ワルモノしかいない村

「めでたし、めでたし」お母さんは本を閉じた。


 愛する息子は寝ただろうか。視線を絵本からうつすと睡魔と戦う息子が目をこすっていた。


「湊、もう寝なさい」

「でも、眠くない」


 嘘だ。本当は眠くて仕方なかった。けれど、湊には眠りたくない理由があった。


 湊は今日、学校で嫌な思いをしていた。具体的は女の子を泣かしてしまったのだ。


 もちろんわざとではない。湊はどちらかといえば優等生として見られている。だからこそ今日の事件は大事になってしまった。


 ちょっと他の子と一緒になって女の子を、からかってしまったたけだ。ただ、それだけのことなのに、いつもやんちゃなあいつはさほど怒られなかったのに、湊だけは怒られたうえにクラスの女の子のほとんどを敵にしてしまった。


 湊は一日で嫌われ者になってしまったのだ。


 少しでも学校に行かない時間を長くしたい。そう思っていた湊は睡魔と戦うためにお母さんを引き留めるしかなかった。


「どうして鬼はやられちゃったの?」


 お母さんは何のことかと手元の本に目をやった。「このお話のこと?」


 湊は眠りに引き込む睡魔に抗いながら何とかうなずいた。


「鬼さんは、悪いことをしたからよ」

「どうして鬼は悪いことをしたの?」


 また始まった。とお母さんは、うなだれた。「湊はもうすぐ中学生でしょう。そろそろ、分からないことは自分で調べたりして、お母さんになんでも聞かないの」

「でも、気になるんだよ」

「もういいから、寝なさい」

「でも、鬼は、」

「寝なさい」


 最後は圧力で黙らされる。


 湊はなんとか抵抗する方法を考えたけれど、寝る間際にお説教をくらってさらに嫌な思いをするくらいならと納得したふりをした。「おやすみなさい」


 電気が消えると部屋には月明かりが差し込んだ。いよいよ睡魔が止めをさそうと本気をだす。


 眠りたくない湊の瞼が、いよいよ重たくなってきた。寝たら明日は学校に行かないといけなくなる。けれど、睡魔には勝てない。


 明日、謝ったらいいのだろうか。


 *

「おい、起きろ」


 誰かが湊の肩を叩いた。


 もう朝?「まだ眠いよ」


「駄目だ。おれたちは夜しか活動できない」


 おれ? 湊は目を開けた。まだ暗い。けれど、声のしたほうを見ると誰かが立っている。


「こんばんは、湊」

 挨拶をしてきた。そいつが人間でないことは一目でわかった。そいつには立派な一本の角が生えていた。


「鬼?」

「正解」


 湊は夢でも見ているのかと思った。けれど、そいつは寝ている湊の手をとると「さあ行こう」と連れだそうとするので湊はぐっと力を込めて抵抗した。


「困るよ。明日は学校なんだ」

「おれを呼んだのは湊だろう」

「でも、寝坊をするもお母さんに怒られる」


 鬼はイシシと笑った。「おれたちはワルモノだからな。湊が怒られてもおれたちには関係無い」


 鬼は湊の返事を無視して無理矢理に布団から引っ張りだした。湊はいよいよ怖くなってきた。大きな声でお母さんを呼んでみるが駆けつけてくれる様子はない。


「無駄だよ」

 どうして。といつものように尋ねるまでもなく鬼は答える。

「もうここはワルモノの世界さ。外の世界には声が届かない」


 鬼は湊の手をひいて窓の外へ飛び出した。怖さのあまり湊はぎゅっと目を閉じた。鬼からついたぞと声をかけられて、恐る恐る目を開けると、そこは湊が見たこともない光景だった。


 街というよりは村。昔話にでてくるような木でできた家や、川や田んぼ、まるで物語の世界だった。


「ここは?」

「いっただろう、ワルモノの世界だ」


 鬼はいくぞと湊の手をひいてどんどん歩いた。すれ違う人たちは珍しそうに湊のことを見た。そして湊もまた、すれ違う人たちをしげしげと観察していた。


 鬼に連れてこられたのだから、ワルモノの村はてっきり鬼だけかと思いきや、河童やトロル、天狗がいたかと思ったら普通のお兄さんや、綺麗なお姉さんもいる。


「みんな、ワルモノなの?」

「ああ、そうさ。この世界はワルモノしかいない、ワルモノの世界だ。気を付けろ、河童はお尻から手をいれてくるぞ」


 湊はとっさにお尻を隠した。「どうして、悪いことをするの?」

「ワルモノだからさ」

「どうして、ワルモノになるの?」

「悪いことをするからさ」


 似たような問答を繰り返しているうちに湊は答えにたどり着かないことに気づいた。「もう、ちゃんと答えてよ」


 鬼は足を止めた。「違う、おれは悪くない。湊の聞き方が悪いんだ」

「聞き方?」

「ワルモノだから悪いことをする。悪いことをするからワルモノになる。同じことだ」

「じゃあ、ぼくはなんて聞いたらいいの?」


 鬼は馬鹿を言うんじゃないと笑った。「教えたら、ヨイモノになっちゃうだろう」


 そして、鬼は再び歩きだした。


 鬼への質問を諦めた湊は、辺りの様子を見ることにした。ワルモノはどんな暮らしをしているのだろうか。てっきり弱肉強食で、悪いことがはびこる悪の世界だと思っていた。ところが、ワルモノの世界は想像以上に平和そうだった。争いが起きるどころか仲良く話している人たちもいる。


「ワルモノなのに、仲良しなんだね」

「おかしいか?」


 変だ。と湊は答えた。ワルモノなのだから、だましあったり、奪い合ったり、いがみあったりしているほうが正しいのではないだろうか。


「変じゃないさ。ここはワルモノの世界だから、ワルモノの同士はみんな仲良しなんだ」

「ワルモノとは仲良くできるのに、ヨイモノとは仲良くできないんだね」


 すると、鬼は悲しげな顔つきになった。「おれたちは、ワルモノだからな。ヨイモノと仲良くしたらヨイモノになっちゃうだろう」


 しばらく湊と鬼は無言で歩いた。


 ワルモノの村は、湊にとってどれも目新しいものばかりだった。砂かけばばあのごはん屋さんや、雷おやじの電気屋さんなど、あちこち興味は尽きないけれど、歩いてばかりの鬼がいったいどこに向かっているのか気になってきたので鬼に尋ねた。


「ワルモノの学校だよ」

「ワルモノなのに、学校があるの?」

「悪いことをするためには、勉強をしないといけないんだ」


 そうして鬼に連れていかれた場所は、周囲の田舎な風景には不釣り合いなコンクリートでできた大きな建物だった。ひとめで校舎だとわかるその建物の中からは楽しそうにはしゃぐ子供達の声がする。


「ワルモノにも子供がいるんだね」

「そりゃいるさ。みんな仲良く遊んでいる」


 湊は連れていきたいといわれたから鬼についてきた。「で、どうしてぼくを学校につれてきたの?」


「いまから入学してもらおうと思ってな」

「まさか」湊は冗談だと思った。どうして自分がワルモノにならないといけないのか。「ぼくは帰りたい」

「ダメだ。ワルモノに興味をもった人間は、ワルモノになってもらう」

 湊は困った。逃げ出そうにも帰り道が分からない。かといってワルモノになんてなりたくない。

「嫌だよ、帰りたい」湊は必死て訴えた。


「どうして、湊はワルモノを嫌いなのか。せっかく興味をもってくれたじゃないか」


 逃がしてくれない。このままでは帰れないと湊は駆け出そうと鬼に背を向けた。


「待って、分かったから」鬼はすがりつくように湊の手を握った。「せめて、せめて学校の見学だけでもしてほしいんだ。お願いだ」


 どうして鬼が必死にお願いしてくるのか分からないが、湊は見学する代わりに帰らせてくれることを条件にした。


 鬼は渋々と了承した。


 湊は鬼に連れられてワルモノの学校へと足を踏み入れた。普段、自分が通っている学校と大きく違いはない。広い校庭と遊具を通りすぎて、下駄箱を通り抜けると長い廊下に教室がいくつも続いている。


「みんな、何を勉強しているの?」

「ワルモノになる方法さ」


 教室の中をそっと覗くと色々な姿の妖怪やワルモノの子供か真面目な顔をして授業を受けていた。


「ワルモノになるのって、難しいんだね」

「簡単さ、人に嫌われればいい」

「えっ」と湊は聞き返した。「嫌われたいの?」


「まさか」と鬼は否定した。「でも、おれたちはワルモノだから、嫌われないといけないんだ。そうしないと物語にならないし、おれたちは存在できなくなる」


 湊には分からなかった。「ぼくは、嫌われたくないよ」


「普通はそうさ。でも、ワルモノは違う」


 湊には鬼が悲しんでいるようにみえた。「嫌われなくてもいいんじゃない。みんないいことだけすれば好きになってもらえるよ」


「いったろう、おれたちはワルモノであるから存在することができる。良いことをしたら、おれたちはヨイモノになってしまうよ」


 どうしてワルモノで居続けないといけないのか湊にはわからなかった。けれど、このままワルモノの学校に居ることが湊にとって良くないことであることにも感づいていた。


「もう、帰りたいのかい」鬼は学校の中だけでなく、学校の外にもまだまだ見せたい場所があると告げた。そのどれもが湊にとっては魅力的に思えた。


「でも、約束したでしょう。ごめんね」

「湊は、本当にワルモノになりたくないのかい?」


 湊にはワルモノが何者であるのか分からなかった。嫌われ者で人の嫌がることばかりするやつ、自由で楽しいことばかりしているやつ、でも嫌われないと生きていけないやつ。


「ぼく、ワルモノのことを知らなかった」

「これから知ってくれればいい。おれたちワルモノの仲間になれば嫌われることに怯える必要もなくなる。ワルモノは気楽なんだ」


 湊はずきっと心が痛むような気持ちがした。


「ぼくは、嫌われたくてないよ」


 鬼はそうか、と上を見た。「校舎をでよう。授業の邪魔になる」


 校舎をでると鬼は再び歩きだした。湊はてっきり帰り道を歩いていると思っていたがどうにも様子がおかしい。不安になって湊が呼び掛けても鬼は返事すらしなくなった。


 どうやら鬼は約束を守るつもりがないようだ。湊は決心して鬼の前に立ちふさがった。「止まれ」


 鬼は足を止めた。「どいてくれ、おれは湊をワルモノにしないといけないんだ」


「なんだって」と湊は声を張り上げた。「約束が違うじゃないか。学校をみたら帰らせてくれるって言ったじゃないか」


 鬼はイシシと笑った。「おれは約束なんて守らないぞ。ワルモノだからな」そういい放った鬼は、湊の手をつかむと乱暴に引っ張った。


 痛い。湊は振り払おうとしたが、鬼の力を物語にでてくるそれだ。とても子供の力で敵うような強さではない。湊がいくら抵抗しても鬼は放そうとしてくれない。


「いったい、ぼくをどこに連れていくつもりだよ」

「魔王様のところだよ。魔王様に湊を会わせてワルモノにしてもらう」


 やだ。会いたくない。ぼくは、ワルモノになんてなりたくない。湊はなりふり構わず抵抗した。だれか助けてなんて叫んでみたが、ワルモノはだれも助けてくれない。


「湊は、そんなにヨイモノになりたいのか」鬼は暴れる湊の扱いに疲れてついに足を止めた。


「ヨイモノに?」湊も抵抗をやめて考えた。「ぼくは、ヨイモノにも、なれない」忘れていた学校での嫌な出来事がよみがえる。「でも、ワルモノになりたくないんだ」


「なんだよ、せっかく興味をもってくれたのに。結局、湊もおれたちワルモノが嫌いなんだな」


「嫌いじゃないよ」湊は反射的に答えていた。

「嫌いじゃないなら、おれたちワルモノの仲間になるはずだろう」


 違うと思う。と湊は鬼が感情的になればなるほど穏やかな気持ちになっていった。「嫌いじゃないから、ワルモノになれないんだと思う」


 鬼は湊を握る手をゆるめた。「お前、本当にワルモノになれないんだな」


 鬼は教えられたことを忠実に実行しようとしていたんだ。「うん。ぼくはまだ、ワルモノにはなれなかったよ」


 鬼はふうっと息をついた。「残念だよ。湊ならいいワルモノになってくれると思ったんだけどな」


 鬼は湊をワルモノにすることを諦めた。


「帰ろう、もうすぐ朝だ」


 鬼は湊の手を握った。今度は優しく包み込むようだった。


「最後にひとつお願いがある」

「なに?」

「帰ってからも、おれたちワルモノのことをずっと嫌いでいてくれよな」


 わかったと湊は答えたけれど、たぶん無理だと思っていた。湊には、もうずっとワルモノを嫌いになることができないと思った。


「それじゃあ、帰るね」


 鬼は約束を守った。


 *


 湊が目を覚ますといつもの朝がきていた。


 お母さんがバタバタと起こしにきてくれる。


 あれは、夢だったのだろうか。うん、きっとそうに違いないと湊は思った。寝る前に余計なことを気にしてしまったせいだ。


 いい加減に起きなさいとお母さんはいつもどおり不機嫌そうに部屋にはいってきた。「窓開けっぱなしで寝て、危ないじゃない。泥棒さんが入ってくるわよ」


 湊は朝日を迎え入れる窓に近づいて窓を閉めた。


「そうだね。ワルモノが、くるかもね」

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