第33話 本気の懇願

 僕はただ街中を歩いていた。

 何の目的があった訳でもない。土曜日でやることがなかったからでもある。

 ひょんなことで坂上さんに会えないかと、ほんの少しだけ期待していたところもある。ただ会えたとしても、何を聴けばいいのかもわからないし、向こうがどう思っているのかもわからない。


 新しい彼氏がいるのだとしたら、僕はただ邪魔なだけかもしれない。

 それでもじっとしてはいられなかった。

 ただただ街中を歩き続けていた。

 そして向こう側からやってきたのは、見知った顔ではあった。


「よう、八神」


 そう声をかけてきたのは武田だった。

 武田と会うのは想像はしていなかったけれど、もし坂上さんが彼とつきあっているのであればそれを確かめるくらいは出来るかもしれない。

 それを確かめてどうするのだろう。


 つきあっていないといったなら、僕は彼女にアプローチするのか。好きでもないのに。そうだ。僕は坂上さんのことをどうとも思っていない。少なくとも今は。

 つきあっていると答えたなら、二人の邪魔をしないように離れるのか。いや、それは出来ない。恋慕の感情じゃない。ただただだ失ったのかもしれない記憶を求めているだけだ。

 だから確認することに意味はない。意味はないんだ。

 僕は強く思うと共に、喉の奥に詰まっている空気を吐き出す。まるで呼吸を忘れてしまったかのように、僕の時間は止まっていた。


「あ、ああ。武田じゃないか。ひさしぶり」


 武田とはそれほど仲良いという訳ではないが、見知った相手ではある。

 いちおうこれでもサッカー部の元エースだ。ある程度は他の運動部の奴らとも交流がある。だから武田ともある程度は話したことがある。

 もっとも相手はプロからも勧誘されそうなスーパースター。こちらは弱小サッカー部のお山の大将に過ぎないどころか、それすらも元だ。


「なんだ。ずいぶん暗い顔してるじゃないか。そういや、部活やめたんだってな。いま何してるんだ」

「ん、ちょっとね」


 武田が病気のことを知っているのかいないのかもわからないけれど、きさくに話しかけてきている。以前であれば普通に受け答えしていたとは思うけれど、今はなんと答えていいのかもわからなくて言葉を濁す。

 部活をやめてからは武田とは話していない。クラスが違うこともあるけれど、運動部の奴らとはあまり話す気がしなかった。


「病気なんだってな。もったいねぇな。お前が入ったことで、うちのサッカー部もちったあ活躍出来るんじゃないかと思っていたんだけどよ。まぁでも病気なんだったら、無理はできんよな」


 武田は少し寂しそうな顔をして僕の顔をみていた。

 嫌みかとも思ったのだけど、そういう雰囲気はしていない。本心からそう思っているようにも感じていた。


「まぁ、言っても僕は別に君みたいにすごい選手って訳じゃないからさ。僕がいようと大して変わりはしないさ」


 それでも心の中に忸怩たる思いを感じて、だからこそ少し卑下するかのようにつぶやいていた。

 うちのサッカー部は決して強くはない。それでも楽しかった。先輩達もふくめていい人しかいなかった。

 弱かった。それでもみんな本気だった。本気で勝とうとがんばっていた。

 どうしたら勝てるのか、何が足りないのか。真剣に考えていた。

 だからこそ僕が部活をやめなければならなくなったこと。迷惑をかけてしまったこと。それは僕の中で強く心の中に傷を残している。

 とても僕がいれば勝てたなんて言う気にはならない。

 だけど武田はそんな僕の言葉を遮るようにして言葉を重ねる。


「いや、お前はすごい奴だぜ」

「え?」


 思わず聞き返していた。武田がそんなことを言うなんて思わなかった。

 武田は悪い奴じゃあない。でもちょっとばかりデリカシーには欠ける。自分がすごい選手であることは自覚していて、少し鼻にかけている部分もある。だからお世辞とかは苦手なタイプだ。こんなことをいう奴ではなかったと思う。


「俺さ。好きな奴がいるんだよ」


 突然武田は話を転換してくる。武田が何を言おうとしているのかわからなかった。

 なぜ急に好きな人の話をするんだ。意味がわからない。

 でも坂上さんのことを訊くチャンスかもしれない。そういう意味では、この話の流れは悪くはなかった。だから黙って続きの言葉を待っていた。


「でも相手には振られてしまってさ。どうしても忘れられない好きな相手がいるんだと。その男のためにがんばりたいんだってさ。それを聴いて、なんで俺じゃないんだ。俺より、そいつのどこがすごいんだよって。俺の方が千倍すごいって、正直なめてた」


 武田は何か考え込むようにして、遠くをみていた。

 こんな武田の姿は初めてみたと思う。


「でもさ。そいつがどれだけすごいかって、俺は後から改めて知ったよ。好きな相手のことを守れる男が一番すごい奴だと俺は思っている。でも俺は好きな子のことを守れなかった。それどころか俺が傷つける原因になっていた。そしてそいつは何もかもわからないのに、気がつくとその子を守っていたんだ。知らなくても覚えて無くても、大事な時に現れる。それってさ、心の奥底では本当に大事に思っていたから。大切だから、出来たんだって、俺は思ったんだ」


 武田はあつく語っていたが、でもどうして急にそんな話をし始めたのかはわからない。

 武田は多少性格に難がある部分もあるにはあるけど、悪い奴じゃない。ルックスはかなりのものだし、野球のセンスもすごい。だから正直女の子には困っていないと思っていたのに、それでも振られることもあるんだなと、変なことに関心していた。

 何となく急に親近感を覚えたとは思う。

 ただ、それも次の台詞を聞くまでのことだった。


「お前のことだよ。八神」

「は?」


 意味がわからなかった。何を言っているかわからなかった。

 僕が誰かを守った? いつ? どこで? いやそんな記憶はない。

 それなのに武田は真剣な顔で僕のことを見ていた。嘘や冗談を言っている雰囲気ではない。


「坂上こはる。覚えているか? お前のことをずっと見ていた。ずっと追いかけていた。でもその願いは叶わない。そんなあいつを見ているのが苦しくて、俺は強引に口説き落とそうとしたりした。正直お前のことを恨んでいた。なんでこはるを悲しませるんだよって。どうして忘れてしまうんだよって。なんでだよって。でもさ」


 急に武田の声のトーンが大きくなっていく。


「あいつのピンチの時にお前が現れた。あいつを救っていた。忘れているのに。そんなお前をみて、かなわねぇって。なんだよ、どれだけお前達は強い気持ちで結ばれているんだよって、かなわねぇよって悔しく思った」


 武田は少し涙目に変わっていた。

 何が起きているのか、何を言っているのか。わからなかった。


 坂上さんが僕を。忘れていなかったのか。武田とつきあっている訳でもなかったのか。

 わからない。気持ちがどこに向かっているのかわからない。

 混乱していた。何を思えばいいのわからない。なぜ武田がこんなことを言うのかもわからない。


「なぁ、お前本当に忘れているのかよ。こはるのこと、覚えていないのかよ。本当はすごく好きなんだろ。思い出せよ。思い出してくれよ。それでさ、こはるの気持ちを救ってやってくれよ。俺はさ、やっぱりあいつが好きなんだよ。こはるに笑っていて欲しいんだよ。でもそれが出来るのは、お前しかいない。俺じゃダメなんだよ。だから、俺のためにも、こはるのこと思い出してやってくれよ。なぁ、八神。頼む。頼むよ」


 武田は僕の肩を強くつかんで揺さぶる。

 僕はただされるがままに体を揺らしていた。

 坂上さんが僕を待っている。

 わからない。

 それが本当のことなのかわからない。

 でもそれでも僕は彼女のもとに行かなければいけない。そんな気がしていた。

 僕は彼女を助けなければいけない。僕は彼女を救わなければいけない。なぜか強くそうんじていた。武田の言葉に感化されたのだろうか。


「わ、わかった」


 思わずうなずく。

 何が出来るかもわからなかったけれど、武田の気持ちは伝わってきた。

 武田は本当に僕に何とかしてほしいと、坂上さんを救って欲しいと思っているのだろう。

 彼女への気持ちはまだわからない。

 ただもやもやとした気持ちが、どんどんと僕の中に蓄積されて、何かを覆い被していく。

 誰かと話すたびに、そのもやは強く大きくなっていく。

 この気持ちを晴らさなければいけない。

 だから僕はうなずいていた。

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