バッドエンドしかないとかいう悪役令嬢とやらに初めてをもらってくださいと言われた魔王だが聞いてほしい

吉川 箱

序 「バッドエンドしかない」という悪役令嬢とやらから初めてを奪ってくれと言われたのだが、聞いてほしい

「陛下、ラストダンジョンに現れた者が居りますのでご準備を」

 忠臣の声が扉の向こうから聞こえる。それは太陽の光が届かず、薄暗いのが常である魔界でもそれなりに麗らかな午後のことだった。

 いつもと同じに退屈な午後、いつもと同じにどんよりとうっすら曇った空。いつもと同じに飛んで行くドラゴン。通年変わらぬ風景を眺めながら、僕は窓辺で読書をしていた。目は文字を追ってはいるものの、内容は全く頭の中に入っていなかった。なぜならこの城にある本という本は全て読みつくし、暗記しているからだ。

 退屈だ。実に退屈だ。魔界の景色は変わらない。幼き頃、若さに任せて退屈しのぎに大暴れしてみたが、この魔界に僕より強い者はいない。筋肉痛にもならなかった。

「……陛下?」

「……久々だな。百年ぶりくらいか」

 返事を促すノックの音に項垂れ、扉へ向かって歩き出す。一応これが僕の仕事だ。暇を持て余し、退屈しているよりマシだ。行かねばなるまい。

「今、どの階層まで来ている?」

 声をかけると扉が開いた。厳かに頭を垂れた黒髪の青年が答える。

「は。魔王の間の前にてお待ちいただいております」

「! それを早く言わぬか! ええい、鎧を持て! くそ、間に合うか?!」

「陛下、鎧ではなくこちらをお召しになった方がよいかと思われます」

「なんだ? どうしたというのだシリトア。お前の成人式に仕立てたジュストコールなど持ち出して。戦闘で汚れたら困るだろう。結構高かったんだぞ、仕立て代」

 魔王だというのにケチくさいなどと言うなかれ。魔物たちが集めた宝を人間が奪って行き、その保障だの補填だので正直、金がないのだ。おのれ人間どもめ。

 僕の返答に大変微妙な表情をした家臣へ服を押し返す。ところが忠臣はなぜか頑なに譲らなかった。

「こちらはお召しにならぬとしても、どうか、どうか鎧は。せめて正装でお向かいくださいませ」

「何ゆえだ?」

「その……」

 艶やかな呂色ろいろの髪、赤い瞳。甘く整った美貌は月の如く冴え渡る。吸血鬼一族の中でも最も純粋で高貴な血筋の家臣が目を伏せた。繊細な刺繍の施されたジュストコール、ジレ、ブーツを合わせるため七分丈のブリーチズ。僕の持っている中でもそれなりの金をかけて仕立てた衣装を押しつけ、それから搾り出すように吐き出した。

「魔王の間前にて待っておられるのは、ご令嬢にございます」

「……は?」

 ご令嬢。ラストダンジョンの魔王の間に来るご令嬢。ゴリラの令嬢ゴリ令嬢とかじゃなく?

「あっ、そうか。なぁんだトア、そんな深刻な顔をするから驚いたじゃないか。パーティーの中にご令嬢が居るのだな? あれだろうほら、白魔法使いとか回復職の聖女とかそういう」

「ご令嬢一人でお待ちでございます」

「は?」

 一人? ひとり? ラストダンジョンにご令嬢一人で?

「それはあれだな、魔人族のご令嬢とかそういう」

「いいえ、人間の。それも花も恥じらうお年頃といった様子の、まごうことなきご令嬢にございます」

「……あれか。もうもんのすごい筋肉ムキムキのマッチョなご令嬢か」

「いいえ、普通に可憐な細身のご令嬢にございました」

「バカを申せ、魔王の間まで単独ダンジョン制覇する普通の可憐な細身のご令嬢などどこの世界に居るというのだ! アナルイジルは何をしている! まさか、可憐なご令嬢に負けたのか!」

「負けた、のでしょうね。まだライキ公爵家を確認しておりませんが」

 ダンジョンで負けた魔物は自宅へ自動転送され、再生魔法がかかるようになっている。とはいえやっぱ痛みはあるし怪我はするし、危険な仕事なので魔界でも最高の給与と手当が付く。

 魔王の間直前を守るアナルイジルの年俸、いくらだと思ってんの!

「アナルイジルは魔界一の強者であろう! 普通の可憐な細身のご令嬢に負けてしまうとは! あれほど定期的に戦績を確認しろと言ったではないか、トア!」

「私だって信じたくありませんでしたよ、だから何度も確認したんです、そしたら陛下宛ての手紙まで渡されましたよ、今魔王の間の前でとりあえずお茶を飲んでいただいておりますのでお早く支度してくださいませ!」

 魔王の間は度々勇者だの冒険者だのに戦いを挑まれ、破壊されるので調度品は玉座以外に何一つ置かれていない広間である。その扉の前は魔界の貴族の中でも一番強い巨人族の長で公爵である、アナルイジル・カ・ライキが守っている。当然巨人族が立ち回れる空間だから、まぁだだっ広い。そんなところでぽつんと茶を飲まされる令嬢。家臣の苦悩が滲み出ている。

「早くぅ、早くぅ」

「トア、お前キャラが崩壊していないか」

「キャラ崩壊もしますとも。舞踏会へ向かうようなドレスを着たご令嬢が魔王の間へ向かう最後の難関、溶岩の川に鉄杭を打ち込みながらまるでダンスを踊るかの如く優雅に渡って来るのを見た私の気持ちが陛下に分かりますか」

「鉄杭?!」

「ええ。拳で打ち込んで。轟音と地響きを夢に見そうで私めは、私めはううううう……」

 訳が分からない。想像ができない。さめざめと泣き出した家臣の肩を優しく包む。

 魔界の公爵、名門デイク家の長男シリトア・ナル・デイク。育ちの良さゆえ常に完璧な紳士。いつもならば取り乱したりはしない忠臣が混乱して泣き出す姿など初めて見る。

「……分かったトア。お前には休暇を与えよう。疲れておるのだな」

「……ええ、ええ、言っても信じていただけないでしょうね。ご自分の目で確かめてください」

 差し出された手紙を受け取り、目を通す。

『拝啓。寒さも和らぎ僅かに長くなった陽射しに春の訪れが近いことを感じる季節になってまいりました。魔王陛下におかれましてはますますご健勝のことと存じます。面識もない人間の小娘の分際で不躾にこのようなお手紙をしたためますことをお許しください。ラストダンジョンには何度か出入りしておりますが、魔王の間までお邪魔したことはございません。このたび魔王の間にお邪魔したのは折り入って魔王陛下にお願いしたい儀があるからでございます。会ったこともない人間の小娘にいきなりこんなことを言われてもお困りになられるとは重々承知の上ですが、魔王陛下にはわたくしの『はじめて』を奪っていただきたく、まずは取り急ぎ用件のみお知らせさせていただきます』

 どこからツッコんだらいいのか分からないが、どこがおかしいのかと言われれば全部おかしいな。うん。

「……なにこれ」

「何が書いてあったのでございますか」

「……トア。僕は多分、人間語を覚え間違えているんだと思う」

「いやいや、陛下は魔王にございますよ? 神が光と物質の守護者ならば、あなた様は闇と精神の支配者。人間どもが小賢しくそれぞれに違う言語を使ったとしても、あなたに理解できぬ言語などこの世界に存在しないのですよ?」

「……じゃあ、このご令嬢が何か勘違いしておるのだろうな。とりあえず魔王の間にて話を聞こうではないか」

「そうしてください」

「うむ」

 魔王の執務室の隣にある扉は魔王の間に直通となっている。魔王の間にある玉座のすぐ裏に出ることができるのだ。ほんと勇者とか冒険者とかいう人間はこっちの都合も考えないで、昼夜問わず好き勝手な時間に魔王の間にやって来るのでこちらとしてはいい迷惑である。寝ている時間にいきなり突撃して来られる身にもなって欲しい。その上、魔王の間が開くのが遅いとか文句言われた挙句に襲い掛かって来られるのである。理不尽極まりない。人間とはなんと凶暴な生き物であろうか。

 しかし本当にご令嬢とあらば、速やかに危険の及ばぬ場所まで帰っていただくのみだ。魔王が貴族令嬢をかどわかしたなどとあらぬ噂になってもつまらない。魔王とてやってもいない罪で糾弾されるのは遺憾の極みである。

 うんざりした気持ちで扉を開く。玉座の裏にある幻術のかかった空間で軽く首を左右に動かす。突然現れるのもアリだが、やはりここは扉が開く前から威厳を持って玉座に付いているべきであろう。重々しく開いた扉の隙間から、徐々にその人物の姿が見えた。

 淡く艶やかなトウヘッドはほとんど銀色に近い色合いだ。雲一つない春の高く澄み渡る空色の瞳は多少切れ長ではあるが、強く知性の光を湛えている。唇は少し薄めでしかし小さく、朝露に濡れた薔薇の花弁の如く艶やかに咲いている。すっきりと整った容姿はどこか冷ややかな美ではあるが、確かにこの上なく美しい。バッスルスタイルの深緑のドレスは、ふんだんにフリルやレースがあしらわれたクラシカルだがシンプルかつ斬新なデザインで、どう考えてもこの姿でこのダンジョンを進んで来たとは思えない。

「良く来た強き者よ。私が魔王、アナルパァルである」

「……お尻の穴に入れておたわむれになってはいけませんのですわ……」

「ん? うん?」

 なんかちょっとお尻がどうとか聞こえた気がするが空耳だろう。しかし。

 ええ――っ?! ちょ、マジで普通にご令嬢じゃん! ムキムキどころかちょっとスレンダーなくらいじゃん? 一人で? このご令嬢が? 嘘だろ? このダンジョンに配置してる部下、結構強者揃いよ?

 片手には多分、トアが出しただろうお茶の入ったティーカップ。ええ……。ちょ、うちのデキる部下、ご令嬢に立ったままお茶飲ませたの……。

「ひゃっは美声……イケボ……イケボが過ぎるのですわ」

 内心で驚いている僕を後目に、ご令嬢は何やらぷるぷると震えて口元を押さえている。小声で聞こえないようにしているつもりだろうが、魔王イヤーは地獄耳なのだよご令嬢。

玲瓏れいろうに整っているかと思いきや少年と青年の間の甘やかな美しさも含む絶世の美貌……こんなスチル見たことない……黄金よりも煌めく匂い立つような琥珀色の瞳……光を受けて虹色に輝く漆黒の髪……さらさら……さらさらですわ……髪の毛一本一本が圧倒的美……お肌キレイ……とぅるっとぅるの毛穴レス白磁肌ですわ……美麗……眼福……」

「?」

 すちる? すちるとはなんだろう。ぼそりとご令嬢が漏らした小さな独り言を逃さない。自慢だから何度も言うが、魔王イヤーは地獄耳なのだよ。

「ご拝謁の機会をいただきまして光栄にこざいます、陛下」

 優美に礼をした令嬢は確かに可憐である。マジか。いやいや嘘だろ。扉の向こうに騎士が控えてるんだろ。そうだと言ってくれ。

「……そなた、本当に一人でここまで来たのか?」

「ええ、はい」

「マジで?」

「マジでございます」

 無表情にこっくり頷いた見目麗しき令嬢は、優雅な所作でティーカップをシリトアへ渡す。

「あ、ごめん。テーブルって広間の外に設置したのか? トア」

「はい。陛下がご不在時に魔王の間へ人間を入れるわけにはいきませんので」

 僕が不在の時は玉座しかないだだっ広いだけの部屋だからな。特に何か仕掛けがあるわけでもないけど、そこは様式美というヤツだ。

「……まぁ、こちらにも事情が色々とあるのだ。許して欲しい」

「いいえ、先ぶれもなく参りましたのはわたくしに非がございますので。ですが魔王陛下へのお手紙の宛先が分からず不躾にも直接かつ突然の訪問になりましたこと、お詫び申し上げます」

 何、普通に常識的そうなご令嬢じゃないどうしたの。何か余程の理由があるに違いない。そう。僕は察することのできる男だ。威厳を損なわず、しかし令嬢への理解を示して語りかけるために口を開く。魔界には散髪屋など存在しない。ゆえに部下に毎回切らせるのも面倒で伸ばしっぱなしの髪が、玉座のひじ掛けへ肘をついた僕の動きにつられてさらり、と流れた。

「ぎゃん顔がいい」

「?!」

 今このご令嬢の鳴き声がしたが大丈夫だろうか。気を取り直して威厳を保つ為に足を組む。ご令嬢は目を閉じて唇を噛み締めている。何この子怖い。何かの発作だろうか。持病? 持病があるの? お薬飲む? 早くお家に帰った方が良くない?

「失礼だが、あなたがここへ私を倒しに来たようには思えぬ。一体、何用があってこのような場所へ一人で赴いたのだ? 騎士を外に待たせておるのならばここへ呼ぶといい」

「いえ、こちらへはわたくし一人で参りました」

「……」

 なぜそんな頑なに。口を開きかけた僕へ、ご令嬢は金色に輝く手のひら大のプレートを、おい今どこから出したそのプレート。スカートの中にちらっと見えた暗器の数々は一体なんだ。だからか。だからバッスルスタイルのドレスなのか。暗器なしでも結構な重さの衣装だろうが。暗器込みなら一体どれほどの重量になるというのだ。

「わたくし、特S級冒険者の資格を所持しておりまして」

「と、特S……?」

 意味が飲み込めない僕にシリトアがそっと耳打ちする。

「人間が定めた冒険者のランクは下からD級、C級、B級、A級、S級とございます。特S級とは国が認めた勇者に匹敵する冒険者にのみ授与されるランクでございます。ここ二十年ほど、特S級冒険者は該当者なしで空位のはずですが……」

「はい。わたくしの身分のこともあり、秘密にしていただいております」

 見るからに気品に溢れた立ち振る舞いである。そこそこの地位を築いている家柄の令嬢だろうことは想像に難くない。興味湧いちゃうじゃん。魔界は娯楽が少ないんだよね! 卑しい野次馬根性を隠し、一つ咳払いをして仕切り直す。

「で、私に何用か」

「はい。大変に不躾なお願いですが、魔王陛下にわたくしの処女を奪っていただきたく馳せ参じた次第でございます」

 はい? ショジョヲウバッテイタダキタクハセサンジタシダイデゴザイマス?

 無意識にシリトアを見つめた。忠臣もどこか遠くと交信して何かを検索中らしく、反応がない。

「すまんな。どうやら私の聞き間違いらしい。もう一度聞いても良いか」

 首を傾ける。さらり、さらりと流れる僕の髪にご令嬢は両手で顔を覆った。

「ぎゅんっ国宝級顔面っ」

 何この子。ちょいちょい変わった鳴き声出すやん? 怖い。

「はい。ですので、魔王さまにおかれましてはわたくしの『はじめて』を奪っていただきたくこうして馳せ参じた次第なのです」

「なっ、なっ、なっ、なああああああああああ?」

「はわわ照れ貌魅惑のマーメイドおおおおお! これはもう顔面世界遺産決定ですわ! 世界の宝ですのよ!」

 何か知らないけどご令嬢も大変興奮しているがそれどころではない。

 魔王になって二千年余り。魔界には当然だが魔物しかいない。人型をした魔物は上位種だが大変珍しい。シリトアのように人型の魔物は大抵が貴族である。そう。強者であると同時に数が少ないのだ。何が言いたいかというと、魔王と言えど人型の魔物とおいそれと遊ぶわけにもいかず、つまり。

「童貞にはとてもじゃないがお受けできない提案なのだが?」

 あっ。ヤベ。驚き過ぎて正直な感想が口から転び出てしまった。真顔である。ところが令嬢はとても嬉しそうに微笑んで手を叩いた。

「ではわたくしと陛下は、初めて同士ですわね」

 何だよ笑うとかわいいじゃないか。いやいや、ときめいている場合じゃない。

「おっふ……。うむ、どんな理由があるか知らぬが年頃の若い娘が簡単に処女を奪えとかそんなこと言ってはならぬ。正直童貞には荷が重い」

 動揺が半端なくて言わなくてもいい本音がつい出てしまう。だってそんなの、本気になっちゃったらどうしてくれるんだ責任取って嫁に来てくれるのか! いいのか惚れてしまうぞ! 僕が!

 頭を抱えつつとにかく情報を整理することにした。

「何故そんな結論に至ったのか聞いてもいいか?」

「もちろんです。陛下におかれましては突然のことと思われますので」

 当たり前である。これまで昼夜問わず戦えと言われたことは多々あれど、抱いてくれと迫られたことなど一度もない。人生唯一のモテ期到来なのではないだろうか。怖い。そんな童貞の夢みたいなことがあってたまるか。童貞は疑い深いのだ。童貞、騙されない。だって童貞だもん。

「まず初めに、君の名前を聞いても良いだろうか」

「はい。わたくしアナルファック帝国より参りました、シリアナ・ス・ゴーク・オシリスキナと申します」

「あっ、はい。ご丁寧にどうも。魔王アナルパァルです」

「公爵家ご令嬢でございます」

 通信障害を起こしていたシリトアが、持ち直して僕へ耳打ちをする。さすが吸血鬼一族の中でも名門中の名門、デイク家の長男シリトア・ナル・デイクである。

「アナルファック帝国の公爵家令嬢は、現在オシリスキナ公爵家のご令嬢のみです」

 小さく頷いて見せる。確か帝国に三つしかない公爵家のうちの一つだ。

「シリアナ嬢。何ゆえ私に貞操を捧げるなどと言い出すのか」

「それでございます」

 どれだ。全く分からん。説明して欲しい。泣きたい気持ちを押し殺して厳かに頷き、続きを促す。魔王泣かない。だって魔王だもん。

「わたくし、この世界とは違う世界で生きていた記憶があるのでございます。この世界はわたくしが前世でハマっていた乙女ゲームの世界なのですわ。その証拠にこの国の名付けが尻だの穴だのアナルだの全部下ネタなのでございますの」

「うむ分からん」

 なんて? この子がおかしいのか僕がおかしいのか教えて欲しい。家臣を見やるがシリトアはすでに思考を放棄して宙を見ている。あかん。忠臣が壊れた。

「まずもうわたくしの名前から、公爵家の家名から下ネタなのですわ。お尻好きな尻穴なんて名前、間違えようがないのですわ。『匂い立つ美しさのシリアナ様』とかそりゃ尻の穴ですもの臭いますわよ当たり前ですのよ。アナルファックとかエロアナルとかアナルアルトとかシリアナルとか、尻にアナルはあるでしょうよそりゃだってお尻の穴ですもの女神がオシリアナとかどれだけお尻が好きなんですのシナリオライターはアホなのかですわ! いいえアホなのですわね! もし出会うことがあったのなら迷いなくお殴り申し上げますのよ! 笑いを堪えすぎて腹筋が六つに割れてしまったのですわどうしてくれやがりますのナイスバルク!」

「……ええ……?」

 困惑しかない。何だか良く分からんがご令嬢が大変興奮して尻尻尻穴お尻穴連発してたことだけは分かった。だからもう、帰って欲しい。泣きたくなって来た。

「というわけでここは間違いなく『恋と魔法と精霊の約束』、通称『こいまほ』の世界なのです! わたくし、どのルートでも必ずバッドエンドの破滅フラグしかない悪役令嬢シリアナ・ス・ゴーク・オシリスキナなのです! 破滅フラグ回避には聖女候補になることを避けるしかないのです! ですので、魔王陛下にお助けいただきたいのです。どうか! わたくしを助けると思って処女を奪っていただきたいのです!」

「~……ちょっと待て。何一つ分からん。オシリスキナという家名の何がおかしいのだ? シリアナとはそんなに変な名前だろうか? おとめげぇむとは何だ? はめつふらぐとは? 悪役令嬢?」

 誰か助けて。むしろ僕を助けて。ナニコレ怖い。人間の公爵令嬢怖い。これ令嬢に乞われるがままおいしくいただいてしまったら賠償請求されるとか討伐されるとかそういうアレじゃないのかコレ。そう、奪え奪え詐欺。恐ろしい。もしもし消費者センター? 公爵令嬢の初めてを返品希望です。

「陛下」

「うん」

「わたくしの父の名前はアナルジダ・ス・ゴーイ・オシリスキナです」

「うん」

「アナルは痔になるものなのでございますのよ?」

 シリアナ嬢は何かを堪えるように遠い目で空を見つめた。

「いや分からん。全く意味が分からん」

 シリトアに視線で助けを求めるが、相変わらず家臣は宙を眺めている。おいいいい! 僕を助けろよ!

「まずもって帝国の名前からして下ネタなのですわ。アナルファックって。お尻の穴で性行為という意味ですのよ?」

「わあ、わああああああ! と、年頃の娘がそのようなことを申すでない! もうやだ帰りたいできれば帰って欲しい!」

 分かったぞ。さてはこれ、新手の攻撃だな? 僕を精神攻撃して疲弊させようという人間の企みに違いない。効果は抜群だ!

「良かろう! そなたに負けた! アイテムを受け取って帰るがよい!」

 半泣きである。懇願だ。お願いだからもう帰って欲しい。ここ百年ほど平穏であったとはいえ、今までいくらでも夜中に叩き起こされ冒険者の相手をさせられることもあった。しかし近年一番ツラい。なにこれツラい。美しいご令嬢だけに下ネタ連発されるのツラいマジツラい。ツラいという字は辛いと書くんだぜ。そして辛いって味覚の中では痛覚に近いんだってさ。ココロがイタい。

「それではわたくしは国外追放修道院送り一族没落断罪処刑ざまぁされてしまうのですわ! どうか、わたくしをお助けくださいまし! 天井のシミを数えている間に終わりますので!」

「魔王城の天井にシミなどないっ! 帰りたまえ!」

 細い指が僕の肩をむんずと掴む。えっ、ちょ、何これ力強い怖い怖い。貴族令嬢の力強い怖い。

「いやぁ! おとうさんおかあさん、汚されるぅ!」

「陛下! 貴様、陛下から手を離せ!」

 ちょ、痛い痛い痛い、何この令嬢マジで力強い。魔王の必死の抵抗にびくともしないとか超怖い。ヤダ怖い。魔王もう限界。泣く。号泣。

「助けてトア!」

「陛下ぁ!」

「夜空を映した湖面のように艶やかな御髪、黄金色とのみ讃えるにはあまりにも美しい深く匂い立つ燃えるような琥珀色の瞳、攻略が難しいと評判の二周目以降開放の隠しキャラだから何度リセットを繰り返したことか! 魔王降臨スチルは鎧姿でしたのにお美しい正装が見られるなんてさすがは現実、大興奮ですわ! 大丈夫、陛下は寝ているだけですぐに済みます! 先っぽだけ! 先っぽだけですわ!」

「童貞だからあくまでも参考値はソロプレイのみの話だが、僕はそんなに早漏ではないッ!」

 無礼であるぞ、痴れ者め!

 あかん、恐怖のあまり本心の方が口から出てしまった。助けて何これ怖い泣く。

 冷たい魔王の間の床に押し倒される。遠くへ放り投げられたジュストコールが視界の端でやけにゆっくりと落ちて行く気がした。ジレを無理矢理引っ張られてボタンが弾け飛ぶ。やめろ、なけなしの金で仕立てた一張羅なのだぞ。鼻息荒くのしかかるシリアナ嬢をシリトアが押し留めようとして腕の一振りで吹き飛ばされて行く。

「令嬢怖い令嬢怖いもうアイテム受け取って帰ってぇ!」

 胸を押さえてうつ伏せに床へ丸くなる。知らなかった、生き物というのは襲われて裸にされそうになると無意識に胸を隠すらしい。シリアナ嬢は僕のブリーチズへ手をかけ、低い声で囁いた。

「うふふふふ。大丈夫、痛くしませんわ」

「いやあああああああ! もうすでに痛いし怖い!」

 何で? 何でなん? こんな細い腕で簡単に上へ下へ床を転がされるとかなにこれほんとつらい。仰向けにされ、腕を押さえられ太腿に膝で乗られて完全に動きを封じられる。ここまで体感、数秒である。

「顔が、顔がいい……っ! 生陛下ハァハァですわ……っ!」

 顔に大量の鼻血が零れ落ちて来る。鼻血まみれのご令嬢にのしかかられる恐怖を君は知っているか。

「こわぁい、人間こわぁい、やだトア助けて汚されるぅぅぅぅぅ!」

 僕は。

 魔王の間にシリトアを置き去りにして、魔法で城に逃げ帰ったのである。

 ところでここ百年ほどはラストダンジョン最深部まで踏破する人間が現れていないとはいえ、魔王の間に誰か来そうになったらいついかなる時も魔王には分かるようになっている。魔王の間に誰かが居る時も広間の様子が筒抜けである。魔王の間の様子を見るための水晶球に映し出された様子に、僕は泣きながら一晩中謝り続けた。シリトアを引き摺りながら玉座の後ろの壁を探るシリアナ嬢。悪夢である。

「陛下ぁ~? 開けてくださいませ~? 怖くございませんよ~?」

 いや怖いよ! 恐怖でしかないよ! 呪われた剣あげたじゃん! 帰れよ! 童貞の呪いに呪われろこんちきしょー!

「分かりましたわ。わたくし夢見がちな童貞への配慮が足りませんでした。殿方は意外とロマンチストと言いますものね。ベッド。ベッドですわね? わたくしとしたことが気が付きませんでしたわ。天蓋付きのベッドをご用意しなくては。また参ります!」

「いやああああ、来ないでえええええええええええ!」

 童貞は繊細なんだぞ! こんな恐ろしい状況で勃つものも勃たんわ夢見がちな童貞ナメるなよ!

 シリアナ嬢が居なくなり、ようやく戻って来たシリトアは美しい黒髪が見事な白髪に変わっていた。ちなみに魔王の間はご令嬢の鼻血で血まみれだった。こんな惨事になった魔王の間見るの、僕初めて。

「ト、トア……」

「陛下……お恨みいたします……」

「ご、ごめん……」

 だって怖かったんだもん。また来るとか不吉なことを言っていたが、出て行かなければいいのだ。魔王の仕事など知ったことか。あんな恐ろしい令嬢が居るとは思わなかった。人間怖い。もう魔界に引きこもる。

「トア……」

「はい」

「僕もう、魔王辞める」

「……もう人間と関わるのやめましょう、陛下」

「うん」

 二人押し黙って執務室で黙々と書類を片付ける。部下に呼ばれてシリトアが部屋を出てしばらく経つと、扉がノックされた。

「入れ」

 書類にサインをしながら入って来た人物へ目を向ける。顔を上げるとそこには、人の姿をした恐怖が笑みを浮かべていた。

「お待たせいたしました陛下。ベッドをご用意いたしましたわ。あらあら、普段着のシャツにブリーチズというスタイルも大変麗しゅうございますわねとてもハァハァいたしますわ陛下本日も大変顔面がよろしくてこのシリアナ・ス・バラシーク・オシリスキナ、眼福で目からビームが出せそうでございますのよ」

「にぎゃあああああああああああああ!」

 いやあ、人間ってほんとに飛び上がるんだね。ま、僕は魔王なので羽がなくても飛べるし瞬間移動もできるけども。魔王ウィングはありません。

「うああああああ! ああ! あああああ!」

 椅子から飛び退って窓へ貼り付く前に腕を掴まれ、肩が外れた音がした。魔王アームは意外と脆弱なのだ。そのことを差し引いても君、掴んだ腕を離したまえ不敬であるぞちょ、マジなんなの力強い強い、また肩外れる痛い痛い怖い。

「いやですわ、そんなにお喜びになられてうふふ」

 その目はどんな節穴だ! どこをどう取れば僕が喜んでいるように見えるのか!

「だっ、誰かっ! 助けてっ! 帰って! トアあああああああ!」

「あらあらうふふ、陛下ったら見られて興奮するタイプですか?」

 興奮どころか膝の震えと涙が止まらない。人の姿をした恐怖が壊したドアの隙間から部下たちがこちらを窺っている。

 助けて。もしくは助けを呼んで。

 目で訴えるが、魔王城の部下たちはシリトアと数人の幹部以外、中級種以下の弱い魔物ばかりである。清掃係のスライムが、「きゃうん」と鳴いて必死にできるだけ体を小さくしようとしているのが分かる。それはもう可哀想なぐらいにぷるぷる震えてちょっと美味しそうである。ちょっと待って? ねぇ、待って? スライム鳴くの? ねぇ、魔王になって二千年以上経つけどスライムの鳴き声なんて初めて聞くよ? 人型最弱種のゴブリンが涙目で僕へ視線を送っているが、もう足が震え過ぎて残像が見えるほどだ。

「みゃ……っ、みゃおうしゃまをはなしぇぇ!」

 マンドラゴラの衛兵が可哀想になるくらい震えながら槍を構えたが、噛み倒してしまいキマらない。しかしその勇気と忠誠に、あかん僕泣きそう。あとすごいかわいい。震えつつ懸命に短い手足で槍を構えるマンドラゴラかわいい。

「……かわいいマンドラゴラさん。わたくし陛下に危害を加えないとお約束いたしますわ」

「きぎゃい、くわ……?」

「ええ。陛下には一切、攻撃いたしませんことよ」

 しゃがんで目線を合わせ、小さい子供へ接するように優しく微笑みかける。これが今現在僕の貞操を脅かしている人の姿をした恐怖だと誰が思うだろう。

「まおしゃま、へいき?」

「ああ、平気だよ。大丈夫だから、君たちは今すぐシリトアを呼んで来てくれないか」

 平気じゃない。全然だいじょばない。だからトアを、今すぐトアを呼んで来てくれ緊急事態だ。目で伝えたがかわいいマンドラゴラに僕の本音が伝わっただろうか。魔王アイはビームは出ないが精神支配&精神操作ができる。使わないけど。だってそんなの相手に悪いじゃないか。

 言えるわけがない言葉を飲み込んで何とか魔王としての威厳を保つ。外れた肩が痛い泣きたい。

「……陛下、差し出がましいようですが」

「なんだい」

「魔王城の警備はあのようにかわいらしいマンドラゴラさんが行っているのでしょうか」

「魔界は人手不足なんだ」

「人手、不足」

 そう。まさしく人手不足。

 一つ深く息を吐き出して、僕は自分の外れた肩を入れた。痛い。だけど泣かない。だってオトコノコだもん。何なのこの令嬢。ほんと何なのこの令嬢怖い。

「魔物は人間の人口と比べれば多くない。魔界という住環境も人間界と比較にならないほど悪い。生き延びるだけで精いっぱいなんだ、シリアナ嬢。人間より魔物の方が多かったらとうに世界征服されてしまっているのではないか? だがどうだ。現実はそうなっていない」

 だって魔物、人間より寿命長いし強いし。でもできてないだろ、世界征服。何でって、強い魔物は数が圧倒的に少ないんだよ。

「……あ……」

「人間型の魔物は総じて知能が高いが、獣型の魔物は知能が低い。生物というのは不思議なことにが知能が高くなればなるほど繁殖力が低くなる傾向にある。知能の低い魔物はそれなりに繁殖力は高い。だがこの世界というのは弱肉強食が常だ。弱い魔物は強い魔物にとっての餌でしかない。政治を任せられる知能の高い魔物は極々少数で魔界は常に人員不足なのだよ。だから少ない人数で効率化しなくては何事も回らない。魔界には世界なんて征服してる余裕はないんだ」

 シリアナ嬢の壊した扉を撫でる。一時しのぎだが、修復された扉を開いて震える小さな魔物たちへ告げる。

「私は大丈夫だから、持ち場へお帰り」

「まおうしゃま……」

「あ、だがシリトアを呼ぶのは忘れないように『ご令嬢が来た』と伝えてくれ」

 正しくはご令嬢の姿をした恐怖がやって来たわけだが。助けて欲しい切実に。僕の貞操の危機だつってんだろ。いたいけなマンドラゴラに言えるわけないけど。

「あい!」

 元気よく答えた短い手足のマンドラゴラかわいい。衛兵にマンドラゴラ一族を採用してよかったなぁ。だってかわいいもの。衛兵としての役割を果たしているかどうかは別として。

「では何故、陛下はダンジョンをお造りになられたのです?」

「あれ、公営住宅なんだよ」

「公営……住宅……」

「そ。魔界では餌なるしかないような、弱い魔物のための公営住宅。魔王として色々な施策を試みているその一環だ」

「ではなぜ、人間界に公営住宅を」

「ダンジョンに移住させている魔物は、魔界の過酷な環境に適応できない魔物なんだ。彼らはダンジョンの外に出ることはない。そうだろう?」

「……そういえば……そうですわね」

「できれば人間界のような穏やかな環境に住まわせてやりたいが、原初の神ドライオル・ガズムとの盟約で魔物は地上でも『昏き場所』にしか留まれないことになっている。それで人が住まないような洞窟に魔界の環境では生きることが困難な魔物を移住させているんだ」

「えっと、つまり……」

「僕らからすれば冒険者は、魔界の公営住宅に突撃して可哀想な魔物がコツコツ貯め込んだ宝物や貯金を奪う強奪者」

「ということは、小規模ダンジョンのボスは?」

「公営住宅の自治会長」

「……大変申し訳ございませんのですわ……」

「うん。まぁ、人間はそんなこと知らないから彼らは格好の的だよね。これは僕も考えが至らなかったよ。公営住宅事業は見直さなければならないと思ってる。何より冒険者に家財を奪われた魔物への補償金がバカにならないんだよ、ほんと人間って野蛮で困る」

「補償金」

 虚無を顔に貼り付けて機械的に呟いたシリアナ嬢へ頷いて見せる。

「しなきゃだろ。公営住宅で泥棒に入られたんだから。可哀想じゃない。マタンゴが必死で集めた宝石の欠片、取られたって傷だらけで泣きながら言うんだもん」

 マタンゴはキノコ型の魔物だ。小さくてかわいい。あと、軽く炙って塩胡椒で食べると美味い。そして植物系の魔物の中ではマンドラゴラと同じくらい弱い。

「……」

 シリアナ嬢を執務室のソファへ導いて、自らお茶を淹れる。こっそり人間界へ視察へ行った時に買った、ドインラン連峰産のとっておきのセカンドフラッシュだ。やっぱ高地で栽培された茶葉は最高だよね!

「治水事業とか、土壌改良とか、やるべきことは山積みなんだ。人間界なんか征服してる暇ないよ。政治に関われるような人材は限られてるし、寿命は長いけど新しく生まれて来る人材も少ない。人間界の嗜好品は贅沢品として人型魔物の間で嗜まれているから人間の通貨は人型魔物の間で流通してはいるけど、魔界独自の通貨は存在しないし、獣型魔獣は物々交換が主だし、物々交換しているような獣型魔物から税金を取るわけにもいかないだろ。かと言って人型魔物からだけ通貨で税金を徴収すれば反発は免れない。特産品もないし観光資源にも頼れない。過酷な環境で生き残れる強い魔物しか暮らせない閉じた世界でできる精いっぱいを常に模索していかなければならない」

「……より……よほど陛下の方が……」

 え? 何? 聞き取れなかった。

 音も立てずにティーカップを置いて、シリアナ嬢はまじまじと僕を見つめた。

「陛下は大変良い王にございますわね」

「二千年以上も生きているのに小さな魔物たちさえ満足に守ってやれない王が良い王なわけがなかろう」

 ああ。自分で口にしたくせに。事実はやけに苦く、覚えず眉根が寄ってしまうのが自分でも分かった。

「……それでも、やはり陛下は良い王ですわ」

 再度、静かにそう呟いてシリアナ嬢の空色の瞳は真っ直ぐに僕を見つめる。少しだけ、彼女の話を聞いてもいいような気がした。

「ほ、褒めたって何も出ないんだからネッ!」

「大丈夫です、陛下は出すだけでよろしいのですわ」

 出さねぇよ! ナニを出させるつもりだよ! 前言撤回! 今僕、結構真剣な話してたよ!

 がっちりと両手首を掴まれる。ナニコレ怖い。びくともしないのだが? 公爵令嬢怖い。震える僕へ顔を寄せて、美貌の令嬢は微笑んだ。

「とりあえず陛下。落ち着いて、ベッドで話し合いましょう」

「ななななな、なんでベッドでないといけないんだ? ベッドで話し合う必要はないぞ、全然ないぞシリアナ嬢。落ち着きたまえよ、君。あっ! えっ、えっ、ちょ、待って待って?」

 あっという間にロープでぐるぐる巻きにされた。ちょ、君今そのロープ当たり前のようにスカートの中から出したよねっ!? 公爵令嬢でしょうが! 恥じらいもためらいもなく男性の前で足を晒すのはどうかと思うよ!

「ちょ、待っ……! ちょ、……っ!」

「わたくしたちには会話が足りていないと愚考いたしますわ、陛下」

 シリアナ嬢に足りてないのは会話ではない確実にない。さらに言えば話し合うつもり全然なさそうですけどぉぉぉぉぉ!?

 嫌ですと言ったら殺される気がする。ご令嬢は今日もバッスルスタイルのドレスである。多分スカートの中には暗器がずらりである。涙目で何度も頷き、シリアナ嬢にお米様抱っこされて寝室へ連れ込まれた。なぜ、魔王の間ではないのか。なぜ、僕の寝室の場所を知っているのか。僕の貞操の危機に部下は何をしている。トアはどうした。衛兵は? トアを呼んで来てって言ったじゃない。かわいいけどマンドラゴラ全然役に立たぬ。魔王覚えましたし。いやもうそんなんどうでもいいや、シンプルに助けて。誰か助けて。ロープでぐるぐる巻きにされたまま、いつの間に搬送されたのか見たこともない天蓋付きの豪奢なベッドへ横たわらされる。待って。ねぇ待って。元々ここにあったはずの僕の簡素なベッドはどこに行ったの。どうやって入れたのこんな立派なベッド。横へ顔を向けると、窓があったはずの壁がなくなっていた。もう諸々超泣きたい。この子、貴族令嬢じゃなくて人の形をした自然災害かな。

「泣き顔も大変麗しゅうございますわ、陛下」

「うっうっうっ、ぐすっ」

「うふふ陛下ったらそんなに怯えておかわいらしい」

「許してください、城にある宝物、何でも持って行っていいから」

「では陛下にはわたくしの一番大事なものを差し上げますわね」

 要りません。帰って。言っても通用しないだろうなぁ。

「は、話を聞いてください」

「ピロートークというヤツですわね?」

「ちがあああう! 頼むから話を聞いてくれ、もしくは話を聞きますから縄を解いてください」

 シリアナ嬢は少し考える素振りを見せた。なるほど、ここだ。僕が解放されるには、これしかない。

「話を聞こう、シリアナ嬢。だから縄を解いてくれ」

「分かりましたわ。逃げたらそこが例え廊下でも衆人環視でも陛下をいただきますわね。大人しくしてくださいませ」

 部下の前で公開プレイ宣言。何という恐ろしい脅し文句だろう。僕は力なく頷いた。

「この世界はわたくしが前世でプレイしていた乙女ゲームの中だという話は前回いたしましたわね?」

「はい」

 縄を解いてもらったので、いつでも逃げ出せる。正直、シリアナ嬢がどれほどの猛者だとしても魔王である僕に人間が敵うはずもない。しかし相手はご令嬢だ。僕は魔王だが紳士なのだ。僕は魔王。だが相手は女の子だ。魔王として、また童貞として女の子に手を上げるわけには行かない。しかし貞操の危機である。とにかく話をさせて、情報を引き出さねば。そこから交渉材料を探すのだ。シリアナ嬢を納得させなければ。これから毎回こんな突撃食らってたら僕の繊細な股間が委縮したまま仕事をしなくなってしまう。童貞だけど魔界の王だし、これから結婚できるかもっていう夢も捨ててないからね! 童貞は夢見がちなんだぞ!

「ゲームの中のシリアナ、わたくしは王子の婚約者です。ですが十八歳の洗礼式で、わたくしの他に聖女が現れるのですわ」

 げぇむってナンですか。聞いても理解できる気がしないのでそこにはもう、とりあえずは触れないでおくことにした。

「ああ……確かアナルファック帝国の王族は聖女が現れた場合、聖女と婚姻を結ぶのであったな」

「ええ」

「だが、聖女が現れたのであれば君と王子との婚約が解消されて新たに王子と聖女との婚姻が決まるのではないのか?」

「……わたくしも、聖女候補として女神の啓示を受けるのですわ。ですが王子は新たに現れた聖女に惹かれ、わたくしは婚約を解消された腹いせに聖女を陥れたことが発覚して国外追放修道院送り一族没落断罪処刑のいずれかの運命が待ち受けているのです……」

「君が聖女を陥れなければ良いのでは?」

 さわさわさわさわ。シリアナ嬢の手が僕の太腿を撫で回しているが、指摘したら負けな気がするからぐっと堪える。さりげなく僕の股間の僕をシリアナ嬢の魔手から守るため、シリアナ嬢の手と僕の清らかな僕の間に手を置く。

「何もしていなくても、わたくしが断罪される可能性は残りますわ。最近の悪役令嬢モノではよくある展開なのです。ヒロインが性格性悪で逆に悪役令嬢を陥れるのですわ」

 何それひろいん怖い。最近ってナニ。悪役令嬢モノとはなんだ。近頃の人間界はそんなことになっているのか。まぁ貴族同士足の引っ張り合いやら家同士の争いやら何やらあるらしいからな。ふむ。顎に手を当て考える。あ。しまった。シリアナ嬢はこの隙を見逃さない。さすが特S級冒険者。素早く僕の股間の魔王へ侵攻を開始したが質問をするフリでシリアナ嬢の手を払う。

「王子との婚約を解消すればいいのでは?」

「チッ。病弱なフリや、殿下に好かれないように振る舞ったりしたのです。でも婚約は解消されませんでした……。現在アナルファック帝国の公爵家で、殿下と年齢的に釣り合う令嬢はわたくし以外に居りませんし、聖女が現れる未来を知っているのはわたくしだけです。ここ数百年聖女は現れておらず、今回も聖女が現れないという前提で考えれば現時点で殿下との婚約に一番ふさわしいのはわたくしという訳なのです」

 そういえばトアもそんなようなこと言ってたな。あと、公爵令嬢が舌打ちするんじゃありません。股間と太腿上の攻防は続く。すでに戦いは始まっているのだ。

「うう~ん、では逆に王子とは良好な関係を築いておいて、泣く泣く聖女に譲るふりをするとか?」

「上手く行きすぎて殿下に側妃として望まれたりしてしまいましたら余計に暗殺の危険が増しそうですわ……。それにわたくし、前世ではこの世界のような身分制度のない暮らしをしておりましたので、王妃や側妃といった生活を望みません。貴族令嬢という身分はこの世界においては幸運な方であると理解しております。理解しておりますが、前世での倫理観に比べれば女であるわたくしの人権などないに等しいのでございます。それなのに王族になったら一体どれほど不自由なのか想像もつきませんわ」

 だからといって、この世界で平民として暮らして行く困難さも理解していないわけではなかろう。いや分からない。特S級冒険者になってしまうくらいだから、案外平民になってもこの令嬢は逞しく生きて行くのではないだろうか。僕は空気の読める童貞だからあえて口にしないけど。内腿を撫でるなシリアナ嬢。撫でる手を左右から上下へ変えようとするなシリアナ嬢。ここは最前線。これより上へは侵略を許してはならない。僕の股間の魔王はすでにかつてないほど縮み上がっているが、悟らせてなるものか。これは童貞の聖戦である。

「つまり?」

「確実にシナリオ通りになることを避けるには、聖女候補に残らないことが最善だと思いますの」

「それが……その、僕に処女を捧げることにどう繋がるんだ?」

「聖女は乙女であることが条件ですのよ」

「つまり、洗礼式の時点で既に乙女ではなくなっていれば聖女候補に選ばれない、と?」

 いかん。このままでは股間の聖戦に負けてしまう。僕の股間の玉座が侵略されかかっている。こんな小さな細い手で何という力だろう。いや、力だけではない。戦略といい僕の太腿を撫で回し童貞を手玉に取る技術といい、百戦錬磨の知将がごとくである。

「その通りですわ! さ、リラックスして横になってくださいませ!」

「ちょ、ちょ、ちょ、落ち着いて! 助けてトア!」

「陛下ぁぁぁぁ!」

 僕の寝室の扉を破壊して飛び込んで来た忠臣に心から安堵した。シリアナ嬢がトアに一瞬、気を取られた隙に下半身を捻る。シリアナ嬢の手から距離を取ることに成功した! やったね! 股間の平和は守られたぞ!

 トア。シリトア。僕は君の存在をこんなにも心強いと思ったことはない。ありがとう、僕の股間は君のお陰で守られた。その心強さに免じて破壊した扉の代金は請求しないことにする。

「貴様、陛下に無礼を働くなど万死に値する!」

「陛下の御前ですわよ、お静かになさいませっ!」

「ぎゃんっ!」

 シリアナ嬢の手から放たれたロープが唸る。あっという間にロープでミノムシ状にされた忠臣は情けなく床へ転がされた。

「ト、トア……っ!」

「おのれぇぇ、卑劣な人間めえええええ!」

 うちの忠臣、由緒正しい名門吸血鬼一族の超絶エリートよ? 決して弱くない。弱くないよ? ねぇ、この子なんなの何なのこの子怖い。

「レッツ視姦プレイですわね陛下!」

 視姦ぷれいってナニ?! いやだ! なんかすごくいやだ! 嫌な予感しかしないしれっつしない断固しない! とにかく縄をしまえ。話はそれからだ。

「話を戻すぞシリアナ嬢! どうして相手は僕でないといけないんだ!」

「魔王に純潔を奪われたとあれば、確実に聖女候補から外れると思いますの」

 まぁ……そうね。いかん。危うく納得しかけてしまった。

「それに陛下は二周目の隠し攻略キャラなのですわ。聖女がアナルファック帝国の皇太子を攻略すると、国が滅びる滅亡エンドが発生するのです」

「待て。僕はこの恐怖をもう一度、別の令嬢で味わわなければならない可能性があるというのか?」

 冗談じゃない。こんな経験は一度で十分だ。

「聖女がわたくしと同じ、転生者ならば有り得ますわ」

「断固阻止したいのだが?」

「ではぜひここで一発」

「令嬢が一発とか言うんじゃありません!」

 脳内で必死に考える。シリアナ嬢に奪われず、なおかつシリアナ嬢を救うには。

「シリアナ嬢は今いくつだ?」

「十五歳ですわ」

「……えっ?」

「なんですの?」

 いや老けて見えるだなんて一言も言ってないよ。というかダメでしょ、十五歳に手を出す二千歳越えとか。僕、外見こそ十六、七に見えるけど君より二千歳以上年上だからね?

「三年もあれば十分か……」

「何かお考えがございまして?」

「うん。君は三年間、ここへ通えるか?」

「三年間?」

「うん」

「毎日ですか?」

「うーん、うん」

「それは難しいですわ……」

 ですよねー。アナルファック帝国って隣国だもんな。正確にはラストダンジョンは隣国との国境付近にある人を寄せ付けぬほど険しいシリズキーネ山脈からドインラン連峰が連なる山岳地帯の中にある。しかもここ、ドラゴンの巣なんですけども。ちなみにドラゴンは魔物ではない。神聖なる古代生物で、偉大なる原初の神ドライオルの眷属とされている。なのでこの世界にドラゴンに喧嘩を売るバカはいない。帝国が一度も他国から侵略されたことがないのもドラゴンの生息域に囲まれた国であるお陰だ。

 まぁ、隣国でしかもドラゴンの巣を越えて一晩で行き来しているシリアナ嬢なら毎日通うくらい楽勝なんじゃないかとも思うけど。

「君、従者を増やせるか」

「……それなら、何とか。お父さまにお願いしてみますわ」

「トア、ラストダンジョンの難易度をさらに上げて僕の不在に誰も魔王の間に来られぬようにせよ」

「仰せのままに」

 ロープで縛り上げられたまま床に転がった忠臣は至極真面目に答えたが、いかんせん絵面がシュールである。しかし今はそんな小さなことを気にしている場合ではない。再び侵略を開始した、シリアナ嬢の手を叩く。

 何としても童貞喪失の危機を回避しなければ。いや童貞に未練はない。ないが、できれば僕だって初めては多少でもお互いに好意を抱いている相手がいい。こんな恐ろしい体験は一刻も早く終わりにしたかった。

「よし、君は僕を従者として雇ってくれ。三年間で僕の魔力を少しずつ、君の体内に蓄積する。耐性をつけるためだ。そして洗礼式の時に最大限、僕の魔力を流す。そうすれば聖女と判定されることはないだろう」

 女神は魔族の魔力に敏感だから、魔力を流さなくても三年も僕が一緒に居ればシリアナ嬢を聖女に選ぶことを諦めるだろう。

「それは一発ヤるより安全なのですか?」

 下品な手のサインやめなさい! 女の子でしょうが!

「君ね、純潔を守る方が大事でしょうよ」

「前世ではアラサーの何となくこのまま結婚するんだろうなぁって雰囲気の恋人アリ独身だったので、それなりに男性経験はございますわ。ですので特に抵抗はありません」

「大事にしなさいよそこは!」

 不思議そうに首を傾げたシリアナ嬢に首を振って見せる。あらさぁってナニ。

「本当に好きになった男のために取っておきなさい。後悔は先にできないんだよ」

「陛下……。わたくしこれでも一応公爵令嬢なので、殿下の婚約者ではなくなったとしてもおそらく政略結婚ですわ」

「……」

 言いにくそうにシリアナ嬢は頬へ手を当て首を傾げる。そうだとしても! 魔王に純潔を奪われた令嬢と聖女が現れたので王子の婚約者候補から外れた令嬢なら、後者の方が遥かにいいだろう! そうでしょうが!

「……やっぱり、一発ヤった方が早い気がしますが」

「次それ言ったらこのダンジョン畳むからね。僕、魔界に引きこもるよ?」

「……」

「政略結婚だとか、死にたくないから魔王に純潔を捧げるとか、君はそれでいいのか。僕は嫌だよ。死ぬよりマシだからあなたに抱かれたいとか、僕に失礼だと思わないのか?」

「陛下……普段の一人称は『僕』なのですね……」

 なんだよ悪いか自分のこと僕って言って!

 せっかく隙を見てシリアナ嬢の手から僕の股間を守ったというのに、あっさり片手で腰を引き寄せられてしまった。ダメだ。恐怖でチビりそうだ。僕の股間の魔王もかつてないほどに委縮してしまっている。だって怖いんだもんこの子。寝転がっているから分からないだけで、これ立ってたら膝が残像見えるほど震えてるからね。

「何だよ」

「大変おかわいらしくてムラムラいたしましたわグフフフフ」

「君ねぇえええええええ! ほんとそういうとこだぞ!」

「……もし、三年の間に」

「何?」

「いいえ。陛下はそれでよろしいのですか?」

 ベッドに寝転がって向かい合い、シリアナ嬢は僕の髪を撫でた。トアが床で「貴様っ! 陛下に触るなっ!」とかって威嚇しているけど全然迫力ない。だって今、トアはミノムシだし。

「今さら僕に選択肢があるみたいに言う?」

 シリアナ嬢はうふふ、と小さく笑った。

「気が変わったら、いつでもおっしゃってくださいませ」

 美味しくいただいてくださって構わないので。笑った顔はまだ幼さが残っている。

 全く、僕の気も知らないで。

「その代わり、従者としての賃金はしっかりいただくぞ?」

「よろしくお願いいたします」

 え、いいの? もしかしてこれ、稼げるんじゃない? 悪くないのでは?

 それに実は人間界には興味がある。特に食べ物とか食べ物とか書籍とか食べ物とか。

「魔王陛下」

「ん?」

「やらないか?」

「やらねぇわ! つか言い方ああああああああ! あといい加減僕の股間の魔王から手を退けたまえよ!」

「心配ございませんわ、陛下。平常時の大きさより、膨張率が肝心ですわよ」

 んな心配してねぇわ! どっちかっていうと君の公爵令嬢としての品位を心配してるよ!

 こうして、前途多難なシリアナ嬢との三年が始まったのである。



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