なものだ。
フローラの言葉が、胸中に木霊する。
国を追われた先で得た婚約。
人相が悪いどころでは無いほどになってから、欲した相手を婚約者に迎えることが出来た。己の宿命には驚かされるばかりである。
もちろんこちらに恋慕の情はあるが、年若く美しい彼女にとって、十近くも年上の顔が潰れた婚約者など、領地を守る一つの手段でしかないと理解していた。
彼女の指示に従い手足となって働き、同情でもいい。いつか多少の気持ちの一部でも貰えたら。俺としてはそれで充分だったのに。
当たり前のように意見を尋ねられて、面食らってしまった。
視線が合っても怯まない、真摯な空色の瞳。
その後の拗ねたような表情を、俺はきっと忘れることはできないだろう。
つい漏れた笑みを、右手で覆い隠す。
さあ、まずは彼女の機嫌を損ねた赦しを乞わねば。
大人になって知る恋は、タチの悪い病の様なものだと言った先人の教えを痛感しながら、フローラのいる書斎の扉をノックした。
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