第56話 時には我儘も
師匠が病気だなんて、それも治る見込みのない重い病だなんて信じられない。信じたくない。
「嘘だよ……」
壁に寄り掛かり、そのまま崩れるように床へ座り込む私の頬を自然と涙が流れる。声をあげて泣けば二人に気付かれてしまうからどうにか声は堪えるけど涙が止まらない。
考えてみれば、里帰りしたときに見た師匠は瘦せていた。顔色が悪かったのも寝不足が原因なんかじゃない。なんで気付かなかったの。私は薬師じゃないの⁉
「……薬師失格だよ」
久しぶりに師匠に会えた嬉しさで冷静になれてなかったんだ。普段なら絶対見逃すはずがない。それなのに私は――‼
――ソフィー殿
ドア越しに聞こえるアリサさんの声。部屋に籠った私を心配してくれているんだ。そういえば前にもこんなことあったよね。たしかエドと喧嘩した時、あの時も部屋に籠った私を心配して部屋まで来てくれたっけ。
「ソフィー殿、入るぞ」
「まだなにも言ってませんよ」
「ノックはした。前にも似たようなことがあったな」
「エドと喧嘩した時ですね」
「そうだったな。隣に座っても良いか?」
応える間もなく私の横に座るアリサさん。これもあの時と同じだ。あの時もこんな風に二人並んで話したよね。
「ソフィー殿。その、ルーク殿のことは悪かった。エドから相談を受けた時はどうすべきか本当に迷った」
「そう……ですよね」
「だが、ルーク殿があのように望んでいるなら、ソフィー殿には知らせない方が良いと判断した」
「もしかしてこの前『私を守るって決めたんだろ』ってエドに言ってたのは?」
「ああ。ルーク殿の手紙があったからだ。エドなりにルーク殿の願いを叶えようとしてるんだと思う」
「そうですか……その、ごめんなさい」
「なぜ謝る?」
「私が変に探りを入れたからエドは言いたくなかったことを言うことになったんですよね」
「ソフィー殿は悪くない。正直、アタシたちも隠し通せる自信はなかったんだ。それで、本当はどうしたのだ?」
「どうしたいって――」
答えに迷いました。本音を言えば王都に帰りたい。師匠に会いたい。でも、私はこの村の薬師なんです。そのことがどうしても足枷になるけど、アリサさんはそんなことお見通しと言わんばかりに私の頭をそっと撫でてくれます。
「ソフィー殿。こういう時こそ我儘になるべきなんじゃないのか?」
「我儘なんか言ったら村の人たちに迷惑掛けちゃいます」
「迷惑なんて誰も思わないさ。ソフィー殿は村の薬師である以前に一人の人間、たとえ血が繋がっていなくてもルーク殿のただ一人の娘だ。そうだろ?」
「……本当に、我儘言っても良いんですか?」
「ソフィー殿は村の為に頑張ってるんだ。たまの我儘くらい罰は当たらないさ」
「アリサ……さん……」
「それで、ソフィー殿はどうしたいんだ?」
「私、帰りたいです。師匠に会いたいです! 会って、精一杯の恩返しをしたいですっ」
「そうか――だそうだ。エド、そこにいるんだろ」
「え?」
いまのエドにも聞かれたの⁉ 弱音を吐いたようでなんだか急に恥ずかしくなってきた。
「そこにいるの⁉」
「ったく、帰りたいならさっさとそう言えよ」
「いまの聞いてたの⁉」
ドア越しに聞こえるエドの声にいつも調子で反応する私だけど、たぶんは目は真っ赤に腫れている。こんな顔エドには絶対見せられない。
「お、お願いだから絶対ドア開けないで!」
「開けねぇよ。その代わり、次からもう少し素直になれ」
「う、うるさいわねっ」
「まぁ、良いけどさ。ちょっと爺ちゃんとこ行ってきます。ソフィーのことお願いしますね」
「わかってる。なぁ、ソフィー殿?」
「はい」
「エドに弱さを見せるのは恥ずかしいかもしれない。だがたまには弱さを見せないと自分が潰れてしまうぞ?」
エドの足音が遠ざかる中、優しく諭してくれるアリサさんは優しい目をしていた。その姿はお姉さんと言うより母親のようで、すごく安心できるなにかに包まれたようでした。
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