一 「バッドエンドしかない」という悪役令嬢とやらの従者になったのだが、聞いてほしい
「ところで陛下はアナルパァル様というお名前がご本名ですわよね?」
シリアナ嬢がいつも通りに僕の臀部を凝視しながら質問を投げかけて来た。
「いいや。アナルパァルは人間が付けた名称だ。本名はエインだぞ。あと、僕の臀部を
「そうなのですか? もう諸々諦めましたので、陛下のお名前がお尻の穴に入れるタイプの大人の玩具であることは置いておくといたしまして……陛下のお尻のほっぺにえくぼがおありになるかどうかが気になって気になって、トラウザーズを今にも剥ぎ取らんとこの手が動いてしまいそうで毎日己との戦いを強いられているのですわ……」
人間とは、大人になっても玩具で遊ぶものなのか? 尻の穴に入れて楽しむ玩具とは一体何なのだ。全く分からん。シリアナ嬢の呟きはいつも難解だ。
「ああ。人間どもは僕の真名など知らぬからな。真名を名乗る必要もないので人間には人間が勝手に呼んでいる僕の名称を名乗っているだけだ。なんというか騎士団長が本名を名乗らず『私が騎士団長だ』と言っているようなものだ……そして僕の臀部にえくぼがあろうがなかろうが、君が僕の下衣を剥ぎ取る理由になどならん。というか君公爵令嬢が男性の下衣を剥ぎ取るとか冗談でも口にしてはいけません! 分かったか! 分かりましたか!」
全くこの公爵令嬢は油断も隙もない。やけに僕越しに遠くを見つめていると思ったら尻か。尻を見ていたのか。少しは恥じらいなさいよ!
「うふふ。まだ敬語に慣れませんのね」
「……それにしてもそのおとめげぇむとやらは一体何なのですか」
従者が令嬢に敬語を使わないのはおかしいので、僕は今シリアナ嬢に敬語で接する練習をしている。シリアナ嬢は学園へ出発するための準備を整え終わり、窓際に置かれたティーテーブルへ歩み寄った。椅子を引くと慣れた様子で腰を掛け、シリアナ嬢は少し思案する素振りを見せる。
「何と申し上げたらよろしいのかしら……こう、小さな板や箱の中で絵が動いて喋って物語が進むのですわ」
「……全然分かりません」
「ですわよね。陛下はわたくしがこちらの世界で魔法の原理を拝聴した時と同じ気持ちなのだろうと推察いたしますのよ」
紅茶を準備してテーブルへスコーンやジャム、クロテッドクリームを並べる。シリアナ嬢は表情を緩ませて椅子へかけた。
「陛下……エインのスコーンは絶品ですわ」
「お褒めいただき光栄です」
シリアナ嬢のラストダンジョン襲撃から三カ月。僕は人間界の生活を満喫していた。何とシリアナ嬢専属の執事兼侍従兼護衛として給料も出ている。説明がめんどくさいので公には侍従ということで統一している。これで魔界の僕の部屋の雨漏りを修繕できる。今月は穴の開いた靴下を捨てて新しいものを買うんだ。ちゃんと報酬が貰える労働って素晴らしい。百年くらいなら僕、ずっとここで働いてもいい。さすが公爵家。お賃金大好き。人間界の食事大好き。甘いものバンザイ。レシピを覚えて魔界でも美味しいご飯を食べられるようにするんだっ!
「とりあえず、出会いはゼンリツセェン学園ということなのだな? ……ですね?」
「ええ。そうして大体の乙女ゲームというものは、ヒロインが学園に入学したところから始まるのですわ……うふふ、陛下のお尻は小ぶりできゅっと締まっていて桃のようですわね」
身分と権力を笠に性的な嫌がらせをするのはどうかと思うな、シリアナ嬢。相手が僕のような心の広い童貞ばかりとは限らないんだぞ、シリアナ嬢。あとヨダレを拭く仕草はやめなさいシリアナ嬢。しかし反応したら喜ぶということをこの三カ月で学んだ僕は無視を決め込んだ。魔王、学習できる子ですし!
「それが今年というわけか」
「ええ。アホ殿下は一つ年上ですのよ。すでに学園にご入学しておられますわ。ゼンリツセェン学園は入学式が九月ですので、九月が来れば今年二年生になられますの」
今君、しれっと王太子のことをアホ殿下って呼ばなかったか。
むぐむぐむぐ。スコーンを食べる手を止めずにシリアナ嬢が説明を続ける。食べるか喋るかどちらかにしなさい、公爵令嬢でしょはしたない。
「んぐっ!」
ほら言わんこっちゃない。喉に詰まるでしょ。慌てた様子でティーカップを呷ってもさすがに仕草が優美である。空になったティーカップへお茶を注いで確認する。シリアナ嬢はちらちらと視線を投げかけて来るので尋ねる。
「どうかした?」
「いいえ、陛下のポニテ姿最高です目が永遠に祝福されましたわありがとうございますありがとうございます陛下の項尊い」
ぽにてとやらが何なのか分からないが、髪が邪魔なので高く結わえていることを言っているのだろうと推察する。するのだが、至極気持ち悪いな君。何その呪文。めっちゃ呪われそう。
「邪魔だから切ってしまおうかと思っているのだがな」
「ぎゃんっ! そんなせっかくの
「君が僕の顔を大好きだということだけはもう十分に理解したから、落ち着いてもらえないか」
「……わたくし、陛下の好きなところを百八つ言えますのよ?」
何かそれすごく嫌な数字だな。童貞聞きたくない。とっても聞きたくないので聞かなかったことにする。
「とにかくお茶を飲んで落ち着きたまえ」
静かにティーカップへ口をつけるシリアナ嬢を見守る。どこから見ても非の打ち所がないご令嬢なのだが。
「落ち着けませんわ! だって美麗なのですもの! これからずっと生陛下と一緒! 生推し尊い! きゃっはてぇてぇ!」
何この子怖い。瞳孔開きっぱなし怖い。でもお賃金欲しいから魔王がんばる。
「……とにかくスコーンを食え」
叫べなくしてしまえばいいのだ。そう結論を出してシリアナ嬢の口へスコーンを突っ込んだ。
「むぐ」
もぐもぐもぐ。スコーンを消化し、ティーカップを空にしたシリアナ嬢が落ち着くのを待って話を続ける。
「つまり、半年後の入学式からげぇむとやらが始まるわけだな?」
僕は生まれた時から魔王である。他人に謙ったことなどないので三カ月かけてもなかなか敬語が身に付かない。シリアナ嬢も気にした様子がないから余計に直せなくて困る。学園に従者として付き添う予定なのに。めんどくさい。
「そうなのです。わたくし、国外追放になってもいいようにまずお金を貯めることにしましたの。それから断罪イベントで王子や近衛騎士に斬り捨てられるパターンもありましたので剣と魔法の腕を磨くため、幼少の頃よりダンジョン攻略をしておりましたのよ」
「……幼少の頃より……」
それでか。シリアナ嬢からは強者のオーラが出ている。優れた戦士は相手と対峙しただけで勝敗を知るという。百年くらい前に歴代最強勇者と対峙した時に感じたオーラと似ている。やられる。やられてしまう。シリアナ嬢が本気になれば、赤子の手を捻るより簡単に僕の「はじめて」が奪われてしまうこと請け合いである。睾丸の縮む思いがした。
「ええ。それに『こいまほ』は乙女ゲームですが、後半では攻略対象と魔王の侵攻を阻止するシナリオになっているのです。乙女ゲームながら作り込まれたバトルシーンが人気でしたの。ですので、レベル上げは必須なのです。それにオシリスキナ家は元々建国の折、初代国王陛下と共に戦った騎士の家系なのです。領地は北部国境付近に位置していて、山に囲まれた帝国唯一の隣国との陸路を警護してきた家門なのですよ。ですので、完全なる脳筋一族なのですわ。十歳になる前からダンジョン攻略するわたくしを、父上も母上もお兄さまも大変褒めてくださいました。あと単純にせっかく魔法が使えて精霊も居る世界に転生したのに魔法だヒャッハー! しないなんてもったいないのですわ」
うん。もう何も分からん。れべるとは何だ。しなりおとは何だ。ひゃっはー! とは何なのだ。だがそれでいい。僕は何も聞かなかった。何も聞きたくない。きっと僕は今、市場へ売られて行く羊の目をしている。
しかしオシリスキナ公爵家は辺境に領地があるのか。だがシリアナ嬢の言う通り本当にただの脳筋一族だったら唯一の陸路、つまり唯一の敵の侵入経路を任される訳がない。
「オシリスキナ家の人間は代々、幼き頃から武芸全般を仕込まれるのです。十歳になる頃には、素手で剣が折れるくらいになるのですわ」
普通の人間は素手で剣を折れません。それを十歳でとかどんな一族だよただの脳筋で済まされる問題じゃねぇわ。ツッコんだら負けな気がするから言わないけど。そんなシリアナ嬢に僕のような童貞が勝てるわけがない。そして今まさに考えを見透かさんと、鋭い視線で僕の胸を舐め回すように眺めるのをやめたまえ。
――犯られる。乳首が陥没する思いがした。
「それで特S級冒険者、か」
「ええ。ゲームと違ってダンジョンに入らなければステータスウィンドウが見られませんし、ダンジョン内でしかレベル確認が出ないのでダンジョン攻略に時間を費やし過ぎたようなのですの。気が付いたら王族直属騎士団の団長よりも強くなってしまっていて。ラストダンジョンで聖女が契約するはずの光の精霊とも契約してしまったのです」
ラストダンジョンの光の精霊ってアレだよねぇ?! 魔界に侵攻して来た迷惑な光の精霊王を僕が封印しておいたアレだよね! ダメだよね! やろうと思ったらアレで魔界の魔物を全部浄化できるからね! 精霊と契約できる人間ってだけで非情に稀だけど、さらに精霊王なんて国家で保護するレベルだからね!
「……それはマズいのではないのか?」
「……でも、光の精霊王が付いて来ると言って聞かないので、殴って気絶させたはずなのに領地の屋敷に戻ったら『もう一度殴ってくれ!』などとおっしゃってなぜかわたくしの部屋に居座っていたのです……」
「……」
やべぇ。そう言えばあいつ戦闘狂で、何で戦闘狂かっていうと強いヤツに殴られたいって答えるド変態だったな。
「待って。今あいつどうしてるの?」
「わたくしの愛剣に宿っておりますわ」
人はそれを聖剣とか言うんじゃないだろうか。
「しかしダンジョンが公営住宅と陛下はおっしゃいましたね」
「ああ」
「過酷な環境の魔界では生きて行けない魔物の棲み処である、と」
「そうだね」
「ではラストダンジョンもそうなのでしょうか」
「そんなわけないじゃん。ラストダンジョンは僕の所まで辿り着くうざい人間を篩にかけるために魔界の幹部を配置してるに決まってるじゃん」
「何度もお邪魔させていただいておりますが……」
「何度も」
後で幹部全員呼び出して、シリアナ嬢に何度も負けてるのに報告が上がっていないのはどういうことなのか問い詰めなければならない。ジジイどもめ、足が痛い腰が痛いとダンジョンへ出勤するのを嫌がっていたがまさか、戦績まで報告を怠っているとは。報告連絡相談大事ってあれだけ何度も言い含めたでしょ!
「ケンタウロスのジュンケ卿とは、文通友達でしてよ?」
「文通」
真顔の魔王を君は見たことがあるか。今、僕の顔はまさにそれだ。とくと眺めるがいい。
ケンタウロス族のジュンケ・ツマ・モリタイはモリタイ家の次男だ。詩と文学を愛する大人しい男だが、幹部だけあって強い。文武両道タイプで童貞仲間だ。兄のアナルケ・ツマ・モリタイは魔界で宰相をしている、高潔な魔界の侯爵家である。
……いや、何してくれてんだうちの部下。僕に何の報告もなしになんで人間の女の子と文通してるの。しかもラストダンジョンを攻略した子だよ? マジうちの幹部何してんの。聞いてませんよそんな話。魔王、白目剥いて倒れそう。
「ジュンケ卿とはダンジョンへお邪魔した折に、お互いにお勧めの詩集を朗読したりしておりましたの」
「ラストダンジョンで詩の朗読会」
魔王、頭痛い。ジュンケは強いが戦いを好まぬ大人しい魔族だ。とはいえ魔界は人材不足で、実力を有しており強ければラストダンジョンの守りに配置するしかない。申し訳ないと思いつつ、無理を言っている認識はあった。心苦しく思ってはいたのだ。しかし無理をさせていると理解してはいたが、まさかラストダンジョンで人間の令嬢と詩の朗読会を行っていたとは。
黙ってしまったシリアナ嬢を後目に僕はワゴンからティーカップを取り出し、ティーポットから紅茶を注ぐ。それから静かにティーカップを傾ける。うん。メ・スイキ産のダージリンファーストフラッシュは仄かに甘味の漂う上品なマスカットフレーバーが最高である。店頭で吟味に吟味を重ね厳選しただけあって、いい茶葉だ。今のは聞かなかったことにしよう。
「……しかしさ、光の精霊王って本来聖女が契約する精霊なんだよね?」
「ええ」
「マズくない?」
「……」
きょとんとするな、きょとんと。
「本来ならシリアナはヒロインの対極である闇の精霊王と契約するのですけれども、結果オーライですわ!」
おーらいってナニ。ええんかいそれで。まぁ僕は構わないが。
「しかしそれなら、本来シリアナ嬢と契約するはずだった闇の精霊王はどこに行ったんだ?」
「居りますわよ?」
「ん?」
「居りますわ。領地のわたくしの部屋に。タウンハウスには連れて来なかったのです」
「……精霊王、泣いてなかった?」
「放置プレイというものを教えましたの。喜んでおりましたわ」
「……」
もうやだ。僕この子に関わり合いになりたくない。だが関わり合いにならないために、今ここでこうしているわけで。トア。シリトア。僕もう魔界に帰りたいよ。
「冒険者ギルドはどこの国にも属さず従わず、が大陸条約で定められているというのにわたくしはアナルファック帝国の公爵家の人間でございましょう? 有事にアナルファック帝国がわたくしという人間を独占せぬよう、帝国よりもギルドの意向を優先するよう、中立を誓わされておりますのよ。ただでさえ面倒ですのにこの上光の精霊王と契約しているなんて知られたら国家問題なのですわ……」
なるほど、だからラストダンジョンも単独踏破できるわけだ。光の精霊王が召喚できるんだから、そりゃ最深部までドレスで優雅に降り立てるというのも納得である。ダンジョン内で光の精霊王を呼び出して浄化させれば半径十キロメートル圏内の幹部連中以外の魔物は強制退去させることができるから、幹部としか戦わずに済む。それでもラストダンジョンを一人で制覇する貴族令嬢は普通ではない。
「それなら、例え聖女が現れたとしてもお嬢さまを国が邪険にするとは思えないんだよなぁ。国外追放したら、国としてお嬢さまに命を下すことはできなくなるし人材の流出は避けたいところだろ」
下手したら聖女より大事だろ。ラストダンジョン、ここ百年近く誰も踏破してないんだぜ? 僕なら何としても引き留めるね。
「皇帝と殿下とでは、お考えが違うのです。殿下にとってわたくしは生意気で言うことを聞かないが、ぞんざいに扱うことを周囲が許さない、おもしろくない存在なのですわ」
「何だ、つまり王子は国益よりも己の感情を優先するバカということか」
「……エイン、お言葉が過ぎますわよ」
バカか。バカなのか。否定はしないということはそうなんだな。
「君をおもしろく思っていないが、君の家格、個人の実力から露骨に邪険に扱うこともできないのが現状で、そんなところに扱いやすそうな聖女が現れたら例え君も聖女候補だろうと己の立場や王族としての責務など考えず御しやすそうな女を自分の妃に据えたがる。そういうバカ王子、なのだな」
おまけにまさかとは思うが、一国の王太子ともあろう者が「辺境」を「田舎」くらいに思ってたりしないか。しかも立地的に帝国唯一の陸路と通年温暖で穏やかな海流に恵まれた海路があるオシリスキナ領が、公爵家でありながら辺境伯としての役割も担っている意味やそこを建国から治めて来た一族というのが何を意味するのかも分からないタイプか。オシリスキナ一族が反旗を翻したらこの国がどうなるかとか、それを含めてその地を任される歴代公爵と王との信頼関係とか、関税とか流通とかの意味が分からないタイプのアホか。おお、怖。バカって怖い。
「……」
もぐもぐもぐ。シリアナ嬢の細い顎が無言で咀嚼を繰り返す。返事をしないということはやはりそうなのだろう。そしておもしろく思っていないからと言って、シリアナ嬢に婚約破棄を突き付けられるような材料を集めることもできない、考えることもできない、その能力もない、そのための人材も持ち合わせていない無能なのだろう。無言でスコーンにジャムを乗せたシリアナ嬢へ笑顔を向ける。
「良かったではないか。相手がアホなら作戦の成功率は上がるし工作もしやすいな!」
「んっふ」
「ひろいんの聖女も、王子と同じくアホだと楽なのだが」
「ごっふ……ゲームでの初期設定のミコス・リ・ハンデ・イカセルという名前は分かっているので、学園に行けばいずれ分かりますわ。ヒロインが転生者という可能性もございますのよ。そうなると聖女もゲームの展開を知っていることになって厄介なのです」
「そんな可能性もあるのか」
「ええ……三こすり半でイカせるだなんて名器、名器ですのね……攻略対象は全員早漏なのですわ……」
うん。聞きたくない。何度も言うが公爵令嬢が名器とか早漏とか言うんじゃありませんはしたない。
「……ていうか、シリアナとかエロアナルよりその聖女の方が名前変じゃね? 帝国の言葉でエロって『聖なる』って意味だろ?」
アナルとは正しくは「アナ・ル」と発音する。「光あれ」という意味で女神オシリアナへの祈りの言葉「アナ・ル、アナ・ル、エロ、アナ・ル。ドエロ」はつまり、「光あれ、光あれ、聖なる光あれ。女神よ」という意味だ。シリって「美しい」って意味だし、アナって「光」って意味。つまりシリアナとは、「美しき光」という意味と女神オシリアナの名をいただいたいい名前だ。親の愛情が分かるし、シリアナ嬢は生まれた時からとても美しかったのだろう。シリアナ嬢の前世の世界、何か言語設定が変だよな。
「つまり、聖女も未来の展開が分かっている、と思って動いた方がいい、のか」
「そうなのです。さらに気を付けなくてはならないのは、他の攻略対象ですわ」
「他?」
「ええ。乙女ゲームですから。攻略対象のキャラが『こいまほ』の中では殿下以外にも他に五人いるはずですわ」
「あと五人、アホがいるということで合っているか?」
「いいえ。アホは殿下のみですわ。多分」
アホて。君殿下の婚約者ちゃうのか。ええんか。ええんかアホとか言ってしまって。僕は面白いからいいけど。
「そのアホのるーととやらでシリアナ嬢はどうなる?」
「アホのルートではわたくし、婚約破棄された怒りに任せその場で聖女に掴みかかりその罪を問われ、貴族籍を剥奪の上お父さまに国外追放されてゲーム内ではその後消息不明となりますの」
自国の第一王子をアホ扱い確定でいいのか。まぁ、深く考えまい。しかし婚約破棄された場で王子に掴みかからない辺り、げぇむのシリアナ嬢も貴族として自国の王子を害するのはさすがにマズいと考えられるだけの理性はあるらしい。アホに振り回されねば国にとって良き人材となっただろうに可哀想に。
「それは父上殿精いっぱいの親心だな。シリアナ嬢を国外へ逃がして守ったのか」
「……やはり、陛下もそう思われますか」
「うん」
消息不明ということは、その後アナルファック帝国以外の国で平穏に暮らした可能性が高いのだろう。やはり唯一の国防の要である辺境を任されるだけあってシリアナ嬢のお父上はそれなりに有能らしい。
「他には?」
「わたくしのお兄さま、エロアナルも攻略対象なのです。エロアナルルートではわたくしは公爵家の別棟で一生監禁される結果になりますの」
「何がどうなるとそうなるんだ?」
兄妹仲が悪いのか? 怪訝な表情を隠しきれない僕へ、シリアナ嬢は首を横へ振って見せた。
「いいえ。お兄さまは殿下がわたくしとの婚約を破棄するための断罪イベントから守るため、失踪したと偽ってオシリスキナ家の別棟に匿うのです。そして苦悩しつつ、ヒロインのため、わたくしのため、シリアナを一生別棟で過ごさせるのですわ。数あるエンディングの中でも最もシリアナにとっては穏やかなエンディングですのよ」
「兄に監禁されるのがか?」
「殿下に見つかれば処刑されるので」
「……え、待って? 聖女は王族と婚姻を結ぶんだろう?」
「略奪婚ですの。ですのでヒロインも一生公爵家から出られませんわ。兄は表向き、独身を貫くことになりますのよ」
「妹も聖女も監禁とかヤベェ」
「そうなのです。ヤベェのですわ。前世のわたくし二番推しの妹になるなんて萌えが極まってブラコンにもなるというものですわ」
ぶらこんとは何だろう。ちょいちょい出て来るけどおしってなに? もういちいち尋ねる気がしない。脳が理解を拒否している。いいんだ。もうそういうことにしとこう。ふわっと雰囲気で納得しよう。知りとうない。知りとうないぞ。シリアナ嬢の向かいにある椅子を引き寄せ、座ってテーブルへ頬杖をつく。
「つまり王子以外と結ばれる時は必ず略奪婚ってことになるのか?」
「殿下の護衛騎士のヒュースルートでは聖女と二人で国外逃亡するのです」
「ちなみにその場合、シリアナ嬢はどうなる?」
「ヒロインが居なくなれば殿下と結婚するのはシリアナ。そんな打算から二人の逃亡を手伝ったため、帝国騎士団に掴まってしまい、聖女を逃した罪で罰せられ、オシリスキナ公爵家は爵位を剥奪され一族は没落するのですわ……」
ろくでもない展開しかない。しかしその程度の罪状で辺境伯、しかも帝国に三つしかない公爵家を取り潰すか? 国王何考えてんの。額を押さえながら尋ねる。
「他には?」
「殿下の弟君であるシリアナルルートなら、兄弟で聖女を取り合い互いを暗殺しようという目論見の中、殿下の代わりに毒殺されて死にますわ。お陰で目が覚めた王子二人は一人の聖女を二人で愛でる、3Pエンディングですのよ」
「何だろう、何でだか分からないけど最後の言葉が若い令嬢が口にしてはならない言葉だということだけは分かったぞ」
「3Pというのは男女三人でくんずほぐれつそれはもうぐっちょんぐっちょんに」
「ご令嬢がそんな言葉を使うでない!」
「ふふふ」
忍び笑いが忍んでいない。童貞をからかってそんなに楽しいか。楽しいだろうな。僕なら楽しいもん。
「ほんとろくなことにならないな。シリアナ嬢もだが聖女と結ばれた男どもも幸せになってないではないか」
「第一王子のアナルアルトルート以外はどこか切ないエンディングしかないところが、『こいまほ』が人気の理由ですのよ! メリバ万歳ですわ!」
「えんでんぐ……めりば……また分からぬ単語が出て来たがもうよい。残り二人は?」
「次期大司教候補の神官、アナルディル・ドウですわ。アナルディルルートでは二人は女神の祝福を得て婚姻を許され、聖女を蹴落とそうと様々な嫌がらせを画策し、殿下を選ばなかった聖女に『アナルアルト様の何が不満なのよ!』と掴みかかったシリアナは大司教となったアナルディルによって修道院送りにされるのですわ……」
「殿下どこ行ったよ?」
「アナルディルルートですと、シリアナとも聖女とも婚約しなかった殿下は確か、モブの伯爵令嬢と婚約なさいますわ」
もぶって何だ。聞いたら話が長引きそうだから口にするのをやめた。
「しかし聖女は必ずしも王族と結婚しなくていいのか」
「アナルディルは聖女が学園で三年生になる頃には、大司教になっていますの。王族ではなく大司教と聖女が婚姻した先例もありますので、その場合は王族との婚姻は必須ではございませんわ」
「この世界は神官の身分がやたらと高いからな」
国によっては王族よりエロアーナ教の法王の方が身分が上である。主神ドライオル・ガズムを信仰するエロアーナ教ではなく、女神を信仰するオシリアナ教でもそれは変わらない。
「最後は?」
「ゼンリツセェン学園の教師、オシリエ・ロイ・ド・ヘンタイ子爵。通称ロイルートですわ。わたくしが陛下に初めてをもらっていただこうと思い付いたのはロイルートからひらめいたのです」
「ん?」
「ロイルートでは、卒業を控えた洗礼式で聖女は女神からの神託を受けないのです」
「なして?」
「その、聖女が乙女ではなくなっていたので……」
「おいいいいいいい、とんだ淫行教師じゃねぇかいいのかそれで!」
「しかも淫行教師なのにお尻がエロいド変態なのですわよ? 受けなのか攻めなのかどう解釈したらいいのか分からないのですわ!」
「うん、ちょっと何言ってるか分かんない」
ん? 待てよ? 聖女が現れず、シリアナ嬢が聖女候補に上がったのなら、そのまま王子とシリアナ嬢が結婚してめでたしじゃね?
疑問が顔に出ていたようだ。シリアナ嬢が大きく頷く。
「ロイルートでのシリアナは殿下と結婚し、帝国に平和が訪れたかに見えたその時、魔物が帝国に侵攻するのです。しかしヒロインである聖女より力の弱いシリアナは魔王に破れ、命を落としますの。実質、生贄として差し出されての死亡ですのよ」
「え、僕なんで侵攻したんだろ?」
「『我らを悪とした女神を篤く信仰する帝国を滅ぼし、地上に我らの国を作る』とかなんとかおっしゃっておられましたわ」
「……」
察するにダンジョンから魔物の財産を奪われその補填と賠償に追われ、国庫が空になったからヤケを起こして攻め入ったんだろうなぁ……。もうどうにでもなぁれ、って。そしたら運よく聖女としては実力弱めのシリアナ嬢が出て来たので偶然、勝ててしまったんだろう。多分、あっさり聖女に勝てて一番びっくりしているのはその「るーと」とやらの僕だぞ。
「でもそれ、帝国えらいことになっちゃうんじゃないの?」
「帝国どころか世界中に魔物が溢れることになる世界で、愛のために世界を混乱へ陥れた罪悪感から元ヒロインの聖女はロイと共に魔物討伐の旅に出るところでゲームが終わりますのよ。穏やかな性格で生徒思いの優しいロイ先生が、己の愛を貫いた結果帝国を破滅に導いたことで自責の念に駆られ想いが揺れる表現が大変美しゅうございましたの。『例え世界と引き換えにしても、君を愛さずにはいられなかった。これは僕への罰だ』とヒロインを抱き寄せるロイのスチルは完璧でしたわ……」
ほんとにろくでもない未来しかないな。絶句した僕をシリアナ嬢は何やらうっすらとした笑みを浮かべて見つめている。これはいつもの顔がいいと鳴くのを堪えている顔だ。エイン知ってる。こほん、と一つ咳をして話を続けた。
「まぁ今回は僕がここに居るし、攻め込むことはないだろうから聖女と淫行教師をくっつけることに全力を尽くした方が良くない?」
「それでもやはり、複数の保険をかけておきたいところですわ」
「となると、シリアナ嬢が平穏に暮らせそうなのは第一王子アナルアルトと、淫行教師のるーとで、一番避けねばならんのは毒殺されてしまう第二王子のシリアナルるーとということになるな」
「シリアナル殿下はアナルアルト殿下の弟君であらせられますから、当然避けては通れないのです。ヒュース様はアナルアルト殿下の護衛騎士で殿下と顔を合わせる時には必ず同席しておりますしこれまた避けようがないので、全く無関係なのは次期大司教候補のアナルディル様だけなのですわ……」
「え、待って。大司教候補と聖女はどうやって出会うんだ?」
「ヒロインは学園入学前から、オシリアナ神殿に足繁く通う敬虔な女神の信者なのです。なのである意味、入学前からアナルディルルートは確定しているということなのですわ」
「貴族令嬢がそんなに頻繁に神殿に通うのか?」
「ヒロインは平民なのですが、イカセル子爵の私生児だと判明して入学前に子爵家に引き取られるのです」
「イカセル子爵は他に子供が居ないのか?」
「ゴコス・リ・ハンデ・イカセルというご令息が居られましたが、ゲーム通りなら去年に流行り病で亡くなっているはずです」
「跡継ぎが居なくなったから引き取った、というわけか」
「そうです」
胸糞悪いなイカセル子爵。まぁ貴族なんてそんなもんか。権力を持つと他人を自分の思い通りにしてもいいと勘違いするバカは一定数現れるものだ。
「シリアナ嬢は大司教候補とは面識ないのか?」
「現時点ではございませんの。洗礼式の時しか顔を合わせないと思いますわ」
「じゃあまぁ、大司教候補はあまり警戒しなくてもいいか。聖女と既にデキていたとしても、君が関わらなければいいだけだしな」
「ですわね。最終手段として帝国で洗礼式を迎える前に他国で冒険者として暮らす選択肢もありますし」
「女神信仰が盛んなのはアナルファック帝国だけだからな」
「ええ。他国ではほとんどが原初神ドライオル・ガズムを信仰しているので、聖女選別の洗礼式は行いませんもの」
そう。この世界の人間は八割が創世神話に出て来る原初の神ドライオル・ガズムを主神とするエロアーナ教を信仰している。アナルファック帝国は建国の英雄である英雄王ケツアナ・アナ・ル・イジリスキー・アナルファックが女神オシリアナのお告げと加護を得て魔物が跋扈し混乱する国を治めたことから、女神を崇めるオシリアナ教が国教なのである。また聖女は英雄王ケツアナを助け、建国後王妃となったために篤く信仰されている。このミナエロイ大陸に於いて、一番歴史の浅い国でもあるのだ。
つまり女神オシリアナのお告げのせいで元々この地に住んでいた魔物は魔界へ追いやられ、地上では『昏き場所』にしか留まらないという約束をドライオル・ガズ厶とする羽目になったんだ。今度会ったら常に鼻毛が一本だけ長く伸びる呪いをかけてやる。
「じゃあ淫行教師るーととやらを推し進めつつ、シリアナ嬢に僕の魔力を注ぐ方向で行こう」
「淫行教師ですけれども淫行教師ではありませんわ。魔法理論の担当ですのよ」
いや在学中の学生に手を出す教師なんて即刻クビだろ。倫理観ゼロじゃん。どうなってんのこの国。どうなってんの人間界の常識。人間怖い。いやしかしこの茶葉最高か。二杯目はミルクティーにしよう。シリアナ嬢と自分のカップへ温めたミルクを注ぎながら思考を巡らせる。ミルクティーにするならば、一度使った茶葉を長めに蒸らして飲んでもいいがオシリスキナ家はお金持ちなのでそんなけち臭いことはしない。新しい茶葉を豪快に入れてティーポットへティーコジーを被せる。
「ゲームの時は悪役令嬢とはそういうものと思っておりましたが、自分の現実となってみると顔が良くてもご遠慮願いたい殿方ばかりなのですの……」
虚無を湛えたシリアナ嬢が静かにミルクティーを啜る。小さな手がティーソーサーへカップを戻す。微かに陶器が触れ合う音がした。
「……他にもシリアナ嬢的には穏便そうで交渉の余地がありそうな兄上るーとも視野に入れておこう」
「分かりましたわ」
「で、なるべく他の攻略対象とやらとは交流しない」
「それは難しいですわ」
「まぁ一人は淫行教師だしな……」
そこまで口にして気づく。三つ目のスコーンに手を伸ばしたシリアナ嬢を目路に入れつつ、カップへ紅茶を注ぐ。僕とシリアナ嬢は鏡合わせのようにカップを持ち上げ、ミルクティーを口に含む。
うん。ファーストフラッシュの薄い美しい水色とふくよかな香りとミルクの仄かな甘みが最高だ。一般的にミルクティーにはコクが出やすいブロークンリーフの方が向いているが、僕は繊細な香りとミルクの甘みが楽しめるフルリーフのミルクティーも好きだ。フルリーフの繊細な味わいを、ミルクが消してしまうというのだろうが一般論なんてくそくらえだ。僕は薫り高い繊細な味わいの紅茶をミルクティーで楽しみたいのだ。僕はそれを最高に美味いと思う。そう、純然たる僕の好みだ。好みの問題なのだ。だって贅沢だろう? ああ美味い。人間界バンザイ。
「……婚約者が決まっている身分の高い貴族令嬢は領地内に留まり家庭教師を付け、学園に通わない者もあると聞く。このまま学園に入学せず、皇妃候補として学ぶことに専念するとかなんとかそれらしい理由を付けて領地に帰るという選択肢もありなのではないか?」
「……! アリですわね」
シリアナ嬢はすでに学園入学程度の教養は身に付けているようだ。魔法や剣術も特S級冒険者なのだから当然マスターレベルで、今さら誰に学ぶこともなかろう。家門的にも領地で皇妃を教育するに相応しい教師を雇う余裕もあるだろう。
「ヒロインも攻略対象も大半が学園で出会うのだよな。攻略対象とヒロインの恋愛も九割方学園の中で育まれる。そこにシリアナ嬢がいなければ、シリアナ嬢がヒロインと衝突する事態は避けられる」
「ただ、そうなると誰が攻略されているかの進捗が窺えないのでは?」
「そこは兄上に報告してもらえばよかろう。それにその場に居ない人間に罪を被せようにも被せようがない。オシリスキナ領は首都より離れた遥か西南の地。皇妃教育に専念すると言えばおいそれとは呼び出すこともできまい。皇太子とも疎遠になれる。一石二鳥だ」
「……一理ございますわ」
「関わってないなら断罪されようがないからな」
思い付きで言ってみたが、結構いい作戦なのではないだろうか。断じて敬語を覚えるのが面倒になったとか、シリアナ嬢に付き添って学園とやらに行くのが面倒になったとか、やたらとダメ男限定の吸引力が高いひろいんとやらが怖いからではない。ないったら。
「ではお父さまに掛け合ってみます」
四つめのスコーンへ伸ばされたシリアナ嬢の手を押さえる。見つめ合い静かに首を横へ振る。
「陛下におかれましては顔の良さが暴力的に圧倒的美麗さを日々更新しておられるのですわ」
何の話だ。それより今は君の体重管理について話をした方がいいと思う。
「太るぞ。やめておけ」
「く……っ! 陛下のスコーンは美味しすぎるのですわ……っ! 大丈夫ですわ。この後、ドラゴンの巣で軽く運動してまいりますもの」
そうだろう、そうだろう。このスコーンはバターがふんだんに使えることが嬉しくて少々カロリーを無視し、味わいのみを追求したレシピになっている。あとな、あとな、秘密は何度も生地を折り重ねて層を作る様にしているのだ。それがふんわりさくさくほろほろの秘訣だ。すごかろう? 僕天才だろ? お料理楽しい。人間界の食材最高。あと、ドラゴンの巣へジョギング感覚で軽く運動へ赴く人類は君だけだシリアナ嬢。最近ドラゴンからなぜか僕へ苦情が来ているからやめないかシリアナ嬢。あいつらドライオル・ガズムの眷属ってことになっているのに泣きつく時は僕に泣きつくんだどいつもこいつも厄介事ばかり僕を頼りやがってこんちくしょーめ。
「……魔界には」
「はい」
「人間界の食材は存在しない。生態系が違うからな。人間界の食材に味が似たものを探したが、存在しなかった。だから僕は長年人間界に来たいと思っていたんだ。本の中に書かれた人間界の風景や食事は実際はどんなものだろうとずっと考えていた。だから今、楽しくて仕方ない。シリアナ嬢には感謝している」
あとぶっちゃけ公爵家のお賃金オイシイ。このまま三年とは言わず百年くらい雇ってくれないだろうか。
「……わたくしこそ、突然訪れて無茶な要求をしたわたくしを信じてくださって感謝しておりますわ、陛下」
さてと。話すべきは話した。椅子を引いてティーセットを乗せたワゴンの横に立つ。片手でそっと今まで自分が座っていた椅子を戻し、背を伸ばした。ノックはきっちり三回。
「シシィ、ボクだ。入ってもいいかい?」
「ええ、エリィお兄さま」
「かわいいかわいい兄様のシシィ、アナルファック帝国のに咲いた匂い立つ美しき薔薇姫。兄様にキスしてくれないのかい?」
「……うふふ、お兄さま。しゃがんでくださいませ」
妙な沈黙の間にぼそっと「だから尻の穴だもん臭いますわよね」とシリアナ嬢が呟いたが何のことだかさっぱり分からない。僕はいつも通り無視した。
「シシィのキスが貰えなければ兄様の世界はくすんでしまうから、毎日兄様へのキスを忘れないでおくれね、シシィ」
シリアナ嬢の横へ少し屈んで頬を差し出し、すっかり緩んだ表情を見せているこの青年が攻略対象であるエロアナル令息だ。シリアナ嬢が軽く頬へキスをすると満足した様子で頷き向かいへ歩いて来る。椅子を引いて軽く頭を下げる。
従者らしくテーブルの脇へ立ち、エロアナルの前へ静かにティーカップを置く。ハイティースタンドからスコーンを選び、クロテッドクリームをたっぷり乗せて口へ運んだエロアナルは頷きながら目を閉じた。
「シシィはとてもいい従者を見つけたね」
「ええ。エインのスコーンは帝国一ですわ。それに護衛としても優秀ですのよ。詳しくは申し上げられませんが、エインが負けることは絶対に有り得ませんのよ」
「特S級冒険者のシシィがそこまで言うとは。彼の実力は折紙付きなのだね」
魔王だからねっ! とはさすがに言えない。人間には負けるはずもないし、魔物が僕に従わないわけもなく。神とて僕を排除できず、「昏き場所」は魔物の領域と認めたわけだから。
「それに彼のセレクトした紅茶はとてもボク好みだ」
ティーカップから立ち上る香りを楽しむ優雅な仕草。閑雅なアーリーティータイム。僕の求めていたのはこれだ。
「光栄です」
だってここの家の人たちどんなに高い食材買って来ても、何も言わないんだもん大好き!
「それにこのクリーム……濃厚で上品な甘みがあってとても美味しいね」
所用で魔界に戻った時、出来心で牛乳を持ち込んだ。ミルクティーが飲みたかったのだ。しかしシリトアに見つかるとうるさいのでペットのジャイアントハムスターが滑車を回している中に牛乳ぶち込んでおいたら出来上がった、偶然の産物だが美味しいから良かろう。美味しいは正義だ。クロテッドクリームというのはシリアナ嬢の命名である。前世の世界に似たようなものがあったらしい。
「これはオシリスキナ領で売り出せないかしら、エイン」
ジャイアントハムスターは体が大きいだけの害のない魔物だが、なんせ体長が五メートルはある。おいそれとは連れて来られない。
「……考えてみます。今のところ大量に作る方法がないので」
多分、ぐるぐる回すのがキモなのだろう。魔法で何とかならないだろうか。まだまだ試したいレシピはたくさんある。お料理大好き。美味しい嬉しい。
「お兄さま、わたくしに何かお話があったのでは?」
無心でスコーンを口に運んでいたエロアナル令息がはっとした顔をした。口の周りにスコーンの食べカスがついていても、柔らかに整った甘い美貌は損なわれない。
「入学準備は順調かい、シシィ。足りないものや必要なものがあればボクに言っておくれ」
「今は特に思いつきませんわ、エリィお兄さま」
「……うむ」
シリアナ嬢は切れ長の瞳というか猫目だが、エロアナル令息は垂れ目で灰青色の瞳だ。髪の色はシリアナ嬢と同じ白に近いトウヘッドで、男らしく通った鼻筋以外は繊細に整った顔立ちという印象である。パーツの微妙な大きさは違うものの、この兄妹は細く高い鼻梁が似ている。
「正直に言えばお兄様はシシィと買い物に出かけたい。かわいい妹を自慢して回りたい。シシィとカフェでお茶して学友に羨ましがられたい」
うん。残念なほど兄バカだ。ここ三カ月この兄妹を観察してきたが、始終この調子でエロアナル令息がシリアナ嬢を想う気持ちは疑いようがない。
こんなにシリアナ嬢をかわいがっているのならば。ふとある考えに至る。
「では外出の準備を致しましょうか、シリアナ様。エロアナル様」
シリアナ嬢は無表情で視線を遠くへ送っている。エロアナル令息の名前を誰かが呼ぶたびにこの顔する。兄上に失礼だろうが。エロアナルという名の何がいけないのだ。
「エロアナル様、シリアナ様とお洋服の色を合わせてお出かけになるのはいかがでしょう? お二人の仲睦まじさが一目で分かりますよ」
「! 君は本当に素晴らしいな、エイン。そうしよう。シシィ、君の瞳と同じ空色で合わせるのはどうだろう?」
「ええ、お兄さま。それでは準備をいたしますわ」
「待っていておくれ。すぐに支度をするよ!」
うきうきと立ち上がったエロアナル令息はハイティースタンドからスコーンを一つ、掴んだ。ご令息。お行儀が悪いですよ。
扉が閉まったのを確認して、シリアナ嬢へ向き直る。
「シリアナ嬢、エロアナル令息に全てを打ち明けて協力してもらわないか?」
「……全てを、ですか」
「ああ。あの様子なら君の言うことを頭から否定することはなさそうだ。協力者は多い方がいいと僕は思う」
「……分かりました。全てを打ち明けますわ」
「あ、ちょっと待って。僕が魔王だってことと、シリアナ嬢が僕に純潔を捧げようとしたことは言わなくていいからね」
「……分かりましたわ」
不満げな顔をされてもダメなものはダメだ。そんなことあの令息が知ったら僕、殺されると思う。僕見ちゃったもん。あの令息、ドレスを仕立てているシリアナ嬢に嫌味を言ったご令嬢の馬車を持ち上げてそっと遠い路地に置いて来てたからね。舞踏会でシリアナ嬢へ近寄る諸令息の前で微笑みながら、意味不明に置かれた重たそうな彫像を持ち上げて「シシィに不埒なことをした輩はボクが許さないよ」と公爵家伝統の異常な筋力を披露していた。シリアナ嬢に直接嫌味を言ったご令嬢には「うちのシシィに何か?」と釘を刺し、皿に盛った料理をドレスにぶちまけようとしていたご令嬢の手を指一本でそっと返して逆に肉塗れにしてたからね。さすが十歳で剣を素手で折る一族だよ。
「あと思ったんだけど、あの兄上なら君が王子と結婚したくないって言ったらどんな手を使っても婚約を破棄するように画策するんじゃない?」
ついでに暗殺しそうな勢いだと思うよ。証拠も残さず徹底的に追い込むだろうなぁ。遠い目をした僕の前で、シリアナ嬢がころころとかわいい笑い声を上げる。
「陛下ったら、大げさですわよ。お兄さまはとても優しいので画策なんてしませんわ。獲物を仕留める時も可哀想だからと必ず一撃で即死させる、優しいお兄さまですのよ」
おい優しさの意味おい。一撃で即死ておい。殺傷能力高いなその優しさ。彼がとても優しいのはシリアナ嬢にだけだよ気づいて。
「殺す君シシィに直接スカウトされたらしいけれど、殺す主と従者であることを忘れてはいけないよ。殺すうちの妹に邪念を抱いたら全身の骨、粉々にするからね殺す」
そう耳打ちされた時、目が一切笑っていなかった。殺意隠せてないよ令息。ほんと人間怖いなんなの怖い勘弁して。そもそもこのタウンハウスには執事から料理人まで女性しか居ないんだよどうしてか知ってる? あの妹に激重感情抱いてる兄上が君の周りに男が居ることなんて許さないからだよね。僕は君が直接連れて来たから追い出せなくてイライラしてるんだよ? 僕、毎日背後に立たれて舌打ちされてるからね? 魔王の背後を取る公爵令息なんてどこの世界にいるのここにいるんだなコレが。ちなみにシリアナ嬢も呼吸するより自然に僕の背後に立つよ! さすがの魔王も胃に穴が開きそうよ?
「君たちが話をしやすいように、どこかのカフェを貸しきりにしておこうか」
「いいえ、家にいたしますわ。夕食後にわたくしからお兄さまをお誘いします」
「分かった。僕も同席するよ」
「お願いいたしますわね」
「では君の侍女を呼んで来る」
シリアナ嬢専属の侍女はエロイア・ナルジワという、無口で無表情で金の話をする時以外に感情を表に出さない人間である。彼女の名前を呼ぶ時もシリアナ嬢はよく見ると微妙な表情をしている。つまりそういうことだな。分かっている。僕は賢いんだ。つまり侍女の名前も下ネタだ。
外に出るとエロアナル令息が目を見開いて大股開きの腕組みで立っていた。何かぶつぶつ言っている怖い。
「シシィと何を話していたのかな? 着替えは侍女が手伝うのにどうしてすぐに部屋から出て来なかったのかな? 何よりボクが訪れるまでシシィと二人きりでお茶とか羨ましい許さないシシィの笑顔独り占めの時間を持つボク以外の男などこの世から消え去ってしまえ許さない」
大きな声を出すとシリアナ嬢に見つかるからか、近づいて来て小声で呪詛を垂れ流す。いやこの人ほんとに聖女と結ばれるの? 聖女、男の趣味が悪すぎないか怖い。だって他はアホ王子と兄を毒殺する弟王子と淫行教師と信者に手を出す聖職者だろ人間の風紀どうなってるの? 話聞いただけだけど唯一まともな倫理観持ち合わせてそうなの王子の護衛騎士だけじゃん怖い。
「……仕事、ですので」
「あくまで職務、と? よろしい、行きたまえ許さないシシィの網膜からボク以外の男の情報を消去したい許さないシシィと同じ空間でシシィの吐き出した空気を吸い込むボク以外の男全員不能になれ許さない」
小声の呪詛が遠ざかって行くが途切れない。あれでなぜ、第一王子との婚約については認めているのか疑問だ。
「認めてないからね!」
え、怖。僕の心の声に答えたとしか思えないタイミングで叫んだよあの令息怖い。
「人間、怖い……」
人間不信になりそう。てか、なりつつある。目立たぬようにため息を吐いて、タウンハウスの長い廊下を侍女たちの詰所まで歩き出す。アナルファック帝国はミナエロイ大陸の東南に位置している。気候は温暖で肥沃な土地である。アナルファック帝国の首都は帝国の北にあり一応四季はあるものの、通年気温が十度以下にはならない。タウンハウスの窓は、採光のために大きく設計されている。大理石の廊下へ明るい日差しを降り注がせる。覚えず目を眇めて外を見やる。
しっとりと色香を含んだ花を咲かせる白いマグノリアは、嫋やかな貴婦人の手に似ている。ふわふわとまあるく、無邪気な子供に似て朗らかに揺れる黄色のミモザ。あっけらかんと明るい薄桃色のブーゲンビリアの向こうにははにかんで控えめに隠れるようにメイフラワーが白い小さな花を咲かせている。その奥にはシリアナ嬢が特にお気に入りのウィステリアに包まれたパーゴラの小道がある。
光と色彩に溢れた景色。
ここは僕が長いこと夢見たもので溢れている。
侍女にシリアナ嬢が外出するので着替えることを伝え、執事長へ馬車を用意して欲しい旨を知らせる。料理長に今夜は夕食が少し遅めになるかもしれないこと、夕食後に令息と令嬢が共に時間を過ごすので、何か温かい飲み物を用意したいことを告げて馬車の準備を手伝う。シリアナ嬢の着替えの手伝いを終えた侍女が戻って来ていることを確認して部屋のドアをノックする。これでもシリアナ嬢は化粧も軽くしかしないのでまだ支度の早い方だ。ご令嬢は普通、一人で着替えができない。拷問かと思うほどぎっちぎちにコルセットを締め上げるのは一人でできないからね。
「どうぞ」
「馬車の準備が整いました。エロアナル様は?」
「……まだおいでになっていらっしゃらなくてよ」
またあの表情だ。待った、シリアナ嬢なんか食いしばってない?
「なぁ、エロアナル令息の名前を呼ぶたびになんでそんな顔すんの?」
「前世で暮らしていた日本では『エロアナル』はなんというかこう……性的に『淫らな肛門』という意味ですのよ……」
「……変態……じゃん……」
ごめん、驚き過ぎて思わず本音しか漏れない。シリアナ嬢は憂いを隠せぬ表情をし、優美な仕草で頬へ指先を当てた。
「最愛の兄が悪気なく、それどころか誇らしい名前という体で『淫らな肛門』と呼ばわれる気持ち、お分かりになって?」
「分かりたくない」
「頬の内側を噛み締めないとやっていられないのですわ……」
だからあんな表情してたのか。僕はさっき『淫らな肛門』様って連発してたのかよ嫌すぎる。これからエロアナル令息の名前を呼ぶ時、他の誰かが令息の名前を呼んでいる時、ずっと頭の片隅を『淫らな肛門』が過るのかよ勘弁してくれ。
「ちなみにわたくしの名前は『尻の穴』という意味ですのよ」
「君の名は」と発音が同じじゃないですかやだー。兄妹揃ってケツの穴かよ何考えてるんだ、いやこの世界では最高の名付けなんだけども。
ノックと共に淫らな肛門令息が顔を覗かせる。
「シシィ、準備はできたかい?」
ここの侍女は本当に良く教育されている。兄妹の持っている衣装の中から、なるべく近い色を選んだのだろう。エロアナル令息はシリアナ嬢の瞳によく似た明るい青のジュストコール、白地のジレにはオシリスキナ家を象徴するアザミが刺繍されている。もちろんブリーチズはジュストコールと共布のベロアだ。ブリーチズの脇に縫い付けられた釦はジレと同じ布の包み釦で、そこにもアザミが刺繍されている。シリアナ嬢も同色の縞柄のローブ・ア・ラングレーズで、軽やかな装いだ。シリアナ嬢の好みなのだろう。レースは付いておらず、フリルがある程度で動きやすそうなドレスだ。が、これまたバッスルスタイルである。
「……」
やっぱこのスカートの中、暗器だらけなんだろうなぁ。呆れた視線を送っていると、エロアナル令息が背後でぼそりと呟く。
「シシィをいやらしい目で見るんじゃない! この破廉恥侍従め! 許さないッ!」
いやらしい目というか、恐ろしいなと思っていますと答えても面倒なんだろうなと虚無を湛えて兄妹へ扉を開いて見せる。要するにエロアナル令息のことは無視をした。
「準備が整ったようですね。さ、馬車を待たせておりますのでどうぞ」
人間界の食事は好きだが、馬車は好きになれない。道が悪いんだよな。石畳の表面をなだらかにしようとか考えないのか。がたがた揺れるしお尻痛い。それでも荷車の後ろとかよりマシだけどさ。
「そういえば、例の工事が終了したそうだよ」
エロアナル令息がシリアナ嬢へ笑みを向けた。
「これでオシリスキナ領内も臭わなくなりますわね」
「ああ。シリアナの従者は本当に有能だね」
「恐れ入ります」
頭を垂れた僕をエロアナル令息は無視した。この野郎。
例の工事、とは汚水路の整備である。この国、石畳に糞尿垂れ流しだからすんげー臭いの。公爵家のタウンハウスもトイレ回りだけ超絶臭かった。人間ってちょっと頭悪いよな。いや、貴族が基準で生活様式が決まっているから、下働きのものにやらせとけばいいとこういうのも改善しないんだろう。魔法である程度のことが解決できてしまうのも、技術や考え方が発展しない要因かもしれない。
魔界では屋敷の周りに水路が張り巡らされていて、川の下流へ繋げてある。そこに汚物が流れるようになっているのだ。水路には一定距離を置いて常に水が流れるよう魔法陣を刻んでおけば完成。シリアナ嬢に話したらキラキラした顔で「陛下は天才ですわね」と工事費用をぽんと出してくれたので、今は公爵家のタウンハウスのトイレは臭わない。そう、魔界式にしたのだ。これをエロアナル令息が大層気に入ったらしく、オシリスキナ領内は全ての領地に汚水路を整備することに決めたのである。
「行きたいところは決まっているかい、シシィ」
「ええ、エリィお兄さま。本とノート、それから新しいペン、便せんを買おうと思いますのよ」
「ではフィストファック商会へ行くとしよう」
「んんっ……! 肛門に拳をお入れになってはいけませんのですわ……はい」
あ、また頬の内側噛んでるな。フィストファックがシリアナ嬢の前世の世界で、何らかの下ネタワードなのは確定したが詳しく聞きたくない。どうせまた年頃のご令嬢にあるまじき言葉を連発されるに違いないのだ。気を取り直して話題を振る。
「フィストファック商会といえば帝国一の商会。そういえばエロアナル様のご学友のお家でもありますね」
「イヴォか? だからこそ、かわいいシシィと仲睦まじい様を見せつけに行くのだよ」
確か次男がエロアナル令息と同級生、一つ年上の長男と共に幼馴染で仲がいいと侍女たちが話していた。
「イヴォヂ・オ・シリイタイ伯爵令息様ですね。今は兄君のキレヂ・オ・シリイタイ様が後継者教育中と伺っております」
「痔。痔。痔でお尻痛ぁい……」
ぶつぶつ呟き出したシリアナ嬢にびっくりした。いややめてほんと心臓に悪い。何なの怖い。綺麗なご令嬢の虚無顔怖い。試しに念押ししておこう。ぼそりと呟く。
「イヴォヂ様、キレヂ様……」
「んぐふっ……エイン、連呼しないでくださいませですのよ?」
あ、この二人も下ネタだな。シリアナ嬢が眉根を寄せ目を瞑っている。今、必死で頬の内側を噛んでいるに違いない。鼻の穴が微妙に広がっている。
「キリーはかわいくない弟よりかわいい妹を欲しがっていたから、見せつけてやるのさ」
つまりシリアナ嬢を見せつけたいと。最高の笑顔でエロアナル令息が答える。イヴォヂ令息がかわいいかどうかは知らん。興味ない。だが、フィストファック商会の焼き菓子には興味ある。商会のサロンにカフェが併設されており、そこで食べられるという。わぁい、一度行ってみたかったんだ。嬉しいな。
「エイン、商会で扱っている食材が気になるのでしょう? わたくしとお兄さまがお茶をしている間に見に行ってもいいわよ」
「ありがとうございます」
やったねシリアナ嬢良く分かってる!
「ふむ。今後の美味しい料理に繋がるのならば存分に見て来たまえ。許そう」
一応雇い主はシリアナ嬢なんですけどもね。何で偉そうなんすかね淫らな肛門令息は。
アナルファック帝国の首都、アナルナメルの六番街。スパンキング通りにあるフィストファック商会が見えて来た。僕は護衛も兼ねているから、令息と令嬢と同じ馬車に乗ることを許されている。公爵令嬢の従者としては異例の扱いだ。
なので実は、周りの人間に認知操作の魔法を施してある。僕の存在に疑問を持たないように、ね。だって年頃のご令嬢とただの従者が四六時中一緒はマズいよさすがに。婚約者もいるのに。アホ殿下らしいけど。
まずは商会の前で馬車を停める。御者に少し離れた場所に待機するよう伝え、シリアナ嬢をエスコートするエロアナル令息の少し後ろへ付き従う。ガラスの嵌ったドアをフィストファック商会のドアボーイが開く。二人が店内へ入るのを見送って、僕も付いて行く。数歩も進まぬうちにモノクルの紳士が深々と頭を垂れた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用向きでしたでしょう、オシリスキナ卿、レディ・シリアナ」
淫らな肛門令息と見知った風なこの紳士は、身のこなしが洗練されている。きっと伯爵家の使用人としては地位の高い方なのだろう。うんうん。いいな。お手本にしよう。
「アナルファック帝国の薔薇姫と謳われるだけございますな。まさに匂い立つ美しさでございます、レディ・シリアナ」
優美に微笑みつつ、シリアナ嬢はぼそりと「尻の穴ですもの臭うに決まっているのでございますわ」と呟いた。何この子。褒められてるのに何なのその態度怖い。
「やぁ、エムジカ。今日はシシィの入学に必要な本やノート、それから便せんと、カフェでアフタヌーンティーをと思ってね」
さっきスコーン食ったばっかなのにまだ食う気なのかこの兄妹。シリアナ嬢なんかスコーン三つも食べたんだぞ。しかし兄妹は涼しい顔である。
「かしこまりました。お品を揃える間にぜひ、カフェでおくつろぎください」
「新しいペンも見たいの。いくつかご用意いただける?」
「もちろんでございます。カフェスペースでおくつろぎの間にカタログをお持ちいたします。さ、こちらへ」
壁際にある魔法を刻んだ昇降装置へ案内される。なるほど、その文字盤に魔力を流すと一定動作を繰り返すようになっているのか。人が乗ると床板が動くようになっているんだな。ただ、扉もなく完全に外から見えているので結構怖い。子供は好きかもしれないなぁ。落ちそうだけど。だが人が入ると魔法で障壁が作られて動く床板部分より外へ出られないようになっているようだ。そりゃそうだ。大事なお客様を落っことしたら大変だもんな。
複数の魔法が同時展開されるのか。中々複雑ではあるが、理解できなくもない。ふむ。エムジカの手元を見ていると、顔を向けられ微笑まれた。
「初めまして。わたくしエムジカ・イキャクと申します。フィストファック商会本店の総支配人をしております」
「エムジカ・イキャク……エムジ、カイキャク……ロマンスグレイな紳士のМ字開脚うううううん! げほんごほん」
どうしたシリアナ嬢。何故突然噎せたんだ。あとめっちゃあかん言葉が聞こえた気がするが、耳が拒否したのかよく聞き取れなかった。
「大丈夫ですか、シリアナ様」
「ええ、大丈夫よ。気にしないで。あなたはいつも通り顔がいいわ、エイン」
僕の顔の心配などしていない。シリアナ嬢の顔を覗き込んだが、例の顔をしている。つまり名前がアレでソレなのだろう。虚無が具現化されたような表情で死んだ目をしているシリアナ嬢を横目に挨拶をする。
「初めまして。不躾に覗き込んで申し訳ありません。何分田舎者で魔法装置が珍しく、興味がございまして。わたくしはエイン・ナゾルト・カイカーンと申します。レディ・シリアナの護衛兼従者をさせていただいております」
「ぬぐんっ。……なるほど、エインは普通のお名前だわアリよりのアリだわと思っておりましたら油断いたしましたのよ……フルネーム……そう、フルネームですのね……」
シリアナ嬢が何か鳴いたが気にしてはいけない。この兄妹、ぶつぶつ小言で呟くのが癖なのか。
「どうかなさいましたか、レディ」
小声で耳打ちする。シリアナ嬢はにっこりと笑みを浮かべ、どこか遠いところを見つめた。
「大丈夫ですわ、陛下。ちゃんと
何の話? 嫌な予感しかしない。気持ちよくしていただかなくて結構ですお断りします。
僕らの不審な様子を気にかけるでもなく、エムジカが大きく頷いて見せた。
「オシリスキナ公爵令嬢の護衛という肩書だけであなたの実力が分かるというものです」
「普通の人間はシシィに追いつくことが難しいからね。ボクも気を抜くと置いて行かれる」
え。今までどんだけ護衛を置き去りにして来たんだこの令嬢は。何となく察して過去の護衛たちを憐れむ苦笑いが浮かぶ。エムジカさんも少し困ったように微笑み返してくれた。
シリアナ嬢ほど強ければ護衛なんか必要ないんだろう。それはエロアナル令息も同じ。だからこの人たち、帝国で一番身分が高いお家の令息と令嬢なのにほいほい一人で行動するんだよね。ほんと心臓に悪い。公爵家の使用人たちの心労はいかばかりか。
「あら。わたくし、とってもお転婆だと言われているようで恥ずかしゅうございますわお兄さま」
「シシィはお転婆でも恥ずかしがってもかわいいよ」
ダメだこの兄、妹のことになると筋肉と条件反射でしか動いてねぇ。脳みそを一ミリも介してない返事をしてエロアナル令息はだらしなく鼻の下を伸ばした。
なぁ。マジこの令息に聖女が惚れるの? こんなに妹のことしか考えてない気持ちの悪い兄なのに?
「カイカーン様のご出身はメ・スイキ法王領でいらっしゃるのですかな」
カイカーンという家名の響きはメ・スイキ法王領っぽいのだろう。エムジカの問いへ逆らわず胸へ手を置き頭を垂れる。
「遠い祖先はメ・スイキから来たと聞いております」
嘘は言ってない。この世界で信仰されている原初の神、ドライオル・ガズムは初めに現在のメ・スイキ法王領の首都デラエロイケツに降り立った。一応、僕も原初の神と共に降り立った神の一人であるから間違いではない。
「こちらの昇降機はケツナメル王国の技術を用いているのですよ」
「なるほど、ケツナメルの技術でしたか」
「そんなところ舐めないでいただきたのですわっ!」
マジ突然発作を起こすのやめてくれないかシリアナ嬢。ケツナメルの何がいけないのだ。シリアナ嬢が発作を起こしたということは。分かっている。ケツナメルも下ネタなのだな。よく分かった。しかし僕は何も聞きたくない。
カフェスペースは最上階らしい。席へ案内されたが、僕は二人が案内されたテーブルの脇へ立つ。
「さて、カフェのご利用は初めてでしたでしょうか。ではこちらのお席へどうぞ」
「エムジカ様、よろしければわたくしは貴店の食材やもはや首都アナルナメルで知らぬ者は居ないと言われるフィストファック商会の焼き菓子を拝見させていただきたいのですが」
「ケツもアナルも舐めないでいただきたいのですわっ!」
「はいっ?」
何だどうした、驚かすなよびっくりして声が裏返ったじゃないかちょっと恥ずかしい。その反応は首都の名前までもが下ネタか! 下ネタなのか! もういい加減にしろシリアナ嬢の前世の言語! おちおち世間話もできない。
「ごほん……エインはお料理がとても上手なの。今日ここへ来ると言ったら勉強させていただける、ととても喜んでいたのよ。よろしければ見回らせていただけるかしら」
「かしこまりました。エイン様、こちらへ」
エムジカは僕を案内するために歩き出しながら、待機している使用人へ合図をする。無駄のない動きで近づいて来た使用人へ短く指示を出し、それから手を指し示す。
「失礼、食材は一階でございます」
「なるほど、重たいもの、足の早いものが多い生鮮食材は出入りが激しいから、でしょうか」
「エイン様は商売に興味がおありですか?」
「いいえ、わたくしに商才などございません。お坊ちゃまもお嬢さまも舌が肥えていらっしゃるので、多様な食材を新鮮に手に入れられる場所を探しておりました。これからもぜひこちらと懇意にさせていただきとうございます」
さっきの昇降機の文字盤を盗み見る。うん。原理は分かった。これなら魔界にも作れるぞ。いいな人間界。やったね人間界。
「まだ見ぬうちにそんなことをおっしゃってよろしいのですか、エイン様」
「最上階には話題のカフェ、三階には貴金属などの高級品、二階にはご令息ご令嬢にも手に取りやすい品を配置、実に無駄のない動線かと。一流の店にはやはり、隅々まで一流の仕事がなされているものとお見受けいたしました」
「ほっほっほ、そこまでお褒めいただいては悪い気はいたしませんな。それではエイン様、特別に買い付けたばかりのカ・ツヤクキィン共和国の調味料などいかがでしょう」
「ぜひお見せいただきたい」
わぁい、僕この人好き。珍しい調味料大好き。と言っても、僕にとって人間界の調味料は全部珍しいんだけどね。魔界、大体生食だからさ。あと種族ごとに食べるものも違うし共食いもするし、弱い獣型魔獣とか植物系魔獣も大体強い魔物の餌だしさ。思う存分、珍しい食材を吟味して公爵家のタウンハウスへ配達を頼む。どうせ慌てて戻ってもエロアナル令息に小声の呪詛を垂れ流されるだけだろう。ちょっと他の商品も見て行こう。二階には比較的低価格の品が並んでいる。
文具からハンカチのような小物、魔法を刻んだ生活用品などである。それでも庶民には手の届かない贅沢品だ。盗難防止のためだろう。ガラスケースは店員の居る側にしか扉がなく、客側からは店員の居る方へ入れないようになっている。ノートや便せんの置かれたガラス張りのショウケースを眺め、ふと顔を上げた。
――地図だ。
地図を見るに海岸線に多少の凸凹はあれど、この世界の大陸は概ね五つの国に分かれているようだ。
ほんの少し。いや、本当はかなり感動した。僕が自由に出歩けたのは原初の神が降り立ったばかりの、まだ混沌としたこの世界だ。今はこんな風になっているのか。こんなに国ができたのか。そして、何より。
「失礼、少々質問してもよろしいですか」
「はい、何なりとどうぞ」
声をかけると大変に丁寧なお辞儀をして、ガラスケースを挟んで店員が近づいて来た。
「大変無知で申し訳ないのですが、この東の海にある島はどこの国の領地に当たるのでしょう」
「パイズーリ島ですね。こちらは未開の地です。一番近いメ・スイキ法王領からも海の難所が多く、人が住むには不便な場所でメ・スイキ法王領も放棄したので、一応帝国の領地ということになっております」
「なるほど。それは……」
なかなか魅力的ではないか。覚えず緩んだ頬を手で覆って隠す。今月は靴下を新調しようかと思っていたが、これが欲しい。
「すみません、この地図をいただけますか」
「かしこまりました」
昇降機の前に居る店員に声をかけ、最上階へ上がる。シリアナ嬢とエロアナル令息の案内された席へ目を向けると、瓜二つの容姿をしたレディシュ、いわゆる赤毛にそばかすの令息が並んでいた。
「エロアナル様、シリアナ様、お待たせ致しました」
「あら、エイン。良い買い物ができたのかしら?」
「はい」
人前だと一応公爵令嬢然としているのだな。時々ちょっと変になるけど。多分主に名前関係で。
「顔面偏差値の高いご令息の中に並んでもエインの顔が圧倒的勝利ですわ」
小さく呟いたシリアナ嬢のいつもの鳴き声は無視することに決めた。
「おや、地図を買ったのかい?」
「ええ。恥ずかしながら、無知なもので勉強しようかと」
主へ報告を済ませて、頭を垂れる。一歩下がった僕を、シリアナ嬢がそばかす兄弟へ紹介した。
「ぐぬんシリイタイ卿、イヴォヂ卿、彼はわたくしの護衛兼侍従のエイン・ナゾルト・カイカーンですわ。お二人がいらっしゃる間もわたくしの傍に置いてよろしいかしら」
おい、最初になんか変な声で唸ったな? ここで一つ気になるのは、僕の自己紹介を聞くたびにシリアナ嬢があの顔をすることだ。僕の名前も下ネタか。そうか。そうなのか。複雑な思いでもう一度、頭を下げて気配を消す。
「構わないよ。なぁ、イヴォ」
「構わないさ。なぁ、兄さん」
「わたくしたちと同じものを食べさせても? エインはオシリスキナのタウンハウスで、スイーツの担当もしておりますの。後学のために、ぜひ」
無言で頭を下げる。爵位の高い令息へ、従者が直接話しかけるのは不敬である。つまりマナー違反ってこと。
「これは驚いた、エリィ同様シリアナ嬢にも護衛は必要ないって聞いてたのに。その上スイーツも作るのか?」
「エイン・ナゾルト・カイカーンにございます、イヴォヂ卿」
マスカットのように瑞々しいペールグリーンの瞳が弟のイヴォヂか。改めて名を名乗って頭を下げる。
「余程の腕前なんだな。メ・スイキ法王領の者は剣技と体術を組み合わせた戦いを得意としてるんだって? 興味があるな。そうだろ、兄さん?」
「そうだね、イヴォ」
どこで聞いてたんだ。それともエムジカが報告したのか。正直、この商会を甘く見ていたかもしれない。つまりシリイタイ卿とフィストファック商会はなかなか有能ってことだ。
「そのようにお褒めいただいて恐縮でございます、シリイタイ卿」
花霞の空に似たペールブルーの瞳が兄の方のキレヂ。顔を向けて再度深く頭を下げた。二人とも肌が白くて全体的に色素が薄い。そばかすも
「シシィが自分で連れて来たんだ。『とても強いから護衛兼侍従にします』ってね。珍しいから許可せざるを得ないだろ? 何せボクは、かわいくて可憐な上に強いシシィを愛しているからね」
エロアナル令息が最後を強調して微笑む。シリイタイ兄弟とエロアナル令息はシリアナ嬢が特S級冒険者だと知っているのかもしれない。ひょっとすると上位の貴族には噂が流れているのだろうか。
「そういえばオレたち幼馴染なのに、レディ・シリアナには会った記憶がないな、どうしてだ?」
「そうだね、エリィと遊ぶ時はいつも珍しい金毛の子熊が一緒だったが。あの子熊は賢かったな。オシリスキナの誇るアニリングス騎士団の剣を全て一撃で折っていたね。しかし人間は一切襲わないとても賢い子熊だった。元気だろうか」
その子熊、多分目の前にいますねキレヂ令息。
「いやですわ、そんなに褒められたらわたくし恥ずかしいですわ」
大きく育ったかつての子熊が恥じらって頬へ手を当てる。褒められてない。褒められてないぞ、シリアナ嬢。人間として認識されていなかったという話だぞ、シリアナ嬢。
「小さい頃から強くて美しくてかわいいシシィが兄様の自慢だ。大好きだよシシィ」
いやだから子熊だと思われているが?
「わたくしも、大好きですわ。エリィお兄さま」
誤解は解かないのかエロアナル令息、シリアナ嬢よ。いいのか。それでいいのか。ここにはボケしかいないのか。
「さすがは『帝国の薔薇姫』。匂い立つ美しさ、と社交界でも有名なだけはあるね。とても可憐だ。いいなぁ、エリィ。私も妹が欲しかった」
シリアナ嬢が例によって「尻の穴ですもの臭いますわよね」と呟いたが誰も気にしない。何だろう、何か特殊な魔法でもかかっているのかどうして僕以外はシリアナ嬢の呟きが聞こえていない様子なんだ訳が分からないよ。
「今から父上と母上に頑張ってもらえばいいじゃん、兄さん」
「ほらね。こんなかわいくない弟より、かわいく『お兄様』って呼んでくれる妹、ほしいなぁ」
「ではお許しいただけるのであれば、シリイタイ卿をキリーお兄さまとお呼びしてもよろしいかしら?」
シリアナ嬢は社交辞令のつもりだったのだろうが、キレヂ令息は勢いよく首を傾け超高速で頷いた。
「本当かい、レディ。では私もシシィと呼んでいいかな? いいよね、いいだろうエリィ? レディ・シリアナ自らお兄様と呼んでくれると言うのだから断る理由がないね!」
「ぐぬぅ」
エロアナル令息がまるで砂利でも口に含んでいるかのような表情をしている。そのうち唾と一緒に本当に砂利を吐き出すんじゃないだろうか。怖い。
「あー! ずるいぞ兄さん、じゃあオレも! オレもシシィって呼ぶし、オレのことはイヴォ兄様と呼んでくれよな!」
「うふふ、では……キリーお兄さま、イヴォお兄さま」
はにかんで名前を呼び、目を伏せたシリアナ嬢の長い睫毛が涙袋へ淡い影を作る。
まさに「恥じらい」を体現したような瑞々しくも初々しい乙女の姿だ。しかし僕は知っている。シリアナ嬢が頬の内側を噛んでいることを。興味ある。あとでキレヂとイヴォヂにどんな意味があるのか聞いてみようという気持ちになるではないか。しかし聞いたが最後、きっと公爵令嬢にあるまじき下ネタを聞かされることになるだろう。だから聞かない。僕は、僕の好奇心に蓋をした。
「……いい」
「……うん。いいね。こんなかわいい妹を独り占めしてたなんてエリィは贅沢だな。そう思わない? 兄さん」
「思うとも、イヴォ」
「ふふん、そうだろうそうだろう。我が妹のかわいさにひれ伏すがいい」
「さすが『匂い立つ美しさ、帝国の薔薇姫』と称されるシリアナ嬢だね、エリィ」
「当たり前だよ、シシィが帝国一美しいに決まっている!」
「そりゃ尻の穴ですもの臭いますし薔薇ってアナルローズってことかしらあははうふふですわ」
にこやかに聞きたくない言葉を挟んだシリアナ嬢はともかく、この国の令息はバカ揃いか。呆れている僕を後目にバカたちは幸せそうにシリアナ嬢を囲んで、お茶を飲み始めた。
「エイン、エイン、あなたも好きなものをお食べなさい。そして美味しいケーキのレシピを考えるのよ」
「シシィのお願いとあらば我が商会秘伝のレシピを教えるぜ。なぁ、兄さん」
「かわいく『キリーお兄様、おねがい』と言ってごらんシシィ。ほら言ってごらん」
「キリー、イヴォ、ボクのシシィに馴れ馴れしいぞ!」
欲望丸出しの令息たちにため息をそっと吐き出す。そんな簡単にレシピを教えるな。いいのか商売道具だろうが。まぁ僕は嬉しいけど。離れた席でケーキを食べ、醜い欲望を曝け出す令息たちを横目にレシピを考える。ドライフルーツとナッツ類の入ったケーキかぁ。僕、嫌いなんだよねドライフルーツ。甘ったるくて外側はパリパリしてるのに、中身はぬちゃっとした食感があまり好きじゃない。あとナッツ類も好きじゃない。だって木の実だぞ。そんなの魔界で木の皮まで剥いで食べたのになんで今さら食べなきゃなんないんだ断固拒否。
ちらりと目をやる。どうやらシリアナ嬢もらしい。複雑な表情で宙を見つめている。どちらかと言うとさぁ、ドライフルーツを紅茶に入れたらどうかなぁって思うんだけども。んでケーキには生のフルーツを使いたい。どうかな。そうなるとあの、クロテッドクリームと一緒に挟んでみるのはどうだろう。
シリアナ嬢の方を見て、頷く。
「!」
シリアナ嬢の瞳が輝いた。ええ、お嬢さま。期待していてください。僕はやりますよ。美味しいスイーツのためならば。そこだけに関しては我々の目的は一致している。いや、ばっどえんどとやらを回避するというのも忘れてはいないよ。いないけど。紅茶美味いな。どこの茶葉か後で聞こう。
「お待たせ致しました、レディ・シリアナ。こちらからお申し付けください」
シリアナがカタログを見ながら、何気ない風を装ってエロアナルへ声をかける。
「エリィお兄さま。婚約者の決まっているご令嬢の中にはゼンリツセェン学園に通わず、領地で家庭教師を雇う方もいらっしゃると聞き及びましたの。わたくしも、領地に留まることはできますかしら」
「シシィ、学園に行きたくないのかい?」
「……お父さまのお傍を、離れたくありませんの……」
「ボクは? ボクの傍は離れてもいいのかいシシィ!」
「お兄さまはあと一年で領地にお戻りになられるじゃありませんの。わたくし、三年も家族と離れて暮らすのは寂しいのです……」
お。中々上手い方向から話を持って来たな。
「え、王都にはオレたちも居るじゃないかシシィ。なぁ、兄さん」
「そうだよシシィ、私たちも兄だと思っていいのだよ? なぁ、エリィ」
「シシィの兄はボクだけだよっ」
「キリーお兄さまとイヴォお兄さまは、商会のお仕事としてオシリスキナ領に遊びに来てはくださらないの?」
「そうだね、ドエロミナの社交シーズンは冬だ。ぜひ遊びにおいで、キリー、イヴォ」
「ドエロミナは冬も首都よりうんと温かですの。ぜひおいでになって?」
愛らしく小首を傾げたシリアナ嬢に、令息たちはだらしなく表情を緩めている。
「仕事などでなくても行くとも。なぁ、兄さん?」
「仕事などではなくても行くとも。ああ、イヴォ」
「じゃあボクも新学期から領地に戻ろうかな。シシィと一緒に家庭教師を雇うんだ。シシィが領地に留まるなら、父上はお許しになるだろう」
ほらぁ、だから言ったじゃん。この兄ならシリアナ嬢の言うことなんでも聞くって。
「だからエリィお兄さま。今日は便せんと魔法ペンを買うにとどめておきますわ。お兄さまが領地に戻られるまで、たくさんお手紙を書きますわね」
「オレにも手紙をくれていいんだぞ、シシィ」
「私にも手紙をおくれ、シシィ」
中々うざいなシリイタイ兄弟。今日、知り合ったばかりだろうに。しかもシリアナ嬢のことを子熊だと思っていたくせに。まぁ確かにシリアナ嬢はかわいい。
「シシィ」
「はい、エリィお兄さま」
「ボクはシシィとこれ以上離れていたくないから、飛び級で卒業できないか学園に掛け合うことに決めたよ」
マジこの兄気持ち悪いな。妹のためなら何でもするだろやっぱこれ。
「ふぅ」
一つため息を吐いてエロアナル令息は椅子の背へ深々と凭れた。
「けれどこのことは父上に手紙を送って、お返事をいただいてからだよ、シシィ。いいね?」
「ええ、エリィお兄さま」
「旦那様はお許しになられるでしょうか、エロアナル様」
「許すも何も、父上はシシィが学園に行くと言ったら拗ねて三日間自室に籠ったくらいだ。大喜びで今すぐ帰って来いと言うに決まっているよ」
待ってくれ。兄だけじゃなくて父もか。父もこんな感じなのか。勘弁してくれ、これ以上変な保護者が増えたら僕のツッコミが追い付かない。
「母上なんか、シシィが王都に行くのが寂しすぎて暴れて付近のダンジョンを更地にしちゃったんだから。シシィが領地から出ないと言えば二人とも喜ぶに決まっているよ」
母もか。母もなのか。付近のダンジョンを更地にって。あれか、冬の初めにオシリスキナ領のダンジョンが一掃されたから他の公営住宅への入居希望者が増えた時のあれか。あれものすごい調整に苦労したんだぞふざけんなしかもその後にシリアナ嬢がラストダンジョンに来たんだったすごい迷惑だよ怖いよこの一族、魔王の僕よりラスボスっぽいじゃんやめてもらえるか。
「大体ね、アナルアルト殿下との婚約だって王命だから嫌々渋々引き受けただけであって、いつでもあのアホ殿下の弱みを握って婚約破棄へ持ち込もうと父上も母上もボクも狙っているのだから」
さらりとアホ殿下て。やっぱ狙ってたなこの兄。それどころか一家総出でアホ殿下との婚約を破棄しようと狙っていたのか。ダメだこいつら、早くなんとかしないと。だが今この時点で各種とりどりに用意された破滅の未来からシリアナ嬢を救うにはありがたい要素と言えるだろう。
「そうと決まれば今日はもう屋敷へ帰ろう。一刻も早く父上に許可をいただいて、領地でシシィと暮らす準備をしなければ」
あ、これもう決定事項だろ。一応許可が必要ってだけで、断られる要素微塵もないんだろうなぁ。まぁ、これでばっどえんど回避に一歩近づいたわけだから良しとしよう。
「出会ったばかりでもうお別れなんて私は寂しいよ、シシィ」
「キリーお兄さま……」
「そうだぞ、オレも寂しいぞシシィ」
「イヴォお兄さま」
「そんなにシシィと離れるのが寂しいなら、キリーとイヴォは定期的にうちへ商品を卸しに来てくれればいいじゃないか。ついでにエロアナル殿下との婚約を破棄できそうなネタがないか探って教えてくれていいんだぞ」
幼なじみのエロアナル令息と離れるのは寂しくないのかシリイタイ卿、イヴォヂ卿。薄情である。
「シシィはアナルアルト殿下との婚約が嬉しくないのかい?」
「……わたくしには荷が重いのです、キリーお兄さま」
「シシィに荷が重かったら一体他のどんな令嬢が見合うというのだ。うちのシシィ以上の令嬢など存在するはずもないだろうそうだろうキリー、イヴォ!」
「そうだ、そうだ!」
「そうだな、その通りだともエリィ」
わざわざ立ち上がってまで三人肩を組んたアホ令息たちを、心を無にして眺める。何が彼らをここまでさせるのかさっぱり分からん。まぁ、確かに三人へはにかんだ笑みを浮かべて見せているシリアナ嬢はかわいいが。
「しかしシリアナがアナルアルト殿下との婚約を望まないのならば、兄として断固阻止せねばなるまい! そうだろう、キリー、イヴォ!」
「もちろんだ。なぁ、兄さん?」
「もちろんだとも。なぁ、イヴォ」
ダメだこいつら。というかダメな人間しかシリアナ嬢の周りにはいないのか、シリアナ嬢が人をダメにする何かを発しているのか。
「全力でアナルアルト殿下と婚約破棄できそうなネタを探ろうじゃないか。このキレヂ・オ・シリイタイに任せておけエリィ」
「シリイタイ伯爵家の名に懸けて、必ずシシィとアナルアルト殿下を婚約破棄させてみせるとオレも誓おう、エリィ」
「キリー、イヴォ……何と頼もしいことか……」
「オレたちは『シシィを守る兄の会』だ! いいな、エリィ! 兄さん!」
「うむ、よい名だ。だがしかしもう少しこう、隠密的な要素が欲しい。『秘密結社シシィを守る兄の会』ではどうだ! エリィ、イヴォ!」
「我ら、『秘密結社シシィを守る兄の会』!」
「うおおお!」
がっしりと手を握り合うアホ令息三人。ドン引きである。妹に異常な愛情を注いでいる淫らな肛門令息はともかく、シリイタイ兄弟はシリアナ嬢を子熊だと思っていたくせに何だこの突然の溺愛は。何かおかしな魔法でもかかっているのか。
「男の子は秘密結社とかお好きですわよね……」
生あたたかい瞳で見守っているがそれでいいのかシリアナ嬢。本人がいいなら別にいいが。
「またおいで、シシィ!」
「また来いよ、シシィ!」
シリイタイ兄弟に見送られながらフィストファック商会を後にする。シリトア。我が忠臣よ。僕何だか疲れたよ。だがシリアナ嬢とエロアナル令息はやたらと上機嫌である。
「やはりエリィお兄さまは頼りになりますわね。大好きですわ」
「そうだろう、そうだろう、シシィ。このボク、エロアナル・ス・ンゴイ・オシリスキナだけが頼れるシシィの本当のお兄様だよ?」
「フルネームはおやめくださいませ、お兄さまがド変態になってしまわれますのよ」
とてもいい笑顔でシリアナ嬢は呟いたが淫らな肛門令息には聞こえていないようだ。
「そんな頼りになるシシィの大事なお兄さまにだけ、秘密のお話がありますの。夕食後少しお時間いただけます?」
「シシィ……ボクにだけ? ボクだけが頼りなのだね? もちろんだとも! シシィが愛するお兄様は頼りになるよ!」
ちょろい。ちょろすぎる。チョロアナル令息。でも味方は多い方がいい。微妙に逃げ腰のままエロアナル令息に抱きつかれるシリアナ嬢から、助けを求める視線を感じたが無視した。僕、この人とできるだけ関わり合いになりたくないんだよ。できれば君とも早めにさよならしたい。そうこうしているうちにオシリスキナ家のタウンハウスに到着し、家令によって少し早めに用意された夕食を済ませたエロアナル令息の鼻息を横顔に受けながら、シリアナ嬢を待っている。近いよ離れて淫らな肛門令息。
ナイトガウンを羽織ったシリアナ嬢が応接室に現れた。ソファへ深く沈み込み待ち構えるエロアナル令息と、ソファへ浅く腰かけたシリアナ嬢の手元へホットミルクを置く。ホットミルクの入ったカップを両手で包み、幾度目かの逡巡を振り払い、シリアナ嬢はようやく重たい口を開いた。
「お兄さま……わたくし、生まれる前の記憶がございますの」
「まさか、前世が女神だと言うのかいさすが我が妹だよシシィ」
ツルツルの脳みそ直結で食い気味に放った言葉と体勢が前のめりである。落ち着けバカアナル令息。シリアナ嬢は冷静に首を横へ振った。
「違いますわ。前世でわたくしは、この世界とは違って魔法のない世界に暮らしておりましたの。けれど文明は発達していて、この世界は前世の世界の乙女ゲームの世界なのです」
「OK、ボクのシシィはこの世界に舞い降りた天使ということで良いのかな?」
話を一切聞いてねぇなこのアホ令息。妹のこととなると脳みそ直通の会話しかできないのかこの令息。話が進まないのでツッコみたい気持ちをぐっと堪える。
「前世の乙女ゲームとしてのこの先のシナリオを知っていますの。そしてどのシナリオでもわたくしは悪役令嬢として破滅する運命なのです。わたくしだけではありませんわ。場合によってはオシリスキナ家没落の危機もございますの。ですので、その未来を避けたいのです。お兄さま、わたくしに協力していただけますか」
通じたかなぁ。この人の話を聞いてない兄上に。僕の心配を他所に、エロアナル令息はソファから立ち上がり、そっとシリアナ嬢の頭を抱き寄せた。
「一人で悩んでつらかったね、シシィ。ゆっくりでいいよ。話してごらん。世界中の誰もが敵になったとしても、ボクだけは君の味方だよシリアナ。ボクの天使、ボクの庭に咲いた可憐な薔薇。だってボクは、君のお兄様だもの。君が生まれた日、ボクは君を守ると誓ったのだから」
「エリィお兄さま……っ。しかし正式名称はおやめくださいませ、わたくしのことは愛称で。どうか愛称でお呼びくださいませですのよ」
正式名称の何が悪いのだシリアナ嬢。良い名前ではないかシリアナ嬢。うっかり誤変換すると尻穴嬢。
エロアナル令息は妹に対して過剰な愛情を抱いているが、それでもシリアナ嬢を深く愛しているのだろう。それだけは間違いないようだ。
シリアナ嬢は少しずつ、攻略対象と聖女についてエロアナル令息へ説明して行った。エロアナル令息は意外にも静かにシリアナ嬢の話を聞いている。
「それで、エインはわたくしの前世の話を知っていて協力してくれているのです。ですので、エインの本当の身分は明かせません。けれども誓って怪しい人物ではないとわたくしが保障いたしますわ」
うーん、魔王が怪しくないなんて言い切っていいんだろうかシリアナ嬢よ。むしろ魔王なんて一番怪しいこの世で信用しちゃダメな人物なんじゃないだろうかシリアナ嬢よ。しかし話が進まないので黙っておく。
「シシィとの秘密はエインが先、と言うわけだね羨ましい許さない」
殺気がだだ漏れている。しかしエロアナル令息は頬へ指を当て、しばし思考に耽ると僕へ顔を向けた。
「攻略対象とやらは全員身元も現在の居場所もはっきりしている。個々の情報を収集しよう。現在の状況と聖女との接触の有無、それから今後の動向の監視も必要だろうね。その辺りはキリーに頼むとしよう。今日、シシィとシリイタイ兄弟を引き合わせたことが早速役に立ったな」
妹への愛が過剰な変態ではあるが、おそらく公爵令息としては優秀なのだろう。独り言のように呟き、それから僕の肩を叩く。
「これから君には何かとお使いを頼むことになるだろう。後で君に何が、どの程度までできるか確認させてもらうよ。それからシシィ、良ければ今の話を父上と母上にもするべきだとボクは思う。愛するシシィの憂いを晴らすのに何もできないなんてとても悲しむだろうから」
シリアナ嬢が僕へ視線を送る。僕は無言で頷いた。エロアナル令息が顔を近づけて来る。
「何今の二人だけ分かり合ってるみたいな合図すごい羨ましい許さない」
怖い怖い怖い。あと顔近い。鼻息で穴が空きそう。
「とにかくその『乙女げぇむ』とやらの『しなりお』で、我が家の没落やらシシィの破滅やらを防ぐために、学園へ通いたくないと言い出した、ということでいいのかい?」
「ええ、ゲームはゼンリツセェン学園にわたくしとヒロインである聖女が入学するところが始まりで、わたくしと聖女の卒業で終わりなのです。ですので、学園に行くという大前提の選択をしないことにしましたの。これはエインの発案ですのよ」
「他に回避できそうなものは全て回避しよう。まずはアナルアルト殿下との婚約の解消だな。やはりそのためには父上と母上にもこの話をしなくては」
何だか生き生きして来たな、エロアナル令息。そんなに妹の婚約解消が嬉しいか。
「一つ確認したいのだが」
「何ですの?」
「学園へ通わない令嬢は、どこで洗礼式を受けるのだ?」
「……エインはいついかなる時も顔がいいのですわ」
今それ関係ないねシリアナ嬢。いつもの鳴き声を無視して兄妹を眺める。
「……」
シリアナ嬢とエロアナル令息が顔を見合わせる。だって魔界にはそんな風習ないんだもん知らないよ。
「通常、学園へ通わない貴族令嬢は領地内にある女神神殿で洗礼を受ける。女神神殿は領主の城がある都市にあるが、そこまで行くことのできない平民は女神協会で簡易の洗礼式をする決まりだ。決まり、ではあるが」
「平民は必ずしも洗礼式に参加しないと聞きますわ。洗礼を受けたかどうか、確認する術がないので」
「つまり最悪は洗礼式に参加したフリをしてやり過ごすこともできる、ということだな?」
「……さすがエインですわ。オシリアナ教徒は全員、洗礼式に参加することを名誉なことと教わっているので、参加したくない人間などいないという考えが当たり前なのです。それを逆手に取るのですわね」
「よし、神殿を買収しよう」
肘掛けをぽんと一つ叩いてエロアナル令息は軽く口にした。エロアナル令息、判断早い。この人ほんと、妹が絡むと有能になるのか有能なのに妹が絡むとダメになるのかどっちなんだ。
「さて、エイン。今度はボクが確認させてほしい」
「何なりと」
「君は何を、どこまでできる?」
「金のかからないことならば大抵のことは。僕に勝てる人間も魔族も居ない。必要とあらば精霊王も屈服させてみせよう。戦闘に於いて、僕の敵などドライオル・ガズム以外に存在し得ないと断言しよう」
威張って言うことじゃないけど、金のかかること以外なら何でもできると自負しているぞ。ただし、金はない! マジ全然ない。一切ない。えっへん。
「この世に僕が見通せない場所はなく、この世に僕の手の届かぬ地はない。これでいいか?」
魔王アイは怪光線は出せないが千里眼なのだよ! はっはっは!
「ドヤる陛下も最高に顔が良いのですわ!」
シリアナ嬢の鳴き声うるさい! エロアナル令息はシリアナ嬢の鳴き声を完全に無視して額へ手を当て、首を横へ振る。
「やれやれ……どこかの国の王族かと思っていたのだが。……ボクのかわいい妹は一体何を拾って来たのやら……いいだろう。上等だ」
エロアナル令息が本当に優秀ならば、今のやり取りで僕の正体に気づいただろう。安心したようにホットミルクへ口を付けた二人へ、小皿に乗せたスミレの砂糖漬けを差し出す。華やかな香りと甘味に解けた二人の顔を眺め、問いかける。
「二人とも」
「?」
「何だい?」
「神に背く覚悟は決まったか」
にっこりと微笑んで見せる。エロアナル令息は体をくの字に曲げて声を上げて笑った。シリアナ嬢はいつも通り「神スチル!」とか鳴いていたがもう以下略。
「あはははは。ボクの妹を苦しませる神などクソ食らえだよ、エイン」
「元より運命に逆らうと決めましたの。見たこともない神など、従う義理はございませんわ」
いいだろう、気に入った。存分にやってやろうじゃないか。
翌朝、僕は使い魔にエロアナル令息とシリアナ嬢連名の手紙をオシリスキナ公爵へ届けさせた。返事も持って帰るように言付けたから、公爵の手紙もすぐに届くだろう。
「父上の返事かい? 良ししかないに決まっているじゃないか。さ、無駄な時間を使う暇はない。公爵領へ帰る支度をするよ。父上のことだから、返事と一緒に学園への入学取り消しの書類も送って来るだろうからね。忙しい忙しい」
エロアナル令息へ乙女げぇむとやらの話をした一ヵ月後。陽が中天を越える頃にはほぼ荷造りが終わっていた。やはりこの屋敷の家令は優秀だ。
「失礼します。おや、エロアナル令息は?」
「お兄さまはフィストファック商会へ行かれたわ」
「なるほど。早速攻略対象の情報を探らせるのか」
「エインたら、すっかり口調が戻ってしまっているわ」
「シリアナ嬢に付いて学園へ行かなくて良くなったからな。あくまでも僕は君の従者兼、協力者だよ」
だって、協力しないとまた魔王城に乗り込んで来るじゃん。そしたら多分、今度はエロアナル令息がシリアナ嬢を追いかけて乗り込んで来るじゃん。下手したら一家総出で乗り込んで来るじゃん。悪夢だよ。僕の平穏のためにも何が何でもシリアナ嬢にはばっどえんどを回避してもらわなくては。
シリアナ嬢の部屋を見渡す。簡潔にまとめられた荷物は驚くほど少ない。
「旅慣れているな」
「オシリスキナ家の人間は男女の区別なく戦闘に借り出されますの。機動性は戦闘に於いて重要ですわ。お父さまのお返事が来たらすぐ、オシリスキナ領へ出発しますわよ」
こつこつ。夜より深い闇色の鴉がガラスを叩く。窓を開けると鴉は幾つかの書類と、一通の手紙に変化した。手紙と書類をシリアナ嬢へ渡す。
「何と書いてあった?」
「『全力でやれ』と」
「ぷはっ! 何とも恐ろしい返事だな」
「お声を上げて笑う陛下尊みがすごくすごいですわあああ!」
シリアナ嬢の前世やら乙女げぇむやらの話を省いてもこの返答。これから徹底的に追い込まれるのであろうアホ殿下には同情しかない。
かくして、麗らかな早春のある日。
オシリスキナ公爵令嬢、シリアナ・ス・バラシーク・オシリスキナは魔王エイン・ナゾルト・カイカーンと共に王都アナルナメルから、オシリスキナ領ドエロミナへと旅立ったのである。
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