第7話 胸の高鳴り
エデンは夜中に目が覚めてしまい、水を飲みに2階の自室から階下の台所へ降りていく。コップに水差しから飲み水を移すと一気に飲み干した。
ふと人の気配を感じてエデンは暗がりの中、振り返る。
浴場の方から誰かが廊下を歩いて行くようだった。
マルコだろうか。
彼女は台所から顔を出した。
上半身裸の男はマルコではなかった。
服を着ていた時には分からなかった逞しい筋肉のついた肉体は庭仕事を糧とするマシューやマルコのものとも違う引き締り方をしていて、おまけに広い肩から広がる濡れた髪の毛から胸に滴る水気がそこはかとない色気を醸し出していて、エデンは思わず見惚れてしまっていた。
「エデン?」
小声でスカイが声をかけてくる。
「あ、あの、ごめんなさい。誰かいると思わなくて」
「構わないよ。私の方こそ礼儀がなくて申し訳ない。風呂上がりは服を着るのが面倒でね」
スカイは秘密を打ち明けるように更に小声で言った。
まだ少し濡れている白い髪に金色が混じっているのを見つけてエデンはなんとなく目を逸らす。
「私も、本当はお風呂から上がると暑くなるから服は着たくないの」
「おや、君も仲間か。でも、年頃の娘さんが服を着ていないと、それはそれで大問題だね」
特に君みたいな綺麗な子なら、とスカイは笑った。
綺麗な子、と言われてエデンは驚いた。スカイでもそんな目で自分を見るのだろうか。心の内面を大事にして美醜を問わない人なのかと勝手に思っていたのだ。
なぜだか赤くなってエデンは顔を隠すために俯いた。
「何か気に障ったのならごめん」
スカイはエデンの方へ歩み寄ってくる。
「君は興味ないのかな」
「え?」
スカイがエデンを見下ろしている。すぐ側に熱を放つ逞しい胸があった。
「……」
エデンは急に怖くなり、彼から距離を取った。
呼吸が速くなる。襲ってくる白刃が目の前に見えるようだ。
「エデン?」
ガシッと腕を掴まれてエデンは焦点の合わない目をスカイに向ける。
「どうした?具合が悪い?」
彼は居間のソファに彼女を座らせ、手早く脈をとり、医者のような動きをする。
「君は素数を数えられるか?口に出さなくてもいいから数えてごらん」
頷いたエデンは言われた通りにする。
だんだんと落ち着いてきて、彼女は深く吐息を吐いた。
「ごめんなさい。発作が起きてしまって」
「いいんだ。知り合いにもいるから慣れている。大変だったね」
スカイは余計なことを言わず、エデンに水を持ってきた。受け取って、一口飲む。
大変だったね、と言われてエデンはこれがそういう発作なのだと知られていることに動揺してしまう。
「私の幼馴染が同じように心の傷で発作を起こすんだ。ひどい経験をして、それ以来、笑わなくなった」
「そうなのね。私はまだ笑うことができるけれど、でも、きっと同じね」
「ああ」
スカイの気遣うような目にエデンはいたたまれなくなる。同情や哀れみが欲しいのではない。
欲しいのは?
自分の気持ちにエデンは戸惑う。スカイには格好悪いところを見られたくなかった。
「話すと楽になるのなら聞くよ。私はそんなことしかしてあげられない」
エデンは首を横に振った。
話して楽になることなど、きっとない。ギラついた剣を振り上げて自分たちを襲う伯父のことを、どう話せば良いのだろう。話すことによって、多大な迷惑をかける人たちがいる。彼女を生かすことは相当な覚悟のいることだったはずだ。
この秘密は墓場まで持っていく。
いつかはこの発作も出なくなるかもしれない。今はダメでも、いつかきっと。
「幼馴染にしてあげていることを君にしてもいいだろうか」
スカイは恐る恐る、と言ったていで問うてくる。
「ええ。どんなことか知りたいわ」
エデンが言うとスカイは「それじゃ」と言って腕を広げて見せた。
「え?」
「君を助けたいって気持ちだけだから。他意はないからね?」
そう言って、スカイはエデンをその広い胸の中に抱え込み、背中をトントンと優しく撫でながら抱きしめてくれた。
「大丈夫。何も怖いことはないよ」
低く耳に心地良い声がエデンにかけられる。
普段は低くない声なのに、と不思議に思いながらも落ち着いてしまう。彼の熱いくらいの人間らしい温もりと背中を撫でる手の大きさが、絶対的に安心できる大きなものに包まれている安堵感へと誘う。
彼は何度も怖くないよ、大丈夫、と繰り返す。
そうするとエデンも大丈夫だと思えてくる。
フッと身を預けてエデンはそのまま寝入ってしまった。
温かい愛撫は背中から髪へ移動し、父母が幼子へするような深い愛情を感じる仕草にエデンは完全に安堵してしまっていた。
「ひょっとしてこれは拷問か」
深い眠りに引き込まれたエデンにはスカイの独り言が聞こえるはずもなかったのだった。
翌朝、スッキリ目が覚めると、自分が客間の寝台でぐっすり眠ってしまっていたことに気づいたエデンは硬い椅子で眉を寄せて眠っているスカイを発見したのだった。
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