辺境の伯爵と魔女花嫁
「うーん。これは……」
私は、状況を整理しようと揺れる視界の中で周囲を見回した。
「まずいのでは……」
周囲の状況をまとめた上で出した結論は……。
(どうやら私はさらわれてしまったらしい)
ということだった。
あまりにも自然な誘導だったので、今まで気がつかなかった。
荷車に乗せられて、馬車は西へと走り出していた。
窓から見える景色は、私が生まれ育った都のとは雰囲気が違う。西方はやはり乾燥して荒涼としている印象だった。馬車が進むたびに、砂煙が舞い上がって空は灰色で、太陽はかすんで見える。
無理矢理に押し込められたというわけではないのだれど、いつの間にか、一緒に乗っているのは言葉の通じない二人の若い男だけだった。荷車の入り口に座っていて、私が入り口に近寄ろうとすると『危ないから』と言いたげな顔と手で制止する。
あまり傷つけるようなことはしたくないので交渉しようと試みるのだけれど、言葉も通じないのでお互いに変な身振り手振りをしているうちにフォシアの町から離れていってしまった。
というのが今の状況だった。
伯爵との結婚式を一月後に控えた私だったけれど、それほど準備することもないのでフォシアの町を中心に魔法使いとしての活動をはじめていた。
それだけを聞くと、都から来た伯爵の新しいお嫁さんが退屈なので町に繰り出して遊んでいると思われてしまうかもしれないけれど、ちゃんとお仕事としての活動でした。
ええ、本当に。
決して、何でもいいから外で派手に魔法を使いたいとかそんな理由ではないです。
呪いのせいであまり人前には出たくない伯爵の代わりに私が領民の相談に乗ってあげるのは良いことと伯爵も公認だった。
もちろん、よそ者には厳しい目で見がちな領民たちに、都からきた変なお嫁さんである私の印象を良くするという狙いがあるようだった。
伯爵に報告するしかない相談もかなり多かったけれど、魔法で強引に解決していくうちに魔法を使う依頼も増えていった。
『道を塞いだ大きな岩を、なんとかして欲しい』
そう言われたので、魔法で大岩を砕いてみせた。
簡単なお仕事だったのだけれど、付近の住民たちはしばらくの間、驚いたのか口をあんぐりとさせていた。
『今後の繋がりのために、伯爵のお嫁さんにちょっと仕事をあげてみるか。難しいと思うけど』というくらいの気持ちだったのかもしれない。
一部にでもヒビが入ったら、大げさに喜んでみせてあとは地道に砕いて撤去していこうというつもりだったらしい。
思惑はともかく、道が通れなくて困っていたのが一瞬で撤去できたのは間違いないので付近の住民たちも拍手喝采で私を称えてくれた。
その日から、土木作業の依頼が増えた。それから、農作物の相談だ。
「日照りで困っているのですが、雨を降らせることができましょうか?」
農民からの相談に、お安い御用ですと軽く引き受けた。
期待に満ちた目はプレッシャーだったけれど、私は無事に雲を発生させた。
本物の雨が降るまでの繋ぎとしては、十分な雨の量で農民たちからは女神様であるかのように感謝された。
「楽しい」
都で魔法を使ってこんな仕事をしようと思ったら、色々なところに許可を取らないといけない。
特に天候関係は面倒なのだ。隣接する全ての領主にまで許可を得られないと使ってはいけないなんて場所も少なくない。
「まあ、ウォーレン伯爵のお嫁さんだから許されているということは分かっていますけれど……」
この地方での伯爵の権力と領民からの信頼が絶大だからこそ、私は自由に魔法の仕事をさせてもらえている。
それでも、この十年くらい表にでない伯爵の代わりとして領民に直接感謝されるのは、伯爵にとっても嬉しいことだし私も役に立っている実感があって嬉しかった。
そう……なので、今日もつい町から離れて、農民のために泉を掘ってあげているところだった。
さらに少し遠くにも足を伸ばして、害虫の駆除をしてあげたり病気の牛を運んであげていたりしたらいつの間にか日が暮れ始めていた。
疲れていたので村が用意してくれた馬車に乗り込ませていただいたのだけれど、気がつけばどうやら町と反対側に向かっていて言葉の通じない人たちと同行している……そんな馬車の中だった。
(どうしようかな……)
今のところは手荒なことはされていない。
手足を縛られることもなく喋ることも自由だ。
つまり魔法も使えるので、その気になれば、簡単に逃げ出せるとは思う。
(護衛の人たちはどうしたのだろう?)
町に出る時も伯爵がこっそりと手配してくれている護衛の兵たちの存在に、私でもさすがに気がついていた。
今も跡をつけてきてくれているか、伯爵に報告に戻っているのならいいのだけれど、もし捕まっていたらと思うと私だけ逃げ出すわけにはいかない。
(極力、傷つけるようなことはしたくないですし……)
馬車の幌の中に一緒にいる男たちをちらりと見てみる。
彫りの深い顔、日焼けなのかは分からないけれど褐色の肌。礼儀正しい……とはとても言えなく色々と雑だったけれど、悪人には見えない。
御者台にいる人も含めて、言葉の通じないたくましく若い男性たちと同じ空間にいるのは怖さもあったけれど、こうなれば私を連れてこさせた理由が知りたいと思う。
このまま私を連れてくるように命じた人に会おうと決意して、しばらく馬車に揺られてあげることにした。
馬車が止まったのは、小さな村のようだった。私は男たちに連れられて、一番大きな家に入っていった。家と言っても、町の建物とはかなり違う。木の柱と頑丈そうな布でできた巨大なテントのような家だった。そこで待っていたのは、私と同じくらいの年頃の女性だった。背格好も私によく似ている気がするけれど、この辺の民族らしくやや褐色の肌で彫りが深い顔立ちで私よりしっかりしている印象を受けてしまう。
そんな彼女は私を見るなり、にこやかに笑って言った。
「ようこそ! 私はリリアと言います。あなたがウォーレン伯爵の新しいお嫁さんのサディアさんですね?」
私は驚いて彼女を見つめた。
彼女は私の分かる言葉で話してくれていた。
「なぜ、私をさらってきたの?」
私はぶしつけに、いきなり尋ねてしまった。
リリアと名乗った女性は一瞬、目を丸くしたあと苦笑しながら答えた。
「さらってきた……のではなく、兄の命で丁重にあなたをお迎えさせた……つもりだったのですが……」
リリアさんは、そう言いながら周囲を見回した。
周囲というか、壁際で控えている私を連れてきた男性たちを順番に確認している様子だった。
確認していく途中で『これは駄目だ』という表情になったのを見逃さなかった。
「申し訳ありません。人選にミスがあったようです。普段の交渉役が火急の用事で駆り出されてしまいましたので……」
そう言って『無理やりとか、怖がらせるつもりはなかった』と深々と頭を下げた。
「い、いえ。大丈夫でしたので、頭をお上げください」
恐怖が全くなかったかといえば、そんなことはないのだけれど、乱暴には扱われなかった。その気になればいつでも逃げ出せるとは思っていただけに、心に深い傷を負ったとかいうことはないので、そんな深く謝罪されると逆に申し訳ないくらいの気持ちになってしまった。
リリアさんとお互いに申し訳なさそうにしていると、部屋の中に無遠慮にズカズカと男性が入ってきた。リリアに似ていて、同じ褐色の肌と彫りの深い顔をしていた。彼は私を見ると目を輝かせて言った。
「おお、あなたがサディア・サティ嬢か。ようこそ、我がアミオットの民の元へ」
私を見つけるとその男性は、両手を広げながら近寄ってきた。
「ひえ」
まさかと思いながらちょっと逃げようとした私に対して、豹みたいな動きと素早さで近寄るといきなりハグされた。
「兄様。駄目ですよ。都育ちなのですから、いきなり抱きついたりしたら礼儀知らずの蛮族と思われてしまいますよ」
たくましい男の腕の中で、何も見えなかったけれど、リリアさんが冷静な声で言っているのは聞こえてきた。
「おお、すまないね」
そう言いながら、男性は私を解放してくれた。とはいえ、慌てた様子もなく悪びれた様子もない。
「俺はイマノル。このアミオットの民の族長だ。ようこそ、アミオットの村へ」
体を離してはくれたけれど、まだ近い。イマノルと名乗った男性は、背が高く私を見下ろしながらそう言った。
「ようこそって。私、なんでここに連れてこられたのか。何も聞いていないんですけれど!」
恐怖はありつつも、イマノルの方を向き抗議した。
「何と言われても、ただ歓迎したかっただけなのだが……」
精悍な顔つきで、戦いの場などでは恐れを知らなそうなイマノルだったけれど、今は私の怒りにどうしたらいいのか分からずに困惑している。
撫でようとした犬に吠えられてしまい困ってしまっているかのようだった。
「歓迎って……なぜですか?」
本当に悪い人たちではなさそうで私も目をぱちくりさせる。人質とか売り飛ばされるというわけで連れてこられたわけではなさそうだと少し安心したけれど、理由が思い当たらないので、まだ油断はできなかった。
「あの……。サディアさま。私たちアミオット族はウォーレン伯爵たちとは敵対していません。友好的な民族です」
「あ、そうなのですか?」
都にいる頃は異民族というのは、全面的に我が国と対立しているものだと思っていた。でも、この土地に来てからは友好的に交易している民族も意外と多いのだと理解してきていた。
「我がアミオットの民は、あなたの祖父マーティン卿の英雄的な活躍により助けられた。この周辺では、今も語り継がれて子どもでも知っていることです」
イマノルさんは、私の方を見ながらそう言うと、さらには不安そうな顔で妹のリリアさんの方を振り返ったりした。
「もしかして、ご存知ない?」
立派な体格なイマノルさんが、急に縮こまってみえた。
「すいません。あまり聞いたことがなくて……」
私は頭を下げた。
この人たちには誰もが知っている常識のようだったけれど、都では誰も知らない話だった。
私でさえ祖父とウォーレン伯爵は昔、一緒に戦ったことがあるということは聞いてはいたのだけれど、そんな大活躍したということは聞いたことがなかった。
そう言われれば、祖父が酔っ払った時に自慢話を聞いた気がするけれど、酔っ払いの大げさな話だろうと思い。かつ、色々な場所に出向いていたからどれがこの土地での話なのかも分からなかった。
「そんな馬鹿な……」
「すいません。祖父はあまり功績を自慢するような人ではなかったので……」
膝に手をついてがっくりとうなだれるイマノルさんを何故か私が慰めるような形になってしまっていた。
私としてはとにかく伯爵の……いえ、自分の家に、早く帰りたいだけなのだけれど。
「いや、それでこそマーティン卿! あれほどの英雄的行為にも関わらず決して吹聴することはない!」
膝を叩いて、イマノルさんは背を伸ばし立ち上がった。
あくまでも前向きに考えて、実戦での活躍を重視する。
なんとなく祖父が、この人たちと意気投合して、そして今でも慕われているのは分かる気がした。
「とにかく。我々は、大恩があるマーティン卿のお孫さんを歓迎したいのです! 歓迎させてください!」
「わ、わかりました」
勢いよく面と向かってそう言われてしまうと、断る方が疲れてしまう。諦めたかのように私はうなずいた。
この人たちは祖父に感謝したいのだと思うと無下にすることもできなかった。
「よし、宴だ! 支度をせよ!」
喜びの声をあげながら、イマノルさんは外へと出ていくと応じる野太い声がいくつも応じていた。
(ただ単に、この人たちは宴をしたいだけなのでは……)
そんなふうに思いながら、イマノルさんの後ろ姿を追っていた。
「今日中に帰していただけるのでしょうか?」
私は、一人部屋に残っている族長の妹のリリアさんに不安げな表情で聞いてみた。
「宴のあとですと深夜になってしまうので、危険だと思います。明日には、必ずお送りいたしますので、どうか留まってやってください」
リリアさんは、強引というか勝手に話をすすめていた兄に代わって頭を下げて私にお願いしてきた。
「まあ、今から慌てて帰ったりしないですけれど……」
もうこの建物の外では、かなり多くの人たちが慌ただしく動き出したことが伝わってくる。
元々、楽しみにして集まってきていたのだろう。
私も社交の場が苦手とは言っても、さすがに、今から水を差すほど酷い人間でもないので、宴には参加させていただくことを伝えた。
特に束縛されもしなかったので、リリアさんには着いてきてもらいながら、建物の外に出ると村の様子を見学しながら歩いていた。
「でも、ウォーレン伯爵は心配しますね……。今からお手紙を書いても届くのは明日ですよね」
「そうですね。申し訳ありません」
「うーん。使ったことはないけれど、魔法の鳩でも飛ばしてみようかな」
ウォーレン伯爵とはもうそれなりの絆があると思っていた。変な疑いをされることはないだろうけれど、それでも周囲の人間は新たな嫁がいきなり無断で外泊とか信じられないと難癖をつける人がいるかもしれない。
私は悩んでいるうちにリリアさんに案内されて、宴の準備がされている広場に到着した。そこには、色とりどりの布や飾りが飾られたテントが並び、火の粉が舞う焚き火や炭火が熱気を放っていた。香ばしい匂いや甘い香りが鼻をくすぐり、楽器の音や歌声が耳に届く。人々は笑顔で挨拶を交わしたり、踊ったり、飲んだりしていた。
「これはすごいですね……」
私は感嘆の声を漏らした。都で見たこともないような華やかさと活気に圧倒された。
洗練されてなくて、野蛮に見えると都の人なら言うかもしれないけれど、私は、都の社交パーティよりこの雰囲気のほうが好きになれそうな気はしていた。
リリアさんは嬉しそうに私の手を引いて、少しだけ盛り上がったところにある大きな天幕のあるテントに連れていった。
広場に向かって大きく開くであろう天幕の前に椅子と机があり、ここが主賓の座る場所なのだと理解した。
(私が……主賓)
先ほどから言われていたことで、言葉は理解していたのだけれど実感としてはなかった。
すでに広場では、村中、いやそれ以上の人が集まっている。
人生でこんなに注目を集めることはなかったので、今さらながらに緊張してきてしまう。
私は用意された椅子に座った。小さな机とセットが隣にももう一つ並んでいた。
(なにか結婚披露宴みたいね)
族長であるイマノルさんと、主賓が並ぶのは当たり前なのだろうけれど、どうしても伯爵に対して後ろめたいことをするような気がしてしまう。
そんなことを考えていると、テントの入り口から覗き込む一人の男の子の姿が見えた。
先ほどからずっと頭の中で考えていたまさにその人物が目の前にいるのだった。
「サディア。無事だったか」
「ウ、ウォーレン伯爵! どうしてここに……?」
子どもの姿のウォーレン伯爵は、水でも運んできた子どものようにこっそりと近寄り私の横へとやってきた。
「部隊も動かしたが、心配だったのでまずは僕だけでも先にと思って飛んできた」
伯爵は不機嫌そうに、そう言った。
若すぎる男の子の姿なので、それほど怖くはなかった。というかむしろ可愛いと思うのだけれど、そんなことを口に出したらさすがに怒られそうなので神妙な面持ちで聞いていた。
「申し訳ありません。ですが……子どもが一人で潜入だなんて危険ですよ」
「サディアに言われたくはない」
ますます不機嫌そうに腕を組まれてそっぽを向かれてしまった。
「私は大丈夫ですよ。いざとなれば魔法も使えますし、一人でも逃げられます」
「そうやって油断していると、へんてこな魔法をかけられて戦えなくなってしまったりするからな」
「……なるほど、さすが経験者の言葉は重みが違いますね」
魔法で男の子の姿になっている伯爵を見ながら、大きくうなずいていたら、『からかうな』とほっぺたをつねられてしまった。
少なくとも男の子姿の伯爵とは、最近、こんな親しげなやりとりもできるようになっていた。
「す、すみません。でも、ここの……アミオットの民は友好的ですし、特に危険なことはないかと思いますよ」
「そんなことは、サディアより、僕のほうがよく知っている」
またそっぽを向きながらそう言うので、不機嫌なのか自慢しているのか表情が見えずによく分からなかった。
「そうは言っても、誰が入り込んでいるか分からないし、あと、族長は別の意味で危険だ」
「別の意味……? なんですか。それは?」
疑問に思っていると、このテントに向かって何人もの人がやってくる音がした。
「は、伯爵。と、とりあえず隠れてください」
私はテントの裏に伯爵を運ぶと布と布の間に潜ませた。子ども姿の伯爵は、まだ体が大きくなく細いので違和感なく隠れることができていた。そのまま奥にいけばひとまずここから逃げることはできるだろう。
「やあ、お待たせしました」
入ってきたのはまさに今話していたイマノル族長だった。
その後ろには、料理と飲み物を持った従者たちが何人もついてきている。
(危険なことなんてないと思いますけれど……)
私は、机に料理を並べられていくのを見ていた。料理を運んでいる人たちも言葉は通じないけれど、親しみがあって楽しそうだった。
とても演技で楽しそうにしているとも思えなかった。
「皆、よく集まってくれた」
料理の支度が調うと、急に目の間の幕が左右に大きく開いて、今いるテントから広場全域が見渡せるようになった。
イマノルさんは急に酒杯を片手に立ち上がると大きな声で広場に集まった人たちに呼びかけていた。
私も少し悩んだのちに、慌てて立ち上がった。
「こちらのお方が、かのマーティン卿の孫のサディア・シェティさまだ」
いきなりそう手を広げて、紹介されてしまい。視線を一点に集めてしまい。頭が真っ白になる。
「では、乾杯!」
盛大な拍手と歓声の中、祖父の功績が紹介された気がするけれど、混乱しているうちにもう乾杯の挨拶になってしまった。
頭を下げてお礼していいのか、杯を高く捧げていいのか分からずにどちらも中途半端な動きになっているうちに挨拶は終わってしまった。
その後は、思いがけず気楽に過ごすことができた。
集まっている大半の人々はあくまでも楽しく騒ぎ、食べて飲んでいた。年配の人たちが孫か孫の友だちでも見に来るかのようにふらりと私の前にやってきて、お話したり頭を撫でていったりした。
(やっぱり、都より心地よいなあ)
居心地の良さと料理とお酒の美味しさに満足しているのだった。
「さて、サディアさま」
隣のイマノル氏が、お互いに来客の相手が落ち着いたところで酒を片手に近づいてきた。
膝と膝が触れ合い。顔も息がかかるくらいの距離だったので、振り返ることもできなかった。
「俺の嫁になりませんか?」
「は?」
私は、驚きと戸惑いで変な声を上げた。
(そういえば、さっき紹介したときも私のことをウォーレン伯爵に嫁いだとか言わなかった……)
わずかに目だけをイマノル氏の方に向けて笑っている様子を探した。
楽しそうに冗談っぽく言っているのだけれど、いけそうなら本当に口説きたいという熱も伝わってくる。
イマノルは、サディアの手を取ろうとした。
サディアは、イマノルの手を振り払って立ち上がった。
「わ、私は、ウォーレン伯爵と婚約しています」
「あんな年寄りと結婚してもつまらないでしょう……伯爵には俺から言っておきますよ」
イマノルは、嘲笑するように言った。
「全然、元気です。私なんかにはもったいないくらいで、もう大満足です 」
私は大きな声で反論した。
ちょっと恥ずかしいことを大声で言ってしまったのではと思うと顔が赤くなった。
戸惑っていると子ども姿のウォーレン伯爵が後ろの幕から飛び出してきて私とイマノル氏の間に割り込んでいた。
「手を出すんじゃない。これは僕の嫁だ!」
両手を広げてイマノル氏を威嚇していた。
逃げてもらったつもりだったのだけれど、気になってずっとそこに潜んでいたのだろうか。
「へっ、坊やは誰だい?」
伯爵は格好良く登場したつもりだったのかもしれないけれど、幼い少年の姿で、さらには私が余計なことを大声で言った結果、伯爵も耳が赤くてちょっと締まらない顔になっていた。
「イマノル坊やは、僕の顔も忘れたか」
どうやら魔法で子どもにされたことは知られていないらしい。
「……伯爵、その格好では分かるわけないと思いますよ」
私は、ウォーレン伯爵の背中に向かって冷静なつっこみを入れていた。
「……伯爵?」
イマノル氏は、私の言葉を聞き逃しはしなかった。訝しげな表情で私とウォーレン伯爵の姿を交互に眺めている。
「どうかなさいましたか? 伯爵」
しかし、伯爵は、イマノル氏も私の視線も全く気にしていないようで、動きを止めていた。
なぜ動けないのだろうと思ったけれど、そうではないのだと分かった。
(イマノル氏の後ろを見つめている……?)
「イマノル坊。気をつけろ! サディア! 見えるな! 二人いる!」
「はい!」
私は伯爵と同様に魔法を唱える準備をした。伯爵の言葉で、奥にいる怪しい動きをしている男に狙いを定める。
私と伯爵から、同時に氷の矢が放たれた。
イマノル氏の横を抜けて曲がりながら、不審者たちに突き刺さる。
少なくとも走り出した足を止め、短剣らしきものを持っていた手を凍りつかせることに成功した。
「何だ!」
周囲の人々も驚きの声をあげる。
さすが、イマノル氏も振り返るとすぐに状況を把握したようだった。
「暗殺者! カルガン族の奴らか」
次の瞬間には、イマノル氏の部下たちが主人やサディアたちをしっかり守りつつ、暗殺者は取り囲んで抑えつけていた。
素早い動きに見事な連携だと、私なんかは感嘆しながらイマノル氏とその周辺を見守ることしかできなかった。
「助かりました。噂には聞いていましたが、見事な魔法ですね。早さ、正確さ、威力。どれも素晴らしい」
戦いはあっさりと終わった。
イマノル氏は、私に近づくと大げさに喜びながら、いつの間にか両手を握りしめながら感謝しつつ私のことを褒め称えてくれる。
この地でもそこそこの威力の火の玉を数秒掛けて詠唱して放つことができる魔法使いは多いだろうけれど、この場面で冷静に瞬時に相手の動きを止める魔法を放つことができる魔法使いはなかなかいないのだと言う。
少し大げさな気もしたけれど、ここは素直に褒められておこうと思った。
「そちらの少年も素晴らしかった。その若さであんな魔法が使えるのだな。すごいね」
私と全く同じ魔法を放った男の子に対して、イマノル氏は、色々と疑問に思っていそうだったけれど感謝しつつ褒め称えていた。
「僕のせいで警備体制が乱れたのだろう。イマノル坊、すまん」
ウォーレン伯爵の方は私と違って褒められていい気分になることはなく、イマノル氏に向かって、潜入していた敵の暗殺者に『好機だ』と思わせてしまったことを謝っていた。
「ん?」
イマノル氏はちょっと不思議そうな顔をしていた。目の前の可愛らしい美少年が、熟練した魔法を使い、今もなぜか自分の方が若僧であるかのように扱ってくるのがおかしかったみたい。でも、単に背伸びした子どもの言うことだとは思えない何かを感じ取っていたのかちょっと気圧されたままでじっと少年を見ていた。
「僕だ。ウォーレンだ」
くるっと体ごと横を向きイマノル氏に向かい合うと、胸を張りながらそう宣言した。
かなり身長差があるので見上げながらだったけれど、それでも妙な威厳があった。
「い、いいんですか? その姿で? 正体をばらしてしまって」
私は慌てて近寄ると両膝を地面につけてしゃがみ込むと声を潜めて聞いた。
ただ、声を潜めても、イマノル氏もすぐ側にいるので聞こえてしまっていそうだった。
「構わないさ」
ウォーレン伯爵は、なにか覚悟を決めたらしく簡潔にそう言った。
「ウォーレン伯爵? ……そのご子息とか?」
イマノル氏は、やはりウォーレン伯爵にかけられた魔法のことは知らないようなので、当然のようにそんな反応になっていた。
「違う。本人だ。……うーん。サディア、僕を本来の姿に戻してくれる?」
ウォーレン伯爵はイマノル氏の方を向きながら、私にそう言った。
「はい」
きっとこの間、試した変化の魔法を使ってもらいたいのだろう。でも、服が破れてしまうのももったいないのでこの場はイマノル氏に本来の姿が一時的に見えるように魔法をかけることにした。
(私が、伯爵のお弟子さんみたい)
そんな関係も悪くはないと思っていた。
「お、おお、ウォーレンさま」
イマノル氏は、私が見せている幻覚のウォーレン伯爵に対して、跪いていた。
「大きくなったな。イマノル坊」
「お、お久しぶりでございます」
先ほどまでの自信たっぷりな若い族長の姿はどこにいったのか、怖い師匠に再会してひたすら頭のあがらない子どもの姿にしか見えなかった。
実際に、どんな関係だったのかは知らないけれど、信頼があると同時に恐れられているのが伝わってくる。
「サディアは僕の妻だから」
そう言って、ウォーレン伯爵は私の肩を抱いて引き寄せた。
今までになく強引に引き寄せられて、見せつけようとする力強さにどきりとしてしまったけれど、同時に『妬いていらっしゃるんですね』と気がつくと可愛らしくてにやけてしまいそうになってしまう。
何と言っても私から見たウォーレン伯爵は若い少年姿のままに見えている。今もちょっとつま先立ちをしてから、私の肩に手を回していた。
「さ、さきほどのは冗談です。さすがは伯爵、まだまだお盛んですな。このように若くて可愛らしい嫁を迎え入れるとは、いや、羨ましい限り」
イマノル氏は、もう完全に調子に乗っていたずらをしていたところを咎められた子どものようになっていた。
「ではこのまま、お二人の結婚お披露目会にいたしましょう」
私たちの事情を知った族長の妹のリリアさんは、楽しそうに両手を合わせてぱんと大きな音を立てながらそう言った。
「えっ、あの……」
私が、何か恐縮しつつ一度踏みとどまらせようとしたけれど、リリアさんが言った瞬間にはずっと待機していたように周囲の人たちが一斉に動き出していた。
「はやっ」
「はは。この辺の者たちは娯楽に飢えているのです。少しの間、楽しい雰囲気を分かち合わせてください」
「ちょっと飾り付けを変えるくらいですよ。そんな大げさなものではありませんので、サディアさまはどうぞおくつろぎください」
私の驚きに対して、族長のイマノル氏とその妹のリリアさんは、細かいことは気にするなと言わんばかりの態度でお二人自身も準備に動き出していた。
しばらく呆然と見ているだけだったけれど、伯爵は苦笑しながら私の手を握ってくれた。
「これも彼らなりの親切なんだ。彼らは僕たちを歓迎してくれているし、結婚を祝ってくれている」
「そうですね……」
私は少し納得した気持ちで頷いた。確かに、私の祖父と伯爵に対する感謝と尊敬の気持ちから、私にも優しくしてくれているのだということは伝わってくる。
あと、それに乗じて大騒ぎしたいのだということも。
「準備ができました。では、伯爵夫妻。こちらへ」
あっという間に準備は整った。
伯爵と私の席が少し豪華になって、族長たちの席が左右に並ぶように設置されたくらいといえばそれくらいではあるけれど、近寄って見た私たちも嬉しくなる。
「あの……伯爵は変化とかしなくて大丈夫なのですか?」
「うん。このままでいこうと思う」
先ほど、イマノル氏に対してかけた幻覚の魔法ももう終わっている。
つまり、今の伯爵は誰から見てもまだ子どもらしさが残る可愛らしい少年の姿に見えてしまうのだった。
この村だとそれでいいのかなと疑問に思いながらも、伯爵に手を引かれるままに席へとついた。
「あと、翻訳の魔法を……」
ウォーレン伯爵はふと気がついて、私にというか私の前の空間に魔法をかけてくれた。
周囲の人たちの声が、私にも分かる言葉で伝わってくる。
「さて、皆! 本日の主賓を紹介いたしましょう」
おそらくこれもアミオットの民の言葉で話している。
イマノル族長の大きな声に、それまで騒がしかった広場は一斉に静かになった。
「この村に来ていただくのは何十年かぶりになります。カルガン族とのテナ川の戦いで、我が一族を助けていただいたウォーレン伯爵です」
「おお!」
その紹介に、広場に集まった民から大きな歓声があがった。
もう伝説の勇者と同じくらいの存在なのだろう。ひと目見ようと、この時ばかりは酒をおいて身を乗り出す民も多かった。
「おお?」
でも、ウォーレン伯爵の姿を見た民は一斉に首を傾けていた。
若い人には昔の話として聞いた人の名前で、実際に会ったことのある年配の人にとっては同じ年くらいだった在りし日の姿を思い出していただろう。
しかし、席にいるのはまだまだ子どもと言っていい若い少年の姿のウォーレン伯爵だった。
「ウォーレン伯爵は、魔法により若返っているのです!」
大きな声でイマノル氏はそう説明した。ウォーレン伯爵とは目配せをしてうなずいていたので、事前に相談はしているようだった。
敵の魔法に引っかかったのではなく、自ら研究の上で若返ったかのような印象を受けてしまうけれどどうやらわざとそうしているようだった。
それでも、そんなことがあるのかと不思議そうな目で見ている人は多かった。
『若返りすぎなのでは?』という声も聞こえてくる。
微妙な空気の中、ウォーレン伯爵は立ち上がり、一歩前に出てにこやかに微笑むと軽く手を振った。
その姿を見て、広場の民衆もざわつき出し、歓声に変わっていった。
年配の人たちが、確かに昔見たウォーレン伯爵とそっくりだと認めたようだった。
それなら間違いない。
若返ったのならすごいじゃないかともっと若い人たちも騒ぎ出した。
さらにはそれとは関係なく、女性たちからは可愛らしい美少年の姿を見ただけで黄色い声が飛び交っていた。
「そして、こちらはウォーレン伯爵と共に戦ってくれたマーティン卿のお孫さん。サディアさまです」
私は大慌てで、前に出てお辞儀をした。
ウォーレン伯爵のように、大勢の前で堂々として立ち振る舞うことなんてできるわけもない。なんとか笑顔を作りつつ、顔をあげた。
少しだけざわついたけれど、私のことは事前に聞いていたうえで集まった人が多いはずなので驚きはなかった。
「お二人はこの度、婚約されました! 我らにとって大恩ある二人と縁のある結婚を、共に祝おうではありませんか!」
「おおー」
隣の国の話とはいえ、よく知っている人物とその孫の結婚はおめでたいと思ってくれている。
大きな歓声がわき起こり、祝福する声が聞こえてくる。
ウォーレン美少年に魅せられた女性たちの間からは落胆する声もあったけれど、それは些細なことで皆がめでたく騒ぐ口実には十分だった。
「サディアさまとウォーレン伯爵さまに祝福を! 」
民たちは私たちにそう声をかけてから、飲んで、踊る。
私たちにとっても騒がしくも楽しい時間になっていた。
「あの……そのお姿のままでよかったのですか?」
挨拶をしに来た人たちも一段落したので私たちは席に座り楽しむ広場の人たちを見ながら、食事を楽しませてもらっていた。
落ち着いたところで、隣に座っている美少年姿のウォーレン伯爵にそっと耳もとで尋ねてみる。
「そうだね……ずっと元の姿に戻ろうとしてきたけれど……」
ウォーレン伯爵も悩んでいたらしい。
今もまだ少し苦悶したような表情が時折見える。
「『けれど』?」
何か元の姿に戻るのを諦めるような事件でもあったのだろうか。
少し不安な気持ちにもなりつつ、続きを聞こうとした。
「お前とずっと一緒に過ごしたいと思ったからな」
ウォーレン少年は、私の方を見ないで広場で踊っている人たちを見ながらそう言った。
それが照れているからなのだと分かったのは、ウォーレン伯爵の耳が段々と赤くなっていくのを見たからだった。
「……嬉しいです」
「お、おう」
普段は見せることのない強気な少年の言葉になっているのがおかしくて、愛おしくてたまらなかった。
「町に戻ったら、もう一度披露宴をするぞ。今度は、準備している綺麗な花嫁衣装を着てもらうからな」
「はい!」
華やかな場所は苦手だけれど、可愛らしくもまっすぐな瞳で見ながら言われてしまうとどきっとして何でもしてあげたい気になってしまい素直に応じていた。
そっと手を握ると、伯爵はまた顔を少し赤らめて広場の方を向いてしまった。
辺境の魔女花嫁 ~~辺境のおじさん領主に嫁ぐことになりましたが、何故か待っていたのは可愛らしい美少年でした。 風親 @kazechika
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