第12話 魔術
「クリスティーナっ!」
全身に刻まれた切り傷から血を噴き出し、倒れ込むクリスティーナに駆け寄る暁。
そばに膝をつき、呼吸を確認する。まだ息はある。だが、放置すれば出血多量で絶命してもおかしくない。
「困るんですよね、勝手なことをされては」
「ティグリス……!」
振り返ると、部屋の入り口に杖を持つティグリスと、剣を携えたオーガストが立っていた。
「地下牢が騒がしくなったので、切り上げて連行するつもりでしたが、ちょうどよかったですね」
「……マザー種はそう多くない。ここで彼女を殺したら、人間界での兵士となる魔族の数に影響が出るぞ」
「それについては問題ありません。もともと魔界の魔族を円滑に転移させるまでの繋ぎでしかありませんから。その繋ぎに必要分は、他の施設で十分賄えますよ」
「そうかよ。助ける気はないってことか」
「ええ。もう用済みです。オーガスト、彼を別室へ運んでください。私は地下牢を確認してきます」
そう残し、ティグリスは背を向けて部屋を出ていく。
オーガストは命令通りに暁を連行するため、近寄ってくる。
「おい、お前。杖を持っているなら、すぐに彼女を治療しろ」
「お前に命令される筋合いはない」
「そうだとしても、マザー種を殺すことがマイナスになることくらいわかるだろ」
「この施設の長たる将軍が、殺すと決断したのだ。それを覆すことはない」
「——結局、価値観は変わってねえな」
オーガストが暁に手を伸ばすが、それを弾く。
暁はオーガストから距離をとりながら、臨戦体勢に入る。それを見たオーガストは、牢屋での時と同じように青筋を浮かべ怒りの表情を浮かべる。素直に従わない暁に苛立ちを覚えている。
だが、暁はそんなことお構いなしにオーガストに一つ質問する。
「お前、杖持ってるか?」
「お前に関係ねえ——」
「だろうな」
暁はオーガストの返答をすべて聞く前に、虚空に右手を突っ込む。その中にあるものを掴み、横薙ぎに一閃、振り抜いた。
その閃きはオーガストの首を真一文字に引かれる。
「——あっ?」
オーガストが声を漏らすと同時に、首が体からずるりと落ちる。
「油断しすぎだな」
「まっ——」
未だ息のあるオーガストの頭に、暁は虚空から取り出したアロンダイトの鋒を合わせ、容赦無く突き落とした。
驚愕の表情を浮かべたまま絶命したオーガスト。暁はすぐさまその体を調べ、杖がないか探す。そして1本の杖を見つけ、すぐさまクリスティーナに治癒の魔術を施す。
「魔界なら傷でもない傷だが……人間界は魔力が薄いからな」
暁はオーガストの持っていた杖を構え、すぐさま術式を書いていく。
杖に込められる魔力は、暁のもつ魔力ではない。暁の体には魔力が存在せず、生成もされない。普通ならば、魔術文字を書くことすら叶わない。
だが、暁の持つ魔剣アロンダイトには、膨大な魔力が秘められている。
かつて魔王アウローラが使っていた魔剣、それに宿る魔力量は計り知れない。だからこそ、魔王アウローラの生涯の剣として活躍ができたともいえる。
どういう原理で魔剣から魔力を吸い出し、杖に魔力を送って魔術文字を書いているのか、暁には判別ついていないが、今はただクリスティーナを助けることだけを考えて動いていた。
丁寧な魔術文字が紡がれてゆき、やがて暁はピリオドを打つように強く術式を叩く。
瞬間、魔法陣がクリスティーナを中心に広がり、淡く発光を始めると彼女の体から傷が少しずつ消えていく。
「出血は止まった。あとは体力の問題だが……まぁ、大丈夫だろう」
魔族の体は頑丈で、魔力適正も高い。魔力さえあれば、四肢の欠損すら繋ぐことができる。アウローラもそういう無茶を何度も経験している。
やがてクリスティーナが小さく、落ち着いた呼吸を取り戻したことに気づく。暁は大きく安堵の息を吐き、すぐさま顔を上げる。
ティグリスはオーガストに、暁を別室に運ぶよう命令した。だが、そのオーガストは殺してしまった。
ティグリス自身は地下牢の確認に行くと言っていたため、今すぐバレることはない。だが、地下牢での騒動など十中八九シモンの脱獄だろう。その上オーガストが死んでいるともなれば、ティグリスも暁を見逃すとは考えにくい。
別室ではなく、すぐさま魔王ベルゼブブに届けられたっておかしくない。
「どさくさに紛れて逃げる、か」
どうやらそれが、今とれる最善手のようだ。
☆☆☆
部屋から抜け出た暁は、周囲を警戒しながら廊下を進む。
シモンは魔族の注目が暁に移っている間に脱獄する、と言っていたが、今では状況が全く逆になっている。
魔族のほとんどは地下牢へと向かっているだろう。ティグリスが出張っているのだから、想像に難くない。だからといって出入り口が手薄かと言われると、そうでもないだろう。
どこから逃げるか——まずはそれを探す必要がある。
(こんなことになるなら、シモンに出入り口の位置くらい聞いとけばよかったな)
そう悔やんだところで、今はどうしようもない。
施設内を探知する魔術式は、アウローラの記憶に存在する。だが、ここは魔族の施設だ。魔力感知に長けたものがいれば、居場所がばれる可能性が高い。
(とはいえ、地道に探している暇もないしなぁ。誰か詳しい味方……せめて魔族以外のやつがいれば……)
クリスティーナが目覚めるのも一つの手ではある。魔族とはいえ説得が通じた相手だ。逃がしてもらえるように頼むこともできる可能性はある。
それとも地下牢に加勢に行くのはどうか。一人とはいえ、挟み撃ちにできるのであれば勝率は上がるかもしれない。
どの方法を取ろうにも、不安要素は同じだけある。
ティグリスの実力の底は見えていない。オーガストは不意打ちで倒すことはできたが、正面から戦えばどうなっていただろうか。一緒にいたキールは、おそらくオーガストよりも強い。正面から戦うのは、今は避けたい相手だ。
どうしたものか、と悩みながら歩いていると、不意に視界に洞穴が映る。
ああ、と暁は小さく呟いた。
「お前がいたか」
「あら、先ほどの」
暁は、洞穴の中にいたエルフを思い出した。
「どうしたのですか? もう終わりました?」
「ああ。満足させて、帰ってきたとこ」
「そんなふうには見えませんが。それにあの……死臭のひどい魔族がいませんよ」
「死臭のひどい……ティグリスのことか。地下牢で騒ぎがあったらしく、そっちに向かったよ」
「そうですか。そのうちに脱獄でも?」
「そうしたいんだが、この建物に疎くてな。よかったら協力して欲しい」
暁の申し出に、エルフはふっと小さく笑う。
「どうして、私がヒューマンごときに協力しなければいけないのですか?」
「……だよねー」
予想通りの返答に、暁は苦笑いも出ない。
あーあ、とぼやきながら暁は協力を諦めて歩き出そうとする。
「——と、いつもなら言うのですが」
「ああ、いいよ別に。期待してなかったし。それにあんた、そっから自力で出れるだろ」
なぜか話を続けようとしたエルフに、暁は間髪入れずに捲し立てた。
エルフは続けようとした言葉が出てこず、呆然としてしまう。その様子すら、暁は見ようともしない。
「……人が話しているのを遮るなんて、無礼じゃありませんか?」
「先に無礼を働いたのはそっちだろ。ヒューマンごときと会話してていいのかよ」
「あら、いっぱしにプライドでも持ってるんですか?」
「喧嘩売ってんなら引きこもってないで出てこいよ。相手してやるぞ」
「野蛮ですね。これだからヒューマンは」
「あほらし」
歩みを止めて、エルフの煽りに対応していた暁だが、今度こそはと歩き始める。
後ろからまだ煽りの声が聞こえるが、大袈裟に手で耳を塞ぎ、聞こえないふりをする。
「——やめた方がいいですよー。死臭のする魔族が戻ってきてますー」
そんなありがたい忠告も、暁の耳には届かない。
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