第6話 牢屋
仄暗い牢屋の中で、眠っている暁は転がされていた。
他の牢屋の中にも人間が入れられており、皆生気なく横たわっていた。
廊下からいくつかの足音が響いてくる。その音に反応し、暁はゆっくりと目を開ける。
もやのかかった頭のまま、暁は体を起こす。視界の端に、廊下を歩く魔族と人間が映る。
人間の男は両脇を魔族に抱えられるようにして、おぼつかない足取りで進む。空いた牢屋の前で立ち止まり、鍵を開けた魔族はその中に人間の男を放り込んだ。
力なく倒れ込む男。呼吸も浅いが、死ぬような雰囲気はない。ただ、表情やボロの服を着た体はげっそりと痩せている。
「こいつもあと何回耐えられるかな」
「あと2回が限度だろ。そしたらあっちに回される」
「味はましになるけど、量が取れなくなるからな」
「食料問題より兵不足が深刻だから仕方ねえよ。いくぞ」
魔族の二人は来た道を戻る。
暁の牢に差し掛かった時、彼が起きていることに気づいた二人は足を止めて近寄ってきた。
「やっと目が覚めたか」
「ティグリス将軍もお待ちかねだぜ」
語りかけてくる魔族の方へと顔を向けながら、暁は復唱する。
「将軍……?」
「ああ。お前は他の連中とは違ってご馳走だからな」
「ごちそう……」
「おい、お前はこいつがヤケを起こさないか見張ってろ。俺はティグリス将軍を呼んでくる」
「わかった」
魔族の一人が残り、もう一人は廊下を足早に去っていった。
少しずつ意識のはっきりしてきた暁は、魔族の会話と言葉を理解し始め、そしてアウローラの記憶と合わせて意味をとる。
「……ああ、魔力は苦味なんだっけ」
「へぇ、知ってんのか。その通りだ。だからお前のように一切魔力を持たない人間は、俺たち魔族にとってご馳走なんだ」
この世界の生き物、植物には魔力が少なからず含まれている。
その魔力は食すものにとって苦味として感じられる。そのため特に魔力量が豊富だった魔界は、何を食べようとも旨いと感じることはない。
そんな魔界に住んでいた魔族たちは、初めて人間界でものを食べた時の旨さ——苦味の少なさに驚愕した。
それゆえアウローラは、人間界と初めて通じた時に一つの掟を魔族に定めた。
人間界で、肉を食ってはならない——と。
「俺がご馳走ってことは、お前らはアウローラの掟を破ったってことか」
「あ? お前がなぜアウローラ様の掟を知っている?」
「それがバレたら、お前ら極刑だぞ」
「——いいえ、違いますよ」
暁の発言に否定を返したのは新しい声だった。
廊下の奥、もう一人の魔族が消えた方から声が響いた。
その声の主は、頭に一本の角を生やした魔族だった。隣には呼びに行った魔族も控えているが、部下であろう二人の魔族とは身なりからして全く格が違った。彼がティグリス将軍だろう。
「我らが人間界で肉を食ったとて、罪にはなりません」
「おかしいな。アウローラの掟は絶対のはずだろ」
「ええ。ですが、我らが魔王はその掟を廃止したのですよ」
「我らが——魔王?」
ティグリスの言葉に、暁は違和感を感じた。
アウローラの記憶から、魔王は一人しか——アウローラしか存在しないはず。アウローラが統一するまで、魔界は大昔に魔神によって立ち上げられたとされる72の師団によって統治されていた。その師団たちが、統一を目指して争い合っていた。
「我らが魔王ベルゼブブ様は魔族軍の兵站を一任されていますゆえ、悠長なことを言っていられないのです。なので特例として、我が軍隊は人間界での食糧調達は全て不問とされています」
「だったら他の魔王軍の連中は適用外だろ。お前らが調達した人間界の肉は食えないはずだ」
「ええ。しかし、飢えた兵たちがそんなことを気にすることはない。流通経路は知らぬふりをし、皆おいしくいただいてくれます」
「誇りもくそもねぇな」
「そんなものに拘って死にたくはないでしょう?」
屈託のない笑みを浮かべるティグリスに、暁もまた口端を吊り上げて笑った。
「——あっはっはっ! そりゃよかった、お前らの死生観は変わったのか」
「……何?」
「アウローラが一番変えたかった、魔族の常識だよ」
暁の言葉に、ティグリスは笑みを消してかがみ込む。
「お前がなぜ魔族を、アウローラ様を知ったかぶるのかは知らん。今、殺されないのはベルゼブブ様が掟を変えたからだということを忘れるな」
「やっと薄ら笑いが消えたな。そっちの方がお似合いだぜ」
「減らず口を」
吐き捨てるように言葉をかけ、ティグリスは立ち上がって廊下を戻っていく。
その姿を見送り、暁は小さく吐息した。
☆☆☆
暁は牢屋の中に転がっていた石を拾い、地面に何かを書き記していた。
日本語や英語といった、元いた世界の言語ではない。象形文字に近いようなものを、ひたすら書き殴っていた。
その文字列は暁の記憶の中にあるもので構成されている。魔王アウローラが得意とした魔術文字を、暁は自分でも描けるかどうかを確認していた。
記憶の通りであれば、この世界には魔術がある。魔法も存在するが、明確に区別されている。
魔術とは、魔術文字によってどのような事象を起こすかを書き記し、発現させる術式のことだ。魔術文字さえ知っていれば、どんな人でも扱うことができる。
そして魔法とは、魔力を持つものが生まれた時から持っている固有のものだ。だが、誰もが持っているものではなく、魔力適正が高いものほど持って生まれる可能性が高い。それゆえ生得魔法とも呼ばれている。
暁は魔術文字が問題なく書けることを確認し、実際に魔術を使ってみようとする。
拾った石で空中に魔術文字を書こうとしてみる。
だが、小石の軌跡には何も変化がない。
「うーん。確かに俺に魔力はないんだな」
記憶の通りであれば、ものに魔力を流すことで魔術を発動するための魔術文字が書けるようになるはずなのだが、その様子は一切ない。
アウローラはあらゆる魔術を習得していたようだが、暁自身に魔力がないのであれば、その記憶も活かせない。とはいえ、ティグリスによってこのような場所に無造作に入れられていることを考えれば、当たり前なのかもしれない。魔術で逃げられることを考慮していないはずがない。
「お前、何やってんだ?」
すると、向かいの牢屋に入れられている若い男に声をかけられる。
暁は、ああ、と返事をしながら答える。
「魔術を使おうとしたんだ。けど、俺には魔力が一切ないみたいで」
「魔術を? ……その小石で、か?」
「そうだけど」
何かおかしいだろうか、と暁は首を傾げる。魔王アウローラはその辺の木の枝や小石を使って魔術を繰り出しているが、それは普通ではないのだろうか。
「お前に魔力が本当にないなら何やっても魔術は出ないけど、そもそも人間がそんな小石で魔術が使えるわけないだろ。そんなことも知らないのか?」
「そうなんだよ。ちょっとこの辺の常識に疎くて」
「世界の常識だぞ……奴隷にでもなってたのか?」
「まぁ生きる世界が変わったって意味では合ってるのかなぁ……?」
ただ、自分の状況の説明もできないので、適当に話を合わせておくことにした。
「人間はどうやって魔術を使うんだ? てか、使えるんだよな」
「使えるよ。そのためには専用の杖が必要だ」
「杖……」
確かに、アウローラも常時枝や小石を使っているわけではない。あるタイミングからは愛用の杖を使用している。
「魔力を蓄える性質のあるマギの木を原料にした杖じゃないと、普通は発動できない。ま、魔力が溢れている魔界じゃ、どんな物質にも魔力がある程度宿っているおかげでちょっとなら魔術文字を書けるらしいが」
「なるほど」
つまり、魔界と人間界の常識は違うので、アウローラの記憶だけを頼りにはできない、と。
アウローラは魔界の物質に含まれる微量の魔力で、高度な魔術を使っていたということになる。
「マギの枝しか原料にならないのか?」
「ああ。それ以外は含有魔力が少なすぎて人間の魔力じゃ扱えない、って国がいってる」
「そのマギの枝は?」
「割とどこにでも自生しているけど、そんなものをこの牢屋から手が届く範囲に置く優しい将軍はいねえよ」
「それもそうか」
暁は若い男にそう返しながら、嘆息した。
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