筋肉覚醒
石舟先生とドラゴンの第一ラウンドのわずかな間に、続々とこっちに向かって引き上げつつあるクラスメイトたち。彼らの歩みは遅い。ドラゴンにやられた怪我人があまりにも多いのだ。比較的軽傷の者、または無傷の少数派も、流れ弾とドラゴンそのものを警戒して、遠回りしたりドラゴンに気づかれないよう慎重に動くしかない。
先生は脱出モノリスのある俺のいる方とは真逆の方向へ走り出した。走りつつ、
「<アイスボルト>!」
初級スキル<アイスボルト>をドラゴンに撃った。先生は初めて、飛行特攻でも上級でもない初級氷系スキルを使った。俺はその意図をすぐに察した。多分、先生はドラゴンを倒すのではなく、自分に引き付けることにしたんだ。
注意を引くだけなら上位スキルはいらない。むしろ倒せないなら燃費の悪い上位スキルは負担にしかならない。どうせ倒せないならスキルはなんでもいい、初級で燃費の良いスキル<アイスボルト>で魔力を温存し、敵の注意を引き付けつつ自己の安全を図り、その間に味方を安全圏に脱出させる、これがきっと先生の作戦だ。
先生の狙い通りになった。ドラゴンは先生を追いかけていった。背を向け、遠ざかるドラゴン。それを見てクラスメイトたちが這々の体でこちらに向かってくる。
頑張れ、先生……! あと十分、いや、あと五分でいいんだ! あと五分さえあれば、皆脱出できる!
だが、俺の願い虚しく、遠くで先生がドラゴンの爪にぶっ飛ばされるのが見えた。
先生ッ……!!!
絶望的な状況に声が出なかった。先生はまだやられていない。だけど、よろよろと立ち上がろうとする先生に向かって、ドラゴンは高空から急降下し、止めの一撃を放つつもりだ。
先生が殺される……あまりにも凄惨で絶望的な状況を俺は目を覆うことさえできず、馬鹿みたいに呆然と見守ることしかできない。
ドラゴンが急降下しつつ、大口を開いた。先生を食うつもりだ。恐ろしく鋭い牙がギラッと光った。
その瞬間、
「<イリュージョン・ダンシングソード>!」
戦場に凛と響き渡る声と共に、ドラゴンの頭上、突如現れたいくつもの剣が降り注ぎ、陽光を受けてキラキラと輝きながらドラゴンの全身に深々と突き刺さった。
「ギャアアアァァーーーッッッス!!!!」
突然の攻撃にドラゴンは先生の約百メートルほど手前で再び墜落した。地上を滑り迫りくるドラゴンを先生は跳躍、辛うじてかわした。
凛とした声の正体は師炉勇魚だった。彼女は続けて<スキル>を使う。
「<攻城剣・ホウキュウノタチ>!」
師炉勇魚が天高く剣をかかげると、その切っ先からスッと五階建てのビルほどもある巨大な剣が出現した。
「斬り……崩すッ!」
気合の言葉を発し、師炉勇魚は巨大な剣をドラゴンに振り下ろす。ドラゴンは一対の翼をくるりと身体に巻き付け、防御の構え。ドンッ、と爆発したような鈍く大きな音響で巨大剣はドラゴンを打つ。が、剣はドラゴンにぶち当たると粉々に崩れ去った。
「むぅ……!」
師炉勇魚が呻いた。乾坤一擲の一撃はドラゴンの翼を赤黒く変色させたのみで虚しく塵と散った。
「師炉さん!? あなた何をしているの!? 早く逃げなさいっ!」
石舟先生が叫ぶ。声は必死で息も荒い。先生の限界も近い。
「いいえ、私は逃げません! 私は師炉の娘、師炉勇魚です!」
日本を代表する世界的冒険者の娘としてのプライドがある、師炉勇魚はそう言いたいのだろう。
しかし声高に言った彼女の顔にも疲労が色濃く見える。この場におけるツートップがもはや絶体絶命の窮地に追いやられてしまっている。
「馬鹿なことは言わないで! あなたならわかるでしょう? これはあなたの手に負える相手じゃないの!」
先生が説得を続けながら<アイスボルト>を撃ち、ドラゴンの注意を引こうとするも、ドラゴンは師炉勇魚の方へと走り出した。ドラゴンが飛ばないところを見ると、師炉勇魚の一撃はドラゴンの翼に飛行不可能なほど大ダメージを与えたようだ。
走りながら口を大きく開いたドラゴンは師炉勇魚に火炎のブレスを吐いた。師炉勇魚は大跳躍、素早くブレスの範囲外に逃れると、
「<クレッセントショット>!」
逆に、開かれた口吻に向けて<剣スキル>を放った。<クレッセントショット>は魔力を乗せた剣を振るうことで、切っ先から魔力の刃を放つスキルだ。三日月型の魔力刃がドラゴンの長く伸びた犬歯の一本を削り取った。
しかしその程度でドラゴンが怯むことはない。ドラゴンは太い後ろ足で地面を蹴り上げた。爪でえぐられた地面がまるで土石流のように師炉勇魚を襲う。
「<グレイシャルウォール>!」
石舟先生が<スキル>を使い、師炉勇魚の眼前に巨大な氷の壁が出現した。分厚い氷の壁が師炉勇魚の窮地を救った。ドラゴンの作り出した土石流は氷の壁を突破できない。
「早く逃げなさいっ!」
先生は叫び、直後ぺたりと地にへたり込んでしまった。
ドラゴンはその隙を逃さない。今度は師炉勇魚を無視し、猛然と石舟先生に向かっていく。
「くぅっ……! <クレッセントショット>!」
再び師炉勇魚が<クレッセントショット>を放つも、重厚な鱗に弾かれた。ドラゴンの注意を引くことができない。しかもスキルの直後、師炉勇魚も先生と同じようにその場に座り込んでしまった。二人とも<スキル>の使いすぎ、<魔力過労状態>だ。
師炉勇魚はもう動けない。ただ目だけが先生の方を見ていた。
俺も同じだった。俺は無力感を痛いほど噛み締めながら、今にもドラゴンに殺されそうな先生を呆然と見ていることしかできなかった。
先生が……!
ドラゴンが先生の真正面に到達し、足を止めた。先生が死に体であることがドラゴンにもわかるらしい。ドラゴンは余裕綽々に大顎を開き、先生の頭上から食らわんと牙を振り下ろす。先生は呪杖をかざそうとするも、力なく杖をついた。万事休す。その光景が俺の目に酷くスローに見えた。
そのときだった、
「うわぁぁああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
絶叫じみた雄叫びを上げて、先生の元へ全力疾走する一つの影があった。よく見ると、俺はそいつにとても見覚えがあった。
グラだ。あの決して勇ましいとは言えないグラが<身体強化>スキルを使用し、ドラゴンの足元へ突撃している。
グラは速かった。俺は初めてグラの全力を見た気がした。火事場の馬鹿力か、グラは全力疾走の勢いを殺すことなく、石舟先生に体当たりした。突き飛ばされる石舟先生。そして、
「がああぁぁぁッッ……!!!」
石舟先生の代わりに、グラがドラゴンの鋭い牙の餌食になった。かすめた牙によって背中がざっくりとやられている。受け身もままならず、グラは地に転がり突っ伏し、動かなくなった。
「グラ……!」
思わず俺はグラの名を呼んだ。
「な、なんで……!」
石舟先生は絶句した。
「花神楽くん……!」
師炉勇魚の声も悲痛だった。
一瞬、世界が静まり返った。
悲惨な現実に時が凍りついた、かと思いきや、一瞬の静寂はすぐに破られた。
「グラがやられたー! クソがっ!」
「グラ、今助けるぞー!」
「花神楽くん! 今行くからね!」
何人かのクラスメイトが声を上げ、ドラゴンの足元に横たわるグラの元へと殺到する。
馬鹿な……死体が増えるだけだ……とは、もう不思議と思わなかった。むしろ俺の中にふつふつと熱いものが滾ってきた。
皆、敵わないとわかっているのにドラゴンに立ち向かっている。グラを、先生を、仲間を助けるために自分のみを顧みず無謀な戦いを挑んでいる。
先生は皆を助けるために、師炉勇魚とグラは先生を助けるために……今ドラゴンに突撃した行った皆もそうだ、皆が皆、自分を犠牲にしてでも仲間を救おうとしている。
俺はどうだ? 俺は見ているだけか? それでいいのか? <魔力無能症>だから仕方がないってか? そんなの理由になるか! マンポテンツ(糞)は関係ない! そんなのはただ自分に対する言い訳でしかない! 魔力があろうがなかろうが、どうせドラゴンには敵わないんだからな!
俺も皆と同じ気持ちになってしまった。無謀だってわかりきっていながら、ドラゴンという敵うはずのない大敵に仲間のために挑みたくなってしまった。
お前は馬鹿だ、と俺の冷静な部分が言う。
わかってるよそんなこと、俺は冷静な自分に言い返す。
でも、仲間を見捨てられない、そうだろ?
特別仲のいいクラスだとは思わないけど、だからって俺一人、卑怯な真似はしたくない。
突然こんな突拍子もなく俺らしくもない勇ましい考えに至ってしまうのは、ひょっとしたらこれも筋トレの効果かな? マッチョになって気が大きくなっちゃったかな?
そうだ、俺はマッチョなんだ。俺には筋肉がある。自慢のスペシャルマッチョボディがある。
マッチョ界のパイオニア、シュワちゃんも映画の中じゃ英雄だった。
だったら同じマッチョの俺が英雄になれない道理はない。そう、自分に言い聞かせる。
行くぞ、と頭で思うより早く、既に俺の筋肉は躍動していた。
マッチョな俺はドラゴンめがけて、非常に美しくかつ肉感的で理想的なフォームで駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます