番外編3 こんな援助交際は、はじめて。

朝露の混じったみずみずしい草の香りが僕の鼻腔から入っていき、頭や目に染み渡っていくことでスッキリとした目覚めになった。


先に起きて窓を開き、網戸にした妻が心地よさそうに深呼吸をしていて、静かに起き上がった僕は彼女の背後に立つと同じように深く息を吸う。


「おはようございます、星一郎しょういちろうさん。」


昨晩は週2回の習慣である夫婦の営みをしてそのまま寝てしまったせいか、少し首周りから汗の据えた香りを放つ妻に鼻を寄せて彼女を感じる。


「すっかり夏の香りがするようになりましたね。」


妻は、そんな僕の変態的な行為に気がついていないのか同じく夏の香りを味わったのだと思っているようだ。


夏草の香りも捨て難いが、かきあげた彼女の髪の隙間から漂う昨晩積み上げた愛情と欲情の芳香に僕はやはり酔いたい。


「そうだね、おはようハニー。」


肩を抱きながら微笑みかけると、妻は“まぁ、”という顔をして困ったような照れ笑いをする。


「もう、ハルちゃんに聞かれたらどうするんですか。」


「陽ちゃんはまだこぐまちゃんだから、1人で起きるのは難しいし大丈夫だよ。それに、ハニーだって2人っきりの時は“パパ”じゃなくて僕のこと名前で呼ぶじゃないか。」


それは無意識のことで自分でも気がついていなかったのか、指摘されて顔を赤くした妻は急にドキリとしたせいで体の分泌物が変わり、より深い汗の香りを放つ。


コミュニケーションの中で都合の悪いことが起こったとする。


表情や言葉は取り繕えても、体の内側で起こることというのはなかなか隠せない。


しかし、それはときめきにも言えることだ。


もう10年以上の付き合いになる妻、月子さんはこういうところを隠すのが少し苦手で、ゾウに次いで鋭い嗅覚を持つクマである僕には隠した内面が簡単に読み取れてしまうのだった。


「もう、もう!恥ずかしいことを気づかせないでくださいな!」


それでも彼女は育ちの良さがあってか、言葉の部分と分泌される“本音”の部分にズレがなくてその素直さを僕はとても愛している。


僕なんかにはもったいない素晴らしい女性だ。


「ふふふ、ごめんね。とりあえず陽ちゃんが起きる前にシャワーを浴びようか。」


お互いもう40歳も間近になっているのに、新婚のようだなと我ながら思った。


しかし何も恥ずかしいことはない。セックスをして、甘い言葉を囁いて、パパとママではなく、夫婦として、2人っきりの男と女として愛し合うのが円満の秘訣に他ならないのだから。



______



「………」


身支度を済ませて食卓につくと、愛娘が顔をむくれさせている。


バターと蜂蜜のたっぷりかかったパンケーキにも手をつけず、頬をふくらませて足をぶらぶらさせながらあからさまに不満を顔に出しているのだ。


「?せっかくの土曜日なのにどうしたの、陽ちゃん。パンケーキ冷めちゃうよ。」


「…パパとママ、2人だけで朝お風呂入ってた…」


洗い物をする妻が一瞬ギクリと身体を震わせ、聞こえないという体で洗い物を続ける。


僕に何とかしてくださいと言っているようだ。


バレていたのか…。夜、もしかして聞かれなかったか不安が頭をよぎる。


「陽ちゃん、もう1人でも起きれるようになったの?偉いじゃない。」


「陽は1人で入りなさいって言われるのに、陽は抜きでパパとママだけ…」


誤魔化しは通用しなかったようだ。


幼稚園の頃までは家族みんなで入っていたのが小学生になって急に1人で、と言われれば確かに戸惑いもあるだろうし何よりクマ用の浴槽に小さな子ども1人では少々寂しかったかもしれない。


鼻を少し効かせると、バターとはちみつの香りの向こうでそれらを寄せつけないように漂う苦い香り。


それはまるで甘いものを欲するかのようで、言葉には出さないけど娘なりの“おねだり”なのだろう。


「パパとママはね、陽ちゃんを仲間はずれにしたいわけじゃないんだよ。パパだって陽ちゃんとお風呂入りたいけど、もうおねえさんなんだから自分1人だけでも入れるようにならないとね?陽ちゃんは、おねえさんになるための練習をしてるんだよ。」


おねえさんという大人扱いの言葉に娘の香りが変化をきたす。


「パパとママだって夜は1人で入るでしょ?でも大人は1人でも平気だから、2人で入っても大丈夫なんだよ。」


理屈としてはかなりおかしいけれど、こういう時に必要なのは、子どもにまず納得してもらうことなのだ。


大人、おねえさんという褒め言葉は自尊心を満たし、時として正論を上回る。


「じゃあ、こうしようね。今日はパパと一緒に入るけど、パパは何も手伝わないからシャンプーも陽ちゃん1人でできたら、たまにみんなで入ろうね。」


落とし所を取り付けてあげることで娘を陥落させると、ご満悦といった甘い匂いを出しながらパンケーキを食べ始めた。




「ごめんなさいね、パパ。どこまで言っていいか分からなくって…。」


「ううん、僕も自分で陽ちゃんにしつけたけど、流石にまだ7歳なのに全部1人でやらせるのはどうかなって思ってたとこ。」


愛娘がまだ小さなお口でパンケーキを頬張っている姿を遠くから見ながら話していると、妻がお小遣いを財布に入れて僕に渡す。


「…?少し多いんじゃない?今日はファーストデイだからチケットも安いけど。」


「映画だけじゃなくて、星一郎さんもたまには贅沢してくださいな。」


そう言いながら僕に微笑みかける妻からは女性特有のはちみつとは少し違う、甘いフェロモンが香っていた。


「ハニー。」


「…っ、はい?」


「おねえさん、って陽ちゃんにも言っちゃったし…そろそろ2人目に挑戦してみる?」


「まぁ!」


赤くなった妻の鼻に小さくキスをすると、ちょうど朝食を食べ終えた陽ちゃんにそれを目撃されてしまい、ママずるい!と叫ばれてしまった。




「それじゃあ映画と…たまには美味しいものでも食べようかな。夕方には帰るから。」


「ゆっくりしてきてくださいね。」


「いってらっしゃい、パパ。」


んー、と目を閉じてチューを待つ娘の鼻にキスをしてやり、僕は1人、映画鑑賞をしに行くために家を出る。


幸せな香りで満ち満ちた家!家族!なんと僕は幸福なのだろうか!



______


それが、今朝の出来事だ。


現在、時刻は雨のふりしきる14時。


僕は、都内のラブホテルにいた。


家族に言えるわけもない、僕の後ろ暗い趣味と性癖を満たすために。



「今、何考えてるの?オジサン。」


僕はソファーに深く腰かけ、その目の前では髪を濡らしたカンガルーの女子高生がサウナスーツのジッパーをゆっくりと下ろしている。


「君のことを考えているから、そのまま続けて?」


カンガルーであること、衣服越しでもわかる細く引き締まった身体、疲労骨折を何度も繰り返してるのか少し歪んで見える、テープとコールドスプレーの匂いがする手。


察するに彼女はボクシング部なのだろう。


「ハイハイ。でも、ロードワーク中に声かけられた時はビビったけどね。…別に今日オフだけどさ。」


苦笑しながらジッパーを下ろしきった彼女が僕に正対し、両手でスーツの裾をつかみながら広げ、ハグを待つように僕を誘う。


湿気と熱気の漂う中ひたすらに汗を閉じ込め続け、抑圧された彼女の中から排出された空気は湯気を生じさせるほどだった。


「ほら、お望みの空気ですよ。オ、ジ、サ、ン?」


夜の誘蛾灯に群がる羽虫のようにフラフラと導かれ、深呼吸をしながら彼女の胸に顔をうずめると、彼女は私を包むようにスーツを閉じて群れた空気を密閉する。


彼女の濡れた体毛に鼻を添わせて、染み込んだ汗を遠慮なくねぶる。


健康的な、若々しい努力がが染み出した彼女の汗の味。


しかし、この僕を包む空気はどうだろうか。


彼女の顔は伺えないが、僕が湿った毛に舌を這わせる度にら蒸発した汗の香りよりもオスを呼ぶための淫らなフェロモンが徐々に濃くなるじゃないか。


「あっ…やだ…オジサン舌おっきっ…ぺろぺろ舐めてるぅ♡」


彼女の汗と淫臭、そして媚びる声にあてられて、昂った僕は彼女の下腹部___子宮のあたりを強めに鼻で押してやると彼女は嬌声をあげ、軽い絶頂に身体を震わせる。


やはり、彼女に声をかけて正解だった。


______



映画を見終えた後、雨音を聴きながら栄えたビル街を少し離れ雑司ヶ谷を散歩していたところ、そこに彼女はいた。


土曜日の昼間だというのに遊ぶことをせずストイックにランニングをする感心な子もいたものだ___


そう思ったのは束の間、彼女の表情から読み取れる悩ましい顔、そしてサウナスーツから僅かに漏れ出るむっとした香りは、“発散”とは違う、むしろ“開放したい”という欲求不満を表しているように思えて、つい声をかけてしまった。


「そこのお嬢さん。よければ、オジさんに買われてくれないかい。」



______


そして現在彼女は、まるでストリッパーか何かのようにこちらをいやらしい流し目で覗きながら片足を立てて、見せつけるようにゆっくりゆっくりと履いた靴下から足を抜いた。


スポーツをしているとやはり性欲が強くなる。


若さゆえの多大な体力はそれを持て余しやすい。


「美しい脚っ…!無駄がないんだね。」


彼女は抜ききった足をそのまま僕の鼻先に持っていき、土踏まずでずりずりと撫でる。


爪の先を老廃物まみれの雫が伝い、僕の鼻を濡らし、彼女の持つ湿度が僕の乾きをほぐしていく。


カンガルーの少女は自分の足が圧倒的生物強者であるクマを足蹴にしていることに悦び、瞳にはややサディスティックな光が見えた。


サウナスーツのズボン部分はまだ脱いでいないため、内に籠った熱は汗となってとめどなく隙間から流れ出る。


「まだだまだっ…!もっと…!流した汗を擦り込んで…!乾いた大地に染み込ませてっ!」


殴り合いで相手を打ち倒すスポーツであり、減量など制限も多いスポーツだ。


フラストレーションがたまらないわけが無い。


彼女は気づいていないだろう。自分の発する欲情の香りが汗の香りを上回り始めていること、そして、息遣いが僕よりも荒いことを。


「踏みつけるだけでいいのかいっ!?もっと出して!全てさらけ出すんだ!自分の欲求!心!内側まで!生きる香り!“命”の香りだっっ!」


僕がそう叫ぶと、彼女は着ていたサウナスーツ、インナー、下着に至るまで全てを脱ぎ捨て僕の顔に股を押し付けた。



______



汗と雨混じりの液体を惜しげも無く撒き散らしながら僕の身体の上で跳ねる彼女が何度目かの絶頂を迎えたあと、お腹の上に倒れ込む。


社会でTPOを弁えながら生きる者達がひた隠しにする、ケダモノの香りがそこにはあった。


「はぁ、はぁ、おじさん、なんか…ありがと。」


「僕こそさ。キミは、今まで出会ってきた天使の中で一番の逸材だったよ。間違いなく。」


援助交際は、ほとんどがお金を得るための“手段”でしかない。


こちらの言葉に一切耳を貸さず、虚空を見つめるだけのもの言わぬ少女だって珍しくない。


だからこそ、僕と巡り会うまでの彼女たちの道程、すなわち生きてきた証、生の証として僕は汗や皮脂、匂いを尊んできた。


しかしこのカンガルーの少女はどうだろう、細かい事情こそ分からないが溜め込んでいたものを、繕わないままに花火のように爆裂させる、生命の鼓動とも呼べるまぐわいをしたではないか。


「思ったけど、オジサン、臭いのが好きなの?」


「そうだね。というよりも、本当のところは誰しもそれが本来の姿なんじゃないのかな。」


本心だった。


彼女はそれを聞いてかは知らない、ただ僕の目をじいっと見て、何かを値踏みしているかのようだった。


「ふぅん、じゃあ、こういうのってどうかな?」


彼女は僕の眼前に座り込むとおなかの部分に指を滑り込ませ、ぴりり、と割いていく。


「ここ、垢とか溜まりやすいから臭い籠りやすくて、カンガルーの子達って普段は専用の“のり”で塞いでるんだよね。」


指が横に滑る姿に僕は刮目した。


彼女の子宮に押し付けた時も感じないほどに密閉された、カンガルーが子供を保護するための袋が開いていく。


それは、男のモノを欲しがる女が自らの性器を開くよりもはるかに淫靡な光景。


そう思わせるほどに香るそれは、僕の上でまぐわっていたよりもはるかに強い、香り。


「君…これは…!」


「カンガルーが、ほんとのほんとに大事にしてるトコ、味わってみる?」


穴だ。穴を覗いた。


相対して思う。これはバツグンの引力を持っている!


彼女は母親のような気分を錯覚しているのか、優しく僕の頭を撫でるように掴んでいるだけ。


それだけなのに、僕が見た穴、そこから出るこの香りは、なんとも抗いがたい。


顔を突っ込み、開けた目を閉じて一呼吸。


視界が赤く、血管の一筋一筋が見えるようだ。

もっと暗いかと思っていたのだが、膜の奥で白い光を感じるような…そして温かい。


匂いは一色、彼女で満たされている。


臭みを好む僕でさえ少々キツイかもしれない香りなのに、不快ではない。


脳裏に浮かぶのは全て彼女。しかし、それは先程の淫らな彼女ではなく、安らかな表情でお腹を撫でながら子守唄を歌う彼女だ。


この匂い、そうか…。


我が子がこの香りこそ母親だと分かるように、主張するためのものなのか。


体の内の内の内…僕にも眠る内…これは、命の揺り籃?


子が見る最初の、根源たる母の光景が、この香りなのだ!生まれてなお、子を安心させるためにあの袋へ。“ここ”はこうあるべきなのだ。


誰も彼もを無垢たる赤子へ…善悪のない穢れなき純然たる無垢…濁りの無い純粋な命!誰も彼も平等に赤い臓腑の色だ!!彼女の袋こそ…根源!!その覗き穴!!!


そうだ、僕もここから生まれた…。


ここから…。


宇宙…。


おおお。


おおおおおおお…。


______


家に帰りつく頃には19時を超えていた。


「お帰りなさい、遅かったですね。電話にも出ないから心配したんですよ。」


扉を開けるとお玉を持ったまま妻が心配そうに駆けてくる。


シチューと、お風呂上がりの入浴剤の香り、はちみつ配合のヘアオイル。


僕の好きな幸せの匂いだ。


「心配かけてごめんね。急ににわか雨に振られたもんだから、銭湯で雨宿りしてたら共有スペースで寝ちゃってたみたいで。」




あの香りに触れてからいつの間にか気を失っていたようで、名前も知らないカンガルーの少女は既に部屋を出ていた。


書き置きもなく、財布からは5000円と小銭、カード類を残して万札は全て抜き取られていて、代金として頂戴されたようだ。


妻が多めに入れておいてくれた5000円札がなければホテルの支払いは危うかったかもしれない。



「それで電話も…傘、持たせておけばよかったですね。」


本当は新しいものを買っていたけど、証拠隠滅のために適当なコンビニの傘置き場に差しておいた。


きっと誰かが回収するだろう。


「えー!?パパ、外でお風呂入っちゃったの?」


外着のままの娘がテレビのリモコンを持ったまま、袖をまくったわんぱくな姿で駆け寄ってくる。


「公園で遊ばせてたらいつもより汚れて…先に入りなさいってずっと言ってるんですけど…」


「だって、パパがちゃんと入れるか見るって言ったんだから汚れてないとわかんないもん!」


「いや、ちゃんと陽ちゃんと入るよ。…服も生乾きのままでちょっと臭いしね。」


「くさいー!」


愛しい家族と 3人仲良く玄関から家へ入っていく。



ただいま。



______


「今日は星一郎さん、陽ちゃんみたいな可愛い香りがしますね。」


妻が僕の頭を梳きながらくすくすと笑う。


「小さい子向けのシャンプーって、おもちゃみたいな香りするんだね。もうおねえさんだからーって、洗われちゃったよ。」


「もうおねえさんだから明日もパパとママと入るんだって喜んでました。」


「なんか、当初の目的からは離れちゃったけど、まぁいいのかな?…今日は僕、ずっと家にいなかったし明日はハニーもどこか出かけたら?陽ちゃんは僕が見るからさ。」


「私はそんな…。強いて言えば、星一郎さんと一緒の方が。」


「うーん…じゃあ、家族風呂に行かない?学校で先生から聞いたんだけど、個室で家族だけで入れる温泉あるんだ。」


「へええ…そういうのもあるんですね。」


「帰りにご飯と…暑くなってくるし、アイスクリーム食べながら帰ろうか。」


「ふふふ…すてき。」


網戸にして夏風にうたれながら妻の顔を撫でていると、満足そうに彼女は目をとじた。


僕も目を閉じる。


脳裏を過ぎるのは、あのカンガルーの濃密という表現をするには控えめすぎたあの香り。


彼女は本当にいたのだろうか?もしかすると、映画を観たあとの僕が見た白昼夢だったのでは?


いつも援助交際した女の子に頼むように、衣類の一部を買い取って秘密に契約しているトランクルームに閉じ込めておけばよかったかもしれない。


しかし、意識をなくしていたとしても僕はそれをしなかったと思う。


妻の使うシャンプーの香りと、初夏の風が運ぶ緑の香りが僕の鼻腔に留まるあの少女の香りを塗り替えていく。


「これだから、やめられないよね。」


「…んん…ぅん?」


「なんでもない。おやすみハニー、愛してるよ。」


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はじめての援助交際 智bet @Festy

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