第16話 着手
「……元々、髪色を隠すために服装を真似ているだけでなんです。凱旋時に名を連ねる際、ただの平民よりはと色々あって神殿所属の
だから神の伴侶ではなく、還俗する必要は無いのだと、蝋燭と
神官およびシスターを名乗るには、本来数年の修練期を終え、その後も使徒職を熟す必要がある。
急な召集だったからそのような経験があるはずも無く、出立の際に司祭から祝福を受けたのみとのこと。
それさえも彼女個人に向けた訳ではなく、随行する王子達がメインだったと言うのだから取り繕った印象を受けるのも仕方が無いだろう。
初めは単なる魔法補助員として参加したはずが、旅を終えてようやくその成果を称える形で教会より聖女という称号が贈られたそうだ。
したがって、正当なシスターが持つ洗礼名も実は彼女は持ち得ないという。
「末端とはいえ、今では一応貴族の端くれですから。そして自分で言うのもおこがましいですが、複雑な立ち位置なので……一応国王陛下に婚約の伺いを立てなくてはいけません。最低でも手紙、もしかしたら春以降に登城することになりますが、よろしいでしょうか?」
「ああ、願ってもない」
しばし逡巡して、思い当たったのはいくつかの妨害だ。可能性としては高くはないが、準備しておく分には損は無いだろう。
「ありがとうございます……ええと。先ずは手紙を」
「俺もいくつか手紙を出したいのだが、可能だろうか」
「はい。便箋やペンをご用意しますね」
照れからか、もしくは気不味いのか。すかさず席を立とうとする彼女の手をそっと握る。
わずかに出来たあかぎれを恥ずかしがる様子がいじらしい。
意図して優しい雰囲気になるよう努めつつ、胸元から鎖に通している指輪を取り出した。
「フローラ。この模様を覚えてくれ」
指輪には、三つに重なる麦穂に立ち上がった馬が陰刻されている。金環に黒曜石の
剣を握るせいで、柔い金属は少々形が歪んでいる。
失ったのが左足で良かった。とは軽々しく言えないが、元々これを嵌めていた左手で無くて良かったと思う。
「指輪印章、ですか」
「ああ。これは俺個人のものだ。我が家に連なるものは、この三つ麦穂が入っている。俺は家には手紙は出さない。しかし、それにもかかわらずこの麦穂がある封蝋が来た時には、すぐ知らせてくれるか」
「……わかりました」
距離を詰め、じっと手元を覗き込むフローラ。
俺の言葉が何を意味するのか理解し、真剣に目に焼き付けているようだ。
暖かい色に縁取られた空色の瞳が、蝋燭の光を取り込みくるりと輝いていた。その名のとおり、ふわりと花のような香りが鼻腔に届く。
初めの夜にも思ったが、彼女は集中すると物理的な距離が少し狂うらしい。
このまま捕まえてしまいたい気持ちを抑えて、気の済むまで印章を見せる。
顎の先まで可愛らしいなと、せっかくなので堪能させてもらった。
「ありがとうございました。覚えました」
姿勢を正した彼女と目が合う。
もう頬の火照りは落ち着いたようだ。
それを少々残念に思いながら、今後の話をさらに詰めるべく口を開いた。
「手紙を送り次第、俺は部下にこの地に留まる旨を通達する。この天候では届くのにしばらくかかるだろう。確か王都まで馬車で二週間ほど、ではなかったかな」
「はい。天候の良い日に、かつ通常の馬でしたらおっしゃる通りです。ですが、冬はもう一週間は見積もったほうが安心でしょうね。いつもは行商に依頼しますが冬は用事のついでにまとめて送ると伝えてあります。……一応、緊急時など急ぎの場合は他の手段もあるにはあります……」
「ほう」
言い淀むフローラ。泳ぐ視線の先には、明かり取り用の小窓があった。
「具体的には、ここに在中する魔導士に飛ばしてもらうのです……少々……いえ。閣下のご都合がつき次第、紹介します」
「ありがとう」
あどけなさも残る顔立ちにはあまり似合わない皺が、眉間に寄っている。口調も何やら意味深な間があった。
一体どんな曲者が出てくるやら。意思疎通の出来ない魔物とばかり対峙してきたせいか、少々楽しみでもある。
「子どもたちも、みな会えるのを楽しみにしていますよ」
誤魔化すつもりか、気を取り直したような声でフローラが続ける。「騎士の皆さんが子どもたちの面倒を見るのを手伝ってくださっているので、助かります」と、彼女は今日一番の笑顔を見せた。
部下達は上手いことやってくれているらしい。
「俺も楽しみにしている」
そう笑みを返した。
マグカップを両手に、楚々と退出していくフローラ。その後ろ姿を見送ってから、ベッドに戻った。
明日から鍛錬も解禁だ。
早く顔を治して、子供らを怖がらせないようにせねば。
それまで包帯でも巻いておこう。と、俺としては配慮のつもりだったのだが、辺境で育つ子供達は存外逞しいということを、俺は早々に思い知らされることになる。
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