第2章 光合成

 学年があがって2年生。クラスも変わってほとんど知らない面々が並ぶなか、私だけがクラスから浮いていることを自覚していた。

 なぜなら、日光にあたることができないという珍しい体質を持っているから。


 ほら、あの子が日光アレルギーの子だよ。


 そう言いたげな視線を四方から感じる。

 私は先行きが不安になった。



 始業式も終わって教室に戻った後、新しい担任が自己紹介をしましょう、と言った。

 出席番号順に呼ばれ、呼ばれた子はその場で立ち上がって話をする。

 だいたいの人は所属している部活や趣味を言い、中には一発ギャグをやってクラスを沸かせた人もいた。

 自分の番が近づいていくと、私は妙に緊張し始めた。「障害者」のイメージを払拭しようとすればするほど何を言おうとしていたのか分からなくなり、混乱する。

 とうとう前の番号の人が自己紹介を終えた。


 「じゃあ、次は出席番号、23番」


 はい、と言ったつもりだったが変に裏返り、聞こえにくくなる。

 全員がこっちを見ており、余りにも強い圧に逃げ出したくなる。私は目を瞑り、息を吐いたあと、話し始めた。



 えっと、21番です。あっ、えー、友達からはバンちゃんって呼ばれてます。はい。えー、趣味は、っと……えー、待ってください、えーと、あっ、読書です。あのー、はい、以上です。よろしくお願いします。



 席に座ろうとすると、名前はなんですか? と担任が聞く。そのとき初めて、自分が名前を言っていないことに気づいた。


 言わなくても知ってるくせに。


 そう思いながら、早口で自分の名前を唱えるのとほぼ同時に大きな音を立てながら椅子に座った。



 家に帰り、自室のベットに寝転がりながら、今日のことを考える。

 散々な1日だった。

 結局、あの後もあの失態を挽回できるような場面はなく、私が恥ずかしい思いをしただけだった。

 しかもその間もずっと私を遠巻きから眺めるような視線は消えなかった。


 結局、私は「障害者」なのだろうか。


 そう思いながら、私は眠りについた。



 2日目以降も、とくに特別活躍できるような場面が訪れることもなく、ただただ時間が経つばかりだった。

 その間もクラスから浮いていることはひしひしと伝わってくる。

 他の人より遅れている気がした。



 その日は体育でハードル走だった。

 私はいつも通り見学で、光合成をしている人たちを遠くから眺めていた。

 先生が、記録測るよー、と言う。

 私はここぞと言わんばかりに私が測ります、と立候補する。日光アレルギーのことは忘れていた。

 とにかくクラスに馴染みたい。その一心で立候補した。


 あー、いや、あなたはいいよ。ほら、体質とかあるし。


 当然だが、断られた。

 周囲から白い目で見られる。

 私は自分が空回りしていることを実感した。

 太陽が眩しかった。



 それ以降、クラスに溶け込めるように様々なことに挑戦してみたが、どれもダメだった。

 運動も、絵も、歌も、コミュニケーションも、勉強も、どれも自分以上にできる人がいて、私が今更行動したところで無意味だった。


 結局、私は「障害者」であり、そこから抜け出せないのは明らかだった。

 光は私以外のクラスメイト全員を平等に照らしていた。



 放課後。


 先生に呼び出された。

 進路希望を書いて提出するプリントの提出期限を大幅に過ぎているらしかった。


 「こんなに遅れているのはあなただけだよ」

 はい、と答える。

 「体質のこともあるのかもしれないけど、それにしても遅すぎ。今までも考える時間あったでしょ?」

 はい、と答える。

 「いや、はいじゃなくて、あったの? なかったの?」

 ありました、と答える。ただ、体質のこともやっぱりあって——。

 「わかった。じゃあ来週までに持ってきて」


 はい、と私は答えた。


 

 親が学校に到着したとき、外はすでに夕暮れだった。


 やけに暗い車に揺られている間、思考を止める事はできなかった。

 今まで私はクラスメイトを「私のことを下に見ている奴ら」と考えていたが、実際は逆だ。

 私が彼らのことをバカにして安心していたのだ。

 今まで私は『障害』という壁にもたれかかっている人を馬鹿にしてきたが、そういう自分も実はそうだったのだ。

 『障害』という壁から逃げて、違う壁にもたれかかったつもりでいたが、そもそも私は『障害』という壁に囲まれていたのだった。


 ——ただ、体質のこともあって——。


 ——私はお前らが思うより大変じゃないからな。


 矛盾した言葉が、私の脳内にこびりつく。



 光合成をしていたのは、彼女たちじゃない。私だったのだ。



 それは、やけに納得のいく言葉で、私の腹の中にすとんと、収まった。



 車が赤信号で止まる。



 ——いやー、バンもたまには日傘なしで外に出てみたら? 案外大丈夫かもよ?

 ——そんなことできるわけないでしょ。



 あの時のやりとりが頭を掠める。



 瞬間、私は全てを理解し、カーテン越しの太陽が私に走れ、と命じた。


 私は車から飛び出して、駆け出した。



 母の叫び声も置き去りに、走る。

 靴紐が解けても、

 転んで膝から血が出ても、

 日光に当たって顔面から蕁麻疹が出ても、


 走った。


 しかし、陽は逃げるように沈んでいく。


 私は間に合うことを祈りながら夕暮れの道を走った。





 橋に着いた時には、太陽と目線の高さが同じだった。


 川は東西にのびており、太陽と暗闇を繋げている。


 太陽は、西から街を照らし、淡いオレンジ色に染めている。


 太陽の光を浴びて、身体中に蕁麻疹ができていく。頭痛もする。



 だけど、それが正常だった。



 だって、私は『障害者』ではなく、『光合成人間』なのだから。


 『光合成人間』だから、これからは光合成をして生きていくのだ。


 太陽は、私に意味を与えてくれていた。


 太陽は、私の全てを肯定していた。


 ずっと、前から。


 自然と涙が溢れる。


 太陽に向かって手を伸ばす。


 橋の手すりに身を乗り出したその時、


 「何やってるの!」

 母が私に追いついた。動きを止めた私の元へ走ってくる。

 「そんなことはやめなさい。大丈夫だから」


 私は最初から何も問題ないはずなのに、「大丈夫だから」と言う親に、思わず吹き出しそうになる。


 母は私に近寄って、私を強く抱いた。日光から私を防ぐために背中を私と太陽の間にねじ込むようにした。



 母の腕の中は暖かく、いい香りがしたが、暗くて何も見えない。





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光合成人間 トストマト @tosutomato

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