第12話 出立の時

 エステラント侯爵家の馬車が領主館の玄関に到着すると慌ただしく中から侯爵その人であるスナトレイルが飛び出して来た。

 メイドに混じって彼を出迎えたエデンは、そのまま引きずられるようにして屋敷の中にある書斎へ連れて行かれた。

「アント……いや、エデン。手紙を読んだ。正気なのか」

 真剣な様子で詰め寄られ、エデンは苦笑した。

 スカイが旅立ってから、もう三週間も経ってしまっている。エデンはすぐにマシューに相談しつつ、王都にいるスナトレイルに手紙を出したのだ。

「やはり頭がおかしくなったと思うのね。私も自分が信じられな位くらいなの。でもね、分かるの」

「何を?」

「私が幸せにしてあげられるのは、あの人しかいないんだって」

 嬉しそうな様子のエデンに渋い顔をしたスナトレイルは盛大に吐息をついた。

 それを見て、しょぼん、とエデンが肩を落とす。

「助けてくれた恩人に迷惑をかけられないとは思うの。私がのうのうと生きていて旅をしているだなんて、伯父さまに見つかったら只事じゃないと、ちゃんと理解しているのよ」

「それは……君の身が一番大事だからね。私の身分なんて君を助けられる道具でしかない。だから君は君らしく生きていて良いんだ。しかし、出会って間もない男と駆け落ちのように旅をするっていうのは、心配を通り越して禿げそうなくらいの恐怖だよ」

「まあ、スナトレイル。面白い表現をするのね」

 コロコロと鈴を転がすように笑っているエデンに脱力して、スナトレイルは幼馴染を見つめる。

「本気なんだね。君は今まで見たこともないくらい瞳を輝かせているよ」

「そう思う?私にとって、あの人は一緒にいてとても楽しくて、楽に息をさせてくれる人なの。それに世界が美しいと気付かせてくれた人なのよ。色々事情があるみたいだけれど、きっとそれを乗り越えていけると思うの」

「確かに事情は大有りみたいだね」

 スナトレイルは眉を寄せて難しい顔をしている。

「調べたの?」

「ああ、すぐに。詳しい内容は出てこなかったけど、君の相手だとして、身分はしっかりしているし、いやしっかりしすぎているが、不足はないとは思うのだが、結局、はいそうですかと喜んで応援できるような相手ではないと判断した」

「でも、こちらの王家とは縁もないことだし、一緒にいたとしても伯父さまには分からないと思うわ」

「そうだとしても、何か曰くありげな王家に嫁がせるなんて、私は心配だし、君には何の苦労も不安もなく幸せでいて欲しいんだ」

 彼の親愛の情にエデンは感動して目が潤んでくる。

「あなたって本当にいい人ね、スナトレイル。でも、あなたにだけは許して欲しいと思っているの。私を私らしく認めてくれるあなたには。ねえ、私をあの人の元へ行かせてくれる?」

 エデンは彼の手を握った。ぽろっと彼の目から涙が落ちる。驚いたエデンはオロオロして彼の目尻を慌てて拭いてあげることしかできない。

「どうしたの、スナトレイル」

「いつも君は私を助けてくれた。そして君はいつも助けたっていう気はないんだ。私がどれほど感謝しているか知らないだろう」

「え?ええ」

「本当に鈍感で善良で、心配が尽きないお姫さまだよ、君は」

「あら、そんなに困らせていたなんて知らなかったわ。ごめんなさい?」

 エデンは兄のような、弟のようなスナトレイルの顔を覗き込む。

「いいかい、私あてにこまめに手紙を必ず出すこと。身分は相変わらずマシューの娘だよ。そして君のやること全てに私の、いやエステラント侯爵家の威信が付いているということを忘れないで」

「あら、困ったわ。そんな大それた行いはできないもの」

 心底困ったように言うエデンにスナトレイルは笑った。

「君の背後には私がついている。大きな気持ちで冒険しておいで」

「スナトレイル……」

 エデンは彼の手を両手で包んだ。

「ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう、エデン。君が幸せであることだけを祈っている」

「ええ。私も、あなたとアンヌ嬢の幸せを祈っているわ」

 エデンは最後にしっかりと握手を交わして、マシューの家に戻った。

 花が溢れ、緑の美しい草花の茂る家は居心地がいい。

 最初、マシューもアメリもマルコも、旅について行くと言ってきかなかった。しかし、エデンのわがままを許してくれたのは彼らの大きな愛情があるからだった。それをとても感謝しているし、恩返しもしていないままで旅立つのは非常に心苦しいと思うものの、スカイに会いたい気持ちが上回ってしまうのだ。

 とても言葉では言い表せないマシューたちへの想いは捨てられない。だから持ち続けることにしたのだ。スカイに会って、彼と旅をして、彼の目的が達成されたら、ここへ戻る。そう決めた。束の間でも彼の支えになりたいから、その間だけわがままを許してもらいたい。それに、村娘であるエデンは彼との将来を望めないのだから。

 それでも行くと決めたことをマシューたちは応援してくれる。血の繋がった伯父には殺されかけてしまったが、そのおかげで家族になれた血の繋がらない家族にはとても愛されている。

 なんて幸せなのだろう。

 無条件の愛情を受け取れる幸せを、エデンは知ったのだ。

 一時でも別れが辛くないと言えば嘘になる。外の世界はまだまだ怖いし、居心地の良いマシューの家はエデンの楽園だ。

 でも、こんなにもスカイに会いたくてたまらない。

「エデン、心の準備はいいかい」

 マシューが居間で待っていて、エデンを見付けると穏やかに言った。

「ええ。わがままを許してくれて、ありがとう。行ってくるわ」

 エデンが言うと、アメリが彼女の小さな旅行鞄を手渡してくれる。マルコが自分で作ったであろう小さなドライフラワーのピンブローチを胸に刺してくれる。

「早く帰っておいでよ」

 マルコは涙ぐみながら言い、マシューも鼻をすすって涙を堪えている。

「私の可愛いエデン。あなたは広い世界を見ておくべきなのよ。自分に自信を持って行ってらっしゃい」

 アメリに抱きしめられ、そう告げられるとエデンの目にも涙が溢れてくる。

「必ず帰ってくるからね。行ってきます」

 エデンは後ろを振り返らずに家を出た。


 

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