第5話 曇天の道行

「ありがとうございました」

 エデンは街道沿いのレストラン『マーリィ』に花を届けて、代金とおまけのおやつをもらうと来た道を引き返した。この店への配達はエデンが担当している。『マーリィ』の女主人アデルがアメリの友人でエデンにも良くしてくれるからだ。

 行きは快晴だったのに、店を出る頃から雲行きが怪しくなってきた。

 花を入れていた大きなカゴを抱え直し、エデンは空を見上げる。急いだほうがよさそうだ。暗い雲に覆われた空は今にも泣き出しそうに見える。

 エデンは空に気を取られていて気が付かなかった。地面に穴が開いていることを。

「!」

 エデンの足が地面を失って落ちる。衝撃に驚いて声が出ない。

 膝まで落ちてから、エデンは自分が穴ぼこに右足を取られたことにやっと気がついた。

 しかも、結構痛い。

 思わず地面についた両手がジンジンと痺れたように疼く。右足は足首から膝まで斜めに擦り傷ができていて、血が滲んでいる。

「ふう」

 痛みに泣きそうになっているが、なんとか足を穴から出して落ちたカゴを拾う。

「痛い」

 やっぱり泣きそうだ。

 エデンはぎゅっと拳を握って耐える。

「大丈夫?」

 不意にすぐ側で若い男の声が聞こえた。ビクッと肩を揺らしてエデンが見たものは広場でリュートを弾いていた青年だった。

「血が出てるじゃないか」

 彼は背負っていた楽器と荷物を置いて、ポケットからハンカチを取り出すとエデンの傷口を拭く。

「あの、大丈夫ですから。ハンカチが汚れちゃう」

「いいよ、そんなこと。それより、傷口を洗わないと。どこかいい場所ないかな」

 キョロキョロと辺りを見回して、牧草地の近くの水飲み場の井戸を見つけた彼はひょいとエデンを横抱きにして楽器と荷物、カゴも持って走り出す。

「ちょっ」

 あまりに突然のことにエデンが羞恥心で真っ赤になる。

 女性をいきなり抱き抱えるなど聞いたこともない。

 彼女の婚約者だった青年も貴族にしてはよくスキンシップをしてくる人だったが、ここまでではない。

 彼は彼女の気も知らず、平らなところに荷物を置いて井戸の淵の岩場にエデンを座らせる。

「沁みるかな」

 彼は井戸から水を出し、エデンの足を濡らしていく。

 かなり痛みがある。

 エデンの顰めっ面に彼はすまなさそうにしつつも、容赦なく傷口を洗い流した。

「良さそうかな」

 汚れが落ちた傷口が顕になると、思っていたよりも深いのだと分かる。

「君、名前は?」

「エデン」

 彼は荷物からガーゼと包帯を取り出してテキパキとエデンの足に巻いていく。

「エデンか。神の庭の名前だね。ああ、ここに消毒液があれば良かったんだけどな。家に帰ったらちゃんと消毒してくれよ」

「ありがとう。あなたの名前は」

「私はスカイラム。みんなスカイって呼ぶよ。ところで、家は遠いの?送って行くよ」

 送る?エデンの聞き間違いだろうか。

 エデンは婚約者を見送ることはしても、見送られたことはない。それに家を出てどこかへ行くときは騎士が常に一緒だったから、誰かに見送ってもらうということが必要なかったのかもしれない。だからこそ、男性が自分の家に送り届けてくれるという行動が不思議に映るのだ。

「ありがとう?」

 疑問詞が付く感謝の言葉にスカイはきょとんとしてエデンを覗き込む。金色の混じった不思議な青い瞳がエデンを見つめている。

「家を知られたくない、とか?何か事情があるのかな」

「いいえ。初めて送るって言われたから、ちょっと戸惑っただけ」

 エデンは赤くなって答えた。

 通常年頃の娘は何と答えるのだろう、と悩んでいると、またヒョイっと抱え上げられた。

「初めて……?とにかく、ひどい傷だから、このまま歩いて行くよ?」

 彼は見た目は細いのにがっしりした筋肉のついた体だった。思わぬ力強さにエデンが硬直する。

「エデン?」

「あ、いえ、ありがたいんだけど、重いでしょう?降ろしてくれてかまわないから」

「怪我人を歩かせるなんて紳士としては最低だろ?大人しく任せて」

 彼はグングン歩いて行く。

 泣き出しそうな空はそのままで、天気も気になるし、スカイのことも気になるし、エデンの頭は大混乱だ。

「どっち?」

 分かれ道でスカイがエデンを見つめる。その澄んだ色にエデンの胸の鼓動が高鳴る。

「右へお願い。そこから先は一本道なの」

 ここからはもうマシューの土地だ。計算された植物が植えられ、見事な花を咲かせている。手前は低く、奥は背が高い花が咲いていて吐息が出るほど美しい。

「あなたの演奏、聞いたわ」

「広場に来ていたんだ?ありがとう。演奏はどうだった?」

「美しい音色だった。気に入ったわ」

「それは嬉しいな」

 楽器は高価なものだ。おいそれと買えるものではない。まして、それを使いこなすほどの腕前となると、相当な鍛錬を積む必要があるだろう。

「どうして歌じゃなくて楽器を弾いているの?」

 純粋な興味から尋ねると彼は寂しそうに微笑んだ。

「今できることがそれだから、かな」

 あまり立ち入って聞いてほしく無さそうだと悟り、エデンは黙った。

 エデンは美しく整った彼の顔を眺める。

 どこかの貴族だったのかもしれないし、違うのかもしれない。事情は人それぞれだ。エデンにも語れない過去があるし、今でも恐怖に怯える日々だ。根掘り葉掘り聞かずにおこうと思う。

 家に着くとマシューとマルコがちょうど帰って来たところで、馬車の荷台から荷物を降ろしているところだった。スカイに抱っこされたエデンを見て血相を抱えてやって来る。

 エデンが事情を説明するとマシューが土下座せんばかりにスカイに感謝して、エデンが無事だったことを泣いて喜ぶ。

「本当に感謝してもし足りねえくらいです」

 マシューがウルウルと涙を溜めた瞳でスカイに縋り付かんばかりに迫っている。スカイは恐縮してエデンに助けを求める。

「お茶でも、どうかしら」

 エデンが提案するとマルコが引きずる様にスカイを家の中に案内する。

 奥でうたた寝していたアメリが何事かとやって来て、大騒動のお茶会が始まった。

 

 

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