崖から転落、なんとか着地に成功するも、こんどは骸骨共の群れが迫る!

 さて、無事着地に成功したら次にやることといえば決まってる、そう、抗議と糾弾だ。


「何やってんだテメェェェェェェーーーーーッッッ!!!! 危うく頭から落ちて死ぬところだったぞこのアホゥ!!!! 崖から下を覗き込んでる無防備なマッチョを後ろから突き落としちゃいけませんって親御さんに教わらなかったのか!? どんな教育受けてるんだコノヤロー!!! アンタを見直したなんて思った俺がバカだった!!! チックショーーーーー!!!!」


 俺は崖上の殺人未遂犯、師炉極に向かってあらん限りの憤怒を込め、コウメ太夫ばりに大絶叫した。

 ところが、このマッチョ俺の憤激を師炉極は涼しい顔で受け止めていた。腕組みをして崖下の俺を見下ろしながらフッと笑って言った。


「死ぬところだった? あっははは! おかしなことを言うね? 死ぬどころか怪我一つしてないじゃないか? そんなピンピンしてて死ぬなんて大げさだよ。HAHAHA ナイスジョーク」


 いやいやいやのいやいやいや! なに笑ろてんねん! 死ななきゃいいって問題じゃないだろ! 怪我しなきゃいいって問題じゃないだろ! この人マジで頭イカレてんじゃないのか!?


「マッチョくん、そんなことより大事なことを忘れてないかい? ほれほれ、前を見たまえ。今にもやつらが襲いかからんとしているぞ?」


 ハッとなって背後を振り返る。そこにはカラカラ、カラカラと骨だけ骨だらけの、身を寄せ合いすり合い蠢きひしめく亡者の群れが……!


「うぅッ……!」


 前方百八十度大パノラマで群れなしじわじわとこっちに迫りつつあるドクロたち。すっごい数。コミケの始発ダッシュ待ちを彷彿とさせる。やめろ! それ以上近づくな! 俺は東京ビッグサイトじゃないぞ!


 近づくごとにやつらのディティールが鮮明になる。やつらの虚ろな眼窩が貪婪な光を湛えてるように見える。うーん、なんかそれもどこかコミケ中のオタクの群れに近いものを感じる。


 ん? そう思えば骸骨たちもかわいく……見えないな。いや、むしろキモい。キモいし怖い。やっぱ骨だし。どう見ても骨だし。


 骨って見れば見るほど不気味だ。しかも目の前にたむろするは全身骨格標本だ。そんなのが動いて近づいてくるんだから不気味を通り越してキモくて恐怖でしかない。

 略してキモ怖。洒落怖の次はキモ怖が来るかも。新耳袋ならぬ新玉袋。うん、これじゃただのくっだらないキモ下ネタだな。


 いや、そんなどーでもいいようなくっだらないこと考えてる場合じゃないってことはよくわかってるよ?


 でもね、ついつい現実逃避しちゃうんですよ。敵はD級モンスターといえども夥しいって言葉が似合いすぎるほどうじゃうじゃに群れてるし。


 というかね、そもそも俺はD級ですらないんだよ。今のところただのノーランク一般マッチョ男子高校生だ。ドラゴンを倒したっていってもたったの一匹だし。


 こんな大量の魔物をそこらで売ってるトレーナーを着ただけの武器も持たないマッチョにどうしろと? アホなの? 死ぬの? あ、でもこのままだと死ぬのは俺だわ。


 ほら、今もジリジリにじりにじり寄り寄りきてますきてます。骸骨犬が不気味な音を立てて先陣を切ってきてる。威嚇のつもりなのか口を開け吠える仕草。肉がないのですなわち声もでないから歯がカチカチカラカラ鳴るだけだけど、それがかえって気味悪い。


 実を言えば、俺は昔から犬が超ニガテだ。


 ガキの頃、近所にカラムーチョのおばあさんに似たババアがいて、そいつがでっかくて黒いドーベルマンを二頭も飼っていた。

 ババアは常にプルプルカクカク、矍鑠とは程遠く、両足を棺桶に突っ込んでるような死に体のくせしてそんなでっかい犬を散歩させていたのだが、当然そんなシワシワのヨボヨボの生ける屍のようなババアがドーベルマンをまともに制御できるわけもない。


 ある日、ババアの手を軽く振りほどいたドーベルマン二頭がそれこそ猟犬のごとく俺に向かって突撃してきた。ドーベルマン二頭に追い立てられる小学生の俺。必死に走るも当然逃げられるわけがない。一瞬で追いつかれ、全身をナメナメされてしまった。

 黒い巨犬がよだれまみれの牙を剥き、赤い舌を出し、イッちゃった目で俺の全身をベロベロするその猟奇的な姿に俺はもう恐怖で身をこわばらせるしかできなかった。旧劇エヴァの量産型に啄まれる弐号機の気持ちがよくわかった。


 後日、他人は言った「あれはじゃれてただけなんだ」と。


 たしかに噛まれはしなかった。怪我もなかった。でも、あの恐怖は実際にやられた人にしかわからない。それによく言うじゃん? いじめっ子も「じゃれてただけだ」って。そんな言葉で誤魔化されちゃ被害者はたまりませんよ。


 たとえじゃれていただけだとしても、現実として俺は猟犬のような二頭の黒巨犬に死ぬほど追いまわされ、捕まった挙げ句にベロベロと啄まれて全身唾液にまみれたのだ……。ああ、思い出しただけでも身の毛がよだつ。マッチョの張り詰めた肉体が泡立つ。


「能見くん、今助けに行くわ!」


 と、そのとき崖上から勇魚の声! 勇魚マジ天使! まさしく天の助けだ!


「止めろ。勇魚ちゃん、勝手なことはするな!」


 と、今度は悪魔の一喝。チラッと振り返って崖上を見てみると、崖を降りようとしていた勇魚の身体を師炉極が抱きかかえている。


「お父様! なぜ止めるんです!?」


 ホントだよ。ナゼェミテルンディス!


「勇魚ちゃんの悪い癖だよ。そうやって人を甘やかすのは。さっきも言っただろう? 花がいくらかわいくても水を上げすぎるなって」


「ですが、能見くんはまだまだダンジョン初心者です! いくらD級モンスターでもあの数です。初心者にはあまりにも危険じゃないですか!?」


「危険? 危険なことなんてまったくないよ。なぁ、マッチョくん? 勇魚もよく見ておくといい、今からマッチョくんはこの骸骨どもを三國無双さながら、ちぎっては投げちぎっては投げ、バラバラの粉々に粉砕してくれるんだからね。さぞ壮観な光景だと思うよ。しかもこいつら骨だから骨粉として荒野の肥料としてもよさそうだ」


「こ、こんな数、俺一人でどうにかできるわけが――」


「できる!!! 絶対にできる!!! 頑張れ頑張れできるできる絶対出来る! 頑張れもっとやれるって! やれる気持ちの問題だ! 頑張れ頑張れそこだ! そこで諦めんな絶対に頑張れ積極的にポジティブに頑張る頑張る! 筋肉だって頑張ってるんだから!」


「ま、松岡修造かアンタ! そんな根性論でどうにかできるような――」


「根性論じゃあない! この世界に冠たる超有名イケメンS級冒険者の師炉極がそう言ってるんだ! 俺の言う事を信じろ! 貴様が自分を信じられないのは良い。それは仕方のないことだ。貴様にはなんの実績もないんだからな。だったら俺の言うことを信じてみろ! この超有名イケメンS級冒険者師炉極の言うことをな! 貴様の信じる俺を信じるんだ!」


 ……正直言って師炉極の人格は信じられない。だって人を遠慮会釈無く崖から突き落とすようなやつだからな。俺は子ライオンでもなければあいつの子供でもないのに。マジ正気を疑う。でもその一見異様に見える行動も師炉極としてではなく、S級冒険者の行動としてなら信じる気にもなってくる。


 なんてったって、それでも師炉極は俺が憧れたS級冒険者だから。


「その言葉、本当に信じていいんだな?」


 俺は崖上の師炉極を見た。

 師炉極は勇魚を胸に抱いたまま、俺に微笑みかけた。それはとても優しげで貫禄に満ちた顔だった。それはやはり勇者の顔だった。


「信じるも何も、俺の言ったとおりになってるじゃないか? だってほら、別に痛くも痒くもないだろ?」


「え?」


「もう噛まれてる。バリバリにな」


「え……」


 そこで気がついた、右肩と左足から「はむはむ」という音が聞こえてくるのを。

 非常にぎこちない動きで右肩に目を向けると、虚ろな眼窩と目が合った。

 骸骨犬が俺の肩に元気よく噛みついていた。


「あああああああああああ!!!???」


 ふと、あのときの記憶が鮮明な映像として脳裏に浮かんできた。


 二頭の黒くてでっかいドーベルマンに襲われた、あのときの光景が。

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