第23話 ダフとライラ


「そうよ。隣国だと呼び名が違うのかしら??」

「いや、同じだが」

「なら話は早いわね。フローラはクラウス様に捕まってるでしょうから、一度に片がつくわ」

「あ、いや。ライラ嬢、待て。待ってくれ」


 パァン! と払われた最後の布巾。

 それがライラの手から紐へと移ってようやっと、停止していた頭が動き、事態が飲み込めてきた。


「どうしたの?」

「いや、君の言う縁組は祝言のことであっているな? 重要なことだろ、なんでそんな」

「貴方ならいいと思ったのだもの」


 藍に染められたハンカチでまとめられた髪を解き、ライラ嬢は真剣な眼差しで言った。緩くウェーブのかかった髪が風を孕んでやわくなびく。

 きっと今、俺の顔は。その彼女の緋色に負けないくらい赤く染まっているのだろう。

 俺の顔を見たライラ嬢が、ここで初めて笑みを見せたから。


「ははは……熱烈だな」

「あら! 騎士様なら、これくらいの声かけはみやこでいくらでも耳にしてると思ったわ!」


 ずっと弟の面倒を見ていたから。

 騎士団の宿舎は使わず、通いで仕事に明け暮れていた俺は、貴族騎士のような娼館コルティザン通いや同僚の平民騎士の酒場通いなど、女性のいる場での息抜きや接触は経験したことがない。


「君は素敵な女性だ。俺のような平民出の騎士などに構わず、もっといい男がこれから現れるんじゃないか?」

「こんな跳ねっ返りを? この女しかいない土地で? 復興がさらに遠のいちゃう。これ以上フローラばかりに負担をかけられないわ。私はチャンスの女神様の前髪をしっかり掴むのが得意なの」


 仲間たちが言うように、庇護欲を掻き立てられるシスターのようなたおやかさも、もちろん素晴らしく魅力的だと思うが。


 埋もれる真っ白な肌に、鼻先に散った微かなそばかす。笑ったライラ嬢はクシャッと顔が中央に寄って、とてもチャーミングだった。


 俺の目から見たライラ嬢は。

 色々な衣料や反物の染色知識に富み、そのおかげか洗濯が上手くて。

 子供たちに厳しいことは言うけれど、決して意地の悪いものではなく、俺でさえ勉強になると思うほどの、この土地から離れ外の街で生きていくには必要な一般教養に基づいた大切な教えばかりだ。

 深い藍色が好きで、東の果ての国にあるという植物で染められたハンカチを特に大切にしている。

 俺が頂いた父君のシャツもそうで、返そうとしたら怒るようにして押し返してきた。来て会うと嬉しそうにして。

 少年のような飾らない笑みがいっとう好きで。

 祖国の弟を思い出しては淡いなにかを掻き消し、剣の稽古に打ち込んだというのに。


 その甲斐もなく、頭の硬い自分がこうしてチャーミングって単語を頭に巡らせる日が来ようとは。

 自分には一生縁のないないものだと思っていた。

 それもこんな異国の地で。

 仕舞い込んで窒息させたはずの芽があっという間に燃えていく。そんな恋の予感に、なぜだか武者震いさえ覚える。


「俺は奥手でね。それに俺らは……俺は、防衛戦が得意なんだ」

「いいわね! 守りが強い男は商人向きよ!」

「ありがとう。でも一応騎士としての体裁も整えさせてくれないか」


 つい今さっきまで弟の身を案じていたのに。彼女の提案は弟を引き取る上で、最高のものだった。

 ダフネ、グスダフ、ダグなど。ダフという俺の名前が昔故郷の英雄の名前にあやかって付けられる、人数の多いものであることもそうだが。


 風を操って居るかのような出立ちの、挑戦的な瞳。

 すぐ側には嬉しそうな立会人ピピンがいる。

 充分だ。

 もう剣はあの国に捧げてしまった。義理立てするつもりはないが、新しい門出に裏切りを受けたお下がりは似つかわないだろう。


 俺は式典で一度しか取ったことのない、慣れないボウ・アンド・スクレープをとった。


「俺はダフ・ウッズ。歳は十九。この身を捧げ、主たる貴女の尊厳を守り、幸福を献げると誓おう。どうか、貴女のその名を名乗ることをお許しいただけないか?」

「許すわ!」


 ニッと笑みを深めた彼女が、俺に手を差し伸べる。まるで戦友に対するように。決して上下を感じさせることのない動作だ。

 そうやって優しく立たせてくれたあと、彼女は決して付け焼き刃ではないカーティシーで応えた。


「私はライラ・モンテ! 十八よ! モンテ商会の一人娘。ダフ・モンテ。あなたの人生を豊かにしてあげる!」


「フローラがルスメール商家にいた頃から、あの子とは友達なの。他の地方にもそんな子たちが居るわ! 商人の通信網の力、きっと役に立つわよ!」そう言って笑うライラは、あまりにも眩しかった。







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