第15話 交渉術とは


 もしも断られたら、次は何を交渉のカードにしよう。


 何も悪いことをしていない人に騙し討ちをするのは気が引けて、ついこちらの都合をほぼほぼ開示してしまった。

 誠実でありたい個人的な気持ち。人道的には褒められても、領主としては未熟すぎる対応だ。

 相手の得になりそうな事を必死に頭の中で探していると、優しいテノールの声が響いた。


うけたまわった」


 握りしめていたマグカップから、バッと顔を上げる。

 ほぼ即答したクラウスは、静かな眼差しでこちらを見つめていた。

 私はよっぽどの顔をしていたのだろう。

 クラウスは表情を緩めると、白くなるほど握り込んでいた私の手をとり、二つのマグカップをそっとテーブルに移した。


「……貴女は、あまり交渉ごとには向いてないな」

「! ……そう、ですね。自覚はあります」

「シスター。そんなに不安そうな顔をしなくてもいい。貴女に助けられた命だ。祖国ももう必要としていない俺で良ければ、尽力しよう」


 でも、と口元をもごもごしてしまう。


「他に何か、ありませんか」


 私にできる事なら、努力します。その感情を正しく読み取って、クラウスは今度こそ笑った。


「シスター。それでは、付け込まれてしまうぞ?」

「ですが、私が言ったのは一生を縛るようなお願い事です。それも一人や二人じゃない。この教会だけで三十人は居ます」

「……では、どうしても、貴女の気が済まないのなら」


 こほん。

 クラウスはカウチを降り、私の前に片膝をつく。

 元高位貴族の男性が。


還俗げんぞくすることは出来るだろうか」

「げんぞく」

「俺は、貴女の隣に立ちたい」


 聞き慣れない言葉。

 私は目を瞬かせ、そして自身の格好に思い至った。

 シスター。神の伴侶。

 ちゃんとした神職者が結婚するには、職を辞め俗世に還らなければならない。そのことを。


「く、クラウス様」

「付け込ませてもらうぞ、シスター。貴女の望む通り、この地に残る民を守ろう。この土地さえも。……叶うなら、領主の夫として」


 みるみるうちに、血が顔に集まっていくのを感じる。

 息を吸おうとするけれど、吸った息で何と答えたらいいのかわからなくて、口をぱくぱくさせるしか無かった。

 嫌われる覚悟を決めていたと言うのに、一体なんでこんな展開になったのだろう。


「まだ十日しか接していないが、貴女を知るごとに胸が高鳴るんだ。もう二十七の男が」


 まるで少年のようで……滑稽だろう?

 そう私を見上げて、目を細める。


「好いたひとと、その人が抱えるものを守れるのなら、元騎士としてこれ以上の誉れはない。シスター……いや、フローラ」


 クラウスが私の指先に、恭しく口付ける。

 そして空気だけで告げられた告白。

 好きだ。と、耳を揺らすシンプルな言葉に、肩が跳ねた。


「その栄誉を与えてくれ」


 もともと好意を寄せつつあったひとに。

 手を握られ、愛を囁かれて。

 強い光を持って射抜かれてしまえば。

 もう。


「どうか婚約者に俺を。そして、貴女の心が許すのなら。ゆくゆくは生涯の伴侶として。貴女がたを守護しよう」


 耳まで熱くなるほど胸を焦がしながら、ぎこちなく頷くことしか、私にはできなかった。



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