第10話 月

 オーガストからキールに引き継がれ、そして今はティグリスへと前をいく魔族は変わっている。暁は大人しくその後ろをついて歩く。

 牢屋が並んでいる地下室は薄暗く、冷たい雰囲気だった。だが、地上に出ると明かりが焚かれ、人——ではなく魔族の気配が多く感じられる。ここが魔族の拠点であるということを、再認識させられる。


「地下牢から逃げ出そうだなんて、随分と舐めた真似を考えられますね」

「ん、そうだな。死ぬまで地下牢にいるよりは、まともな思考だと思うけど」

「確かに、言われてみれば生きるのが目的ならば、逃げ出すことを考えるのが普通ですね」

「だろ。もっと人間の思考を理解することが、人間界で戦うには必要だぜ」

「参考にさせていただきます——叩き潰す方が早そうですが」


 くっく、と低く笑うティグリスの背後で、暁は呆れた表情を向ける。

 先導がティグリスに変わり、数分歩いた頃。

 石造の施設には似つかわしくない、土剥き出しの洞穴のような場所が見えた。それは部屋という様子はなく、そこだけ建築ができなかったようにぽっかりと穴が空いているようだった。

 その洞穴の前でティグリスは立ち止まると、暁に振り返る。


「これが、あなたが欲しているエルフです」


 そう言い、ティグリスは洞穴の何もない入り口を、ノックするように示す。

 ティグリスの指が入り口に当たると、何もないはずのそこから、壁を打つような硬い音が返ってきた。

 暁はティグリスの示した洞穴の中を覗き込む。

 中にも明かりがついており、様子を見ることができた。


「——あら。今日は新顔ですね」


 洞穴の中から声が返ってきた。

 その声の主は耳が長く、金糸のような髪をした女性だった。アウローラの記憶にある、エルフの特徴と合致する。

 洞穴の中のエルフは、声を返すもこちらに顔を向けることもない。ちらっとだけ目を動かし、暁を確認してすぐに逸らした。

 彼女はそうして、ただひたすらに魔術を使うための杖を動かしていた。ずっと、休むことなく。書いては消え、消えては書いて、ただただ杖を動かし、魔術式を書き連ねていた。


「お前……」


 暁は、そのエルフに見覚えが——アウローラの記憶で見た覚えがあった。


「彼女はここでずっとああやって術式を書いています。まぁ、書いても発動せずに消えているんですが。もう魔力がないのかもしれませんね」

「いいえ。魔力は満ちていますよ。あなた方魔族のおかげで」

「そうですか。それでも逃げようとしないのは、ヒューマンたちより賢いのでしょうね」

「違うだろ」


 暁は、ティグリスの言葉を否定し、自分でその洞穴の入り口に手を触れる。


「防御魔術のレベルが高すぎる。エルフだってことを除いても、そうそうできる芸当の術式じゃない」

「……あなたにわかるんですか? 魔力もないくせに」

「記憶があるからな——要は、あんたは魔族に捕まったんじゃない。防御魔術を使われて為す術のない魔族の嫌がらせを受けているんだ」


 暁の発言に、初めてそのエルフは杖を動かす手を止め、こちらを向いた。その表情は、口を少しだけ開けて驚いた表情をしている。


「あまり我々を舐めた発言をするなよ、小僧」


 そのエルフが何かを発言する前に、ティグリスが怒りの表情を浮かべて暁の頭を鷲掴み、ギリギリと力をこめていく。


「図星を突かれて悔しいか? 大事な脳みそを潰すようなことをしたら、魔王様もさぞお怒りだろうぜ」

「……ま、いいでしょう」


 パッと手を離し、ティグリスはその手を暁同様洞穴の入り口に添える。


「この程度、私なら簡単に壊せます」


 そういうと、洞穴の入り口に作られていた防御魔法にヒビが入っていく。


「でも、せっかく大人しくしてくれているのですから、わざわざ厄介事を増やす必要はないってことです」


 ティグリスが防御魔法から手を離す。ヒビの入った箇所はすぐさま自動で修復されていく。


「さ、いきますよ。長居しすぎました。ちゃんとついてきて下さい」


 ティグリスは踵を返すと、そのまま歩いていく。

 暁はその後ろ姿を見て、エルフに向き直る。


「術式を速記で書いているな、お前」

「——えっ?」

「でも発動しない、だろ? 術式は書いた通りにしか動かねえ、ってのが大前提だ。忘れるな」

「待ってください——」


 暁はアウローラの記憶から引っ張り出した知識を伝えると、エルフの静止の声を振り切ってティグリスの後を追った。


☆☆☆


 暁は案内された薄暗い部屋に入れられた。そこには、暁以外にもう一つの気配があった。

 薄暗い中で、もう一つの気配の目が光る。


「今日はあなたが相手してくれるの?」

「……月とスッポン、は言っちゃダメか」


 直前にエルフを見たからか、暁はうっすらと見える魔族の容姿に忌避を覚える。だが、魔王アウローラの記憶もあるため魔族に嫌悪感を覚えるほどにはならない。

 人間と魔族、その狭間の記憶と感情に、暁は気持ち悪さを覚える。だが、今はそれらすべて飲み下す。


「しかし、さすがマザー種だな……体格が全然違う」


 目の位置からその体格を推察するに、身長はゆうに2mを超える。

 マザー種とは魔族の突然変異体だ。その種の数が途絶えそうになった時、種の数を増やすために繁殖力の強い個体が生まれる。

 繁殖力に特化したマザー種は、とにかく子供を産む。その特性を生かし、この施設では兵を増やすために人間と魔族のマザー種の生殖を強制しているのだろう。

 だが、と暁は不思議に思う。


(魔界はすでに統一され、種の存亡が危険になるほどの争いはないはずだ。その状況で、マザー種が生まれるとは思えない)


 であれば、このマザー種は——


(戦乱期の生き残りか? なら、アウローラの記憶にもいるはず……)


「あなたは奥手なのね。大体の人は、勇んで飛びかかってきてくれるのに」

「ああ、悪い。色々考え事してて……」


 暁はそう言いながらその魔族に近づいていく。

 アウローラの記憶からマザー種の魔族を掘り起こしていく。もし知り合いであってくれれば、説得の余地があるかもしれない。

 魔族の全貌が見えるまで、近づく。

 そして、その姿を見る。


「——ああ、お前か。クリスティーナ」

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