第09話 獣が親子の愛を示す
ごろり。
ぼろぼろさんの布の上から、果物が転げおちます。
どうもぼろぼろさんは、そのみすぼらしい布のせいでしょうか、人間とは思われていないようで、ひひたちは全然こわがる様子を見せません。
母ひひは、目の前に落ちてきた果物を、最初はけいかいしていましたが、すぐににおいをかぎ、手にとって、口に運びました。
それをかみながら、子ひひにかがみこみます。
どうやらかみくだいたものを食べさせているようです。
それから、子ひひの体をなめはじめました。
赤いものが見えました。子ひひはひどいけがをしているのです。
自分も背中に矢が刺さったままで、そのまわりはあかぐろくなっているのに、少しも気にせず、母ひひは自分の子どものけがをなめて治そうとしているのでした。
「これは……我々をおそってきたのは、わが子を守ろうとして、だったのか」
テランスが言いました。
「そのようですね。わたくしたちを、けがをしている子のいるところへは近づけないようにと」
エリーレアはいたましく母子ひひを見やりました。
けものと言っても、親が子を思い、守ろうとする気持ちは人と何のちがいもないのです。
「むっ」
テランスが、目を細めて、母ひひの背中の矢を見つめました。
「あの矢には、どうも、貴族の紋章が刻まれているように見えますな」
「どういうことでしょう?」
「どこかの貴族が、自分のやしきで、変わったけものを飼ったり、狩りの獲物にするのは、めずらしいことではありません。私はなんどかそういうところを訪れ、見せられたことがあります」
「そのような者に飼われていたひひの親子が、逃げ出して、そこを弓矢で射られたということですか」
「そう考えるとすじがとおるのです。このあたりにはすんでいないはずの、北のけものがこんなところにいることも、つい最近あらわれたということも、親子でいることも、あの矢も。むほんが起きたために、みはりが
「何ということでしょう」
そういう話なら、少し待って、子ひひが元気になれば、いなくなってくれるのではないでしょうか。
ですが、すぐそこで牙をむいてうなっている父ひひは、このままだとまたおそいかかってくるでしょう。
かといって、ひきさがっても、この道を通れないことに変わりはありません。
エリーレアたちだけはこのまま先へ行けるかもしれませんが、後の人たちが通れないようでは、道をふさぐいじわるをしたのと同じです。そんなことをしてしまうわけにもいきません。
「あの子が、早く治ってくれればいいのですけれど……あのけがでは、何日もかかってしまいますね」
「せめて、我々人間はお前たちをおそわない、この道を通るだけだということをわかってもらえればよいのだが……けものには人の言葉が通じないからなあ。傷つけてもしまったし」
テランスの言葉に、エリーレアは考えこみました。
そして、かけてみることにしました。
「レント! 急いで、来てください!」
山道の下から、三頭の馬を引いてひぃひぃ言いつつ登ってくるレントを呼んで、それから父ひひの向こうに声を投げかけます。
「ぼろぼろさん! こちらに来られますでしょうか!? わたくしのお手伝いをしてください!」
それぞれが来るあいだに、エリーレアは弓矢を下ろし、腰の剣をはずして、テランスに持ってもらいました。
「エリーレア嬢? 何をするつもりですか?」
「もうしわけありません。わたくしに何が起きても、あのひひをおこらないでやってくださいまし」
エリーレアはさらに、身につけているナイフや、身を守るための防具、ふところに入れてある財布まで、ありとあらゆる金属でできたものを取り出し、外しては、テランスに渡してゆきました。
「人とけものの一番のちがいは、金属を使うことです。金属のにおいをさせていると、人だとけものは思います。ですから、まずこうして、金属でできたものを全部はずして……」
レントが息を切らせて到着しました。
ほとんど肌着姿になったエリーレアは、馬に運ばせている荷物から、果物と生焼けの肉をたっぷり取り出します。
ぼろぼろさんが、父ひひを回りこんで、やってきました。
「いっしょに来てください。もしあの大きなひひがわたくしをおそってきたなら、わたくしのことは放っておいて、この食べ物を、あの母子のところへ持っていってあげてくださいな」
エリーレアは、もてるかぎりの食べものをもって、それを見せて、においをたっぷりかがせながら、ゆっくり、ゆっくり、父ひひに近づいてゆきました。
ぼろぼろさんも、となりをいっしょに歩いてくれます。
「聞いていただけますか、りっぱな父親さん。傷つけてしまったことはあやまります。わたくしたちは、あなたがたの敵ではありません。この道を先へ行かせてほしいだけです。あなたがたに、はやく元気になってもらって、おたがいに痛いおもいをしないまま、それぞれのめざすところへ行きましょう」
こわい気持ちに負けないように、笑顔をつくって明るくひひに話しかけながら、エリーレアは一歩、また一歩と進んでゆきました。
父ひひは、しきりに鼻息を漏らし、うなり声をあげ、腕を振り回し牙をむきだして、エリーレアをおどしてきます。
それにもおびえることなく、エリーレアはじわりじわりと、近づき、近づき、さらに近づいて……。
もう父ひひの腕がとどき、その爪が肌をえぐり、いくらでもエリーレアの血を流させることができるところまで来ました。
ふしゅうぅぅ、と父ひひのなまぐさい鼻息がにおってきます。
その鼻が、すん、すんと、においをかぎ始めました。
エリーレアから、刃物をはじめ人間が使うもののにおいがすれば、すぐにそのすごい力でぶんなぐり、するどい牙でかみついてやるぞと、恐ろしい目つきをして近づいてきます。
エリーレアはとてもドキドキしました。
このままだともうがまんできなくなって、悲鳴をあげてしまいそうになったところへ――。
「……」
スッ、とエリーレアの横から、木の枝が突き出されました。
ぼろぼろさんです。
ぼろ布越しに、どこで拾ったのか細い木の枝を持っていて、その先に肉のかたまりを刺していたのです。
こわい顔をしていた父ひひの目の前に、肉がつきつけられて、けものにとってはたまらないにおいが立ちのぼりました。
父ひひからこわいものがなくなって、それをぱくりと食べました。
むしゃ、むしゃと口を動かしている間に、ぼろぼろさんに引っ張られて、エリーレアは先へ進みました。
わが子の傷口をなめている母ひひの、すぐ目の前に、持ってきた食べものをどっさり積み上げます。
それから、これもぼろぼろさんに引っ張られて、うしろへ下がって、すると父ひひが大きな体で戻ってきて。
また自分が先に口にしてやわらかくかみくだいてから子どもに食べさせる母ひひを見つめてから、自分でも果物をひとつ、においをかぎ、口に運んだのでした。
「たくさん食べて、早く、よくなってくださいね……」
エリーレアは言うと、ひひ親子の方を向いたまま、後ずさってじわじわと離れていきました。
まだ父ひひはこちらをけいかいしていますが、今までのような恐ろしいものは感じられません。
これなら、うまくいくのではないでしょうか。
そう思った時でした。
「バウッ!」
黒いものが、足元に、右に、左に、突然現れました。
太く強く、そしてこわい声をひとつあげるなり、勢いよく、ひひたちに突っこんでいきました。
ものすごい声があがりました。
父ひひが腕を振り回しました。
その腕に、黒いものが飛びついてゆきました。
ようやくエリーレアにも、その黒いものが何だかわかりました。
――犬です!
黒々とした、口の長く牙の鋭い、けものをしとめるための猟犬が、何頭も、襲いかかってきたのでした!
ぴぎゃああと、悲しそうな声が起きました。
くぼみに猟犬がおそいかかって、子ひひがかみ殺され、母ひひの喉首にも犬の牙が食いこんでいるのでした。
父ひひの太い腕にも、大きな犬が深々と牙をくいこませぶらさがり、動きをふうじました。
「よくやってくれた、あんがとよ」
男の声がして、けものかと思うような、ひどく背中の曲がった、
「あんたがすきを作ってくれたおかげで、このけだものをぶっ殺せたぜ。いやほんと、あんがとな」
にやにやしながら、猫背の男は長い刃物を抜いて、腕を封じられている父ひひの後ろにまわると、その体に深々と突き刺しました。
「あああっ!」
やっとエリーレアは声を出せましたが、もうどうすることもできませんでした。
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