第10話 旅の理由
「どうして先に帰っちゃうのかな」
夕方、演奏を終えて帰ってきたスカイは庭の手入れをしていたエデンを見つけて真っ先に苦言を呈す。
「ごめんなさいね。なんだか発作が起きそうだったから」
エデンの言葉にスカイは急に態度を改めて気遣うような瞳になる。
「大丈夫だった?人混みがダメなのか」
「大丈夫よ。これでも人混みはだいぶ克服しているのよ。でも時々ね。あなたが教えてくれた方法で発作は起きずに済んだの。ありがとう」
「そうか。なら良かった」
スカイは微笑んでホッとしたようにエデンの手を取った。
「君のために演奏を捧げると決めていたから残念ではあるけれど、君が無事ならそれでいい」
熱い視線は気のせいだろうか。
エデンは少し顔を赤くさせて視線を逸らした。
「着替えてくるから待っていて。私にも手伝わせてくれ」
スカイはそう言って、家の中へ駆け込んで行った。しばらくして戻ってきた彼はラフなシャツと幅広の作業ズボンを着ていた。そんな服でさえも彼が着るとおしゃれ着のように見えてくるから不思議だった。
二人で他愛もないお喋りをしながら庭の花に水をやったり、雑草を引き抜いたりして過ごしていると、もう何年も前から一緒に過ごしてきた幼馴染のような感覚に陥る。ただ、本当の幼馴染であるスナトレイルと違って、スカイと一緒にいると胸が高鳴る。
エデンはスカイの屈託のない態度や思慮深い話し方に好感を持っている自分を受け入れた。彼の博識に感心して学んだことのない学問に興味を持ってしまったりと、今までの自分とは全く違う新しい自分に出会う機会をくれた彼と一緒にいたいと思うのだ。
「ねえ、スカイ。答えたくなければ答えなくてもいいのだけど、どうして旅をしているのか聞いてもいい?」
意を決して問うてみると、やはりスカイは押し黙った。
なんとなく聞いてはいけないのかもしれないと思っていたのだ。
「知ったら責任を取って私のものになってくれるかい」
少し低い声で彼は言った。その時突風が吹いてエデンのワンピースのスカートを盛大に揺らして行った。
「え?」
エデンは風の音で聞こえなかったスカイの言葉をもう一度聞こうと彼に一歩近付こうとする。
「ちょ、待って」
スカイはなぜか赤い顔で口元を覆い、エデンが近付くのを拒否した。少し傷付いて、彼女は足を止めた。
「君、スカートが」
スカイは言っている途中で背を向けた。不思議に思ってエデンは自分のスカートを見ると、捲れ上がって太ももまで完全に見えている。
「ひっ」
ペチコートを着ているものの、男性にハレンチな姿を見せた淑女としてはパニックになるのも当然であった。いつもの発作とは違う緊張感にエデンはどう言い訳していいか分からず、あたふたと衣類の乱れを正した。
「ご、ごめんなさい。お目汚しを……」
「まさか。君のような美しい人の……」
スカイが口篭って空を見上げている。なんと言おうとしたのか気になるが、それよりも自分の粗相が恥ずかしく、エデンはもじもじとしたまま俯いた。
ふうと盛大なため息がスカイの口から漏れて、エデンはドキッとして呼吸を止めてしまう。
「こんな言い方はアレだけど、目の保養をさせてもらって、ありがとう」
「!」
どうしたしまして、と言うわけにもいかず、エデンはコクリと頷いた。
「それで、どうして旅をしているかって話だが」
スカイはまっすぐにエデンを見つめた。それでエデンは分かってしまった。
人を統べる立場にいる人間が持つ目。傅かれることに慣れている者の風格。そんなものを、彼は持っていた。
エデンは目の前が真っ暗になったような気分だった。ただの村娘であるはずのエデンが隣に立つことのできない立場の青年に好意を抱いてしまった。
「エデン?」
急に悲壮な顔をしたエデンをスカイが覗き込む。
金色の混じった澄んだ青い瞳が彼女を映している。
ああ、そうだった。
エデンはある噂話を思い出す。王城に住んでいた頃、第二王女の縁談の話で姉たちと盛り上がったことがある。候補に上がっていたのは北の王国の、それはそれは美しい王子で珍しい白髪に瞳の色は珍しい金色の混じった青い瞳だと。
あの時は先方が縁談に断りを入れたと聞いた。何でも遊学する為に国を出るとかで縁談どころではないのだと。その裏にどんな政治的見解があるのかアントレーネであったエデンは知らないし、興味もなかったが。
「聞いても大丈夫なのかな」
エデンは取り繕うように言った。
「ああ。君になら話しても良いと私は判断した」
スカイがエデンの右手を自分の両の手で包む。
「どうしてだろうか。エデン、君をとても信頼している」
「会ったばかりだし、私の悪いところを見てないからじゃないかしら」
「そうだとしても、私は自分の判断を信用している。というか、もしかして怖気付いてる?」
「えっと……そう。あなたが只の旅人じゃないって、分かったから」
エデンの言葉にスカイの眉が上がる。
「そうか。君も、ただの村人って訳じゃなさそうだ。所作が美しいし、ただの村人は素数なんて知らない。マシューもマルコも、まるで君をお姫様のように扱う」
切なそうにスカイが言った。二人の間に沈黙が降りる。
最初に沈黙を破ったのはスカイだった。
「そういう話を抜きにして、少し話そうか。エデン、私は旅をしながら探しているんだ」
「何を」
「希望を」
「希望?」
「ああ。我が国の神殿に授けられた神託のため、私は世界を旅してあるモノを見つけ出さねばならない。それも一人でね」
「だから遊学しなければならないと言う話が出たのね」
「おっと、そこまで知っているなんて、君は相当に高貴な地位にいるべき人なのだね?」
「え……」
エデンは言葉を無くしてスカイを見る。
彼がエデンの手を握る。
スカイの両手は温かく、エデンを包み込むような優しさを感じる。それなのに、大きな不安が彼女を飲み込み、発作が出そうになる。
「落ち着いて」
スカイはエデンを腕の中に囲い込む。
広く温かな彼の胸の中で、エデンは目を閉じた。
「私は君に仇なすことはない。安心して。大丈夫」
背中をポンポン優しく叩かれて、エデンは落ち着いた。
「君がどういう理由でここに隠れ住んでいるのか聞かないし、もしも襲われるようなことがあれば君を絶対に守る。だから私を信用してくれるかい?」
スカイの真摯な言葉にエデンは頷いた。
「君を、旅の道連れにしたいと思っていたんだ。発作が起きれば、私が側に付き添って安心させてあげられる。それに今まで誰かと一緒にいてこんなに楽しいと思ったことはない。もしも君が剣で襲ってきたとしても、私は甘んじてそれを受け入れてしまうだろう。それくらい、エデン、君を好きだ」
スカイの言葉がエデンの身体中に衝撃を生む。
ぎゅっと彼のシャツの背中部分を握りしめて、エデンは彼の胸に顔を押し付けた。
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