Day.5 日帰り箱根旅行と、お土産で旅の余韻を楽しむ日々。

「おぉー、やっぱりこっちの方は寒いね!」

ロマンスカーから降りると、地元とはまた違った冷たい澄んだ空気が体を包んだ。

「箱根湯本駅」と書かれた駅の看板をスマホで撮る果穂を、隼人が微笑みながら眺めている。

「どうする?何からする?」

明らかにテンションの上がっている表情で果穂が振り向いた。

休日の箱根は日本人も多いが、海外からの観光客も多い。ロマンスカーに乗っている時からそうだったが、周りの人々が話す言葉が国際色豊かで面白かった。

「取り敢えず温泉入りに行く?」

「そうしよう!」

事前に調べていた、日帰り温泉の施設を目指し駅を出た。土産物屋がずらりと立ち並ぶ光景を見て、隼人も徐々にテンションが上がってくる。

「美味そうなものいっぱいあるなぁ」

「帰りゆっくり見ようね」

漬物、蕎麦、干物…魅力的な店が次々に2人を誘惑する。

スマホの地図アプリで場所を確認しながら、真っ直ぐに続く道を進んでいると、左手にそれらしき建物を発見した。

「あれ?あそこかな」

川のせせらぎの音が心地いい。木漏れ日が差し込む先が旅館の入り口だ。

旅館に足を踏み入れると、木の優しい香りが鼻腔をくすぐった。館内は静かで、受付には年配の男性が、置物のようにちょこんと腰掛けている。

「いらっしゃいませ」

優しい声音で出迎えてもらい、靴を脱いで下駄箱にしまうと隼人は受付の前に立った。

「大人2名で、日帰り温泉を利用したいんですけど」

「こちらの料金になります。ただいま、貸切のお部屋を2時間単位でお貸しすることもできますけど如何しますか?」

2人で目を合わせる。

「どうする?」

「せっかくだからお願いしよっか」

「そうだね」

5秒で会議が終わり、早速部屋に案内してもらった。旅館の窓から差し込む光が暖かい。柔らかい絨毯の上をスリッパで歩く感覚が、旅館に来ているという気分を高めてくれる。

「こちらになります」

案内された部屋は和室の8畳ほどの部屋だった。

テーブルと座椅子が真ん中にあり、テレビがあるだけの部屋だが休憩するには十分だ。

トイレが部屋を出て突き当たりを右に曲がった所にあるということと、一階にある浴場の場所を教えてもらい案内をしてくれた男性はまた受付に戻っていった。

「いや、最高すぎない?」

2人きりになった途端果穂が鼻息荒く話す。

「ここでのんびりできるんだよね?いやー、めっちゃいい!やっぱり畳いいわー」

襖を開けたり、冷蔵庫の中をチェックする果穂をよそに隼人はポットから湯を汲み急須で緑茶を入れた。

家にいるときはあまり付けないテレビも付けて、無駄に昼時のニュース番組を2人で眺める。

普段とは違う場所で行う無駄な行為こそが、旅行の醍醐味だ。

隼人が注いだ緑茶を一口飲み2人で、深いため息をついた。

「こんな部屋泊まりたくなっちゃうよね」

平日休みの隼人と、土日休みの果穂。休みが合わないため、なかなか2人で出掛けることが出来ない。今回は奇跡的に1日だけ休みが被り、日帰りだが箱根に来ることになったのだ。

「…お風呂行こっか」

「ね。このままじゃここでゴロゴロして時間になっちゃう」

畳に横になった果穂が起き上がり、2人で部屋を出た。THE旅館の鍵、というようなアクリルのキーホルダーが付いた鍵をぶら下げ浴場へ向かう。

浴場の横に、マッサージチェアやソファのある待合室があった。

「先に出たらここで待ってて」

「おっけー。じゃあ後でね」

果穂と脱衣所の入り口で別れ、隼人は大浴場へ向かった。シャワーで軽く体を流し、露天風呂を目指す。

箱根のひんやりとした風が濡れた体を包み、冷たい石の床を背伸びで歩いた。

「さむっ」

誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟き、42度に設定された浴槽にゆっくりと体を沈める。

「っー!!」

ちょうどいい湯加減に、つい言葉にならない声が出てしまう。

温泉なんて来たのはいつぶりだろうか。前髪をかき上げながら記憶を辿る。果穂とまだ結婚する前、付き合ってる時にそういえば熱海に行ったっけ。結婚してから隼人は平日の休みしか取れなくなり、果穂と休みが合わずになかなか旅行にも行けなくなってしまった。

「果穂、泊まりで来たかっただろうなぁ」

今度は無理にでも休みをとって、一泊しよう。

疲れが溜まっている体を温かい温泉が水圧でほぐしてくれている。今日は休日で、駅前はあんなに賑わっていたというのに、ここの旅館の利用者は少なく隼人は今露天風呂を独り占めしている状態だ。

手足を大きく伸ばし、普段酷使している目元にタオルを乗せて温めた。


その頃果穂も露天風呂を堪能していた。

好きな入浴剤を入れて、自分だけの空間を堪能できる家の風呂も好きだが、やはり大浴場には叶わない。

目を瞑ると、水の流れる音と風で揺れる葉の音だけが聞こえる。駅からそんなに離れているわけでは無いのに、車の音や人の話し声も聞こえない。

この温泉はとろみのある水質が肌を綺麗にしてくれる、と書いてあった。湯の中で自分の腕を撫でると、確かにつるつると滑らかな肌になっている。

「おぉ…」

感動し、思わず肩まで浸かった。

最近特に忙しく、毎日精神的にも体力的にも削られている。隼人の手作り料理のお陰で体調も崩さず何とか立っているが、これが1人だったら…と考えると恐ろしい。

「食べたものが、血となり骨となり肉となるんだから、ちゃんと栄養のあるものを食べないと!」

耳にタコができるほど聞いている隼人の言葉だ。

「隼人くんには頭上がらないなぁ」

首の後ろにタオルを置き頭を乗せ、目を瞑って自然の音色に耳を澄ませた。


隼人が待合室のソファでテレビを見ていると、しっかり暖まったことが一目で分かる程頬をピンク色に染めた果穂が出てきた。

「お待たせ」

「ゆっくり出来た?最高だったね」

「うん、本当に最高!気持ちよかったー」

そして部屋に戻り、2人してごろんと畳の上に転がる。

「はー、畳いい!」

「うちは和室ないもんな」

行きにコンビニで購入した飲み物で水分補給をし、だらだらと何でもない時間を過ごしているとあっという間にチェックアウトの時間になってしまった。

「もっと居たい気もするけどお腹も減ったね!」

「そうだね、じゃあご飯屋さんを探そう」

会計をして旅館を後にする。手を繋いで再び駅の方へ戻った。


色々な店が並ぶ中2人が足を停めたのは天ぷらと蕎麦の店。大きな海老の天ぷらが2人の視線をロックオンする。

「ここにしようか」

「うん、そうしよう」

すぐ席に案内された。店内はもう既に美味しそうな出汁の香りが漂っていて、空腹度合いを加速させる。

たまたま食べたいものが被り、天ぷら蕎麦セットを2つと箱根の地ビールを注文した。

先に運ばれてきたビールを、一口で飲み干してしまいそうなサイズのグラスに注ぐ。黄金色に輝く液体に思わず喉が鳴り、グラスを軽く合わせてからたっぷり注いだビールを一気に喉の奥に流し込んだ。

「うまー!お風呂上がりのビール最高」

「外で飲むのも久し振りだね」

「外食してないもんね」

少し苦味の強い地ビール特有の味わいが、全身に染み渡る。

「お土産屋さんでこのビール売ってたら買って帰ろうか」

「そうだね」

蕎麦が運ばれてきた時には既に2人ともビールを飲み干していた。料理を運んできた店員に追加でもう一本ずつビールを注文する。

「うわーめちゃくちゃ豪勢!」

丼から盛大にはみ出している海老の天ぷらと、櫛のように綺麗に切れ目の入った茄子。海老に負けないくらい大きな舞茸、薄い衣を綺麗に纏った大葉と蓮根がほかほかと湯気が立っている蕎麦の上に乗っている。

「天ぷらは出来立てを食べないとな。よし、いただきます!」

まず大きな海老天にかぶりついた。蕎麦つゆを吸っているはずの衣はまださくさくとして、ぷりぷりの身がぎっしり詰まっている。火を通してこのサイズと考えると、相当大きいサイズの海老を使用しているのだろう。

上品な味の蕎麦は、細いが噛み応えがあり天ぷらに負けない存在感を放っている。

「天ぷらもお蕎麦も美味しいねー。海老で口がいっぱいになるの幸せすぎる!」

「蓮根もサクサクだよ!」

どれも衣の厚さが絶妙だ。隼人も時々揚げ物を作るが、天ぷら粉の水加減や油の温度がいつも定らず、なかなか満足のいく出来にならない。

「こんな風に揚げられたらいいなぁ」

「隼人くんが作る天麩羅も美味しいじゃん」

「俺の天麩羅はもっと研究が必要だな…」

真剣な顔で舞茸の天麩羅と向き合う隼人を見て果穂は笑った。

天麩羅も蕎麦も見た目はなかなかボリュームがあったが、あまりの美味しさに2人ともあっという間に平らげてしまった。

ビールも2本空けご機嫌になりながら店を出て、今度は土産物屋を探索した。

「干物は欲しいよね。ごはんのおかずに合うものも見たいなぁ」

「私はさっき通った時に美味しそうなソフトクリームのお店あったから食べたい!」

こんな時でも主婦目線の隼人とは裏腹に、果穂はしっかりと箱根を楽しんでいる。

暫く歩いていると、果穂が言っていたソフトクリームの店にたどり着いた。そこは養蜂場の直営店で、メインは蜂蜜関連の商品。そして露店で蜂蜜ソフトクリームが販売されているようだった。

「隼人くんも食べるでしょ?」

「あぁ、うん」

うきうきな笑顔を浮かべた果穂が、カップに入ったソフトクリームを両手に持って帰ってきた。滑らかな質感のソフトクリームに蜂蜜が上からかかっている。

「いただきます」

スプーンで掬って口に運ぶと、優しい甘さが口いっぱいに広がる。蜂蜜は上からかかっているだけかと思っていたが、ソフトクリームにも練り込まれていて濃厚な牛乳の味と蜂蜜の風味が合わさって美味しい。

隣で幸せそうな表情を浮かべソフトクリームを食べている果穂を見ていると自然と顔が綻ぶ。いつだって果穂は、口に出さなくても「美味しい!」という感情が表情全面に出るのだ。隼人が作った料理を食べている時も。

食べ終わったカップを返すため、店内に入った。

店内は様々な種類の蜂蜜や、蜂蜜を使用したのど飴やスキンケア商品が置いてある。

「ブルーベリー蜂蜜…レモン蜂蜜…色々あるんだね」

「せっかくだから買ってこうか。果穂、何がいい?」

「うーん…レモン蜂蜜がちょっと気になる」

「おっけ。じゃあそれ買ってこ」

可愛らしいコロンとしたフォルムの黄色い小瓶を手に取るとレジへ向かい、ついでにのど飴も一袋購入した。のど飴にしてはなかなかな値段だったが、旅行気分が財布の紐を緩めてしまう。

蜂蜜屋を出てから、大きなホッケの干物と漬物を購入した。蕎麦屋で飲んだ地ビールも忘れずに。

果穂は箱根オリジナルのシートマスクや職場に配る菓子などを手に入れ、大満足な顔をした2人は再びロマンスカーに乗り込んだ。


AM:6:30

眠い目を擦りながら果穂が寝室からとぼとぼ歩いてきた。

「おはよう。果穂、これ」

エプロンを付け、いつも通りの爽やかな笑顔を浮かべた隼人が湯気が上るマグカップを差し出す。

「白湯?あれ?いい匂いするー」

両手でマグカップを持ち、一口飲んだ果穂の頬が薄紅色に染まる。

「わぁ、レモン蜂蜜入りだー」

「うん。白湯に溶いて入れてみた。体もあったまるし、蜂蜜は喉にもいいからこれからの時期にぴったりだよね」

「朝コーヒーもいいけど、白湯もいいね。いい女になった気分だわ」

「何だそれ」

呆れたように笑いながら隼人はキッチンに戻り、果穂の弁当箱に蓋をした。

今日のメニューは、箱根で購入した大根の漬物を中に仕込んだおにぎりと、大きな出汁巻き卵。

隼人も自分用に入れたレモン蜂蜜入りの白湯を一口飲んだ。ほのかに香るレモンと蜂蜜の味わいが朝に優しい。

最近朝晩めっきり冷え込むようになり、夏の疲れが体に表れてくる時期で、なるべく内臓は温めたいものだ。

今日の夜はホッケの干物を焼こう。そう思いながら、ホッケを冷凍庫から冷蔵庫に移動させた。

たった1日の短い日帰り旅行だったが、暫く余韻は続きそうだ。



To Be Continued…

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