第七話 竹に込める想い
四月――、今年は
彼の場合は参道で売られる
巳の刻(※午前十時)――、
「……総司」
「何か?」
総司は歳三に視線を合わせることなく、庭で木刀を振っている。
稽古に励むのは結構なことだが、その表情は
「お前……、いい加減にしろよ」
「私は素振りをしているだけですが? どうぞ私にお構いなく、次の〝傑作〟に励んでくださいな」
総司が
歳三は慌てて句集を閉じると、叫んだ。
「……そういうことじゃねぇっ。素振りなら他でやれ! なにも、俺の目の前でやるこったぁねぇだろう!!」
「やだなぁ……。なにをそんなにかりかりしているんです? 老けますよ」
「うるせぇ! 年寄り扱いするンじゃねぇ。俺はまだ二十五だ。そんなに花見に行きたかったのなら、一人で行ってくればよかったじゃねぇか!?」
「ええ、わかってますよ。花見に行こうと言い出したのは若先生ですし、土方さんは頷いただけです。その若先生が、多忙になったのは仕方ないことです。ですが、また三年も待つなんて殺生です」
要するに自腹ではなく、他人の懐で食べたいらしい。
「だからって、俺に当たるンじゃねぇ! みっともねぇ」
歳三は立ち上がると、縁側で両腕を組んだ。
「そういえば例の件――」
話題を変えてきた総司の顔は真顔で「若先生に、話さなくていいんですか?」とようやく、歳三に視線を合わせてきた。
「……ああ。俺の問題に、近藤さんを巻き込むつもりはねぇよ」
例の件――、歳三がまだ多摩の薬売りだった頃に、剣術道場に顔を出してはそのうちの何人かを打ち負かしたことがある。
歳三にとっては二年前のことで「そんなことがあったな」と程度だったが、今になって薬売りを探しているという浪人が江戸に現れた。しかも同じ流派の道場に。
歳三は当時名前を名乗らず「ただの薬売り」と称していたが、その浪人は歳三の顔を覚えているだろう。姿形は変わっても、人間そう人相は変わらないものだ。
そして男は、ようやく見つけたのだ。
人が行き交う中で、歳三を。ゆえに、彼は
蕎麦屋の帰りだった歳三は、すれ違った浪人にこれまで味わったことのない戦慄を覚えた。深編み笠で顔はわからなかったが、覗いた口許に確かに笑みがあった。
嗤われただけならそんなに気にもならないが、男は血の臭いを漂わせていた。
総司は歳三の鼻を「犬並み」と
昔からこれはと思うものは、外したことがないのだ。
今回は困ったことに、最悪な事態だ。
「私はいいんですか? まきこんで」
「お前の場合は、自分から食いついてくるだろうが。それに――、こういうことに関しちゃあ、お前も近藤さんの前じゃ口が堅くなる」
普段は
歳三が総司を巻き込んだのは、報復者が一対一の勝負を臨んでくるとは思えないからだ。
「信用されているんだかいないんだか……」
「とにかく――、奴が本当に仕掛けてくるかどうかだ。俺はどうも、奴の目的が報復以外にありそうな気がしてならねぇ」
「で、どうするんです? まさか隠れていようなぁんていう、土方さんじゃないと思いますけど?」
「喧嘩ってぇのはなぁ、隠れてちゃあできねぇんだよ」
「面白そうですが、大勢で来られると土方さんと私だけじゃ大変ですよ?」
どうやら総司も、相手が一人ではないと思っているらしい。
「うちには、
歳三はそう言って、笑った。
歳三のいうところの〝暇を持て余している野郎ども〟は、この日も部屋でごろごろしていた。とりあえず
泰平の世となって、武士は刀を抜く必要がなくなった。おそらく、刀を抜かずにその一生を終える者は多いだろう。
戦がなく、無駄な血が流れないことにこしたことはないが、
攘夷だ天誅だの、
原田左之助は、槍を抱えたまま大欠伸をした。
永倉を見れば、難しそうな書を睨んでいる。
「永倉、その書、そんなに面白れぇか?」
「面白そうに見えるか?」
その眉間には、太い皺が刻まれいる。
要するに、永倉も腕を持て余しているらしい。
「平助は何処に行ったんだ?」
「井上さんと、夕餉の買い出しだ。それなのにお前ときたら、朝からぐうたらと……」
「なにも、ただぐうたらしているわけじゃないぜ? お前や平助のように、こっぱ難しい書を読むなんざ柄でもねぇ。俺は待っているのさ。こいつが役に立つ時をな」
原田はそう言って、槍の柄を撫でる。
「お仕事だ、そうですよ」
総司の声に、原田と永倉は庭に視線を運ぶ。
「――総司?」
両腕を頭の後ろで組んで、総司がにこにこと笑っている。
「
遅れて歳三が現れ、こう言った。
「暴れさせてやるよ。存分にな」
◆◆◆
七月――、報復者をこちらから
――俺の勘は、今回は外れたか……?
歳三は報復者と、左利きの男が同一人物だと睨んだ。あくまでも勘だが、すれ違いに嗅いだ血の臭いは今でもいい気分ではない。
一人斬ったところで、血の臭いが染みつくことはないだろう。
報復者はこの江戸で、人斬りになった。人斬りになるために、剣の腕を磨いたのではないだろうに。
左利きの浪人ならすぐ見つかるだろうと食客三人に捜させたが、そんな男がいるとは聞けなかったらしい。
「そんなに昊を睨まないでもらえます。お天道様が怖がって雲に隠れてしまうじゃありませんか?」
庭に降りて両腕を組んでいた歳三の背後に、総司が立った。
なぜか、見事な笹竹を肩に担いだ姿で。
「なにをしてやがる?」
「表を笹竹売りが歩いていたので買ったんですよ。もうすぐ、七夕ですからね」
「ふん。
「土方さんは、願掛けしないんですか?」
「星や神仏に願掛けして叶うなら、俺も悩んだりしねぇよ。それに、神仏ってぇのは薄情なモンだぜ? 近藤さんは毎朝供え物をして拝んじゃいるが裏の稲荷、試衛館に利益を齎すつもりはねぇらしい。夢を叶えたかったら、己で掴めっていいてぇのか、それとも見放したか」
試衛館の裏には、小さな稲荷の祠がある。
近藤周助曰く、試衛館が建つ前からあったという。
「罰当たりですねぇ。知りませんよ? 何かあっても」
「随分、賑やかだねぇ」
二人の会話に割り込んだのは、畑帰りの井上源三郎だった。
小脇に、かぶら菜の入った笊を抱えている。
「あ、源さん」
「おや総司、それは七夕用の?」
井上が総司が担ぐ笹竹を見て、目を細める。
「ええ。なのに何処かの誰かさんは、笹に願掛けなんて子供だと言いましてね」
すると、井上が何かに気づいて歳三に視線を寄越した。
「トシ、確かお前も……」
なにせ、歳三と井上は同じ日野出身。
少年時代の歳三を、井上は知っていた。
「源さん! あれは七夕とは関係ねぇ!」
「へぇ……、願掛けしたことがあるんだ」
狼狽える歳三に、総司の目が据わった。
「う……」
歳三の日野の実家には、矢竹が植わっている。
今も青々と茂るその竹は、歳三が少年の頃に植えたものだった。
矢竹というのは通称で、正式には篠竹という。
古来より矢を作るのに適し、武将の家には植えられていたという。
――将来我武人となりて、名を天下に揚げん。
少年時代、周りから愚かと非難された武士になる夢。
その想いは、大人になっても変わりはしない。
矢竹に込めた想いは、必ず己の力で果たしてみせる。
総司の肩に担がれた笹竹が、その葉を揺らす。
歳三の想いに、応えたかのように。
「ねぇ? どんな願掛けをしたんです?」
迫る総司に、歳三は仰け反った。
「うるせぇ! 源さん、こいつから聞かれてもしゃべるんじゃねぇぞ!」
井上は「あいよ」と苦笑交じりに答えて厨へと消えていく。
庭を風が吹き抜ける。
実家の竹も、風に煽られていることだろう。決して折れることなく、まっすぐに伸びて、お前もこうあれと言いながら。
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