第8話 鍵
シモンのエルフに対する力説がようやく収まってきた頃、廊下の先から足音が響いてきた。食事の配給時間になったのだろう。
その足音を聞いて、シモンは口を閉じ、暁も彼と顔を合わせて小さく頷き合う。
さて、と暁はこの先の行動を整理する。
入り口から順に食事が投げ入れらていく。順番的には暁とシモンは最後ということになる。それはそれでありがたい。鍵を盗んだとしても、次に使う用がなければ気づかれにくくなる。
食事を置いていく魔族は、暁に見覚えはないが、村から暁を運び出した二人の魔族、オーガストとキールだ。
そして暁とシモンの順番になる。
キールが暁のための食事を渡すため、鍵を開けて中に入ってくる。その際に鍵のありかを探し、キールが腰に下げていることを確認した。
その鍵をどうにかして盗まなければならないのだが、ろくな魔術も使えない。アウローラであれば鍵一つくすねる程度いくらでもできるだろうが、暁は窃盗などやった経験はない。それに気づかれないように、というとさらにハードルが上がる。
(アウローラの経験がそのまま反映してくれれば、なんてことはないんだろうけど)
果たしてそう上手くいくか、甚だ疑問に思う。
だが、やるしかない。
腹を決め、暁は行動に移す。
食器を乗せたお盆を置くため、かがんだキールの腰に、暁は手を伸ばす。
腰にぶら下げた鍵に手を伸ばし、もう一人の魔族にも警戒しながらゆっくりとつかむ。そして一気に引き抜き、自分のズボンのポケットへ仕舞い込んだ。
向かい側を見ると、シモンの牢屋には雑に食事が投げ入れられている。その魔族もまた、同じ位置に鍵を所持している。
「しっかり食べろよ。今のお前は、食うところが少なそうだからな」
食事を置いた魔族に話しかけられる。
「……ああ。まぁ、食わねえと勿体無いしな」
「いい心がけだ。残さず食えよ」
そう言って笑いかけてくるキール。暁はその笑みに寒気を感じた。何かを企んでいるような笑みだった。
暁は置かれた食事に目を向ける。
パンとスープ、それにいい具合に焼かれた肉が乗せられている。
「食わねえ方がいいぞ」
向かいのシモンに、そう声をかけられる。その声は、随分と真剣なものだった。
「その肉が何の肉か、察しがつくはずだ」
「……なるほど。まぁ、牛や羊じゃねえってのは、わかる」
「おいおい、食ってくれなきゃこの肉は捨てることになっちまう。いいのか?」
「その前に何の肉か教えて欲しいけど」
「知ったら食えなくなるぞ」
「そんなこと言われて食う奴がいるかよ」
「いいのか? お前の食事は毎日これだぞ。食わなきゃ死ぬぞ」
「じゃ、ギリギリまで耐えてみることにするよ。食うとこ減るけど、仕方ないよな」
「贅沢をいうなよ。人間に肉を提供してやってるのに」
「共食いにならない肉なら文句ねえよ」
暁とキールの意見は、当然平行線を進む。交わることのない話し合いだ。
その話し合いを見かねたように、オーガストが暁の牢屋の前に移動して声をかけてくる。
「おいキール。もういいだろ。さっさと出てこい」
「けど、こいつが飯食わねえと、怒られるのはオレたちだぜ」
「だからって人間に媚びるのは違う。ティグリス様に報告して判断を仰ぐぞ」
「……そうだな」
オーガストの説得に頷き、キールは立ち上がる。
キールは牢屋から出ると、扉を閉じて鍵をかけようと、腰に手を伸ばす。
「——おい、落としてるぜ」
鍵がないことに気づかれる前に、暁はあたかも今拾い上げたかのような動きで牢屋の鍵を見せる。
「何やってんだバカ」
「悪いな。返してくれ」
オーガストにため息をつかれながら、キールは手を暁に向けて差し出す。
「もちろん」
暁は頷きながらキールに近づき、その手に鍵を置く。
キールは受け取った鍵で牢屋を閉じる。
その一瞬の隙を使い、暁は近づいていたオーガストの腰の鍵へと手を伸ばした。
「——おーっととと! アカツキ、それはマズイって!」
鍵をつかもうとしたその瞬間、シモンがいきなり素っ頓狂な大声をあげた。
その声に驚いたキールとオーガストが、シモンと暁に順番に視線を向ける。
すぐさま暁は手を引いたが、しかしその動きを二人に見られてしまう。
オーガストが、自分の鍵を取られそうになったことに気づき、憤怒の表情を浮かべて暁に向けて腕を伸ばす。
だが、牢屋の隙間から伸ばしたその腕を、暁は飛び退いて回避する。
「舐めた真似しやがるじゃねえか」
「いや、あんまり無防備だったもんでよ。鍵返したし、おあいこってことにならん?」
「なるかボケ! キール、鍵開けろ!」
「殴ったらそれこそティグリス様に懲罰を受けさせられるぞ」
「こういう奴には教育が必要だ——」
「何の騒ぎですか」
オーガストが叫ぶ中、新しい声が聞こえた。今、牢屋に入ってきたのだろう。
彼ら魔族の将軍ティグリスの声だ。
オーガストは暁を睨んだまま反応を返さないので、代わりにキールが答える。
「ティグリス様。この魔力を持たぬものが、オーガストの鍵を盗もうとしたのです」
「それでオーガストは怒っているのか?」
「はい。教育が必要だ、というのが彼の主張です」
「そうか」
頷きを返しながら、ティグリスがゆっくりと近づいてくる。彼は手にした杖で魔術文字を書きながら、歩を進める。
「確かにそれは教育が必要です。が、怒りに任せて殴りつけるようなものを教育とは言いません」
「……ティグリス様。オーガストは」
「やるなら徹底的にやるべきです」
キールの言葉を遮り、魔術文字を書き上げたティグリスは、その最後にピリオドを打つように杖で強く叩く。
瞬間、空間が揺れ、術式に従った魔術が放たれる。
魔力によって形成された刃が、オーガストを切り刻む。
全身に切り傷を受けたオーガストは、血を流しながら膝をつき荒い息をする。
ティグリスはオーガストの胸ぐらを掴むと、暁の牢屋から離すように逆側へと投げつける。
「オーガスト。せっかくのベルゼブブ様への供物を、傷物にしようとはどういう了見ですか?」
「こ……こいつは、鍵を盗もうとしました……」
「ええ。そうらしいですね」
「ここから、逃げようと考えている……証拠です……」
「なるほど。だから、殴るのですか?」
「それは——」
「おーい。その教育、俺の前でやらんとダメか?」
延々と続きそうな、将軍による部下への教育に興味のない暁は、いい加減なところで切り上げてくれるように声をかける。
「……別に、あなたが鍵を盗もうとしたことを許したわけではありませんよ」
「そうだな。じゃあ、殴るのか?」
「いいえ。あなたの身体への攻撃は行いません」
「精神的ダメージをってこと? ストレスが高くなると肉も不味くなるぞ」
「それを気にしすぎるとつけあがるじゃないですか。なので、あなたには次の生殖相手にします」
「……なるほど」
「魔力を持たないあなたでは子はできないのですが、人間が魔族の相手をするのは拷問に近いみたいなので」
「これまでの経験から、そう判断したと?」
「はい。もし逆にあなたにとってストレス解消になるというのであれば、それはそれでありですし、ね」
「そーだな」
「では、数時間後にまた呼びにきますね」
そう残し、ティグリスは話を切り上げようとする。
「なぁ、そこのやつから聞いたんだけど」
暁は確認を取るようにティグリスに問いかける。
「俺もその魔族を満足させられたら、エルフをもらえるのか?」
「……ええ。もちろん。頑張ってください」
「そうする」
暁の返事にティグリスは小さく笑い、去っていく。その後を追い、キールとオーガストも帰って行った。
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