第3話  魔界

 荷車に暁を載せ、少年は自分の住む村まで帰り着いた。


「気づいたらあそこに立っていた、ってことは行く当てもありませんよね。よければうちの村に泊まっていってください」

「いいのか? 言っとくけど、無一文だぞ」

「そこは僕の手伝いをしていただければ、文句は言われないと思います」

「なるほど。厄介になろう」


 暁はアロンダイトを手に持ち、荷車から飛び降りる。

 着地時に多少バランスを崩すが、すぐに立て直して姿勢を正す。周りを見渡すが、村というにも寂れ切った村だった。


「どれくらい住民がいるんだ?」

「僕の家を入れて5軒です。人数だと10人ほどでしょうか。空き家はいっぱいあるんで、好きなところを使ってください」

「わかった。あそこでいいか?」

「ええ。僕は荷物を置いて村長に説明してきますので、中の確認をしておいてください」


 そう言われ、暁は少年に手を振って別れる。

 暁は自分が指差した家へと向かい、扉を開けて中に入る。最近まで使われていたようで、多少埃っぽいとは言え蜘蛛の巣が張られていたり壁が崩れたりはしていない。

 家の中を適当に見て周り、ベッドを見つける。布団も残されており、暁は手に持っていたアロンダイトをはたき代わりにして数回叩く。埃が舞うが、使い心地に問題はなさそうだ。


「……意外と、適応できるもんだな」


 そう、独り言を呟いた。

 異常な体験をしている自覚は持っている。土手にいたはずが、いつの間にか平原に飛ばされており、しかも文明レベルが地球とは異なる。

 中世ヨーロッパ、というよりもゲームの世界のような世界観だ。

 だだっ広い草原、欧州のような顔立ちの人、木造の家、そして剣。

 暁はもう一度手に持っている剣を見る。


「初期装備が木の枝じゃないってとこは、救いなのかな」


 そんなことを考えながら、ベッドに倒れ込んで目を閉じる。

 すると、目を閉じた暗闇の中で、また自分の知らない光景が広がっていく。

 その光景の中で、何度もアウローラと呼ばれる人物を見る。どの光景でも、ずっと戦いの中で、アロンダイトと呼ぶこの剣を振り回していた。

 その姿は、まるで鬼神だ。

 同族であろう魔族たちを斬り捨て、ただひたすらに邁進する。

 その姿からはかけ離れた理想を追い求める。

 周りの魔族が、口々に叫ぶ。

 ——魔界に平和を!

 その先導を、アウローラが走っている。

 ずっと、いつまでも、平和を願うように——平和に縋るように。

 塗りつぶされて思い出せない、誰かの顔を思い浮かべながら、ただひたすらに奔り続けていた。


 暁は、ゆっくりと目を開ける。

 記憶で見た、塗りつぶされてしまった誰かを探ろうとするが、どうしても思い出すことができない。

 大事な記憶のはずだ。この記憶の持ち主にとって、アウローラにとって、忘れてはならないはずの、誰かだったはずだ。


「まだ、そのレベルじゃないってことか?」


 それとも、アウローラと自分は全く関係のない存在で、思い出すことが許されないのか。

 だとすれば、どうしてこのような記憶を渡してきたのか。

 甚だ疑問で、解けると思えない。

 暁がため息を吐いた時、家の扉がノックされて開かれる。


「村長に話してきましたので、どうぞ滞在していってください」


 少年が家に入りながらそう伝えてくれる。暁もベッドから立ち上がりながら答えた。


「ありがとう。ところで、この家の明かりはどこかわかる?」

「明かりですか? そこの魔石をお使いください」


 そこの、と言われて暁は指差されたところを見ると、手のひらサイズの石が転がっていた。

 暁は石を手に取り、指で弾くように叩くと辺りを照らすように発光した。


「便利だな」

「使ったことないんですか? でも使い方はご存知のようでしたが」

「あー……何となく、かな」


 暁は自分でも無意識に指で弾いていたので、言い淀んでしまう。

 おそらく、アウローラの記憶の中に使っているところがあったのだろう。だから初めて見た魔石でも、使い方がわかった。


「今日はもう遅いので、お休みになってください。明日、また声をかけにきます」

「わかった。よろしく」

「はい——そういえば、まだお互いに名乗っていませんでしたね。僕はヘンリと言います」

「ん、そうだっけか。俺は……暁だ。よろしく」

「アカツキさん、ですか。お願いします」


 ぺこりとお辞儀をし、少年——ヘンリは家から出ていった。

 暁はアロンダイトを壁に立てかけ、靴を脱いでベッドに転がった。

 食事をとっていないことに気づいたが、それよりも眠気に襲われたことから暁は眠りへと落ちていった。



☆☆☆


 気がつけば、暁は物陰から二人の男を観察していた。

 人、と言っていいのかは謎だが、人型をしたその男たち。

 片方は空想の生物、ドラゴンのような翼を生やし、尻尾もついている。ねじれた角は2本ある。

 もう片方の男は、翼や尻尾はないものの、螺旋状に伸びる角を生やし、肌は浅黒い。腰には剣を差していた。

 二人とも赤い目をしており、とても人とは思えない出立ちをしていた。暁は初めて見る人種だった。

 その二人は崩壊した街を、周りを警戒あるいは確認をしながら歩いていた。


「——しっかし、派手にやられたもんだ」

「そうだな。生き残りはおらぬかもしれん」

「いても、五体満足かどうか」


 二人の会話を聞いて、暁は自分の体を見下ろす。腕も足もあり、手にはあのアロンダイトを握っている。

 もう一度二人の男へと視線を戻し、隙を窺うようにして身を潜める。

 ……あれ、何で隠れているんだっけ。

 そう思うが、しかし理由に思い当たるものはない。ただ一つ、あの二人を殺そうという意思だけが、強く残っている。


「ディエス、もう切り上げようぞ。これ以上探したところで生き残りはいまい」

「そうだな、ティアマト。皆と合流するか」


 二人がそういい、探索を終えて一息吐いた、その一瞬。

 暁は、ここだ、と思うと同時に飛び出していた。アロンダイトを抜き放ち、狙いを浅黒い肌の男の首へと定めていた。

 ゴッ、と鈍い音がなる。


「——ディエス!!」

「大丈夫だ、鬼気で防いだ!」


 不意打ちが失敗し、暁はすぐさま身を隠す。

 翼の生えた男はディエスと呼んだ男を気にしていたのだろう、暁の姿を完全には捉えられていなかった。辺りを警戒するように見回す。


「魔神軍の残党か?」

「いや、ガキのような身なりだったぞ。生き残りかも知れぬな」

「んじゃ、手加減してやらねえとな」


 ディエスは先ほど斬りつけられた首の辺りを手で押さえながら、暁が逃げたであろう方向を注意深く見ていた。

 翼の生えた男——ティアマトはディエスが押さえる首を凝視しながら、違和感を覚えた。


「……おい、ディエス。おかしくないか?」

「だよな。俺も思ってた」


 ティアマトの問いに、ディエスは頷く。

 先ほど斬られたはずの首のことだ。確かに抜き身の剣だったはずだが、血など一滴たりとも流れていない。

 ディエスが自分で防御できたわけではない。ティアマトが防御したわけでもない。完全に二人の不意を衝いていた。

 ならば、なぜ、斬られていない?


「魔剣か。気をつけろよ、子供とはいえ選ばれた存在だ」

「なおのこと、手加減してやらねえとな」


 ディエスの口が弓を引く。

 悪い顔だ、とティアマトは思うが、口には出さずに引き攣った笑みを返し、後ろへと下がっていく。


「さて、そこにいるのはわかって——」


 ディエスの言葉が途中で切れる。暁が、二人の会話の間に移動し、背後からまた首を狙った一撃を放った。


「——っと、危ない危ない」


 その一撃を、ディエスは自分の剣を挟んで防ぐ。

 お互いに剣を弾き、暁は同時に後ろに飛んで距離を取る。


「今度は逃さねえぞ!」


 その距離をディエスは間髪入れずに詰めてくる。

 暁はヒットアンドアウェイで奇襲メインに立ち回るつもりだったが、距離を詰められてはそれも難しい。

 迫り来るディエスに対し、暁は剣を下段に構えて迎え撃つ。


「——ティアマトさん、団長何してんすか?」

「ん? ああ、この街の生き残りらしき子供に喧嘩を売られてな」


 ディエスと暁の剣戟を眺めながら、手分けして探索していた仲間の問いに答える。


「へぇ——あのガキ、隊長とまともにやり合ってんすか!?」

「将来有望だろう?」


 ディエスに引けを取らない動きをしていた暁だが、それでも戦いが長引き消耗をしていた。


「どうした、息が上がってきたか?」

「うるせぇ……」

「それだけやれるのに、どうして最初に俺の首を落とさなかった?」


 ディエスの問いに、暁は呼吸を整えるように大きく息を吸い、吐いた。


「その剣がただの剣じゃない、てのを誇示するためじゃあ、ないよな」

「……俺の実力を示すためだ」

「だったらなおのこと、首を落とすべきだったんじゃねえか?」


 はぁ、とため息を吐く暁。そして剣を肩に担ぐように持ち替え、不遜な態度を取る。


「殺すより、生かして負かした方が強いだろ」

「そりゃ、確かにな……それだけか?」

「皆殺してちゃ、皆いなくなっちまうだろ。俺が最強だったら」

「取り越し苦労、てんだぜ、それ」

「どうかな。あんたも打ち負かせばいいだけだ」

「——やってみな」


 ディエスもまた、目の色を変えて向かい合う。

 舐められたから、ではない。

 子供の身なりで最強だ、と自負している相手をわからせる必要があるからだ。

 これまで、どれだけの数を相手にしてきたのかはわからない。実際に剣を交えて実力を推し量れば、確かにそれだけの大口を叩けるだけの実力は認められる。

 だからといって、皆殺せば、皆いなくなる?

 そんなことを思わせるほどに、これまでの相手は悪かったのか。

 その事実に、ディエスはめまいを覚えそうになる。

 こんな子供に、と思ってしまう。それは、この子の実力を誰も受け止められなかったことの事実であり、そして絶望を与えたと言ってもいいだろう。


「今まで勝ち続けたのかもしれんが、それもここまでだ」

「はっ、あんたも倒して、俺は次の街に行くよ」

「悪いがここで通行止めだ——ディエス・ヴィネ、第45師団長だ。名乗れよ、小僧」

「——アウローラ。ただのアウローラだ」


 そして二人は、再度剣を交えた。



☆☆☆



 翌日、日が登り始めるころにはヘンリが迎えに訪れ、暁はアロンダイトを手に取ってついて出た。

 ヘンリは昨日の荷車を同じように押しながら歩く。暁が代わろうかと申し出たが、丁重に断られた。

 今、向かっているのは薬草や山菜が群生している辺りとのこと。そこまでは歩いて小一時間ほどかかるらしい。その道中、暁は与太話程度にヘンリへ話を振る。


「あの村は随分人が少ないんだな」

「少し前まではまだ人は多かったんです。空き家がないくらいには」

「何で減ったんだ?」

「近くに魔族が拠点を張ったらしく、その影響です」

「なるほど。逃げれる人から逃げたって感じか」

「残っているのは身寄りのない僕と、長距離移動のできない人ばかりです」

「他から人を呼んだりはしないのか」

「誰も好き好んで魔族の近くには行きたがりませんから」

「それもそうだな。ヘンリは、いつまであの村にいるつもりだ?」

「さぁ。最後の一人になるまではいると思います」

「怖くないのか? 魔族が」

「怖いですけど、僕を育ててくれた村長や、村の人がいますから」

「律儀だな」

「はい。でも、村長の教えがあったからアカツキさんを助けたんですよ」

「困ってる人は助けてやれ、てか?」

「迷っている人や行き倒れている人がいれば、村に連れ帰ってやりなさい、て」

「そりゃご立派な教えだな」

「ええ、そうでしょう? なのに、村の人は皆出ていっちゃうんですから、薄情なものです」

「誰であれ、自分の命が一番惜しいものであっても当然だろ。仕方ないよ」

「そうですけど……一言もなく出ていかれるんですから」

「一言もなく? そりゃひどい話だ」

「朝になると一人、また一人と村を出たって。ひどい話です」

「一人一人……家族ごとじゃなく?」

「はい。とはいえ、村に子供は僕しかいませんでしたから、大人が一人で出ていくのはそこまで不思議でもないですけど」

「そっか」

「さて、つきましたよ。アカツキさんはそっちの方で山菜を取ってきてください。食べれそうなものを持ってきてもらったら、僕が仕分けますので」

「了解」


 暁はヘンリに指差された山野の方へと歩き出す。

 別れ際に渡されたかごを手に、適当にしゃがみ込みながら食べれそうなものを入れていく。

 食べれそう、と言われても正直わからないのだが。

 誰かの記憶を頼りにしようにも、そこに見える大地は荒廃しており緑などどこにもない。食べれるものといえば、そこら中に転がる同胞の亡骸——


「は——っ!」


 暁は、催した吐き気を追い出すように息を吐き出し、口元に手を当てた。

 記憶の影響が強い。誰のかも知らないのに、暁が知らない味をまざまざと思い出させてくる。

 厄介だな、と思いながらも解消する方法もわからないので、抱えていくことにする。

 多少漏れ出た胃液の不快さに、水辺がないかと探すことにした。

 適当に歩き回りながら、周りののどかさに気持ちが落ち着いていく。前の世界では感じられたことのない時間だった。

 ——そういや、帰れるのか?

 ふと、そんなことを思った。

 特段思い残したことがあるわけではないが、突然別世界へと飛ばされて、生き方から探さなければならないのだ。それよりは、前の世界で流れにそって生きていった方が考えなければならないことも少ないだろう。


「……ま、なるようにしかならんか」


 究極なまでの事なかれ主義が、口をついて出た。

 我ながら人ごとだな、と思うが、現状帰り方がわからないのだから考えるだけ無駄であろう。

 そうこうしているうちに、川のせせらぎが聞こえてくる。

 ヘンリに渡されたかごも半分ほど埋まっており、そこで休憩して引き返すのが良さそうだ。

 暁は音の方角へと向かう。


 数分ほど歩くと、小さい川が見えた。

 川のそばに腰を下ろし、まずは手を川につけて温度を確かめる。水源が近いのだろう、ひんやりとしており歩いて火照った体には心地よい温度だった。

 両手を洗い、顔を洗う。両手で水を掬い、口に含んで飲み込んだ。

 大の字に寝転び、大きく一息ついた。

 数分ほど転がっていただろうか、どこからか足音が聞こえてきた。

 暁はうつ伏せになり、耳を地につけて音に集中する。動物のような軽い音ではない。おそらく人間だろう。数は——4,5人ほどだろうか。

 ——記憶に随分影響されているんだろうな。

 こんな、大地に耳をつけて足音を判別した経験など、暁にはない。だが、体が勝手にそう動いていたのだから、原因は記憶にしか求められないだろう。

 地面から耳を離し、暁はふむと声を出した。

 ——人であれば、わざわざ隠れる必要もない。というか、ヘンリ以外の人は初めてだ。そういえば、あの村でヘンリ以外の人と会っていないな。村長はいるみたいだが、他の村人の姿をみなかった。いや、今は関係ないか。そうだな、様子だけでも見にいくとしよう。どんな人たちであるか、確認しておいて損はないはずだ。

 そう結論に達すと、暁はアロンダイトを掴みなおしてその場を後にした。

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