街灯が安全地帯

 家は最寄り駅から徒歩十分の距離に位置していた。普段ならばすぐに帰宅できるはずだが、今日はそうではなかった。最寄り駅に到着してから、もう既に一時間以上が経過していた。


 突然、闇夜に何者かが現れた。その姿は闇に紛れて確認できなかった。会社の飲み会から終電で帰宅したため、逃げ込める店も見当たらなかった。


 足を闇夜に踏み入れれば、直ちに闇夜の魔物が襲い掛かるだろう。


 自分たちよりも先に駅を出たサラリーマンが、闇夜に溶けるように消え去ったことで、異常事態に気づけたのは幸運だったかもしれない。


 闇夜の中から聞こえてくる悲鳴を聞いた多くの人が駅の中に避難をした。だれも駅から出ようとはしない、当然だ。しかし、おれには自分の命と同じくらい大切な家族がいる。家で待つ妻と子供のことが気になって朝まで駅に避難をしている気持ちにはなれなかった。


 闇夜の魔物が光に弱いことはすぐにわかった。蛍光灯が照らす明るい駅の中には決して入ってこない。ならば、街灯を渡り歩け安全に家に帰れるのかもしれない。確信はない。けれど、やらなければならない。


 恐れに震える人々をかき分け、改札に定期券を通す。


「さあ、いくぞ」と言葉だけでも自分を奮い立たせる。


 まずは駅から近い街灯へ飛び出そうとする。しかし、一歩目がでてこない。怖い。本当に闇夜の魔物から襲われないためには、街灯の下にいれば安全なのか、一歩でも闇夜に触れたら引き込まれてしまうのではないか。そう思うと恐怖が足を縛り付ける。


「やるんだ、やるんだ」と、自分に言い聞かせ、冷静さを保つ。大胆さも必要だ。ためらわず、目標を定め、飛び出す。


 飛び出してからは我武者羅だった。


 街灯にぶつかるように飛び出した。


 頭上の街灯を見上げ、ほっとした。


 大丈夫だ。襲われていない。街灯にもたれかかり、座り込んだ。


「まるで酔っ払いだな」たしかにアルコールは入っているが、頭のなかは驚くほど冷静だ。


 大丈夫。記憶がたしかなら家まで途切れることなく街灯は続いている。このままいけば、無事に家まで帰れるんだ。


 息を整えて、再び闇夜に足を踏み入れる。


 一本、また一本と街灯を渡り歩く。


 角を曲がると、ようやく家が見えてきた。いつも歩いているはずの家路なのに汗だくだ。


「明日から、運動をしよう。子供たちと遊んで、体力をつけよう」


 決意を新たに次の街灯に目をむける。


「おいおい、嘘だろ」


 目の前の街灯が点滅している。たしかにあかりはついているが、光と闇が交互に存在する点滅が安全である保障がない。一瞬ではあるが、断続的に闇に身を染めることになる。


 それが意味するところはひとつ。「駆け抜けるしか、ないのか」


 家の前の街灯まではもう少しだ。点滅している街灯を経由して、家の前の街灯まで走り抜ける。タイミングがあわなければ闇夜の魔物に襲われてしまうことだろう。そう思うと一歩がふみだせない。駆け抜けるということは、それだけ闇夜に触れる時間が長くなるということだ。どうして闇夜の魔物が襲ってこないといえるだろうか。いっそ朝まで街灯の下で待機をしていようか。


 諦めかけようとした刹那、駅のほうから悲鳴が聞こえてきた。


 振り返ると、さっきまで煌々と光っていた駅が闇に包まれていた。

 悲鳴はいくつにも重なって聞こえていたが、やがて闇夜に吸い込まれるように聞こえなくなった。


「そうか。終電が終わって」自分が駅にとどまることを選択していたかと思うとぞっとする。


 はっとして頭上をみあげた。街灯は、いつまで点いているのだろうか。


 街灯に命をゆだねるにしても、街灯に対してあまりに無知だった。目の前の街灯が点滅しているというのに頭上の光もまた点滅しださないとどうして言えるだろうか。


「行くしか、ないのか」

 覚悟をきめて点滅している街灯の先まで狙いを定める。


 街灯の点滅するタイミングを見計らう。しかし、それはあまりに断続的で法則のない点滅、つまるところ運にかけるしかない。


「おれには、家族がいるんだ」


 覚悟をきめて飛び出す。鼓動がなるよりもはやく街灯をかけぬける。光に足を踏み入れたかと思えば一瞬にして闇夜に染められ、また照らされた。


 闇夜の魔物の手が自分のすぐそばまで延びているような感覚を覚えるが、魔物の手を振り切るように足を回転させる。


 気付いたら、家の前の街灯まできていた。


「やった、やったぞ」


 家を前にして息を整える。家の明かりは当然消えている。つまり、街灯を飛び出して家の扉を開けるその時まで、闇夜にどっぷりと漬かることになる。だが、ここまで来たら行くしかない。家の鍵をカバンから取り出して覚悟をきめる。


「おれは帰るんだ」


 信じられるものがあるとしたら、ここまで無事だった運だけだった。最後にもう一度だけ街灯の光を浴びて、息を整える。


 いくぞ。そう心の中で念じて一息で街灯をとびだした。家の門を破るように駆け抜けて、ぶつかるように家の扉の前までついた。


 手に持っていた鍵を鍵穴にさす。すでに途方もない時間闇夜のなかに身を染めているような感覚だった。首元まで闇夜の魔物の吐息が聞こえるような気がした。あとすこし、あとすこしだ。


 首元を何者かにつかまれた。その時、家の明かりがパッとついた。


 身体が急に軽くなる。がちゃりと家の鍵が開いた。


「もう、子供たちが寝ているのに」


 妻が眠そうな声で迎えてくれた。


 妻は汗だくのぼくのことに気づいていないのだろうか。呆然と立ち尽くすぼくに向かって「ほら、早く家に入って」と背を向ける。


 外の様子を伝えようか。いや、やめておこう。信じてもらえるともおもえないし、なにより家族を怖がらせたくない。

 ぼくはできる限りの笑顔をつくった。

「家族に会いたくて」

「なら、早く帰ってきてよ」起こされた妻はまったく機嫌が悪そうだ。


 しかし、本当に、その通りだ。

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