第5話 魔族

 暁がヘンリの村で暮らすようになって一週間ほどが経った。

 その間、村長はおろか村人を目にしたことはなかった。だが、そのことを聞いたり問い詰めたりすることもなかった。

 一週間。

 一週間で本当に隊商がきたのであれば、わざわざ聞く必要も問い詰める必要もない。そのようなことをして追い出される方が、今は危険だろう。

 だから、今日明日で隊商が来なければ村を出ればいい。

 安全に出られる可能性があるのなら、一週間程度待つのに苦労はない。

 それに、毎夜夢に見るのは先代魔王アウローラの記憶。その記憶を見るたびに、自身がアウローラに近づいている気さえしている。彼が培った戦闘経験やセンスといったものを、後追いするように吸収している。

 たまに自分の思考が赤城暁のものなのか、それとも先代魔王アウローラのものなのかわからなくなる時もある。

 だが、この世界で生きるのであれば、アウローラの判断を信じた方が良いことも多い。戦闘であれ、知識であれ、暁ではわからないことだらけなのだから。

 その日もヘンリと食料の確保に向かい、その帰り道に暁はヘンリに尋ねる。


「そろそろ一週間経つよな。隊商は来るかな?」

「……どうでしょう。来るまで僕にもわかりませんから」

「そりゃそうか。じゃあさっさと帰って、くるかどうか待ってようぜ」

「はい」


 暁の言葉にヘンリは短く答え、荷車を押す。

 さて、と、暁は考える。

 ——帰っても隊商は来ないだろうな、この雰囲気。待ってるのは人間ではなく、魔族の可能性が高い。以前の冒険者たちの話を合わせれば。

 狡猾な魔族がいるのだろう。

 ヘンリを使って、村を訪ねた人間を騙し、人間牧場とやらに連行していたのではないだろうか。

 杞憂であれば良いのだが、しかし彼の雰囲気から警戒せずにはいられない。

 村まであと少しのところで、誰かが駆けている音が聞こえた。

 暁とヘンリは一度顔を見合わせ、その場に立ち止まる。少し待っていると、木々を掻き分けて人が飛び出してきた。

 その人物に、暁は見覚えがあった。以前、一人で山菜を取っていた時に初めて出会ったパーティのリーダー。


「アラン……だっけか」

「あ、ああ……、君は、えっと……」

「ちょっと大丈夫ですか!?」


 アランには全身に傷を受け、出血した痕がある。いくつかの傷はまだ塞がっていない。

 ヘンリが駆け寄ってアランの体を気遣っている。


「他の奴らはどうした?」

「ほ、他のみんなは……」

「アカツキさん、お知り合いですか?」

「ああ。一週間前に、4人パーティのこいつと会った。覚えてないみたいだけど」

「ご、ごめん……思い出す余裕もなくて……」

「とにかく、手当のためにも一度村に行きましょう」


 ヘンリがアランの体を支えながら立ち上がらせる。ふらつく足取りでなんとか歩くアラン。

 その様子を、暁は冷めた目で眺めていた。


「ヘンリ。本当に村に帰るのか?」

「え……?」

「帰って待っているのは魔族じゃないか?」


 暁の問いに、ヘンリが固まる。


「人間牧場だっけ? 近くにあるんだよな。なのに村がある方がおかしいだろ。なんでそんな、物騒な施設の近くに村がまだ残っているんだ?」

「……それは」

「魔族の温情、というよりは、俺やそこのアランみたいな、村に立ち寄った人間を定期的に提供するためだろ」

「ち、違いますよ。何を言っているんですか、アカツキさん。そんな、証拠もなく……」

「そうだな。状況証拠しかない。だから、そいつは見なかったことにしないか?」


 暁の提案に、ヘンリは目を丸くする。


「俺とお前は、こいつに会っていない。村にもきていない。だから、ヘンリが魔族に引き渡す人間は俺一人でいい。今までヘンリが俺以外の人間を求める行動をしていないところから考えれば、魔族も偶然村に訪れた人間を渡せ程度の要求なんじゃないか? お前に罪の意識があるのなら、そいつは見逃してやればいい」

「……でも」

「返答はいらん。俺の提案に乗るのなら、このまま帰ろうぜ」


 そう言って暁はヘンリに村の方角を差し示す。

 ヘンリは数秒ほど静止したあと、アランから離れ、荷車へと戻る。


「お、おいおい……待てよ。彼のいうことが正しいなら、君は自分が何をやっているのかわかっているのかッ? 人類への反逆だぞ!?」

「アラン。相手は子供だ、そんなでかい話が通用すると思うのか」

「お前だってそうだ! 子供をそそのかして、魔の道に導いてるじゃないか!」

「仕方ないだろ。この辺はもう、魔の世界なんだから。お前もそれを実感して、逃げてきたんだろ」


 暁の言葉に、アランが歯噛みし押し黙る。

 ヘンリは不安に満ちた顔で暁を見上げる。


「魔の世界で生き延びたいなら魔の道に導くしかない。ヘンリはそれで生きてきたし、それをやめろと言えないだろ」

「……いいや、それでも人の道に戻すべきだ」

「人の世界に戻せたら、そうするつもりだよ。わかったらあんたはさっさと任務を受けた街に帰って、援軍を頼むんだ」


 暁は不安な顔をしているヘンリの頭に、撫でるように手を置き、歩き出すように促す。それに合わせ、ヘンリは荷車を押して歩き出す。

 一人残されたアランは、握りしめた拳で地面を叩きつけた。



☆☆☆



 村へと帰りついた暁とヘンリは、何事もなくその日を過ごした。

 ヘンリが作った夕食を二人で食べ、暁は借りている家へと戻り、就寝した。

 翌日、日が昇っても暁が目を覚ますことはない。

 そして、隊商が来ることもない。

 だが代わりにやってきたものもある。

 それは、魔族だった。

 二人組の魔族の見た目はヘンリたち人間とさほど違いはない。だが、明らかに雰囲気は異なる。

 村へとやってきた魔族二人を、ヘンリは入り口で出迎える。


「お待ちしておりました、キール様、オーガスト様」


 ヘンリは魔族二人に恭しく一礼をする。


「おうヘンリ。連絡ありがとうよ。いつも助かるぜ」

「人間は一人でも二人でも欲しいからな」


 キールとオーガストと呼ばれた魔族は、ヘンリに対し気さくに話しかける。


「にしても、これでやっと19人か。将軍が決めた人数まであと一人、それでこの村の連中も解放される」

「約束を覚えていてくださり、ありがとうございます」

「健気な子供との約束を破るつもりはないさ」


 魔族は軽口を叩くように話を続ける。

 ヘンリは魔族を村へと招き入れ、そして暁が眠る家へと案内する。

 家の扉を開けると、奥から小さく寝息が聞こえてくる。


「いつも通り、いただいた催眠の魔香で眠らせています」

「んじゃ、あと2,3時間は起きねえな。オーガスト」

「おう」


 キールの合図にオーガストが応え、人一人が入るほどの麻袋を取り出す。そして奥の暁がいる部屋へと向かった。


「しっかり縛ってから入れろよ。俺は外で待ってる」

「わかった」


 キールが奥へと言葉を飛ばし、踵を返して家を出ていく。

 家を出たキールが一息吐いた時、家の屋根から影が一つ落ちてくる。

 その影は剣を構え、重力と共に力任せにキールの腕を肩から切り落とした。


「——っ」

「死ねっ!」


 剣を構えて降ってきたアランは、返す刀でキールの首を狙った。

 フルスイングされた剣は、しかし一歩身を引き大きく背を仰け反らせたキールにかわされた。

 振った剣の反動で自身も回転しながら、アランはキールとの距離を取る。


「残念だったな、人間。ちょっと狙いが悪かった」


 キールは斬られた腕を気にした風もなく、不敵に笑って見せる。


「おい、何があった」


 家から暁を入れた麻袋を抱えたオーガストが現れる。

 2対1の状況にアランは舌打ちをするが、退く様子は一切ない。

 オーガストは切り落とされたキールの腕と、その血で染まった剣を持つアランを交互に視線をやり、隣のヘンリを見た。その目は、最初に村に来た時のものと同じとは思えないほど冷ややかなものだった。


「こいつが裏切ったのか?」

「ち、ちがっ——!」

「いいや、違ぇよ。そんな度胸、このガキにあるわけねえ」

「なら」

「ほら、ちょっと前に施設に人間の侵入者がいただろ。その生き残りだ」

「ああ……なるほどな」


 オーガストは納得した顔でヘンリから視線を外した。


「よかったなガキ。こいつで——20人目だ」

「えっ……?」

「おいキール。そいつを生け捕りにするのは面倒だぞ」


 オーガストに声を掛けられるが、キールは取り合う様子もなく切り落とされた自分の腕を拾い上げる。


「いいじゃねえか。俺たちに一人で切り掛かるなんざ、見どころがある」

「ったく……さっさと終わらせろよ」

「ああ。すぐ終わる」


 キールは口角を吊り上げ、獰猛な笑みを見せる。

 その気迫に一瞬気圧されるアランだが、歯を食いしばって耐える。そして自身に気合を入れ直すように、雄叫びを上げて切り掛かった。

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