第9話 エデンの憂鬱
スカイがまた広場で演奏をするというので、エデンはアメリに言って彼に付いて行く事にする。
広場にはやはり人だかりができていて、エデンは少し離れた場所で見ていると告げて彼から離れた。
準備をしているスカイの真ん前に陣取ったのがイーゼルだと発見してエデンは微笑みを漏らす。そうこうするうちにリュートの音色が聞こえてくる。切ない旋律を弾く彼は神々しいまでに美しく、これが神から贈られた宝物だと言われればそう信じてしまうくらいだ。
人々が演奏に聴き惚れ、そしてその姿に魅了されているのを見ていると、エデンは彼が特別な存在なのだと理解した。王城においても美しい人種というものは存在して、常日頃から彼らを見ていたエデンは目が肥えている。そのエデンでも、スカイが特別だということは分かるのだ。
彼はどうして旅をしているのだろう。
今できることがそれだから、と彼は言った。ひどい経験をした幼馴染を置いて旅に出るのは彼に何か成し遂げなければならない目的があるのではないかと思うのだ。エデンが王都から逃げ出したように。
スカイのことを知りたくなって、けれど踏み込むのは怖いような気がする。どういう態度が正解なのかも分からない。
エデンは美しく繊細な音色に耳を傾け、スカイの白髪と薄い金髪が彼の演奏する腕の動きに合わせて揺れる様を見つめていた。
曲が終わるたびに観客から盛大な拍手を受けて、スカイは笑顔でそれに応える。エデンも穏やかな気持ちで拍手を送り、そっとその場を離れた。広場ではアンコールが始まっている。
情熱的な旋律で始まる曲を背にし、エデンは帰路につく。
トボトボと家に帰り着くとアメリが台所の卓で帳簿を広げ、老眼鏡をずらしながら計算をしているところだった。
「おかえり、エデン。スカイは一緒じゃなかったの?」
「うん。まだ広場で演奏しているわ」
「あら、そう。途中で帰ってくるなんて、どうしたの」
母親らしい笑顔で問われ、エデンは複雑な表情を浮かべる。
「スカイが素敵すぎて、なんだかその場に居られなくなっちゃたの。変でしょう?自分でもどうしてだか分からないわ」
エデンは立ち上がって側に来たアメリの腕に抱きしめられる。
王族であった頃、社交界では常に気を張って、自信が溢れ出るように見せていた。弱みを見せてはいけなかったし、誇りある王族の一員として弱気な態度は見せられなかったのだ。
婚約者に対しても、そうだったのだと今では思う。将来を誓う相手だという娘らしい好奇心で彼に対する思いが恋だと勘違いしていた。見目麗しい相手であったのも相まって、かなりのぼせていたのだと気が付いた。それはスカイに対する思いを自覚したことで分かったのだ。
そうして、今、エデンとして誰かに好意を抱き、どうにかなりたいと思うことは許されるのだろうか。そう不安になる。
助けられた命を自分の思うままに使うことを、みんな許してくれるだろうか。
考え事に沈むエデンをアメリは先ほどより強く抱きしめる。
「そう。気後れしちゃったのね。あなたは素晴らしい女性よ。誰にも気兼ねすることなんてない。マシューと私の可愛いエデン。あなたが幸せになる為なら、私たち、どんなことでもするわよ」
温かいアメリの体温にエデンは体の力が抜けていくのを感じる。母の腕の中というのはとても安全な場所なのだと理解した。
「ありがとう、アメリ」
マシューとアメリのいる家に帰ることができることが一番の幸福だと彼女は思った。
「さあ、美味しいお茶を淹れてあげましょうね。手を洗ってらっしゃい」
アメリに言われて、エデンは洗面台に向かう。手を洗って顔を上げると洗面台に備え付けられている鏡に自分の姿が映る。父にそっくりな自分の容貌。色こそ元のものではないものの、顔立ちは変わらない。
お父様。
一緒に伯父に襲われた姉妹たちは無事では済まなかった。マシューが聞きつけたところでは父も伯父に切られて絶命したという。何が伯父をそうさせたのかは分からない。けれど、あの怒りに満ちた敵意と顔は忘れられない。
エデンは自分の体を抱きしめるように腕を回して体をさする。
発作が起きそうだ。
落ち着いて。スカイが教えてくれたように素数を数えてみる。
無心になって数えていると、だんだん落ち着いてきた。まるで魔法のようだ。
息をつくと、エデンは気になっていることを考え出す。
亡くなった家族は王家の墓に埋葬されたのだろうか。それとも。
エデンは気分が落ち込んでしまって吐息をつく。
せめて家族の魂が救われますように。
エデンは深い吐息をつき、アメリのいる台所へ戻った。
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