第22話 灯火の妖精


「やった! また俺の勝ちだな! ダフ兄!」

「……ホントに器用だよな、ここの子達は」


 いかに皮を途切れさせず芋の皮を剥くか、ピピンと競争しながらマーサ殿とライラ嬢の手伝いに励む。

 ピピンの言う通り結果は散々で、俺の足元には折れて切れた厚い皮が無数に散らばっていた。

 やんちゃ坊主を代表するようなピピンが、小さな手でナイフを器用に使い、まるで林檎を剥くように芋の皮剥きを終えるのは正直理解が追いつかない。


「偉いな。いつもやってんだろ」

「おう! ここに来てからは大体毎日な。食うとこはたくさん残ってないと意味ねえからな」


 じっと手元の芋を見つめる。


「耳が痛えなあ」

「腹が減るのは辛いことだからよ」

「……ああ、全くだ」


 命の果ての日さえ覚悟した長く辛い旅の日々。

 腹が減りすぎて胃が痛み、それさえ超えて、雪を舐めては誤魔化していた時のことを、俺らはきっと生涯忘れることは出来ないだろう。


 にしし、と笑いながら言う台詞が子供の口から出たことが切なくて、けれど心底同意しまって、つい力強くイガグリのような赤い茶髪を撫でくりまわす。


 この聖堂にたどり着いたときには、凍傷で真っ黒く灼けていたはずの両手の指。

 あの時。もう今後剣を握ることは叶わないだろう。命が助かっただけ良しとせねばならないと自分に言い聞かせていたが、今この手はそんな面影は微塵もない。

 むしろ剣を握る男にしては不自然に綺麗になった指先に、子どもの柔らかい髪の感触は尊すぎて。右手で何度も髪をすき、ピピンに見えない左手で、何度もナイフを握りなおしてしまう。


「おいダフ兄! やめろよー」

 (兄ちゃん!)


 髪をぐちゃぐちゃにされながらも笑うピピン。

 その顔に、祖国に残してきた年の離れた弟の困ったような笑みが重なった。




「通達は以上だ。祖国から呼びたい縁者が居るものは別途申告せよ。審査の後、可否を下す」

「はっ!!」


 冬の終わりが見え始めた日の早朝。

 中庭でクラウス少尉が発令した通達を聞いて、つい俺は押し黙る。


 両親が辻馬車の事故で死に、十四の時に運良く入隊できてから五年間貯めた給金が祖国の銀行にはあるが、まだ十歳になったばかりの弟はそれをちゃんと使っているだろうか。

 家の中に残した金がもうそろそろ尽きる。

 最初、調査を命じられた出立の際には、近所の馴染みにくれぐれもよろしく頼むと頭を下げてきたものの、その後反逆徒として国を追い出された経緯を鑑みれば、少なくとも銀行の金を押収されていても不思議ではない。これまでの付き合いが弟を守ってくれることを祈ってはいるが、金が絡むと風向きは変わっていくだろう。

 何とかして祖国へと戻り、弟を迎えにいかなければ。


「ダフ兄? 大丈夫か?」

「……ん、いや……悪かったな。髪」

「んーん。……はやく会えるといいな」


 つい強張ってしまった俺の顔を見て、敏感なピピンが心配そうに声をかけてくる。

 ここの子たちやご婦人方は、ほとんどが身内を亡くしている。それ故かこちらの神妙な表情にはとても敏感で察しが良く、気を遣って隠そうとしてもあまり意味がない。


「……俺には、ちょうどお前と同じくらいの年の弟がいてな、どうにかしてこっちで一緒に暮らしたいんだ」

「へえ! いいじゃん。家族は一緒に居るのが一番だぜ!」

「だがな、俺たちはまだここに来て時間が経ってないだろ? だから、ここで新しく戸籍をとって通行証をもらうのに時間がかかんだよ」


 そして、その通行証に書かれる名前や肩書きなどで検問を弾かれる可能性が高いのだ。

 すぐに動きたいと話す俺に待ったをかけたアンドリューさんは、そう懸念していた。


 一番手っ取り早いのは、ここと祖国をやり取りしている商人のキャラバンに護衛として就くことなのだけれど、生憎冬でしばらく往来はない。

 さらにそういった商人にツテもないのだ。そんな状況で反逆徒の騎士を雇ってくれるわけが無い。


 シスター・フローラとクラウス少尉には何か考えがあるようだったけれど、恩人に危ない橋を渡らせたくないし、特に少尉は俺以上に祖国で自由がないはずだ。

 要は表立って俺たちが動くことをせず、弟をこちらの国民の養子として迎えるなり何なりして、正当な手続きを踏むのが結局一番早いやり方だろう。しかし。


「俺の名前を出さず、何の縁もないところに養子に来いと言われて、弟がちゃんと頷くかどうか……」

「手紙かけばいいんじゃないのか?」

「ん~~手紙がちゃんと届けばいいんだがなぁ。正直賭けになる」


 考えれば考えるほど行き詰まりだ。

 ピピンを重苦しい空気に巻き込んだままでいるのも年長者としてはいただけない。

 「とりあえず、芋持っていこうか」と、持っていた芋を受け皿として使っている鍋に戻し、厨房へ戻ろうと腰を上げた。


「なら、うちの家の名義を使えばいいわよ」


 ばさ!と、厨房で使う白い布巾が水を払って風になびく。

 見ればエプロン姿のライラ嬢が洗濯物を干していた。

 なんてことない。とでも言うように、こちらを見もせず白い布巾を横一列に紐に留めていく。


「……ええと、つまりどういう……」

「ダフ様は、戸籍もしくは家名が欲しいのでしょう?ならウチの名前をあげるわ! うちの父は隣町の商会長をやっていたの。隣国とも商いをやっていたから、信頼度はまあまああると思うわよ」


 もちろん、ダフ様が良ければだけれど。

 そこまで言って、ようやっとこちらを見る。深い赤髪に、翡翠色の瞳。女性にしては勇ましい、凛とした顔立ちの彼女。

 まるで灯火を妖精にしたらライラ嬢のようになるのだろうなと、現実逃避をしに意識が飛んでいく。

 ピピンがにやにやしながら、呆けて居る俺を小突いた。


「へへ、おめでとうダフ兄!」

「は……あ、ああ」

「でもまずはフローラに相談ね。婚約が決まったばかりの領主より先に縁組するのは難しいかもしれないから」


 古来より、妖精の類いは悪戯に人を惑わせるという。


「えんぐみ?」


 あっけらかんととんでもないことを言う二人を見て、俺はしばらくの間固まってしまった。




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