は? A級モンスター? 初心者エリアに? 詰んでるじゃん

 フィールドは燎原の火に包まれ、クラスメイトたちは悲鳴を上げ逃げ惑う。ついさっきまで平穏そのものだったマルモエリアが、一瞬にして地獄へと変貌した。


「せ、先生……」


 俺が石舟先生を見たのとほとんど同時だった、


「能見くんは早くダンジョンから脱出してください!」


 それだけ言うと、先生はドラゴンに向かって駆け出した。その顔にいつもののほほんとした感じは少しも残っていない。Bクラス冒険者の、いや、Bクラス冒険者が強い危機感を感じたときの、勇壮かつ悲愴な表情だった。


 つまりそれは、非常にヤバい、ガチでマジの危機的状況ってわけだ……。


 石舟先生の表情に俺はやっと我に返った。呆けてる場合じゃない。今俺にできることをやるべきだ。


 先生が言うようにダンジョンから即離脱だ。ダンジョンからの脱出方法はダンジョン侵入地点にあるモノリスに触れるか、ダンジョン内で手に入る脱出用アイテムを使用するかの二択だ。


 脱出アイテムは希少なのでクラスメイトが持っているとは思えない。だからこそ緊急脱出の必要のない安全なところでしか授業が行われないのだが……。


 即離脱がこの場で俺ができる唯一の手段だとわかっているのに俺は離脱できなかった。

 遠くクラスメイトたちがドラゴンの襲撃に逃げ惑う姿を見ても、いや、むしろ見たからこそ、俺は逃げたくなかった。冷静で慎重で臆病な俺が俺に今すぐ逃げろと命令する。


 だが、もう一人ののんきで現実感の無い夢想家の俺はまだ逃げるなと言う。


 後者がやや優勢だった。俺は愚かにも先生に言われたことを無視して<デバイス>をドラゴンに向けてかざした。


「ステータススキャン!」


 <ステータススキャン>スキルを使った。これはデバイス内蔵スキルなので<魔力無能症>の俺でもある程度使用可能だ。


 ドラゴンのステータスが空中投影ホログラムに表示される。


「なっ……!?」


 そこにはなにかの間違いだ、としか思えない内容が書かれていた。



 ドラゴン

 

   レベル:78

   クラス:A級 ハイドラゴン

 ステータス:異常なし


    体力:不明

  スタミナ:不明

    魔力:不明

 物理攻撃力:不明

 魔法攻撃力:不明

 物理防御力:不明

 魔法防御力:不明


   スキル:<制空者> 他不明スキル多数



 レベル78、A級だって……!?


 マンポテンツ(笑えない)の俺じゃ、たとえステータスオープンしたところで大した情報は得られないが、レベルとクラスがわかっただけでも充分だ。その二つだけでも答えを出すには充分だ。


 それはつまりドラゴンこいつはクラスメイトどころか、石舟先生の手にすら余る怪物中の怪物ってことだ。


 クラスは一つ違うだけでそこには大きな隔たりがある。『クラス十倍段』といって、Aクラスの魔物を倒す場合、Bクラス冒険者なら十人は必要とされる。


 要するに、今の状況は最低最悪の絶望的、というわけだ。


 この場にBクラス冒険者は石舟先生ただ一人、次にCクラス冒険者の師炉勇魚が一人、あとは有象無象だ。


 これじゃどうしようもない。誰にも何もできることはない。あるとすればそれは逃走の二字に尽きる。


 もちろん魔力無能症の俺にできることなんてあるはずがない。俺はクラスメイトたちの阿鼻叫喚地獄絵図をただ呆然と眺めることしかできなかった。


「みんなー! 逃げてーッ!!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図に石舟先生が一人、飛び込んでゆく。先生、無茶だよ、Bクラス冒険者一人でAクラスの魔物を相手にするのは無理がある。先生だから生徒たちを守る義務があるのはわかるけど、これじゃ死体が一つ増えるだけじゃないか……。


 それでも石舟先生は立ち向かっていった。デバイスを起動し、コンソールから戦闘用呪杖を呼び出し装備した。呪杖の上端、フック状に湾曲した部分に埋め込まれた紫水晶がキラリと輝いた。


 先生の兵科クラス魔術師ウィザード。それも万能型だ。


 攻撃、防御、回復、補助、なんでもござれの便利屋で、専業冒険者だったころは数多のパーティに引っ張りだこだったと聞く。


 今まさにドラゴンへと突撃する勇ましく凛々しい姿はその噂が事実であったことを裏付けていた。


 走りながら、先生は呪杖をドラゴンに向けてかざした。


「<ヘイルブレイド>!」


 上級風魔法だ。杖先から緑色の風の刃がほとばしり、ドラゴンへと放たれた。荒れ狂う鋭い風刃がドラゴンの厚い鱗をズタズタに切り裂く。


「グオオオオオオォォォゥゥゥゥ………………!!!!」


 ドラゴンが苦悶に唸った。切り裂かれた赤銅の鱗から鮮血が滴り落ちる。


 すごい……! 先生の実力は俺の想像以上だった。間違いなく先生のスキルはドラゴンに効いている。


 ひょっとしたら、石船先生も師炉勇魚と同じで昇級試験を受けていないだけで、本当はAクラス以上の実力があるのかもしれない。


 ドラゴンが怒りの眼差しを先生に向けた。


「先生が敵の注意を引き付けます! 皆さんはその間に離脱しなさい!」


 石舟先生が叫んだ直後、ドラゴンの口から先生に向けて火炎のブレスが放射された。天高く火柱が上がり、先生の姿が一瞬にして見えなくなった。俺と先生の間には既に大きな距離があるというのに、火炎の熱気が肌に感じられた。


「せ、先生……!」


 ここまで感じられるほどの熱気、先生は一体どれほどの熱に襲われたのか……想像すら恐ろしく、俺は二の句が告げなかった。


 火炎放射はわずか数秒だった。が、火炎は一瞬にして先生を中心として半径三十メートルを焦がし尽くしていた。未だ立ち上る火柱と漂う熱気が空間をゆらゆら歪ませた。


 そのとき、火柱がブワッと引き裂かれた。中から先生の姿が現れた。と、同時に、


「<ストラトカッター>!」


 かざされた呪杖から巨大な魔力の刃が一つ、ドラゴンめがけて撃たれた。ドラゴンは巨躯に似合わぬ俊敏さで身をひねり急降下した。が、間に合わない。先生の<ストラトカッター>はドラゴンの尻尾を半分に切断した。


「グゥギャアアアアァァァァァァァ!!!!!」


 悲鳴を上げ、ドラゴンは墜落した。地上に激突し、凄まじい大音響の墜落音とともに膨大な砂塵が巻き上げられた。


「や、やったか……!?」


 先生が見事にドラゴンを倒した。そう思った。そう期待したのが、喉を突いて声になった。


 が、甘かった。それはただの俺の願望に過ぎなかった。


 もうもうたる砂煙をかき分けるように、ドラゴンがのっしのっしと姿を現した。翼を一気に広げ、ジャンプとともに羽ばたいた。凄まじい風圧を伴う飛翔は砂塵を払い、ドラゴンは再び大空へ舞い上がった。


 怒れる瞳が再び先生へと向けられる。大空を悠々と舞う、巨大で邪悪なその姿はまさに<制空者>に相応しい威容だ。俺は畏怖するしかなかった。これがA級の魔物。大空の覇者、ドラゴンなのか……!


 余裕たっぷり、ますます意気軒昂なドラゴンに対し、石船先生は地についた呪杖によりかかり、息が荒い。上級スキルの二連発とブレスを防御した反動に先生の身体は悲鳴を上げている。


 石舟先生とドラゴンの戦いは、まだ始まったばかりだった。

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