少しばかりの見栄

三鹿ショート

少しばかりの見栄

 私と彼女は、似たような人間だった。

 背中を丸めながら下を向いて歩き、突然話しかけられてしまうと、しばらく返事に悩んだ結果、何も告げることができなかったことは、珍しいことではない。

 親しい人間も存在することなく、他の人間たちが仲間と笑顔で会話をしている姿を眺めるだけの、寂しい毎日を過ごしていた。

 ゆえに、我々は互いに親近感を覚えたのだろう、最初は一言、二言を交わすだけのような関係だったのだが、何時しか無人の教室でたわいない会話をするようになった。

 休日には共に外出をするようなこともなく、それぞれの自宅を訪れたことはなかったが、我々にとって相手の存在は、暗闇に差し込んだ一条の光だった。


***


 ある日、彼女が私に対して、恋人の有無を訊ねてきた。

 そのような人間は存在していないと、常の私ならば即答していたのだが、その日の私は異なっていた。

 それは、先ほどまで試験の結果を報告し合っていたことが影響しているに違いない。

 学業成績においても我々は遜色が無いはずだったのだが、今回の試験の結果によっては両親から褒美を受け取ることができるということもあってか、彼女は上位の成績だったのである。

 奮起した理由は何であろうとも、同類だと思っていた人間の変化は、面白いものではなかった。

 ゆえに、私は彼女に対して、実は恋人が存在していると伝えた。

 当然ながら、彼女は驚いたような表情を浮かべた。

 自分と同じように、恋人などという存在を得ることは有り得ることではないと考えていたのだろう。

 それは事実だが、正直に伝える必要も無い。

 追い打ちをかけるように、偽りの恋人との、偽りの思い出を語った。

 彼女は私の思い出を虚言だと追及することもなく、黙って話を聞いていた。

 その表情が、何時の間にか寂しげなものへと変化しているように見えたが、気のせいだったのだろうか。

 それから、彼女は私と過ごす時間を減らすようになった。

 何か私に問題があったのだろうかと考え、彼女に理由を問うたところ、恋人に誤解されては困るだろうと告げられたために、私は真実を話すことができなかった。


***


 学校を卒業すると、彼女との交流は途絶えた。

 互いに異なる道を進み、多忙なる毎日を過ごしているために、仕方が無いことだろう。

 だが、様々な人間と否応なしに交流しなければならない日々を送っているうちに、私は彼女のことを思い出すことが多くなっていた。

 それは、彼女との時間が心地よかったものであることに他ならない。

 気を遣う必要も無く、肩の力を抜きながら接することが可能である相手は、家族以外には彼女だけだった。

 それを考えると、彼女と関係を深めるべきだったのではないかと、後悔にも似たようなものを覚えた。

 しかし、共に過ごす時間が良いものであるからだとはいえ、それを恋愛感情と同一視してはならない。

 彼女もまた私との時間を楽しんでいたとしても、自分のことを恋愛対象として見られることに対して、抵抗を覚える可能性が存在するからだ。

 だからこそ、私は一線を越えることに対して、慎重になる必要があったのだ。

 それでも、再び彼女と交流することで、心の平穏を取り戻すことを考え、私は久方ぶりに彼女と会うことにした。


***


 彼女は、別人だった。

 派手な髪型と化粧に加え、露出度の多い衣服を着用し、気怠そうな様子で紫煙をくゆらせていた。

 同一人物なのかと本人に問うと、彼女は首肯を返した。

 一体、何故そのような変化をするようになったのかと訊ねたところ、彼女は学校を卒業してからのことを語ってくれた。


***


 仕事がうまくいかず、溜息を吐きながら街を歩いていたところ、彼女は見知らぬ男性から声をかけられた。

 落ち込んでいる様子の彼女を放っておくことができなかったと告げてくる相手に、弱っていた彼女は、簡単に心を許してしまった。

 相手の男性は、食事をしている間、常に彼女のことを慰めていた。

 そのような優しい言葉とは無縁だったために、気が付けば、彼女は相手の男性と一夜を共にしていたのである。

 関係は其処で終わることなく、彼女は男性と交流を続けていった。

 彼女にとって、自分を肯定してくれる人間ほど、求めていたものは存在していなかったのだ。

 だが、ある日、男性が暗い表情で現われた。

 常に明るい様子である男性の珍しい姿に疑問を発したところ、男性は、仕事で大きな失敗をしてしまったと語った。

 失った金銭を補填しなければならないとのことだったが、その金額はあまりにも大きかったために、男性はどうするべきか悩んでいた。

 そこで、彼女は男性のために働こうと決心した。

 これまで自分を慰め、支えてくれた人間に対する恩返しのようなものだった。

 彼女がそう告げると、男性は笑顔を浮かべた。

 彼女は手っ取り早く金銭を得るために、それまで無縁だった世界に飛び込んだ。

 それは、若い肉体の持ち主である彼女だからこそ出来る仕事だった。

 自分でも意外だったが、彼女はその世界でそれなりの地位を得ることができるようになった。

 数年後、必要だった金銭を手渡したのだが、男性は姿を消した。

 自分が騙されていたということに気付くまで、それほどの時間を必要とすることはなかったのだが、今の彼女にとって、男性の存在はどうでも良かった。

 何故なら、彼女は自分を認めてくれる世界で生きることができているからだった。


***


 話を聞き終えると、そのような経緯ならば、仕方の無い変化だと理解した。

 しかし、彼女は今の生活を、心の底から楽しむことができているのだろうか。

 再会してから、私は彼女の笑顔を一度も見ていなかったのだ。

 彼女は何処かで、この生活を望んでいないと思っているのではないか。

 では、他にどのような未来が彼女に存在していたのか。

 それは、私との交流が続いていた未来だろう。

 途中で疎遠になってしまったが、それでも私が接触を続けていれば、彼女には現在のような未来が訪れることはなかったのではないか。

 だが、私は即座に気が付いた。

 疎遠になってしまった理由は、恋人が存在していると私が虚言を吐いたことではないか。

 私と存在しない恋人に気を遣った結果、彼女は私から離れていったのである。

 私は、何と愚かな真似をしでかしたのか。

 今さら虚言だと告げたところで、彼女が元に戻るわけではない。

 当時の自分を呪ったが、それで過去が変わるのならば、苦労は無かった。

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