第03話 お嬢さま、船乗りと殴り合う


「その通りです、わたくしは第三位貴族、アルーラン家当主パトリス・ファスタル・ファス・アルーランの娘、第四位貴族、エリーレアです」


 エリーレアは、身分をひけらかしたいわけではなかったのですが、ちょっとした仕返しのためにそう名乗りました。


「では、第四位として、あなたに命令いたします。これよりわたくしは、西のタランドン領へ向かうつもりです。その護衛ごえいを命じます」


「なっ! お、お待ちをっ!」


 ルレート・ラファランの顔がたちまち青ざめました。


「何を待つのですか。あなたは第五位のご自分を守るよう命令しました。ならばわたくしも、第四位のこの身を守るようあなたに命令して当然ですよね?」


「ですがっ、あのっ、で、ですがっ!」


 ものすごい汗が、ルレートの顔をだらだら流れます。


 ルレートの妻が、同じように血の気をなくして震え出し、よくわかっていない幼い娘は両親の様子がおかしいと、これも泣き出しそうになりました。


 エリーレアは小さく笑って首を振ります。

 仕返しはこのくらいでいいでしょう。


「冗談ですよ。そのような可愛い娘さんから、お父さまを引き離すような真似はいたしません。この道を先へ行くとりょうざかいの砦があります。そこの者にわたくしのことを告げれば、喜んで迎え入れてくれるでしょう。早く娘さんを安心させてあげてくださいね」


「はいっ、ありがとうございます!」


「ではさようなら。あなた方に、風神さまのよき風の吹かんことを」


 エリーレアは彼らの幸運を祈ると、西への旅に戻りました。


「まったく、何てやつらだ」


 レントはまだぶつぶつ文句を言っていました。


「あんな風に、自分より下と思った相手をこき使うから、平民たちが腹を立てて、ガルディス王太子にそそのかされ反乱を起こしたというのに」


「やめなさい。本人がいないところであれこれ言うのはみっともないですし、あの人たちの護衛は多分、殺されてしまっています。こわがる気持ちは、あなたならよくわかるでしょう?」


「それもそうでした。申し訳ありません」





 先ほどの者たちに見つからないよう、遠回りして西へ向かいます。


 道を外れて野山を進んだので、少し時間がかかってしまいました。


 行く手に川が見えてきた時は、もう日が沈みそうになっていました。


 カラント王国を、東から西へ流れる大きなエラルモ河。

 その下流に、目指すタランドン領があります。


 目の前に見えてきた川は、そのエラルモ河へ注ぎこむ支流のひとつです。


 西へ進むには、この川を越えなければなりませんが、この川は北の山から流れてくるために、水がとても冷たくて、レントがそうしたように泳いで渡ることなどとてもできません。


 渡し船を見つけて乗せてもらって、あるいはそのままエラルモ河に出て、西のタランドンへ向かうことができればいいなとエリーレアは思いました。


 船ならば、船頭にまかせていれば、自分は眠っていても、夜の間にかなり進むことができます。


 エリーレアは渡し船を出している街に駆けこんで、急いで町長さんに会いに行きました。

 町長さんなら、いい船を紹介してくれるだろうと思ったからです。


 でも、町長さんは、困った顔をしてうなるばかりでした。


「いつもなら、わしがいくらでも紹介することはできたのですがね……むほんの知らせが届いたら、船乗りたちが、平民の俺たちはもうお前らのいうことなんかきかないぞと言い出してしまって……」


 船着き場に行ってみると確かに、船に乗って川向こうへ行きたい人たちがたくさん集まっているのですが、肝心の船乗りたちが、川岸でどっしり腕組みしたまま、はたらこうとしないのでした。


「今までは、をこいでへとへとになるのは俺たちなのに、おそいだの乗りごこちが悪いだの、ただ乗ってるだけの貴族どもにえらそうに怒鳴られてた。でもこれからはもう、俺たちは、好きなようにやらせてもらう。ここの船は俺たちのもんだ。だから俺たちが気に入らないやつは乗せてやらねえ。文句あるなら自分で船作って、自分でこいで渡るんだな」


「では、気に入ってもらえれば、乗せてくれるのですね?」


 エリーレアは進み出て言いました。


 船乗りたちがたちまち集まってきます。


「これはこれは、貴族のお嬢さまのおでましだ。何と光栄なことだろう。光栄すぎて、とてもさおをこぐ力が出そうにありませんぜ」


 力はあるけれども礼儀を知らない船乗りたちは、げらげら笑います。


「どうしてもと乗せろとおっしゃるのでしたら、そうですねえ、貴族の方のお馬もお荷物も重たすぎるんで、全部すてて、まるはだかのお嬢さまおひとりなら、乗せてやってもいいですぜ!」


 さらに汚らしく船乗りたちは笑うのでした。


 エリーレアは、とても腹が立ちましたが、笑った顔でいいました。


「気に入れば乗せていただけるのですね。では、無理矢理、気に入ってもらいましょう。この中でいちばん強い人、出てきなさい。勝負しましょう。わたくしが勝てば、いつも通りのお金を払って、いつも通りに運んでもらいます」


「そいつはおもしろい」


 ひときわ体の大きい、ひげをびっしり生やした男が出てきました。


「俺はブローズってもんだ。元気のいいお嬢さま、お相手してやるぜ。痛い目にあっても文句言うなよ。可愛いお尻丸出しにしてひっぱたくくらいですませてやるからよ」


「あなたぐらいの体の人とは、いつもしていますから、平気です。あなたの方こそ、わたくしに負けて、泣かないでくださいね」


 エリーレアは笑って言うと、いつもの剣ではなく、横に転がっていた棒を手にして数回振りました。


 強がりではありません。エリーレアは王宮で、このブローズみたいに体の大きくて強い騎士たちと、よく剣のをしていたのです。ですから本当に、それほどこわいとは思っていませんでした。


 逆にブローズは、ばかにされたので、とても怒って、船をこぐのにつかうを取り出します。

 にぎるところは太く、先の方は幅広くなっていて、とても重そうです。

 でもそれを、細い棒のようにぶんぶんと、ものすごい音をたてて振り回すのでした。


「ぶっ飛ばしてやるぜ、お嬢さま!」


「遠慮なくいらっしゃい」


 エリーレアがにっこり笑って誘うと、ブローズはすぐに殴りつけてきました。


 でもエリーレアはスッと下がってかわします。

 いつも相手をしてもらっている、このくらいに体の大きな騎士たちは、もっと動きがはやく、強いのです。それに比べればたいしたことはありません。


 真っ赤になってを振り回すブローズのまわりを、エリーレアはひらひらと、おどるように軽やかに逃げ続けました。


 そしてを見つけたら、踏みこんで棒をピシリと、腕まくりしたそのひじや、強くふんばったひざに打ちこみます。


 そんなに強くはないのですが、打たれると痛いところばかり、何度も何度も打たれるもので、ブローズはさらに怒り、さらに赤くなって、けもののようにわめいて暴れるのでした。


「てめえ、このやろう、ちょこまかと、にげるな、こらっ……!」


「わたくしには、あなた方のような力はありませんから、その代わりに素早く動いて、上手く打つことにしているのです」


 ピシッ。ピシリ。さらにエリーレアの棒が、ブローズの体のあちこちで音を立てます。


「ぐわっ。いてえ。ちくしょう、ぐあっ」


 ひとつひとつはそれほどではなくても、いくつも重なると、痛みはだんだん耐えられなくなってきます。


 さおを振り回し続けて、つかれて、息が切れてきて、ブローズはとうとうよろめき始めました。


「えいっ!」


 ここが勝負どころと、エリーレアは深く踏みこんで、今までよりずっと強いいきおいで棒をふるいます。


 でもそれは、ブローズの罠でした。


「引っかかったな!」


 つかれたふりをして、エリーレアを誘いこんだのです。


 深く踏みこんで、逃げられないエリーレアに、が叩きつけられました!


 しかし、そこにはエリーレアはいませんでした。

 そうくると読んでいたのです。


 空を切ったが通りすぎたあとに、エリーレアがあらわれて、ゴツッとかたい音を立てて、ブローズの頭を打ちました。


「ぎゃっ!」


 を取り落とし、よろめいて、ブローズはしりもちをつきました。


 その目の前に、ビシリとエリーレアの棒が突きつけられました。


「まいった。俺の負けだ」


 くやしそうにブローズは言いました。


「お前みたいなのに負けるなんて、手下どもになめられちまう。死神退散くそったれ


「これは、わたくしが、人と戦うをたくさんしてきたからです」


 エリーレアは言いました。


「でも、剣がうまいとか、けんかが強いというのは、誰かを傷つけるのがうまいということです。そんなことよりも、誰かの役に立つのがうまい人の方が、ずっとりっぱだと、わたくしは思っています。わたくしはどうがんばっても、あなたのように、たくさんの人を運んで、たくさんの人の役に立つことはできないのですよ」


「お前、へんなやつだな」


「よく言われます。親にはいつもおこられています」


「そのへんなお嬢さまは、こんな時に川を渡って、何をしに行くんだ」


「わたくしにできることをやりに。大切な方を助けに行くのです」


「なるほど。それもりっぱなことだな。わかった、負けたんだから、運んでやるよ。それこそ、たくさんの人もな」


 ブローズは言って、船のしたくをさせはじめました。



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