第12話 空売り

1981年時点

全財産1億150万円




俺は賭けに出た。株式投資では、上昇局面だけでなく下落局面でも儲けを出すことが可能だ。



一つは景気後退期に強い株を買う。例えば宗教法人の「創始学会」や、洗剤や歯磨き粉などの生活必需品を売る「花帝」、医薬品メーカーの「第二三共」などだ。



もう一つ。これはリスクが高いやり方だ。


『空売り』である。


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空売りとは?


株券を持たず、あるいは、持っていてもそれを使用せずに、他人から株を借りて売付けを行う。空売りは、近い将来に株価が下落すると予想し、現在の株価でいったん売りを出し、値下がりしたところで買い戻して借りた株を返す。


例えば、1株100円の株式を空売りして、1株80円になったところで買い戻す。すると差額分の20円分が儲けになる。しかし、逆に値上がりした場合には高いところで買い戻さなければならないため損をしてしまう。


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もう株価は天井だ。俺はそう思った。



だから業績の安定した創始学会の株を買った。


だが、今こそリスクを取り、レバレッジを使って勝負に出る時期なんじゃないか?


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レバレッジとは?


小さな力で大きなものを動かすテコの原理のこと。特に、金融業界でレバレッジといった場合には、借り入れを利用することで、自己資金のリターン(収益)を高める効果が期待できることを指す。


たとえば、100万円を証拠金に20倍のレバレッジをかけると、2000万円を運用していることと同義となる。市場が10%動くと、100万円の場合は10万円の値動きだが、レバレッジ20倍で2000万を運用していれば200万円の値動きをすることになる。


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レバレッジはハイリスクハイリターンだ。あまりにもリスクが高く、自己破産や借金を背負う人が増えたため、後にレバレッジの倍率には規制がかかるようになった。


だが株式市場が未成熟だったこの時はまだレバレッジ規制は存在していなかった。



覚悟は決まった。どこを空売りしようか?


決まっている。もうすぐ破綻しそうなところだ。




「武富土株を5000万円分のレバレッジ20倍、10億円分空売りします」





武富土


消費者金融最大手。創業当時は厳しい審査があり、社長の認可がなければ融資が通らなかったことで有名。



創業社長の武川が小さく金融業を始めた時は、融資する相手の自宅に伺い、洗濯物が干してあるのか?郵便受けが空かどうかを見て、貸すかどうかを決めていたそうだ。まめに洗濯物を取り込んだり、郵便受けの中身を確認するような人は、お金を計画的に返済してくれるだろうという武川なりの直感だった。その予想が当たり、武富土は順調に業績を拡大させた。



さらに1973年から始まったゼロ金利政策が追い風となり、一気に業界最大手に躍り出た。その頃、創業者の武川は引退した。



武川引退後は経営体質が変わり、以前のような厳しい審査は撤廃され、「来るものは拒まず、去るものは地獄の果てまで」という社内スローガンが打ち出された。





現在、人は借金をして株と不動産を買っている。でもそれらが値下がりしたら、貸し付けている武富土も共倒れだ。



俺はそこに賭けた。堅実な経営から外れたら終わりだと信じているからだ。業界最大手といっても、貸してはいけない人間にまで金を貸してしまっている。その資金は回収できないと俺は踏んでいた。










翌月、武富土の株は上昇していた。株価が上昇すれば空売りをしている俺の損失は膨らむ。レバレッジ20倍のため、たったの1.3%株が上昇しただけで俺の含み損は1300万円になった。


その翌月も。その翌月も、株価は上がっていく。日経平均株価も連日最高値を更新していく。


ついに俺の含み損が4000万円を超えた。10億円で運用しているが、実際のお金は5000万円しかない。もし含み損が5000万円を超える場合には、『追証』が発生してしまう。



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追証とは?


保証金が最低の維持率を割り込むと、保証金を追加で入金しなければならない。これを「追証」と言う。


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空売りは失敗だったか。


やらなきゃ良かった。。


  



だがテレビを見ていたら、ある特番が目に飛び込んできた。


「54歳主婦、借金を苦に自殺。止まない取り立ての恐怖に迫る!」


そこでは厳しい取り立ての様子が映し出されていた。



その後、元武富土の幹部が会社相手に訴訟を起こしているというニュースが流れた。


「回収、いくらだぁ?」

「いや、回収、2020万でございます」

「“約”は?」

「“約”は、えっと残り632でございます」

「全く駄目じゃん」

「いや、申し訳ございません」

「全く」

「いや、申し訳ございません」

「なー?」

「いや、あの本当、申し訳ございません」

「何やってんだ、お前?」

「いや、回収いたします」

「なぁ?」

「いや本当、申し訳ありません」

「よぉ?」

「いや本部長、申し訳ございません、回収します」

「さっき2000万だのほざいてるんだろ、てめぇら!! 」


過酷な回収ノルマに耐えられなくなった社員がパワハラだとして、慰謝料を求めて武富土相手に訴訟を起こしたのだ。





このニュースは連日報道され、先の主婦の自殺の件もあり、武富土は一気に注目の的となった。



武富土の厳しい取り立ての様子を赤裸々に語る被害者の会も設立され、テレビは武富土を「悪徳企業」として報道していった。



ここで武富土は起死回生のテレビCM作戦を始めた。武富土ダンサーズという全身タイツの女性達が、軽快なリズムに乗せて意味深なダンスをするだけのCM。こんなCMがバンバン流れた。


これにより世間のイメージ回復を狙ったようだが、涙ながらに語る武富土被害者たちのインタビュー番組の後に、大音量で踊り狂う武富土のCMは逆効果となった。



この騒ぎに、ついに東京地検特捜部が動き出した。

貸し付け金利が利息制限法を超える、年利29.2%であったからだ。



さらに、弁護士達による借金の過払い金請求が頻発した。ラジオでも新聞でもテレビでも、「借金を取り戻せる可能性があります。心当たりがある方は⚪︎⚪︎⚪︎-⚪︎⚪︎⚪︎までお気軽にお電話ください!」という広告が流れた。武富土のCM後に、過払い金請求のCMが流れる様子を、俺は複雑な気持ちで眺めていた。



もがいて苦しみ、死にゆく企業を見るのは心苦しかった。


企業には従業員がいる。その従業員には家族がいる。企業が倒産すればその人たちが仕事を失って路頭に迷うのだ。


それだけじゃない。企業に投資する投資家がいる。企業が倒産すれば投資したお金は全て失われる。


それが、どんな"悪徳企業"であっても、だ。




ただでさえも債権が回収困難で社員が疲弊している中、弁護士による過払い金請求まで行われた。当然、武富土が保有している現金は瞬く間に枯渇してしまった。


現金が底をつき、ついに社員への給与支払いまでもが滞り始めた。



『企業は赤字でも倒産することはない。だが現金がショートした時、破綻する。』




この騒動が始まって11ヶ月後、武富土は経営破綻した。過去最高益と過去最高株価に到達した、僅か1年後の出来事である。まさに急転直下だった。



1株1017円になっていた株は、僅か11ヶ月の間に20円まで暴落した。



武富土株を買っていた人が絶望する中、俺のレバレッジ20倍の5000万円は約40倍になった。

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