第5話 旅立ちの日

 リーファとユーシェンが旅立つ朝には、里の者が総出で見送りに出てきていた。それほどまでに黒龍封印は虹龍こうりゅうの里の民にとっては重要な使命であり、二人以外の者たちも旅支度を手伝うことで間接的に使命を果たす役割の一旦を担っている。そのおかげで旅の間はよほどの贅沢をしない限り路銀が尽きることはないだろうし、移動の足として一頭の馬も用意されていた。


「まずはここより一番近い青龍の里へ向かうがよい。自然を司る青龍は、水を通じてあらゆる場所へ行くことができるらしい。加護を得られれば、旅の移動が楽になるだろう」


 そう言って里長がユーシェンに渡したのは龍華りゅうか国の地図だ。里から出たことのないリーファは青龍の里がどこにあるのかわからなかったが、ユーシェンは地図を見ただけでおおよその場所を把握したらしい。地図をなぞる指先がある一点で止まると、里長が肯定するように頷いた。


虹龍の里ここと同じく、四神を祀る里はすべて隠れ里だ。だが姫巫女と、それを守る龍の爪牙のお主らなら、里を守る結界も難なく通り抜けられるだろう」

「気をつけて行くのよ。リーファ。あまりユーシェンを困らせないようにね」

「困らせるって何……」


 最後まで言い終えないうちに、母親の手によってリーファの頭に帽子が被せられる。つばから垂れ下がったうすぎぬが、リーファの顔と一緒に反論しようとした言葉もろとも覆い隠した。


「ユーシェン。リーファをよろしくね」

「はい」


 両手を握っていた母の手が離れ、消えていくぬくもりにわずかな寂しさを覚えてしまった。けれどもそれに代わるようにして差し出されたユーシェンの手を握り返せば、寂しさを打ち消すほどの安心感がリーファの胸を満たしていく。


「行くぞ」

「うん」


 この日のために用意された上等な巫女服の裾を翻して、リーファはユーシェンの手を借りながら馬の背に跨がった。背後から抱きしめるようにして伸ばされたユーシェンの手が手綱を握り、二人を乗せた馬はゆっくりと里を後にして歩き出す。


「行ってらっしゃい」


 旅立ちを祈るように、花桃の花びらが舞い上がる。リーファが元気に手を振ったのを見計らって、ユーシェンが馬の速度を上げた。

 あっという間に遠くなった虹龍の里から視線を前に戻せば、そこにはリーファの見たことのない世界が遠く広くどこまでも続いている。まだ見ぬ世界への憧れ、そしてユーシェンとの旅のはじまりに、リーファはしばらくのあいだ高揚感を抑えることができなかった。



 ***



 虹龍の里を囲う花桃の木々が途切れると、景色はだんだんと深い森の色に変化していく。日の当たらない場所の草木はまだ朝露に濡れているのか、馬で駆け抜けるたびに清々しい緑の匂いがリーファの鼻腔をくすぐった。


 この山を抜ければ、麓に小さな村がある。普段から虹龍の里とは関わりの深い村――龍属りゅうぞくの村だ。

 虹龍の里をはじめ、四神の里も山深い場所にあり、俗世とはあまり積極的に関わることがない。そんな隠れ里を陰から支える村や町があることは、リーファも里にいる時に両親から聞いて知っていた。


「ユーシェンは、村までは行ったことあるんでしょ?」

「あぁ。最近は妖魔に関する被害も出ているからな」


 物資調達のため里の男衆と共に出かかるユーシェンを見かけることはあったが、妖魔退治にまで駆り出されているとは思っていなかった。

 そもそも虹龍の里の周りには花桃の木の結界が張り巡らされており、その破魔の力の影響は麓の村にも届いているはずだったが……その力も及ばないほど、闇の力が増しているということなのだろうか。虹龍の里の裏山にも妖魔が現れたことを思い出し、リーファはこの旅にあまり猶予が残されていないことを漠然と感じ取った。


「黒龍の封印が解けかかっているんだ。ここだけじゃなく、各地で妖魔の被害は増えていると思っていた方がいい」


 馬上から見える景色は空も大地も美しく輝いているのに、その裏では黒龍の闇がじわじわと光を侵食し始めている。

 黒龍を封印できるのは龍の姫巫女であるリーファだけだ。ユーシェンとの二人旅に浮かれている場合ではないと、リーファは自分の使命を改めて強く胸に刻み込んだ。



 山を下り、麓の村が見えると、リーファたちの来訪を知っていたのか、村長たちが村の入口まで見送りに出ていた。


「龍の姫巫女様、そして龍の爪牙殿。ついに黒龍封印の旅にご出立なさるのですな。我々一同、旅の無事と封印の儀の成功を心よりお祈り致しております」

「ひめみこさま、お花をどうぞ!」


 親に抱えられた子供が、手にした黄色い花を馬上のリーファへ差し出してきた。一瞬帽子を脱いで礼を言おうとしたが、金色に変化した瞳に子供が怯えるかもしれないと思い、リーファは紗を隔てたままで花を受け取ることにした。


「かわいい花をありがとう」


 顔ははっきりと見えないだろうが、それでもにっこりと笑ってみせると、紗の向こうで子供が「きゃー」とうれしそうな声を上げて親にしがみつく姿が見えた。

 こんなリーファでも、里の外では立派な龍の姫巫女として見られている。甘えていられたのは虹龍の里の中だけだ。ここからはしっかりしなくてはと、少しの不安も感じさせないように、リーファは背筋をしゃんと伸ばしてみせた。


「ユーシェン様。あの……よければこれを……。旅のお守りです」


 儚げな声が聞こえた方へ目を向けると、村長の後ろから一人のたおやかな女性が進み出てくるのが見えた。水辺に咲く水仙のように、清楚な雰囲気を纏う女性だ。


「孫が昨夜祈りを込めて作ったものです。よかったらもらってやって下さい」


 村長がそう言ったので、この女性は村長の孫なのだろう。ユーシェンを見る目に篭もる熱はリーファもよく知るものだ。二人の手が触れ合うのを見ていると少しだけ胸がモヤッとしたので、リーファはわざと視線を逸らしてさっきもらった黄色い花を髪に挿してみることにした。


「姫巫女様にも、どうぞ」


 そうしていると女性に声をかけられ、リーファにもお守りが渡された。赤い紐で結われた飾り紐のお守りだ。ユーシェンに渡されたものと結び方が違うようで、リーファのお守りは花の形をしている。


「え? 私にも?」

「もちろんです。道中、お気をつけて」


 一人で勝手に嫉妬していた自分が恥ずかしくなって、リーファは女性から受け取ったお守りをぎゅっと握りしめた。


「ありがとう」

「無事にお戻りになるのを心よりお待ちしております」


 再び馬を走らせると子供たちが一斉に手を振ってリーファたちを見送ってくれた。その中には村長の孫娘もいる。ユーシェンもリーファも振り向くことはなかったが、村が遠く見えなくなるまで、彼女の視線はずっと背中に張り付いたままだった。



 街道を少し外れた小川のそばで、リーファたちはお昼の休憩を取ることにした。この辺りはまだ田舎の方で人の往来も少ないので、リーファも人目を気にせず帽子を脱ぐことができた。

 小川を覗き込むと、澄んだ水面に金色の目をした自分の姿が歪んで映る。何度か瞬きをしていると、リーファの後ろから顔をのぞかせたユーシェンの姿が水面に映り込んだ。


「どうした?」

「ねぇ、ユーシェン。私の目、どう思う?」

「どう、とは?」

「やっぱり金色っておかしいわよね。今はまだいいけど、この先ずっと帽子と紗で顔を隠すわけにもいかないでしょ。その時、他の人にどう見られるのかなって……。そもそも私たちみたいな龍神の末裔の存在を知る人の方が少ないわけだし……気持ち悪いって思われちゃうのかな」


 隠れ里と、それを支える村の住人以外に、リーファや四龍のことを知る者はいない。隠しているわけではないが、あまり表立って話してまわることでもないので、多くの人間の記憶からは次第に薄れていった感じだ。

 そんな中で明らかに人とは違うリーファの目の色は、きっと人々に好奇の対象として映るだろう。


「あまり気にするな。聞かれたら、生まれつきだと言えばいい」

「それで大丈夫だと思う?」

「目の色が変わっても、お前はお前だ。それに自分が思うほど、他人はお前に興味がない」

「そうはっきり言われると傷つくんですけど!」

「そんなことより旅の行程を確認したい」

「そんなことって……」


 むっと唇を尖らせたリーファを気にも止めず、ユーシェンはその場に腰を下ろすと地面に地図を広げた。トン、と細い指先が叩くのは、きっとリーファたちが今いる場所なのだろう。


「このまま馬を走らせていけば、明日には青龍の里に着くはずだ。どこかで一泊する必要があるから……日が暮れる前にはこの村まで辿り着きたい」


 ユーシェンが地図上で指差した場所は、青龍の里と今いる場所の中間くらいにある小さな村だ。


「青龍の里の次は南下して赤龍の里。そして西にある白龍の里の順でまわった方がいいと思う。北に近付くにつれて黒龍の瘴気の影響が強く出るだろうから、西に向かう前に少しでもお前の力を上げておきたい」

「それはいいんだけど……西も東も位置的には同じでしょ。なのにどうして西の方が瘴気の影響を強く受けているの? 今いる、この東側も、その理屈で言えば瘴気の影響があるはずよね?」

「東側には青龍の里の他に、俺たちの虹龍の里もあるからな。里を守る破魔の結界が二つ分あることで、西よりは瘴気の影響が少ないんだろう」


 そう言って、ユーシェンが地図を丸めて立ち上がった。かと思うと、ぽこんっと丸めた地図で頭を軽く叩かれる。


「瘴気の影響が少ないとはいえ、ここでも妖魔は普通に出るからな。気を抜くなよ」

「わかってるわ」

「あと、俺は別にお前の目の色が変だとは思わない」

「そう……って、えぇ!?」


 今の流れで言うことかと驚いて見上げれば、ユーシェンはもうリーファに背を向けて歩いていくところだった。名を呼んでも、聞こえないのかフリなのか、ユーシェンは少しも振り返る素振りを見せなかった。


「それはちょっと……ずるくない?」


 意図せず紅潮した頬を隠すように、リーファは紗のついた帽子を被った。淡く遮られる視界にもうユーシェンの姿は見えなかったが、リーファの鼓動はしばらくのあいだ落ち着きそうにもなかった。



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