第六話 世直し組

 こく(※午後二十二時)、えちぜんぼり――。月が道を照らし、男は左手に握っていた刀を数回振った。

 ついていたせんけつが、宙に舞う。

 男のあしもとでは、羽織袴の侍が絶命していた。

「――さすがは、ひだりいつとうさい。名前だけの男ではないようだな? おぬしは」

 ものかげから、羽織袴の男が現れる。

「引き受けたからには、己のなすことをしたまでだ」

 一刀斎は刀をさやに収めると、視線を男に合わせた。

「貴公のような男が、世直し組にいるとはな」

「世直し組は、攘夷のために組織されたと聞いたが?」

「世直し組はぞうぞうの寄せ集め、奴らの中に、本気で異国を倒そうなど思っている者などおらん。ま、こちらとしてはその方が都合がいいが」

 男はそう言って、わらった。

 一刀斎が世直し組に誘われたとき、この男もその場に同席していた。

 月岡と名乗り、ある地方の藩士らしい。

 その時は「この国から異国を追い出し、幕府の目を覚ます」とみなしていたが。

「ふん。要するに――、世直し組は幕府の目を引きつけるえさか」

「餌は嫌か?」

「それがしに、とやかくいう権利はない。今のそれがしも、連中と変わらん」

「お主は連中とは違う。同じならば、今回のことは頼んでおらぬ」

「会って間もない男を、そんなに信じてもよいのか?」

「お互い様であろう? そなたは、失ったものを取り戻すために人斬りになったという。目的は違うが、我らも同じよ。このままでは異国のいいなり、そんなこと赦せると思うか? ゆえに、かような存在はざわりなのよ。我らがたいは、すべてはこの国のため。多少の血は流さねば目が覚めんのだ、幕府は」

月岡は、絶命している男を冷ややかに見下ろしていた。

 大義――、なんと懐かしい言葉か。

 一刀斎は、今の己を嗤う。人斬りに陥ちた、己を。

 

                       ◆


 またも人が斬られた――、ついたてしに聞こえてきた会話に、思わずはしが止まる。

 この日歳三は、いちがはちまん(※市谷亀岡八幡宮)参道にあるにて腹を満たしていた。

 食事中に食い気が削がれるような話はえんりよしたいが、聞こえてきたものは仕方がない。

「今度は、越前堀で侍が斬られたってよ」

「まったくぶつそうな世になったもんだぜ。世直し組の連中が静かになったと思いきや、こうも人斬りが増えちゃあ、夜道が歩けやしねぇ」

 世直し組――、ごたいそうな名前がついているが、やっていることはめられたものではないようだ。町人になんくせつけてきんぴんごうだつするわ、人は斬る。民衆の評判が悪くなるのは、当然だろう。しかも、世直し党の連中は、浪人の寄せ集めだという。

 越前堀は越前福井藩主・松平越前守の屋敷を囲む堀で、小舟が行き交う場所だが、侍が斬られたということはいざこざでもあったのだろうか。

「やぁ、土方さん」

 歳三が座るがりに、伊庭八郎がやってきた。

「……何のようだ?」

「ただ蕎麦を食いに来ただけさ」

 伊庭はそう言って笑う。

「わざわざ、市谷までか?」

 伊庭のしんぎようとうりゆうれんかんは、かちまちである。市谷まで来なくても、蕎麦屋はあるはずである。

 蕎麦屋で鉢合わせになったのは偶然だとしても、何かあると疑う歳三であった。

「相変わらずうたぐぶかいねぇ。俺、そんなに信用ないか?」 

「伊庭」

 歳三がにらむと、伊庭はたんそくした。

「――わかったよ、こうさんだ。越前堀の一件、あんたなら食いつくかなと思ってね」

「俺はお前ほどひまじゃねぇ。他人のごとに関わるつもりはねぇよ」

「斬られた侍がただの侍じゃなかったとしてもかい?」

「関わらねぇと言った筈だ」

「ここから先は、俺の独り言だ。ならいいだろ?」

 そう言って、伊庭は語り出す。

 ここ一月の間に、各江戸藩邸の様子を深編み笠の侍が探っているらしい。その身なりは羽織袴で、浪人には見えないという。

 越前堀で斬られた侍は、その身なりと一致していたらしい。

「……何処ぞの藩士だったとでも?」

 練武館には奉行所の与力を父親にもつ息子が門弟にいるという。しかもこの門弟、口が軽いらしく、伊庭はそれを知って、彼から情報を得るようだ。

「その逆さ。奉行所は侍が何者か調べなかったようだけどな。そんなことをする理由は、一つ。その侍がこうおんみつだった場合さ。となると、斬った奴は隠密にろつかれると困るいずれかの藩ってことになるが、問題は、やられたほうの切り口が左上から右下に掛けてだったってことさ」

 歳三の箸が、再び止まる。

「……まさか、奴か?」

「以前、左利きの男が斬ったのと切り口は一致しているようだぜ。だが、なんで奴が隠密を斬ったのか。隠密だと知っていたのか知らなかったのか。もし前者の場合、奴の裏に何処ぞの藩がいる」

 隠密側としては密かに探っていたつもりだったのだろうが、その姿を他人に目撃されたようだ。要するに目立ちすぎたのだ。

 この不手際が、今回の事態を招いたのかもしれない。

 自分の所を伺っている侍がいる――、腹に一物ある者なら正体がわかっただろう。

「伊庭、奉行所がお手上げなものに一介の浪人が関われるわけがねぇだろう」

「だから、俺の独り言だと言ったろ? 土方さん」

 ――この野郎……。

 にっと笑う伊庭を、歳三は睨む。

 伊庭の話を最後まで聞き流せばいいものを、話に乗った挙げ句に、左利きの男の存在に心中はもやもやだ。 

歳三はなぜその男が気になるのか、己でもわからない。

何処かで会ったかと記憶を辿たどったこともあるが、そんな男は記憶にはなかった。

 蕎麦屋を出た歳三は、片手で前髪を乱暴に掻き上げた。

 蕎麦屋に入る前は真上にあった陽が、西に傾いている。

 伊庭の話に付き合わされたお陰で、とんだ長居をしてしまった。

総司あいつの道草を、どうのとは言えねぇな……)

 歳三は軽く舌打ちすると、甲良屋敷町へ足を向けた。

 が――。


「な……」

 歳三は躯を強張らせ、瞬時に後ろを振り返った。

 数人すれ違った人間の中に、深編み笠を被った男がいた。

 その男が、すれ違いざまにわらった。

 だがその男の姿はざつとうまぐれ、見ることは出来なかった。歳三が一番不快なのは、その男から漂う血の臭いだ。

 歳三は人を斬った経験はないが、血の臭いには敏感だった。

 いつからそんな体質になったのかわからないが、もし歳三を嗤ったのならば、男は歳三を知っていることになる。

 はたして、何者か。

「くそ……っ」

 二重になった不快感に、歳三は唇を噛んだ。 


                   ◆◆◆


 さるこく(※午後十六時)――、総司は試衛館稽古場に足を運んだ。いつもの彼なら近藤家の至る所に顔を出しているのだが、稽古以外で稽古場に来ることは珍しかった。

「よぉ、師範代」

 総司に気づいた原田左之助が、片手を上げる。

「みなさん、お揃いでしたか」

 試衛館食客しえいかんしよつきやく(※居候)となった原田左之助、永倉新八、藤堂平助の三人は、近藤家の大部屋にまとめて放り込まれたが、通いの門弟たちが帰って人気が消えた稽古場で過ごすことが多い。と言っても、鍛錬のために木刀を振りに来ているという永倉は別として、藤堂は柱に寄りかかって書に耽り、原田は長々と寝転んでいる。

 さすがに怒られると思ったのか、原田が首の後ろを掻きながら口を開いた。

「どうしてか俺たち、同じ所に集まっちまうんだなぁ。やっぱり、関係ねぇ俺たちが稽古場ここにいるのは拙いか?」

 すると永倉が、

「悪いと思っているなら態度を改めろ。我らは追い出されも文句は言えぬ身だ」

「ちっ。いちいちむかつく野郎だな? てめぇは」

「正論を言っているだけだ」

 仲がいいのか悪いのか、お互いを嫌っているなら一緒にいなければいいものを、彼らを見かけるときは体外一緒にいるのだ。

「いいじゃありませんか。私も寛ぎにきたんですから」

 総司の言葉に、永倉が眉を寄せる。

「なにかあったか?」

「昼前に出かけていた土方さんが帰ってきたんですけどねぇ。これが酷く不機嫌で」

「あの人の不機嫌は、いつものことじゃなかったか?」

「そうなんですが、問題はそのあとに部屋に籠もってしまうことです。部屋に籠もることは何度かありましたけど、表情にはっきり出るほど不機嫌な時は、なかなか部屋から出てこないんです」

「それがそんなに恐いか?」

「あの人が恐いのは、難しい顔で黙っている時ですよ。今まで何かあったわけではありませんが、君子危うきに近寄らずっていうじゃありませんか」

 総司と永倉の会話に、藤堂が話を原田に振った。

「だそうだぜ? 左之助さん」

「なんで俺なんだよ! 平助」

「俺たちの中で、一番やらかしそうなのが左之助さんだからだよ。なぁ? 新八さん」

「ああ」

「お前らなぁ……」

 それにしても――。

 総司は、帰ってきた歳三の表情を思い出す。

 今から二刻前のことだ。

 総司は枝折り戸を通って帰宅した歳三を、邸の廊で出迎えた。出迎えたと言っても、厠から出て自室に戻ろうしたところに、歳三が帰ってきたのだが。

 総司はいつものように声をかけようとして、言葉を呑み込んだ。

 殺気にも似た雰囲気を、歳三が漂わせていたからだ。

 さすがの総司も「なにがあったか」とは聞けず、歳三はそのまま自室に消えた。結局夕餉にも姿を見せず、歳三の機嫌の悪さを知らない近藤と井上だけが穏やかな表情で箸を運び続け、総司以外の四人は主のない膳が気になって仕方がない。

 すると近藤が、言った。

「腹が減れば出て来るさ。なぁ? 源さん」

「ええ。しかし、腹が立つと籠もる癖は直りませんねぇ」

 話を振られた井上源三郎は、そう言って苦笑する。

 歳三と同郷の井上曰く、歳三は少年の頃から我慢ならないことがあると、お堂などに籠もることがあったという。

「それより総司、このあと付き合え」

「若先生、私を土方さんの身代わりにしないでもらえます? 朝稽古ができなくなります」

 近藤は夕餉後、一杯やるのが日課である。

 だがこれが一杯では終わらない。近藤は酒豪だった。

 この〝一杯〟に付き合っていたのが、歳三だった。近藤曰く、歳三は下戸だという。呑めてもお猪口一杯、それ以上は決して呑まないらしい。


 ――近藤さんはなぁ、でけぇ図体をしちゃあいるが寂しがり屋なんだ。


 以前歳三に、呑めない酒を何故つきあっているかと聞くと彼はそう答えた。

 近藤との付き合いは自分のほうが長いのに、自分の知らない近藤の顔を知っている歳三に総司は嫉妬し、お互いのことを理解し合える友情に感心もした。

 総司は呑めないことはないが、彼も歳三と似たようなものだ。無理して呑んで二日酔いとなれば、師範代の務めに響く。

 すると近藤が両腕を組んで、溜め息をついた。

「それは残念だ。貰い物の、羊羹があるんだが――」

「お付き合いします!」

 総司の変わりように食客三人の目が据わったが、総司の感心は羊羹に合った。

 歳三の部屋が開いたのは、それから半時。

 総司が羊羹を味わっている近藤の部屋に、歳三がやって来たのだ。

「近藤さん、悪いが総司こいつを借りていいか?」

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