第5話 出陣

空想時代小説


 宇都宮から戻り、政宗がまず行ったのが、最上攻めの準備である。徳川攻めに誘っても、三成憎しの最上の伯父ごでは、うんと言うわけがない。むしろ徳川に政宗謀反と通報されるのがオチだ。それよりは国境に兵を配置し、いつでも最上攻めができるようにした方がいいと考えたのだ。

 幸いなことに、最上は隣国の宝蔵寺領攻めに向かっていた。政宗は援軍を出すと申し出たが、伯父の最上義光は断ってきた。伯父・甥の仲ではあるが、決して仲がいいわけではない。元々は、犬猿の仲だったのだが、政宗の祖父晴宗が義光の妹を長子の輝宗に迎え、産まれたのが梵天丸。後の政宗である。母義姫は気丈な女性で輝宗に武芸で勝る女丈夫であった。

 幼くして疱瘡(ほうそう)をわずらって右目を失った梵天丸は乳母に育てられたこともあって、母から疎まれていた。母は二男の小次郎をかわいがっており、政宗が小田原参陣の際には、小次郎に跡目を継がせようとして、政宗に毒を盛ったことがある。大事にはいたらなかったが、そのこともあり、母義姫は政宗が小田原参陣中に兄義光のところに身を寄せていた。

 政宗は、父輝宗の末弟である叔父留守政景に5000の兵をあずけ、最上との国境付近に布陣させた。最上勢が南進をしてきたら、横腹をつく算段である。政宗は1万5000の軍勢を白石城に待機させていた。

 8月26日。早馬がやってきて、秀忠が24日に上田に向かったとのこと。直江は2万の軍勢を二手に分けて沼田に向かわせた。という知らせであった。

 決戦の地は、徳川方についた真田信幸の居城と踏んだようだ。結城秀康は、直江軍を追討するという素振りを見せて、宇都宮を出たと黒はばき組の者から連絡が入っていた。先日の談合どおりだ。となると、政宗は上杉討伐という素振りを見せなければならない。政宗は、早速全軍出陣の命を出した。

 8月28日。政宗勢は福島城を攻略した。守勢の上杉方武将本庄繁長は早々に城を開け渡し、会津に逃げ去っていた。ここで、黒はばき組が2つの知らせをもたらした。

 1つ目は、佐竹に動きなしということ。これも想定内。ここで佐竹が動いたら江戸城にいる家康が動かない。となると厄介なのだ。

 2つ目は、上杉景勝が最上との国境いに兵を進めたということだ。これも直江が描いた図式どおりだ。これで、上杉は江戸に攻めてこないと家康に思わせるのだ。直江は細い会津街道や尾瀬の山越えで沼田に向かっている。尾瀬には湿地帯があるが、直江は足軽に木でできた盾をもたせ、それをしいたり、はずしたりをくり返し、湿地帯を乗り越えると言っていた。徳川勢は、まさか尾瀬を越えてくるとは思っていない。まさに奇策だ。

 8月29日。政宗は、全軍を二本松城にすすめた。途中、抵抗は全くない。徳川方の軍監は、いぶかしながらも会津攻めに向かっていると思っているようだった。

 8月30日。二本松城攻略。堅固な城で苦戦が予想されたが、抵抗はごくわずかだった。先鋒の成実の不満はすさまじかった。

 8月31日。二本松城内で、今後の会津攻めの評定を行った。徳川方の軍監も入れての評定なので、偽りの評定である。片倉小十郎がもっともな策を披露している。政宗はうなずくだけであった。評定後、徳川の軍監は、手下の者に家康公宛の書状を託していた。それを確認した小十郎はしてやったりとニンマリしていた。

 9月1日。二本松城を出て、猪苗代城をめざした。以前、葦名(あしな)氏攻めをした際には、小十郎の工作で城主猪苗代盛国を内応させた城である。いわば政宗勢の最前線の出城と言える。

 9月2日。猪苗代城入城。上杉勢は近くにいるはずなのだが、まさに無血入城であった。徳川方の軍監はいぶかしがっていた。

 夕刻、江戸から早馬が着いた。

「1日に家康、西へ向かって出陣」

 という連絡である。政宗は、早速側近を集め、今後の指示を行った。徳川方の軍監は捕らえられ、牢獄につながれた。

 9月3日。二本松城に戻り、陣立てを行った。先陣は成実が属する歩兵中心の石川昭光。2陣は騎馬隊の黒川晴氏。3陣は鉄砲隊の片倉小十郎。本陣が政宗。5陣が補給隊の原田甲斐である。総勢1万5000。先陣が歩兵中心なのは急いで江戸に行く必要がないからである。

 9月4日。政宗勢は白河城に入った。ここで沼田の戦いの様子が伝えられた。

 直江勢が、真田信幸の奥方小松姫が守る沼田城を攻め取ったということだ。小松姫は、家康の重臣本多平八郎忠勝の娘である。真田勢は勇敢に守ったが、最後は降伏し、城を開け渡したとのこと。小松姫は殺されずに幽閉された。いわば、真田信幸が加わる秀忠勢をおびきだすためのエサである。

 9月5日。政宗勢は白河城で休養を取った。ぞくぞくと各地の情報が伝えられる。

 1つ目は、小諸にいた秀忠勢が転進し、沼田に向かったとのこと。今ごろは、結城秀康も沼田城に入城しているであろう。3万対3万。同数であれば守りが優勢。ただ、真田信幸は自身の居城であるから抜け穴も衆知のはず。城の弱点は知っている。策士の直江兼続でも苦戦は免れられないと政宗は見ていた。

 2つ目は、家康は駿府城に到着したとのこと。西軍方の岐阜城は8月末には陥落している。家康は、東は秀忠に任せ、西は自分が出張って三成を討つと決断をしたようだ。これで、家康は江戸には戻ってこないと政宗は確信した。

 9月6日。政宗勢は宇都宮に向かった。結城秀康の守勢が出迎えてくれた。

 9月7日。またまた休養である。のんびりとした進軍で、戦いたくてうずうずしている成実は、奇声を上げながら槍を振り回している。政宗は小十郎相手に酒を飲んでいる。

「成実は体をもて余しているようだな」

「そのようでござる。成実殿は、根っからの戦好きの御仁。ですが、こ度は急いては事をし損じまする」

「うむ、まずは沼田の結果待ちじゃ」

「おっしゃるとおり。万が一、結城・直江連合軍が負ければ、我々は窮地に陥りまする」

「そうじゃ。その時は、佐竹を討つ!」

「やはり徳川の軍監を生かしておったのは、そのような考えでございましたか」

「殺しては、佐竹を討っても家康公は認めてくれぬ。すべては直江をあざむく策と申し開きをせねばならぬ」

「殿のご高察、恐れ入ります」

「どちらに転ぼうとも、我らは生き残る。それが大事なのじゃ」

「ごもっとも」

 策士と策士、この二人の力が後の政宗勢の生き残りにつながるのである。

 

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