第7話 重症者の回復
「モカ、ララ」
彼らにも自分たちの時間が必要だろうと思い、諸々の用意を済ませて大部屋を出た。
恐らくもう日付が変わっているだろう。結構時間を食ってしまった。まだ十四歳のモカ達はもちろん、昼間子供たちの相手をしていたライラやマーサも休ませる必要がある。
「みんなも。遅くまでありがとう。もう今日はおやすみなさい。重症だった方たちはちゃんと見ておくから」
「でもシスターも、お疲れなのでは?」
「あんなに大きな魔法を使ったのに」
「大丈夫よ。ちゃんと休めるときに休むから」
後ろを振り返りながら「おやすみなさい」と
「ライラも。施錠だけしっかりしておいてね」
「ありがとう。明け方替わるわ。おやすみフローラ」
「
「マーサ、ありがとう!嬉しいわ」
全員が入ったのを見届けて、私は念の為の結界を張った。
カン、と鳴らしたメイスの音に続いて、キィンと澄んだ音が響く。
流石乙女ゲームね。やっぱりエフェクトが派手だわ。と嘆息しながら重症者の眠る部屋へ足を向けた。
隣の大広間からは、数人の気配しかしない。
極限だろうに、
今は眠っているこの五人がきちんと指導していたのだろう。
一緒に旅した王子達とは大違いだ。と、ひとり苦笑する。行き当たりばったりで個別の旅になるまでは、護衛に見張りや警戒を任せて馬車や途中の街で悠々と過ごしていた。
そんなに昔でも無いはずなのに、遠く感じる過去に思いを馳せる。
壁の武器掛けにメイスを置いてから、戸棚に向かった。
五人を寝かしている小部屋には、続き部屋で簡易厨房がある。昔は竈門が置いてあって、その熱で部屋を温めたりしていたそうだ。
私が住み始めてからは、灰の処理が楽なので火鉢に似た小さいストーブを使っている。
小鍋でお湯とミルクを沸かし、薬品棚からスパイスを失敬してチャイティーもどきを作った。寒さでざりっざりに固まった蜂蜜を溶かすと、甘くて美味しい飲み物になる。
外の吹雪は少し落ち着き、今は細かな雪がしんしんと積もっていっているようだ。杉の木でできた小さいチェストを机代わりに、スツールに腰掛けてお茶を飲む。
雪が張り付いてほとんど外が見えないガラスの小窓から、その様子が見えた。
こんなに大きな魔法を使ったのは久しぶりで、少々骨が折れた。ぐるりを首を回し、また木彫りのマグに口をつける。
「ふー……とりあえず、死ななくて良かった」
パトリックさんが嘘を言っているようには見えないけれど、これからどうなるかはわからない。
悪い人たちじゃないといいのだけれど。
起こり得そうな問題を考えながら目を閉じているうちに、不思議とするり眠りに落ちていった。
(無防備ね……旅で、鍛えたはずなのにな……)
いつかの光の河のような、心地よい脱力感。
抗う気力もすぐに潰える。
ストーブで薪が燃える音が、いい子守唄になった。
どれくらい眠ってしまったのだろう。
窓の外で、木の枝から雪が落ちる音で目が覚めた。
目だけを開いて、ぼんやりとストーブを見つめる。薪はすっかり白く灰になっていた。ゆっくりと机から顔を上げて、前髪を上げたところで、ふと、固まる。
毛布を広げた状態で固まった大柄な男性が、目の前に居た。
「すまない、驚かせるつもりはなかったんだが……」
なぜか彼には警戒心が仕事をしなくて、すぐそばまで来られていたのにあまり驚かなかった。いつもなら飛び上がり、戦闘態勢に入ってしまうはずなのに。
大きな黒豹のような、筋肉質でしなやかな身体つき。それなのに「火が弱くなっていたから、冷えるだろうと……起こしてしまったな」と、悪いことをしたと心なしか小さくなっている。
そのギャップに毒気を抜かれるも、短くなった蝋燭の灯に照らされる顔を見てハッとした。
回復させたが、怪我をして時間が経っていたのだろう。大広間では足の怪我に気を取られ、加えて血に濡れて顔が見えていなかったが、痛々しい
「お加減は、いかがですか?」
「問題ない。貴女が治療してくださったのだろう?感謝する」
「ええ。ですが、少し痕が残ってしまいましたね」
立ち上がり、頭二つ分高いところにある顔を観察する。
「失礼します」
両のフェイスラインにそっと手を添えて、右に左にとゆっくり向きを変えた。
明かりが弱く近づかないとよく見えないが、右目の周りを残し、顎先までうすらと引き攣っている。特に左のこめかみから口の端に向けては深かったのか、みみず腫れが酷かった。
障らないよう、そっと撫でる。
「痛みますか?」
「……」
「閣下?」
「ああ……いや、痛みはない。目が無事で、運が良かった」
「……もうしばらく体力を回復できたら、しっかり魔法を掛け直しましょうね。……閣下は左足も失くしておいででしたから、そちらの方に効きが出たのでしょう」
「……は?」
手を離し、机の下からもう一つスツールを出す。湯冷しを入れたマグも二つ。
ハンドサインで着席を促した。
「生々しい話になりますが、症状をお聞きになりますか?」
「頼めるか」
「はい」
居住まいを正し、詳細を語った。
出血が酷かったこと、皮膚が白く見えるほど深い火傷もあったこと、左足が膝下から喪失していたこと。意識が無かったのは行幸だったと締めくくる。
結構ショッキングな内容だが、戦いに臨む立場だからか、傷の話をしても彼は揺らがなかった。
「正直、今立っていられるのが不思議なほどだな……」
「閣下のお体は現在、それらの修復のため疲弊し弱っている状況にあります。その上、しばらく過酷な旅をなされているので、さらに深刻かと」
「他の者もそうか」
「続きの部屋で眠ってらっしゃる四名の方はそうですね。怪我が酷かった方はなおさら、失った部分を補うため筋肉や骨も痩せていることでしょう」
「重ね重ね、感謝を。どのようにお返しすれば良いか」
深々と頭を下げる。話口調や仕草、姿勢から貴族だろう。慌てて頭を上げさせた。
「今はただゆっくりおやすみになってください、閣下」
「クラウスだ」
「……しかし」
「確かに、以前はヴァン・エーダという家名があったが。今はただのクラウスだ。それにそちらは」
ちらりと私の髪色を見る。
そうだ、
蝋燭のくらい灯りでも、女神さまの春色に輝く三つ編み。私は観念したように肩をすくませた。
「フローラ・ルスメールです。しがない商家の一人娘でした。侯爵様」
聖女と呼ばれる旅は、もう終わったのでそれをひけらかすようなことはしない。そもそも、そう呼ばれるのはあまり好きではなかった。
何か言いたげな視線だったが、クラウス様はそれ以上の詮索はしなかった。
家名のついでにと、彼はこれまでの経緯を説明してくれる。それは概ねパトリック卿の話と相違はなかった。
一通り話し終えて、私たちの間に沈黙が訪れる。
けれど、まだ夜明けは来ないようだ。
「お体に障ります。もうおやすみください」
「ああ、そうだな」
「寒ければ
「いや結構だ。旅に比べれば天国のようだよ」
パトリック卿と同じように話を締めて、彼は寝床へ戻っていく。
私もカウチで横になることにした。
朝が来たら、きっと忙しくなるだろうから。
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