第10話 惹かれ合う魂
「ランツァン……。青龍……?」
目の前の少年は、確かにさっき夢で見た青龍と同じ姿だ。姿だけでなく人懐っこい性格もそのままのようで、驚くリーファなどお構いなしに勢いよく飛びついてくる。リーファのお腹辺りに顔をすり寄せて甘える青龍に、リーファはどう対処していいかわからずに硬直したままだった。
「そうだよ! こうして人前に体を現すのはすごく久しぶりだけどね。メイリンの力が僕を目覚めさせてくれたんだよ」
「えぇっと……?」
わけがわからずユーシェンに助けを求めてみたが、彼もまた困惑したように青龍を見ているだけだ。
「姿は少し幼いけど、やっぱりメイリンだね。夫婦揃って転生するなんて、まったくどれだけ仲いいんだよ。だから黒龍が嫉妬しちゃうんだよ」
「ちょっと待って!? 何か情報量がものすごくて理解が追いつかないわ。それに私はメイリンじゃなくてリーファよ。メイリンって、虹龍のことでしょう?」
「あれ? もしかして完全に目覚めてるわけじゃないの? ……そういえば虹龍の力も少し弱い気がする」
「うーん」とかわいく唸りながら、青龍がリーファに抱きついたまま見上げてきた。じっとこちらを見つめる瞳は、リーファと同じ金色に輝いている。つい仲間意識が芽生えそうになってしまい、リーファは慌てて気持ちをしっかりと持ち直した。
「状況をひとつずつ確認させてちょうだい。まず、あなたは青龍……でいいのよね? 私たちが祠の泉を浄化して、それであなたも目が覚めたっていうことかしら」
「うん、そうだよ」
「それじゃぁ、さっきあなたが見せてくれた記憶は本当にあったことで、虹龍は永遠の命を捨てて人間になったということ?」
「その血筋が君たち虹龍の民ってことになるね。中でも龍の姫巫女は、より強くメイリンの力を継承してる。その中でも君はダントツに強い力を持ってるけど、メイリン本人にしては弱いかなって」
話が戻ってしまった。何やら勘違いしている青龍に、今度はこちらがちゃんと説明をしなくては。そう思って、リーファは自分の腰にくっついている青龍をできるだけ優しく引き剥がした。
「さっきも言ったけど私はリーファよ。そして彼は竜の爪牙で、名前はユーシェン。私も一応姫巫女ではあるけれど、あなたの言うメイリンではないし、その……夫婦でもないんだけど」
「あれ? そうなの? でもお互いをすごく大事に思い合ってる気配がするよ?」
「それは姫巫女と爪牙だからだろう」
青龍の爆弾発言にリーファが慌てる間もなく、落ち着いたユーシェンの声が二人の間に割って入った。顔を見ればいつもの冷静さを纏っており、夫婦という言葉に動揺していたのが自分だけだったことを思い知らされる。
「今度のウェンリーは何て言うかすごく無愛想だね!」
悪気がないのか、満面の笑みでそういった青龍がおもむろに指をパチンと鳴らすと、リーファたちは瞬く間に水中から地上へと移動していた。
青龍はというとしばらく泉の上空を跳ねるように駈け上がっていき、よみがえった山を一通り見回してからゆっくりと祠の上に降り立った。そのまま祠の上に腰を下ろすと、改めてリーファとユーシェンの顔をじっくりと見つめた。
「青龍の祠を浄化してくれてありがとう。黒龍が壊れてしまってから僕たち守護龍も瘴気にあてられて長い眠りにつかざるを得なかったんだ。百年ごとに姫巫女がこの地を訪れて浄化してくれたけど、僕本体を蝕む瘴気まで祓ってくれたのは君が初めてだ。驚いたけど、君を見て確信した」
さっきの甘えたがりな少年とは違い、二人をまっすぐに見つめる金色の瞳はひどく大人びた光をたたえている。
「リーファ、ユーシェン。君たちは虹龍メイリンと、その夫ウェンリーの生まれ変わりだよ」
ドキリとするリーファとは逆に、ユーシェンの表情は変わらないように見える。青龍の言葉を端から否定もせず、かといって素直に頷くこともしない。告げられた言葉の真偽を探るように、青龍を射抜くように見つめている。
「なぜそう思う」
「なぜって、疑う余地もないくらいにウェンリーとそっくりなんだもん。メイリンがリーファとして転生し、同じ時代に爪牙として生まれ変わるなんて、僕も驚く絆の深さだよ」
「顔が似ているだけでそうとは断言できないだろう」
「そうかもしれないね。でも、惹かれ合う魂は存在する。メイリンとウェンリーが種族を越えて愛し合ったように、君たちも互いに何かを感じているんなら、それは運命なんだと僕は思うよ」
「……俺は……相応しくない」
絞り出すように呟くと、ユーシェンはそれっきり黙ってしまった。
生まれ変わりの話は正直まったく実感がなかったが、夫婦の二文字は単純にうれしいとも思ってしまう。けれどユーシェンは何だかいつもに増して難しい顔をしているし、場を満たす沈黙も居たたまれない。
ここはひとまず話題を変えた方が良さそうだと、リーファは青龍の方へと向き直った。
「生まれ変わりがどうかは置いといて……! あなたが目覚めたっていうことは、青龍の加護を得られたということでいいのかしら?」
「泉を浄化した時点で姫巫女には加護が与えられてるはずだよ。君は更に僕を目覚めさせたという点で、特大の加護付きさ!」
「なら里長が言っていたように、水を使って別の場所へ飛べたりする?」
「そんなの簡単さ。どこへでも、連れて行ってあげるよ。どこに行きたいの?」
「南にある赤龍の里よ」
「赤龍の里? それはもうずいぶん昔に廃れちゃったはずだけど」
「……えっ!?」
「は?」
さすがにこの発言にはユーシェンも驚いて声を上げてしまったようだ。夫婦や転生の話に戸惑っていた顔から一転、使命を優先する竜の爪牙としてのユーシェンに戻る。
「里が、ないだと?」
「赤龍も、たぶん白龍の里もなくなってると思う。
「それじゃあ、祠は……」
「あ、それは大丈夫なんじゃないかな。信仰が薄れて赤龍の里はなくなったけど、代わりにハイヂェンっていう街が栄えているからね。きっと祠もその街のどこかに残っているはずだよ」
四龍を守る里が既にない。その事実すら虹龍の里には伝わっていなかった。歴代の姫巫女たちはこうして直々に青龍と話をすることはなかっただろうが、それでも各地をまわれば里が既に失われていることはわかったはずだ。それなのに虹龍の里に現状がまったく伝わっていないのは、やはり何かおかしい気がする。
「ねぇ、青龍は」
「ランツァンって呼んで!」
「……ランツァンは、前の姫巫女が黒龍を封印した時のことを覚えている?」
「僕はずっと眠っていたからわからないんだ。ごめんね。でも封印は確かに成されたはずだよ。黒龍の瘴気が収まっていくのを感じたもん」
姫巫女たちが行ってきた封印が失敗に終わっているとしたなら、虹龍の里に外の世界の事情が伝わっていないことの理由になるかと思ったが、そもそも封印自体が失敗だったなら世界はこうして続いていない。
多くの情報を得て、頭が少し混乱しているらしい。リーファは深呼吸を何度か繰り返して、絡まる思考をひとつずつ紐解いていった。
四龍の里は既に廃れ、その里を支えていた龍属の村もなくなっている。その現状が、虹龍の里には伝わっていない。
青龍ランツァンを目覚めさせたのは、リーファが初めてだという。それはリーファが虹龍メイリンの生まれ変わりだからだ、とランツァンは確信しているらしい。ついでに言えばユーシェンも、メイリンの夫ウェンリーの生まれ変わりだとか。これについては実感が湧かないから今は何とも言えない。
そして虹龍メイリンは人間ウェンリーと恋に落ち、永遠の命を捨てて人になった。その血筋がリーファたち虹龍の里の民だ。
虹龍の里でリーファが見た不思議な夢。あの中ではメイリンが死んだことになっていたが、人間にその身を落としていたのなら不思議なことではない。人は龍神と違い、体は脆く、寿命もある。
人となったメイリンに死は等しく訪れて、それに黒龍が心を痛め邪龍と化したのだろうか。
――いや。黒龍だって、人の寿命が短いことはわかっていたはずだ。ならばなぜ、彼はあんなにも嘆き、怒り、人間を滅ぼそうとしたのだろうか。
「ランツァン。人になったメイリンに、何があったの?」
そう訊ねた瞬間、見てわかるほどに青龍が小さな肩を大きく震わせた。
「それは……僕も口にしたくない。君はメイリンの生まれ変わりなんだから、そのうち魂が思い出すと思うよ」
そう言ったきり、青龍は口を噤んでしまった。
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