第4話 捨てられていくもの

 エデンは花束を抱えて立ち止まった。

 マシューの手伝いで街の教会へ花を届けに来たのだ。荷馬車から色とりどりの花を下ろし、最後の花束を下ろしていて道ゆく人々の噂話を勝手に拾った耳が衝撃的な内容を脳に伝達し、足を止めさせた。

「あら、それじゃ、姫様のことはどうなるのよ」

 教会脇の石畳で噂話に興じるおばさまたちの言葉に大きく耳を立てて、エデンは注意深く息を整える。

「だって、お亡くなりになったって話でしょ?カウチラベリの王子様は姫様を好いておられたのに、残念よねえ」

「そんなこと言って、亡くなられてまだそんなに時間も経ってないって言うのに、もう他の国のお姫様とご婚約って、そんな無情な話ってあるのかしら」

「仕方ないんじゃない?それが王族ですもの」

 王族。カウチラベリ王国の、王子。

 エデンは呆然として立ち尽くす。

「どうかしたかね、エデン?」

 花束を抱えたまま固まっているエデンにマシューが心配そうに声をかける。

「……いえ、なんでもないのよ」

 エデンは我に返って花束をマシューに預けた。

「仕方のないことだよ」

 マシューは小声で慰めるように言った。どうやらマシューにもおばさまたちの噂話は聞こえていたらしい。エデンの元の地位であるアントレーネ姫の婚約者が他の婚約者を選んだという話を。

 胸がざわついたのは本当だ。しかし、もう遠い場所の話である。

「違うの。少し感傷に浸ってしまっていただけ。どうってこと、ないわ」

 エデンは微笑んでみせる。

「そうかい?」

 マシューはまだ心配そうにしている。

 エデンと婚約者が仲睦まじい、という話は王宮でも割と有名だった。政治的な婚約だったが、お互いを気遣い、愛を育む相手として認識できるくらいには良好な仲だった。実際、マシューは庭を楽しそうに散歩している二人を陰ながら見守っていたのだ。

 アントレーネの婚約者は美貌の主で細やかな気遣いのできる優しい青年だった。

 王族に連なる身分で異性と気軽な話ができるような仲になるほどの出会いは、まずないと言っていい。母同士が親しい幼馴染のスナトリウムは特別だと言える。そんな中で婚約者となった彼にアントレーネがのぼせあがるのは自然な流れと言えた。彼も熱い眼差しで彼女を見ていた。

 お互いがお互いを最良の相手だと思っていたのだ。

 過去を、もう引きずりたくない。

 エデンは想いを振り切った。

 恋とか愛とか、もうたくさんだ。大好きだった伯父が頭に浮かぶ。いかに恋愛が楽しいもので人生を豊かにするのか語っていた時もあった。だからアントレーネの為に最良の相手を見つけるのだと、そう言っていた。

 迫り来る伯父の鬼の形相が思い出される。あんなに優しかった伯父の変化を恐ろしいと思う一方で、その理由を猛烈に知りたい。けれど、同時に、恐ろしくて考えるのが怖いのだ。

 アントレーネの人生はもう終わった。

 エデンには、あの素敵な婚約者はいない。彼が他の女性の手を取り微笑んだとしても、それがエデンになんの関係があるというのか。

 あの微笑みが違う誰かに向けられることに胸の痛みを覚えるような、そんな立場の娘はもういないのだ。

「あ、エデン!」

 突然、明るい声が降りかかる。

「イーゼル?」

 振り返るとイーゼルがレストランの制服姿で手を振っている。

「エデンも仕事?私も教会に食材を届けに来たの。あ、マシューさん、こんにちは。ちょっとエデンと話していても大丈夫ですか」

「ああ、もちろん」

「だって、エデン。そこの椅子に座って話さない?私も休憩したいところなのよ」

 底抜けに明るいイーゼルの言葉にエデンは微笑んだ。

「イーゼル、その制服、可愛いわね。よく似合っているわ」

「でしょ?エデンはなんでも似合いそうだから関係ないかもしれないけど、制服効果ってあるのよ。これ着ているだけでモテるのよ?」

 ふふふ、とイーゼルは笑って見せた。

「イーゼルは音楽家が好きなのかと思っていたわ」

 二人でベンチに腰掛けるとイーゼルが興奮気味にエデンに詰め寄る。

「聞いてくれる?とっても良い男なのよ、その音楽家。はぁ、あの瞳に見つめられたら、どんな女もイチコロよね。おまけに、なんなの、あの繊細な手。楽器を弾く手を見てたら、あの手で触れられたいって思うわよね。完璧な容姿に麗しい瞳!あんな男そうそういないわ」

 鼻息も荒く言い置いて、イーゼルは次の瞬間しゅんとなった。

「どうしたの?」

 エデンが尋ねると彼女はため息をついて空を見上げた。

「それがね、あの人、全然つれないの。丁寧なのよ?礼儀正しい紳士だし、嫌な思いなんてしないんだけど、こう、線引きをハッキリさせられているっていうかねえ」

「うん?」

 恋愛経験の少ないエデンにはよく分からない話である。

「脈がないですよって言われてるようなもんなのよ。でも、凄く良い男だから諦めきれないのよね」

 イーゼルはほうと息をついてエデンを見た。

「エデンも話してみたら虜になっちゃうわよ?あれ、でもエデンって淑女って感じで彼と良い感じになるかもしれないわ。案外、あなた達うまくいくかもしれないわね?」

 イーゼルはあっけらかんと言い、ポケットから出した飴をエデンに分けた。

「恋愛って楽しいけど悲しいわね。でも、誰かを想う気持ちって素晴らしい力をくれるものね」

 そう言って彼女は微笑んだ。エデンは彼女を眩しく思う。

「いつまで話してるんだい、イーゼル。仕事に戻るぞ」

 エプロン姿のシェフがイーゼルを呼ぶ。

 イーゼルは勢い良く立ち上がった。

「それじゃ、エデン。またね!」

 嵐のようなイーゼルの姿にエデンは笑みが溢れる。

 彼女のお陰で気分が晴れたのだった。




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