第2話 記憶

 気がついた時には、赤城暁の目の前には見知らぬ土地が広がっていた。

 土手にいたはずが、なぜだか平原に立っている。振り返っても土手はおろかコンビニすら見当たらない。そもそも、正面に川が見当たらないのだから別の場所に飛んだと考えられる。

 周りを見渡してみても、人工物らしきものが見当たらない。自動車も、スーパーマーケットも、住宅街も、何もかもなくなっている。田舎なのかと言われても、想像する田園風景でもなく、だだっ広い草原が広がっているだけだ。唯一同じなのは、時間帯だろう。放課後で、日が傾いている時間帯。

 暁の頭は疑問符で埋め尽くされていく。ここはどこか、一体何が起きたのか。そして何より——この記憶は何だ?

 暁の知らない、直感で数百年分の記憶がいきなり雪崩れ込んでくる。ひどく頭痛がする。体験も経験もしたことがない記憶が、次々と再生されていく。

 現代社会で——いや、地球では存在しないような異形の存在との戦争。

 その記憶の中で、暁自身もまた異形であった。人の形は成しているが、爪の形状や肌の色、細部が人間ではなかった、と記憶が訴えてくる。

 暁は酷く痛む頭へと手を持っていこうとした時、その右手に何かを掴んでいることに気づいた。

 右手へと視線を向けると、その手にはあの剣が握られていた。

 禍々しい瘴気を放っていた『それ』は、今はその様子もなくなっており、普通の剣のように見える。

 暁は左手で頭を押さえ、右手の剣を掲げて眺める。そして雪崩れ込んできた記憶の中に、その剣の銘があることに気づく。


「——アロンダイト」


 その呼び名に答えるように、剣が小さく震えた。

 暁は剣から視線を外し、今一度周りを見渡した。だが、その時には徐々に強くなる頭痛に抗えず、意識を失ってしまった。


☆☆☆


 次に目を覚ました時、暁は荷車の上だった

 乗り心地の悪い、地面の小石にさえ上下する荷車で、暁はゆっくりと体を起こした。

 周りには野菜や薬草だろうか、採集したものが一緒に載せられている。

日は沈み始め、周囲を赤く照らしていた。気絶してせいぜい1,2時間程度だろう。


「あ、気がつかれましたか?」


 荷車を押していた少年が、暁の動きに反応して声をかけてきた。


「……え、っと」

「平原のど真ん中で倒れているものだから驚きましたよ。良かったですね、魔物が出てくる前で」

「魔物……」


 暁は、その時ふと違和感を覚える。

 荷車を押す彼は、どうみたって日本人ではない。目鼻立ちや髪の色からして、アジア系ではないと感じた。

 だが、言葉が通じる。

 しかも、相手の言葉が日本語ではないとわかるはずなのに、理解できている。


「……俺の言葉、わかるか?」

「え? わかりますよ。ちょっと独特ですけど」


 暁は日本語で話しているつもりだ。が、相手にも通じる。

 どうやら言葉による意思疎通に障害はなさそうだ。


「そうか。とりあえず、拾ってくれてありがとう」

「いえいえ。僕も偶然通りがかっただけなので。ところで、お兄さんはどうしてあんなところで寝ていたんですか?」

「それが、俺にもわからない」

「そうなんですか? 変なこともあるもんですね」


 お気楽に笑う少年だが、はたと何かに気づいたのか、その足が止まる。

 そしてゆっくりと振り返ってくる。その顔は眉間に皺が寄り、おびえが見てとれた。


「……その、服装も僕らのものと違いますし、もしやと思うのですけど」


 服装、と言われて暁は自分の体を見下ろす。下校途中だったはずなので、当然身につけているのは学校の制服だった。

 対して、正面の少年の服装は、絵本や小説にでも出てきそうな、質素な服とズボンだ。


「お兄さん、魔族だったりしますか……?」


 魔族、と言われた瞬間、暁の背筋にヒヤリとしたものが走った。

 自分は魔族などでは決してない。純日本人だ。どう頑張ったって、魔族と言われて思い浮かべるような種族ではない。そも、現代人にとって種族などという括り自体、聞き慣れない言葉だ。何かを形容する際に使いはすれど、自分を人間族だ何だということは滅多にない。

 だが、確かに暁には魔族と言われて、反応する部分があった。

 なぜか、を自分に問うている場合ではない。

 正面の少年は怯えている。ここで放っていかれでもすれば、暁はまた路頭に迷う。目的地も何もわからないまま、歩き出さなければならない。それは勘弁願いたい。

 そう思った暁は、少年の言葉を否定した。


「魔族じゃないよ。人間だ……どうやって証明したらいいかわからんないけど」

「あ、いえいえ。なら大丈夫です!」


 少年は暁の返答に安心と落ち着きを取り戻し、すぐまた笑顔に戻った。そして前を向いてまた歩き出す。


「魔族が自分を人間だということはありませんから、お兄さんはきっと人間です」

「そう、なのか?」

「はい。何せ魔族は——人間界を侵略していますので」

「侵略……」


 その言葉に、暁は現実味を覚えることができない。今までの人生で無縁な言葉だったから。


「人間界って言葉も、ここ数年で使われるようになったんですよ。魔族の住む魔界と区別するために」

「魔物は? その、普通の動物とは違うのか?」

「はい。魔界と繋がった影響で、人間界の魔力濃度が上がりました。その魔力濃度に適応した動物は凶暴化……とまでは言えませんが、他の動物とは少し違うんです……って、そんなことも知らないんですか?」

「あー……えっと、出身がすっごく遠いんだ。東の方の島国で」

「なるほど。そちらはまだ影響が薄いんですね」

「うん。そう」


 たぶん、という言葉を心の中で付け加える暁。何とか誤魔化せはしたようだ。


「……あれ? では、どうしてこんなところに」

「何ていうか……俺にもわからないんだ。いつも通り過ごしていたはずなんだけど……ある時に光に包まれたんだ。そしたら、いつの間にかあそこにいて」


 暁は自分で説明しておきながら、何も要領を得ない、中身のない説明だなと心の中で自嘲する。

 だが、少年は「そうだったんですね」と納得の言葉を返してきた。


「魔界と繋がってから、そういう解明できない現象が数多く発生しているみたいなんです。だから、あなたもそれに巻き込まれたんですよ。それに島国ってことは、大陸の事情にもあまり詳しくはないでしょうし、仕方ないですよ」

「そう言ってくれると助かる」


 暁はそう返しながら、気がついてからずっと引っかかっていたことについてきてみることにした。

 それは名前のようなのだが、暁には覚えのない名前だ。

 もしかしたら、この剣の持ち主の名前なのかもしれない。そうだったなら、この剣は持ち主に返さなければならないかもしれない。

 そう思うくらいには、暁が持っている剣は特別な何かを放っている。


「なぁ——アウローラ、って名前知ってるか?」


 暁の言葉に、少年の足がピタリと止まる。同時に荷車も止まり、暁は前につんのめる。咄嗟に片手をついて倒れ込むのを防いだが、顔をあげた先に見た少年の後ろ姿からは何の感情も読み取れない。


「……お兄さん、ほんとに何も知らないんですね」

「無知なお兄さんに教えてくれると助かる」


 皮肉っぽく言った暁に、少年は荷車の取手を下ろし、振り返ってくる。


「いいですよ。教えてあげます」


 そうして続けられた言葉は——


「すべての元凶——アウローラは、先代魔王です」

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